第七話 Healing
第七話
彼の頭の中をぐるぐると二つの思いが渦巻いていた。
ユリを信じるべきか、または否か……。
もはや好き嫌いでどうにかすることができない状況となっていた。
優しい彼女が本当の彼女なのか、それとも残虐な彼女が本当の彼女なのか、彼にも判断がつかなかった。
後から彼が聞いた話によると、あの日あの場所で生き残ったのは彼ら四人だけだという。
他の部隊員全員があの彼女に殺され、命を落としたという。
リン達三人が生き残ったのも、ヒメの能力で彼女に会わないように逃げ続けたからであって、直接遭遇して生き残ったのはサトルだけであった。
サトルも、左右の臓器が反転しているという珍しい体質のおかげで心臓を握り潰されなかったというだけで、本来ならば彼もここにいることができないであろう。
一週間が経過しようとしていた。
サトルの傷は酷い傷ではあるものの、最先端医療の手にかかり、徐々に傷は癒えつつあった。ほぼ完治したといっても過言ではないであろう。
当初は集中治療室に入っていたサトルだったが、今では一般病棟に移っている。
「サトル、大丈夫?」
「ああ、もう大分よくなった」
毎日のようにリン達は見舞いに来ていた。
事件によって、ジュニアチームの主力部隊が壊滅したため事実上ジュニアチームは解散となった。彼らはすることもなく、毎日のようにサトルの病室を訪れていた。
しかし、彼らの間に流れる空気は重い。いつものように気軽に雑談をすることもできず、各々の方法で時間を潰していた。
「ヒメ」
突然、サトルはヒメの名を呼ぶ。ヒメはゆっくりと顔を上げ、黙ってサトルを見つめる。
「もう……お前のことだから調べてあるんだろう。ユリの……正体を」
彼女はしばらくの間黙っていたが、やがてこくりと頷いた。
サトルはためらっていた。一週間もの間、時間があったにもかかわらず、ヒメに尋ねることができなかったのは、ユリの正体を知ってしまうことで自分の中のユリのイメージが崩れてしまうことを恐れていたからだった。
だが、彼は考える。いつまでも逃げ続けていていいのだろうか、と。
知りたくない事実から顔を背け、己の作り上げた虚像のみを見つめ続けているだけで、いいのだろうか。一度は彼の命を奪おうとしたとはいえ、最愛の人である。そう簡単には諦めることはできなかった。
「ヒメ、教えてくれ。ユリの正体、そしてあんな事件が起きてしまった理由を……」
ヒメはしばらくの間黙っていたが、やがて語り始める。
「彼女は非正規戦闘部隊、ジュニアチームF部隊の被験体ナンバーLily-2316」
「被験体……?」
「日本軍は表向きに専守防衛を主眼とした軍隊を整備していた裏側で、拠点攻撃のための攻撃部隊を実験的に整備していた」
「ちょっと待て、実験的にとはどういうことだ!?」
「言葉の通り、人体実験をベースとした改造兵士の“生産”、及び兵器の開発を行っていたということ」
サトルは目の前が真っ暗になるのを感じた。
自分たちが兵士として養成される裏側で、兵士が人工的に“生産”されていたことが驚きだった。
ヒメの言葉はなおも続く。
「私たちと同じ戦災孤児から選ばれた被験者が本人の望む、望まないに関らず強制的に生体部品の移植手術を受けさせられて、兵士にされる」
「本人の意思に関係ないのならば、兵士として運用することができないんじゃないのか!?」
「強制的に戦わせるシステム、それが日本軍が極秘裏に開発していたフラワーシステム」
「フラワーシステム……?」
「特殊な花の花粉をレセプターに受容させることによって化学物質を分泌し、体の中のホルモン量を強制的に調整、そして人間の快感、特に物を破壊したり、生き物を殺したときの快感に関する神経を鋭敏にし、人間の破壊本能を活性化するシステム、それがフラワーシステム。ユリの場合は特殊な百合の花粉。だから、ユリは無意識的に百合に対して好意を抱いていた」
「名前とは裏腹になんていう恐ろしいシステムっすか……」
ヒロキ達も話しに聞き入る。
「理性面も抑える効果がある。まさに、狂戦士を作り出すためのシステム」
感情を表に出さないヒメも、恐ろしいというような様子で語った。
「ユリは……そんなものに苦しめられていたというのか……?」
サトルは思い切りベッドサイドのテーブルに拳を叩きつける。その表情は苦痛に満ちていた。
彼には彼女のことが自分のことのように思えていた。それは、彼にとって未だかつて経験したことのない感情だった。
