第六話 Turning
第六話
今回の任務は植物から薬品を作り出す研究機関の片付けだった。
司令書にはオートマータの襲撃にあった研究所の薬品や植物を保護し、別の研究所へと運び出す作業だと書かれてあった。
名簿一覧には作戦に参加する隊員の名前が書き連ねてある。
しかし、そこにユリの名前はなかった。
サトルは今回の人選に疑問を抱いていた。
いつもならば、こういったフォールスミッションには優先的に後援部隊の者が選ばれる。
αチームやβチームなどの実戦部隊の者は人数が必要なときのみ動員され、その全員が参加することは少ない。
それなのにも関らず、今回のミッションは実戦部隊全員と一部を除いた後援部隊の者が参加者として選抜されている。
実戦やその訓練ならば、後援部隊の者は任務に抜擢されない。よって、今回の任務は実戦を想定した訓練などではないということである。
サトルは考えながら通路を歩く。その疑問をできることならミサトに尋ねたいところであったが、彼女も暇人ではない。簡単に話はできないだろう。
「あ、サトルさん」
サトルは一時思考を中断する。
彼の前には微笑みながら手を振るユリの姿があった。
「ユリか」
「今度の任務、サトルさん達だけなんですよね」
「そうらしいな」
ユリは少しの間黙りこむが、やがて表情を輝かせて言った。
「任務、頑張ってくださいね」
「大丈夫、今回もフォールスミッションだ。大したことはない」
「そうでしたね。えへへ」
ユリは満面の笑みを浮かべた。
サトルはふうと息を吐いて、ユリの顔を見つめる。
「それじゃあな」
「はい」
サトルは一度ユリに手を振ってからその場を後にする。
「あの、サトルさん!」
去りかけた背中にユリは勇気を持って話し掛ける。
彼はゆっくりと振り返ると、何事かと疑問を浮かべた表情で立っていた。
「あの……その……私……」
彼女はしばらくの間、言うべきか言うまいか悩んでいたが、やがて意思を固めたようで、力強い表情を浮かべてサトルの目を見つめる。
「サトルさんのこと、好きなんです! どうしようもなく……好きなんです! だからその、私のことをどう思っているか聞かせてほしいんです!」
突然の告白にサトルは目を丸くして驚いていたが、やがて少し頬を赤らめて答えた。
「俺も……その、お前のことは好意的に思っている。恋愛感情があるかと言われれば……間違っていない、とも思う。それだけ……だ」
「ほ、ほんとですか!?」
ユリはぱぁっと表情を輝かせる。そしてサトルに駆け寄り、彼の腕に自分の腕を回した。
「な……!」
「えへへへ……」
ユリは悪戯っぽく笑うと、サトルのことを見上げた。
「だ、抱きつくんじゃない!」
「えへへ、ごめんなさい」
腕を離したが、彼女の表情は本当に嬉しそうだった。
「俺はともかく行くぞ。するべきことがあるんでな」
そう言って彼はきびきびと歩き始める。いつも以上に堅い歩き方が彼女にはおかしかった。
ユリはまっすぐ通路を歩いていくサトルを見送りながらにっこりと笑った。
「どーしたの、ユリちゃん」
「きゃ! ど、どこから出てきたんですか!?」
彼女の背後には二人の少女が立っていた。高山ノブヨと清水ユウコである。
「まあまあ、そこんところは気にしないの」
「それより、なんだか嬉しそうね」
先ほどまでユリが見つめていた方向を二人は見た。その先には一人の少年の後ろ姿。
「ユリちゃん見事な告白っぷりね」
「ほんと勇ましかったわ~」
「な、見てたんですか!?」
ユリは頬を真っ赤に染めてうつむいた。そんな彼女を茶化すように二人は笑う。
「あー、羨しいわ。私、恋愛なんかこの歳まで経験したことないもん」
「青春よねー」
「あう……えっと……その……」
ずいっとノブヨが身を乗り出す。
「でも油断しちゃだめよ!」
「まあ、カタブツの隊長を落としたっていうテクは認めるわ……。でも、油断してたら他に取られるわよ」
「たとえばリン隊長とかね」
「え、ええ!?」
ユウコが考え込むように腕を組む。
「しかも、今度の任務は私達、皆参加しないしね……」
「取られちゃうかもね……」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
ユリがやや慌てたように声を上げる。それを聞いて、二人はニヤリと笑った。
「やっぱり慌てちゃうんだ?」
「青春ね~、いいわね~」
二人はきゃあきゃあとわめきながら盛り上がる。ユリは両頬を紅色に染めていた。
「そ・こ・で! 私にいい考えがあるのよ」
「い、いい考え?」
なんとか興味のないそぶりを見せながら、それでいて聞きたくてしょうがない雰囲気がユリから伝わってくる。それを感じながら二人は本当に楽しそうな表情を浮かべる。
「それはね……」
三人は場所を変えて集まっていた。
普段は少年少女で賑わう食堂も、三時頃となればデザートに舌鼓を打ちにやってくる一部の女子を除いて閑散としていた。
そして、三人もデザートを楽しみながらじっくりと作戦を練る。
「そもそも、ユリちゃんにはアタック力がないのよ。もっとこう押せ押せモードで行かなきゃいけないのよ」
「そんでもって、最後はイケイケモードで決めるって感じね」
「全然わかりません」
ノブヨとユウコはがっくりとして机に額を打ちつける。
ヨーグルトゼリーを口に運びながらノブヨが説明する。
「いい? あなたは押しが弱いの。さっきはとてもよかったけど、いつもあんな感じでいかないとダメ」
「そうよね~。なんていうか、受動的って言うか、受け身体制なのよね」
「隊長みたいにお堅い人にはガツン! ガツンっていかなきゃいけないのよ」
ユウコはパイナップルナタデココゼリーを食べながらスプーンをびしりと突き付ける。
「そう。もう、これくらい大胆にいっちゃっていいと思うわよ」
そう言って、ユリの白桃ゼリーから、二個しかない白桃を奪い取る。
「ああっ! 桃が!」
「うん、美味しいわ」
むしゃむしゃと美味しそうに白桃食べるユウコ。
「だから、うかうかしてるとこうなるのよ」
といって、ノブヨも白桃を奪い取る。
「わ、わたしの桃が……」
「今のが隊長だったらどうする? これだけ悲しい思いをしたのだから、もう誰にも取られたくないわよね?」
ユリはこくこくと頷く。それほどまでに桃を奪い取られたのが悲しかったようだ。
もう残りゼリーだけになってしまった白桃ゼリーを食べながら二人の話を聞く。
「大事なのは最初にも言ったけど押しね。押して押して押しまくる! 常に隊長のハートをキャッチし続けなきゃいけないのよ」
「一瞬でも離しちゃダメよ! そしたら最後、さっきの桃と同じ末路を辿るわよ」
ユリはなくなってしまった桃を思うと、悲しそうな表情を浮かべながらうんうんと頷く。
「特にリン隊長は攻撃力が高いからね……」
「幸い、リン隊長に対しては友達としての馴染みがあるから恋愛感情に引き込みにくいっていうアドバンテージがあるわ」
「そこは特に生かすべき部位よ! 確かにアドバンテージではあるけれど、最後の砦とも言えるわね」
「つまり、ここを克服されたらアウトなのよ」
「確実にかっさらわれるわね」
そこでユリはきっとした表情で桃ゼリーをにらむ。
「あなたがするべきことはわかったわね?」
「はい!」
そして任務当日となった。
サトルは研究所を見上げながら呟いた。
「普通の研究所……だな」
オートマータの襲撃によってかなり損壊してはいたが、その外見は普通の研究所と変わりがなかった。
門入り口には、国立植物薬品研究センターと書かれた看板が張り付けられている。
この研究所は、植物から有用な成分を取り出し、薬品を製造する研究所である。研究所内には多数の花畑があり、そこで特殊な植物を生育しているといわれている。