そのことに彼は戸惑いを覚えつつも、不思議と共感すら覚えつついた。
自分は彼女のことを愛している。そして、彼女の痛みも自分の痛みとして受け入れようとしていた。
「ユリを……救い出すことはできないのか?」
「……一カ月後にアメリカで戦闘がある。オートマータ軍が占拠する地域への、ユリ単独投入」
「た、単独っすか!? そんな、死ねと言っているようなものじゃないっすか!?」
「日本軍はそれで勝つ気でいる。それが……ユリの戦闘能力」
サトルはしばらくの間黙って考え込んでいた。
もしユリに元の感情、記憶、人格が残されているなら、救い出すチャンスかもしれない。だが、それは今まで自分が所属してきた組織に対する冒涜行為ともいえる。
自らの保身か、最愛の人か。彼はそれを選ばなければならなかった。
「ユリが元に戻るとは限らない。戦うだけの戦闘兵器になっているかもしれない。それでも……サトルはユリを助けるの?」
「俺は……」
組織を離反すること、それは即ち今まで自分が築いてきたありとあらゆるものに対する裏切りであり、自らを否定する行為だ。オートマータを破壊し、両親を奪った存在に対して復讐をする。
云わばユリは、それを彼の代わりに代行してくれる者だ。そんな彼女の邪魔をすることは、自らの生き方に対して泥をかける行為にも等しい。
けれども彼は思い出す。今まで感情らしい感情を感じず、人間のフリをしてきた自分に人間の感情を思い出させてくれたのは誰か。楽しい、とは何かを教えてくれたのは誰か。
それは言うまでもなく、ユリである。彼女の問いかけに対して答えたではないか。彼女のことを恋愛感情を伴って好意的に思っている、と。
彼の答えは一つしかなかった。
「俺は……ユリを助ける。それがたとえ軍に離反する行為であってもな」
「サトル……」
リンはサトルの顔を見て彼の名を呼ぶ。しかし、その表情は決意に満ちている。
「隊長ならそう言うって信じてたっす」
ヒロキが立ち上がって彼の元へ歩み寄る。
「……」
ヒメも今まで弄っていたパソコンを閉じると、サトルのベッドに腰かけた。
「……わかったわよ。協力するわよ」
リンはサトルの手を強く握る。
サトルはそんな仲間の様子を見て頷いた。
「お前達……」
「その代わり、オイラ達の将来は隊長に保証してもらうっすからね」
ヒロキは笑いながらそう言う。サトルもそんな彼に釣られるように笑う。
「サトル、私はアメリカへの渡航手段を手配する。だから……それまでに準備を整えて」
「オイラは武器の調整をするっす。隊長の清羽と巨獣は軍が管理してるっすけど、ちょちょいと借りてくるっす」
「あたしは……」
リンは何かを言おうとするが、だが首を振って黙りこむ。
「リン隊長は隊長を支えていてほしいっす。ああは言ってても、隊長だっていろいろ抱えてるハズっすから」
「……わかったわ」
リンはそれだけ小さな声で言った。ヒロキはそんな様子を不思議そうに思いながらも頷いた。
「ちょっと時間がかかる。だから、私はしばらくここに来れない」
「わかった。準備が出来たら知らせてくれ」
「サトルはそれまでしっかり養生すること」
ヒメが確認するように問いかける。サトルはしっかりと頷いた。
彼女は立ち上がると、一度だけリンのことを見てから部屋を後にした。
「オイラもちょっと面倒なことになりそうっすから、しばらく顔を出せないかもしれないっす。あ、それとリン隊長、銀狼を借りていってもいいっすか?」
「ええ……」
リンは懐から何本ものナイフが入ったケースを取り出し、ヒロキに預けた。
「それじゃあ、また後でっす!」
そう言ってヒロキも部屋から退出していく。後にはサトルとリンが残された。
「サトル……あたしも、少し考え事をしたいから失礼するわ。また後で来る」
「リン……無理をしなくていいんだぞ? 来たくなければ来なくていい」
「あたしは……ううん、なんでもない」
そう言ってリンも部屋を出ていった。
サトルはベッドに倒れこむと、真っ白な天井を見上げた。
まるで百合の花のように白い天井を見ながら、ひっそりと彼女のことを思い出していた。
夜、空には真円の月が浮かぶ。星々が空を舞い、彼の部屋へも明るい光を投げかけていた。
サトルは窓の向こう側を見上げながら、どこかで同じ夜を見上げることもできないであろう恋人に想いを馳せていた。