傷薬や病気を治す抗生物質、殺虫剤、防腐剤のような日常生活に用いられるような薬品から、毒薬、腐敗剤といった戦争に用いられる薬品まで実に様々な薬品を製造している。
「案外見た目は普通ね~」
「でも、中にはすっごいお花畑があるんでしょ! 早く見たいわ~。ね、ユリちゃん」
その名前に反応し、サトルは即座に振り返る。
「お花畑……楽しみです♪」
「楽しみです、じゃない」
サトルはその少女達の方へと歩み寄る。
「どうして任務から外れているはずのお前達がここにいる」
「あ……サトル隊長……」
「こんなに早く見つかるとはね……」
三人は気まずそうに視線を泳がせる。
「あー……えーと、それは……」
「なんていうか……その……」
「わ、わたしが無理を言ったんです!」
ユリが大きな声でサトルに言った。
「ゆ、ユリちゃん!?」
「ちが、それは私達が……」
「いいえ、私が今回任務に参加する人に、代わってもらうようお願いしたんです」
サトルは苦々しい表情を浮かべる。そんなサトルをユリはじーっと見つめていた。
やがてサトルは何かを思ったのか、大きなため息をついた。
「来てしまったものは仕方がない。ただし、俺の監視の元で任務に就くように」
ノブヨとユウコはにっこり笑って顔を見合わせる。ユリもほっとしたような表情を浮かべた。
「「ありがとうございます!」」
サトルはこの後の任務を思い、気が重くなるのを感じながら、研究所の方へと足を進めた。
ジュニアチームの面々が研究所内に入ってまず目にしたのは、いきなり眼前に広がる花畑だった。可憐にして、華美。様々な形の花々が規則正しく、どこまでも伸びている。
色とりどりの花々が美しい花弁を開かせて、少年少女達を出迎えた。
「綺麗……」
「凄い……」
ところどころオートマータに踏みつぶされていたが、それでも花々は力強く咲き誇っていた。
ユリ達も嘆息を漏らしながら、花畑に見惚れていた。
「さあ、作業に入れ!」
サトルは大きな声で命令を出す。それで皆気が付いたのか、少しずつ研究所のあちこちへと散っていった。
「さあ、俺達も行くぞ」
「はい」
四人は研究所の奥へと進んでいく。
「私達は何をすればいいんですか?」
ユウコがサトルへと尋ねた。サトルは振り返ることもなく答える。
「地下の特殊植物棟の植物を外へ運び出す。ここでは特別な植物を扱っているそうだ。慎重に、必ず手袋を付けて扱うこと」
「「了解!」」
階段を下に降りると、いくつかの道に分かれていた。
頭上には行き先を案内する看板がかかっている。サトルはそのいくつかの道の中から特殊植物棟へと向かう通路の方へと進んでいった。
同研究所、某研究室。
冷たい暗室には所狭しと本が並んでいる。
どれもこれも生物、特に植物のことを扱っている本ばかりが陳列されていた。
その中から一冊を少女は抜き取ると、ぱらぱらとページをめくる。
もう一人の少女は、共に居る少年と話をしながらとても退屈そうにソファへ寝転がる。
「ねえあんた。こんなとこで油売ってていいの?」
「問題ないっす。そういうリン隊長も寝てていいんすか?」
「問題ないわよ。ねえヒメ」
「……」
ヒメは一人本のページをめくりながら、頷くこともなく本を読み続ける。
「何の本を読んでるんすか?」
「……生体部品」
この研究所らしからぬ本に興味を引かれたのか、彼女はただ本を読み進める。
「ねえヒメ。なんでさっきユリがいたのかしら」
「……」
「大方こっそり付いてきたって感じじゃないっすか? まあフォールスミッションだから問題ないと思うっす」
「アンタの意見は聞いてないわよ」
ぴしゃりとリンは指をさす。彼女のあまりの冷たさにヒロキは嘆く。
「ヒドイっす……」
「……」
相変わらず二人に構うこともなく、ヒメはページをめくる手を止めることはない。
リンはつまらなそうにごろごろと体制を変えながら二人に話し掛ける。
「ねえヒロキ。あんたんとこの部隊は頭がいなくて大丈夫なの?」
「問題ないっす。ウチの部隊は優秀で、何かあったときはトランシーバーで指示を出すだけっすから」
「まあウチも似たような感じね。だからあたし達はこうしてられるけど」
どこから持ってきたのか、リンはぽりぽりと煎餅をかじる。ヒロキは手を出したが、ぴしゃりとリンに叩かれ涙を浮かべる。
「ヒメちゃん、リン隊長にがつりと言ってほしいっす! 任務中に煎餅食うとは何事かって!」
「……めっ」
そう、一言だけ言って再び本のページをめくった。
そんな言葉などなかったかのように、相変わらずリンはぼりぼりと煎餅をかじり続ける。
ヒロキは特大のため息をついて、リンから離れ、ヒメの読んでいる本を覗き見た。
しかし、ヒメは座る向きを変えてヒロキから見えない位置へと移動する。
二人の少女から邪険にされて、ヒロキは泣く泣く適当な本を手にとる。
彼が取った本は植物の成分に関する本だった。もっとも、彼は意識的にその本を取ろうと思ったわけではない。ただそこにあったから手に取っただけである。
ぺらぺらと適当にページをめくり、意味がわからずともとりあえず読む。
しばらくの間三人は黙りこくる。
リンは一人煎餅を、ヒメとサトルは本を、ただ三人は自分のしたいことをして一人過ごす。
だがその均衡も長くは保たず、真っ先にサトルが悲鳴を上げる。
「な、なんすか……セルロースとか、アドレニンだとか、ペクチンとか……もう意味不明っすよ……」
「アドレニン……」
ヒメは何冊かの本を小脇に抱えると、サトルが呼んでいた本を奪い取る。
「な、なんすか!?」
彼女は黙って本を斜め読みする。やがて目当てのページを見つけ出したのか、その本を開いてサトルにもわかるように説明する。
「最近発見された物質でアドレナリン分泌を促進する物質。副腎髄質からのアドレナリン放出量を促進する物質で、交感神経が刺激されることによって分泌される。アドレナリンは強心剤としても使われるホルモンで、グリコーゲンの分解を増進して血糖を上げ、脂肪組織の脂肪を分解、酸素消費を高める。すなわち、運動している状態に近付けるホルモン」
「ちょっとどうしたのよ」
リンは何事かと二人の方へと歩み寄る。
次に脇に抱えていた生体部品の本を抜き出すと、それを開いて二人に見せる。
「アドレナリンの大量需給によって“本来の能力”を発揮する人工筋肉がある。ある一定の閾値を超えるアドレナリンを検出すると、俊発力、持久力などが一気に向上し、人間では再現不可能なほどの動きを見せる。これがあるのはこの本でわかった。でも、通常のアドレナリン分泌量じゃ絶対に機能しないから考えていなかった。でも、アドレニンならば……」
「ちょっと、そのアドレニンとかいうのがどうしたのよ!」
「もともとはオートマータ用に使われる生体部品。オートマータは正確には人間じゃないから、アドレナリンを過剰に分泌させても大きな問題はない。けれども、この部品が動くだけのアドレナリンを分泌させれば、人間の場合は中毒症状を起こす。けれども、F部隊の命を弄ぶ研究、すなわち、生きた人間をベースに生体部品を大量に使用する改造人間を作り出す研究だとしたら、オートマータにも対抗できる最強の兵士を作り出すことが可能……」
「ちょっと待って、アドレナリンってたくさん分泌したらヤバいんじゃないの!?」
ヒメはしばらくうつむいていたが、やがて首を横に振る。
「もし、全身のほとんどの部品を取り換えるほど生体部品と交換していれば、アドレナリンの影響は少ない……」
「じゃあなに!? あのユリがその兵士だって言うの!?」
「……さっき、生体部品の本にF部隊のことが書いてあった。つまり、F部隊の研究はほぼ間違いなく生体部品。そして、ここは植物を研究する研究所。そして、“ユリを含む”後援部隊の一部が外されていたということは……」