時刻は草木も眠る丑三つ時。巡回の看護婦だろうか、彼女たちが時折廊下を歩く音のほかに、聞こえる音はなかった。
「ユリ……あいつは今、どうしているんだろうな……」
白い月は、彼女の肌を連想させ、星の輝きは目の光を髣髴させる。
彼は今、とてもユリのことを恋しく感じていた。
そのとき彼は今までの足音とは違う音を耳にする。
抜き足差し足とでも表現すればよいのだろうか、彼のように耳が特別よくなければ、思わず聞き逃してしまうほど音だった。
やがて、小さな音を立てて扉が開く。そこにはリンが立っていた。
「リン……?」
「サトル……話がある」
そう言うと、彼を誘うように手を振る。サトルはスリッパに足を通すと、彼女の後を付いて歩いた。
リンは黙ったまま廊下を歩く。やがて階段を上り、屋上への扉を開いた。
冷たい空気が肌を刺す。
月光が冷やかに二人を照らし出す。窓を通して見ると明るく優しかった光も、直接浴びると氷のように冷たい光となった。サトルは軽い寒気を感じながらも、彼女の後に続く。
やがてリンは屋上に設置されたベンチに腰かける。そして、サトルも座るよう促した。
「何の用だ」
しばらくの間、二人の間を冷たい空気が流れていたが、やがてサトルは我慢できなくなって彼女に尋ねた。
「どうした……?」
「サトルは……身の危険を冒してまでしてもユリを助けに行くのよね……」
リンは搾り出すようにサトルに尋ねた。
「ああ。あいつは……俺に人間とはどんなものかを思い出させてくれたからな」
「……」
リンは黙ってうつむいた。しばらくの間何かを考えていたが、やがて顔を上げて問いかける。
「私たちには……無理だったのかな。サトルの手助けをすることは……」
「……悪いな。お前たちと一緒にいるときはとても愉快だったが、俺に感情を思い出させるほどの楽しみを与えてくれることはできなかった」
サトルはしばらくの間黙っていたが、やがて押し出すようにそう答える。
リンはその告白を黙って聞いていた。
「俺はあいつに感情を思い出させてもらった。そして、人を好きになるということも……」
「あたしじゃダメなの!? あたしには……あいつの代わりを務めることはできないの!?」
「無理だ。リンはリン。ユリはユリ。ユリの代わりなんて他にはいない」
「あたしだってあんたのことが好き! その感情はあいつに負けないほどあるわ! なのに……なのになんであたしには……あたしには振り向いてくれないの……」
リンはうつむいて声を漏らす。
サトルは月を見上げながらその問いかけに答えた。
「お前に対しても好意は持っているつもりだ。だが……それは仲間としての好意であって、恋愛感情のそれとは違う。悪いな、リン……」
「馬鹿ぁ……っえぐ……ぐすっ」
リンは声を出して嗚咽を漏らす。そんな彼女をどう扱えばいいものかサトルもわからず、ただ困惑しながら彼女を見つめていた。
しばらく間泣いていたが、ようやく泣き止んだのか、声も出さずにサトルに抱きついた。
「お願い……サトルがあたしのものにならないのはわかったけど……今だけ……今だけは私のサトルでいて……」
「俺は構わない……。だが、傷つくのはお前じゃないのか?」
「いいの。今が幸せなら、それでも構わない……」
そう言うと、リンは彼の胸に顔を埋める。サトルはそんな彼女をそっと抱きしめた。
「サトル……あったかいよ……」
「寒いからな」
やがて、小さな雪が舞い落ちる。
白くて冷たい、星の欠片のような雪の結晶。
リンはそれを掌で受け止める。
「……百合の花みたい」
「そうだな」
それをリンは握りしめた。雪は一瞬で溶け、滴となって手のひらからこぼれ落ちる。
「戻ろう。こんなところにいると風邪をひく」
「……うん」
リンはサトルの言葉にゆっくりと頷いた。
彼女は彼の手を握りしめると、ゆっくりとサトルのことを導いた。
サトルは今の彼女に対する対応が正しいのか否かを考えながら、ただ手を引かれるがままに歩き続けていた。
病室に戻った二人は雪のちらつく外を見ながら、ベッドに並んで腰掛けていた。
「私ね、行きたい場所があるんだ」
リンはそうサトルに提案する。
「しょうがないな……今から行くか?」
「今から? 何もこんな遅くに出ることないじゃない」
「下手すれば明日にも戦うために発たなければならないかもしれん。行くなら早い方がいい」
二人は柔らかな雪が降り注ぐ中、夜のハイウェイを奔る。
次話、第八話 Driving