「何よ……ビンゴだっていうの?」
「な、なんすか!? F部隊とか、最強の戦士って!?」
ヒロキだけが理解できないというように慌てふためく。
そんなことはお構いなしにリンとヒメは駆け出していた。両手には各々の武器を持ち、もはやその目は戦場のそれであった。
真っ赤に濡れる、元は白かった百合の花畑。
そして、少女の腕の先で震えるノブヨ。その胸は腕に貫かれ、鮮血に染まっていた。
「あ……な、んで?」
ユウコは声を出すこともできず、変わり果てた二人の友人を見ながらうずくまっていた。
「ゆ、ゆり、ちゃ……ッ」
少年は腰に携えた拳銃を抜きつつも、引き金を引くことができないでいた。
そう……白い可憐な花が咲き乱れるそこは地獄と化していた。
「な……なんでこんなことが……」
サトルは戦場で初めて震えていた。標準が定まらず、それどころか力が抜けて銃を構えることすらできなかった。
「はぁー……はぁー……」
少女は吐息を荒くして、腕の先に力を込める。
「あ……」
その瞬間、ノブヨの体が震える。一瞬だけ細かく鳴動すると、やがて全身から力が抜けていく。彼女の目から、光が消えていく。
「嘘……嘘でしょ……」
少女は思い切り腕を振るって、腕に突き刺さっていたノブヨの体を地面に叩きつける。白い花びらが宙を舞う。彼女の体はごろごろと転がり、やがてユウコの目の前で静止する。
「いや……いやぁ……」
ユウコを見つめる彼女の瞳は生を感じない、言わば死んだ目だった。
「嘘よ……あの元気だったノブヨが……」
ユウコはそっと手を伸ばす。その指先がノブヨの頬に触れた。それはまだ、温かさが残っていた。
「いやあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ッ!」
その瞬間、サトルは正気に戻った。
「逃げッ!」
しかし、その声も遅かった。
大きな声を耳触りに感じたのか、少女の腕が伸びた。
なんとか逃げようと身を翻したが、その指はまっすぐに彼女の胸を捉えた。
「あっ……」
彼女の悲鳴が上がるか上がらないか、その瞬間ユウコの胸も鮮血に染まっていた。
「あ゛……」
ぐちゃり、という肉を握り潰すような音が聞こえ、彼女の体が大きく震える。
その時、サトルは見てしまった。その少女が口元を歪ませて笑っているのを。
彼は思った。目の前にいるのは数分前まで話をしていた明るい少女ではない、と。
彼の指は早かった。一瞬で安全装置を解除し、寸分の差もなく引き金を引く。狙う場所は足、そして腕。機動力と攻撃力を削ぐのが一番だと彼は考えた。
そう、今でも心のどこかでは、彼女がユリだと信じていた。だから、その頭に銃口を向けることができなかった。
その甘さが命取りだった。
「ッ!?」
一瞬で視界から少女が消え失せる。赤い軌跡を描いてサトルの目の前に現れる。
その腕には一本の赤い線が引かれていた。おそらく弾がかすったのだろう。
少女は無言で腕を伸ばす。だが、サトルもさすがに二度見た攻撃を受けるようなことはなかった。
素早く銃をガードに回し、腕を防ぐ。だが、次の瞬間目にも止まらぬほどの速度で左手の拳が襲いかかる。
防御を許さぬほどの速度で飛翔したその一撃は確実に鳩尾に突き刺さる。
「うッ!」
わずかの痛みも感じさせぬほどの、優しくて暴力的な力が彼の意識を拭い去った。
最後に彼が覚えていたのは、彼のことを見下ろす、冷たくて野生的な瞳の光だった。
彼は夢を見ていた。
彼の前には二人の白髪の少女が立っていた。
その容姿は同じようで、瞳に宿る輝きが違う少女だった。
一人は可愛らしく笑い、もう一人は寒気がするほどの恐ろしい笑顔を浮かべる。
『ねえサトルさん! サトルさんはわたしのことを好きですか?』
彼はその言葉を聞いて答える。
「お、お前のことを好意的に見る、と言ったからにはそう貫く。違うか?」
もう一人の少女が血も凍るような声で答える。
『だって、“わたし”を見てしまったから。友人を殺し、あなたをも殺そうとする“わたし”を目に焼き付けてしまったから!』
『あれは……わたしじゃないよです。ほら、私はこんなにも優しくて、気が穏やかで、虫一匹殺せないような女の子なんですよ?』
一人の少女はにっこりと微笑む。その笑いは見るものに安らぎを与え、思わず頬が緩むような優しい笑顔だった。
「そうだ、ユリに人を、それも友人を殺すことができるはずがない」
『違うッ!』
怒気を帯びた声が響き渡る。それは彼の精神をも揺るがし、一人の少女の姿を霞ませる。
『わたしは殺人鬼だ! 仲間をいとも簡単に手を掛け、そして愛する人をも殺す鬼だ!』
『そんなことないです! だって、わたしはこんなもにサトルさんのことを考えています! 毎朝のお味噌汁だって、心を込めて作っていますし、お弁当にだって愛情をこめて作ります! ちょっと恥ずかしいけどケチャップでハートマークも書きますし……』
『そんなものは嘘だ幻想だまやかしだッ! 表面だけを取り繕って己のうちに潜む悪鬼を隠し、醜い偽りの外見だけのお前なんて、わたしは絶対に認めない!』
二人の少女は火花を散らしながら憎々しげににらみ合う。
「ユリ……お前は……どっちが本当のお前なんだ?」
『わたしです!』
『わたしだ!』
二人のオーラがぶつかり合い、彼は吹き飛ばされそうになるのを必死に堪える。
「どっちが……どっちがお前なんだぁッ!」
「サトルぅッ!」
一人の少女の痛切な声が響く。
彼はゆっくりと目を開いた。
その目に飛び込んできたのは、真っ白な壁だった。
何本ものコードやケーブルが彼の体の上を這いずり回り、右へ左へ横行していた。
「さ……サトル……?」
ガラスの窓を隔てた外から一人の少女が呼び掛ける。
「お、起きたの!? 意識が戻ったの!?」
リンはガラス窓に張り付く。その声を聞いて隣に座っていたヒロキとヒメも立ち上がった。
「た、隊長!」
「サトル……」
「ねえ、返事をしてよ! ねえ!」
サトルはぼんやりとしながらあたりの風景を見渡す。その中で見知った人々を見つけ、ゆっくり微笑んだ。
「よう、お前達」
その声を聞いて、リンの表情が一気に崩れる。
「サトル……っえぐ……心配……じだんだがらぁ……」
崩れ落ちるリンの体をヒメが支える。そして、ハンカチで彼女の涙を拭ってやった。
「泣くなよ、リン」
「うるざいっ! どんだげ……どんだげじんばいじだど思ってるのよぉ~……」
「……そういえば、ユリはどうした? ここには……いないのか?」
そうサトルは尋ねるが、誰一人として答える者はなかった。
その様子にサトルは不信感を抱く。
「それ以前に、俺はどうしてここに……」
そこまで呟いて、彼は意識を失う前の記憶を思い出した。
真っ赤な血飛沫、赤く濡れた白い百合、死んだ二人の部下、そして自らをも殺そうとした最愛の人。
「ユリは……ユリはどうした。ユリに何があった。ユリはどうなった! 誰か答えろ!」
しかし、その怒声を聞いても答える者は誰一人としていなかった。
「誰か答えろ……ちくしょう……答えて……くれよ……」
やがて声は覇気をなくし、意気消沈していく。
最後には、枯れた花のように力の抜けたサトルと、植物の様に黙し続ける三人だけが病院の一角にあった。
居所も恋人も失ったサトル。
けれども、彼にはまだ三人の仲間がいた。
ユリがあんな風になってしまった理由を聞いて、サトルは決心する。
「ヒメ、もう……お前のことだから調べてあるんだろう。ユリの……正体を」
ヒメはゆっくりと口を開いた。
彼女は語る。身の毛もよだつような恐ろしい、日本軍の極秘研究を……。
次話、第七話 Healing




