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第二話 Shopping

第二話


彼女の名前はユリ。研究所で保護された、唯一の生き残りである。

研究所襲撃の際に記憶を失っており(何かしらの強い衝撃を受けたものと思われる。精神的なもの?)、自身の名前さえも、ようやくユリ、という部分のみを思い出すだけで名字も所属も住民登録番号も思い出すことができない。

サトルの上司でもあり、師でもあり、そしてジュニアチームの責任者でもある芝中ミサト少将の調査によると、彼女の顔も名前も研究者のリストに載っていないことから被験者だろうと推測されている。

“上層部”の協議の結果、彼女は一時的にジュニアチーム(実戦闘部隊αβγチームではなく後援部隊)に所属することとなった。



温かいシャワーが降り落ちる。

白髪の少女の横で、彼女の体や頭にこびり付いた血を落としてやっているのはヒメだった。

排水溝は瞬く間に朱に染まり、紅へと変化するも、すぐに透明な水が流れ始める。

「あの……その……」

ヒメに何か話し掛けようとする少女……ユリだったが、ヒメは黙って彼女の体を洗う。

静寂がシャワー室を包み込む。

ヒメはタオルにくるんだ石鹸でごしごしと泡立てると、丁寧に、それでいて迅速に体を洗う。

体に染み込んでいた鉄の臭いもいくらか落ち、石鹸の香りがほんのりと鼻をくすぐる。

シャンプーを両手で包むと、彼女は目や耳に入らないよう髪の毛を洗ってやる。

「あぅ……じ、自分で……」

「駄目、命令だから」

そう言ってヒメは自分で彼女の白髪を洗ってやる。血糊はすっかり落ち、気分のいい芳香があたりに漂う。

「あ……ありが……とう……」

「どういたしまして」

ヒメは短くそう言うと、先にシャワー室を後にする。ユリも慌てて彼女を後を追ってシャワー室から飛び出す。

ヒメが手渡したタオルを受け取ると、ユリは濡れた体を丁寧に拭いた。

ユリは渡された下着と肌着、そして服を着る。

「サトル、終わった」

「わざわざ呼び出してすまないな」

「……」

ヒメは黙って頷いた。

「ユリ、こっちに来い」

彼女はやや心配そうな表情を浮かべてヒメを見つめる。

「大丈夫」

ヒメは小さな声でそう言うと、きびすを返して歩き始める。

ユリは不安げな表情を浮かべたまま、先を歩くサトルの後を付いて歩く。

やがて、一つの大きな扉が現れる。サトルは二度ノックをすると、失礼しますと言って扉を開いた。

中には一人の女性が待ち構えていた。黒の長髪を腰まで垂らし、表情の柔和な女性だった。しかし、彼女の腰にも一丁の拳銃が差し込まれている。

「サトル、いらっしゃい」

「命令通りシャワーを浴びせさせてから来た。これでいくらか血の臭いがましになった」

「そうね。でも、まだかすかに残っているわね。まあ、すぐに取れるでしょう」

彼女は二人に座るよう指示する。サトルとユリは用意された椅子に腰かけた。

「えーと、軍の“上層部”、つまりは“お偉い様”の協議の結果、彼女はしばらくの間ウチで預かることになったわ」

「彼女も軍務を?」

「いえ、後方支援の方ね。つまりは何もしなくていいってこと」

後方支援とは名ばかりの、ジュニアチームの中でも雑用しか命じられない者達がいる部隊だ。特に何かをしたりするわけではなく、軍が戦災孤児支援をしていますよというアピールをするための部隊である。

「でさ、部屋なんだけどね。空き部屋がないのよ」

「どういうことだ?」

しばらくの間ミサトは唸っていたが、やがて口を開き始める。

「女子寮が全室満室なのよ。去年多く取りすぎちゃったから、今年は減らしたんだけど、それでもまだ多くてねぇ。全部屋二人入ってて満室状態。かといってほかの部署には回せないし、でも住むところは必要よね」

彼女はそこで手をぽんとたたくと、まっすぐにサトルを指さす。

「そ・こ・で、女の子に一番手を出さなそうなあなたと相部屋になってもらえる?」

「……意味が良く理解できないのだが」

「男子寮もいっぱいと言えばいっぱいなんだけど、何人かは一人で部屋使ってるのよね。でも、だからといってその子達と一緒にして襲われたら困るでしょうし、それにいきなり入居者が増えたら困るでしょうから、あなたにお願いすることにしたの」

「……俺もいきなり入居者が増えたら困るんだが」

「いいじゃない。どうせ部屋は綺麗にしてるんでしょう?」

「ま……まあ比較的整頓されているな、外見的には」

「じゃあ決まりじゃない。それに、あなたって奥手だから襲わないでしょ? だから安心よ」

肩をぽんと叩いて、ミサトはサトルの目を見つめる。

「もし、嫌だと言ったら……?」

「命令違反で軍法会議にかけるわよ?」

「……わかりました」

彼は額に手を当てて深くため息をつく。こんな上司がいてもよいものだろうかと、激しく嘆く。それはもう、暗くじめりとした森のように嘆く。

「あの……その……」

「そうだ、本人の意思はどうなんだ!?」

そう言って、ぐるりと90度旋回してユリへ詰め寄るサトル。

「わたしは……わたしはそれでも……いいです」

再びがっくりと膝をつくサトル。それを面白そうに笑うミサト。

「あはは、じゃ今日は先に上がっていいわよ。そろそろ部隊の子達も戻ってきてもらう予定だったし」

腰の通信機に向かって喋り始めるミサト。資料の運搬を終えたらそのまま流れ解散だと告げると、彼女は通信機を置いた。

「こんな適当な軍隊があってもよいのだろうか……」

「あ、ヒメー! あなたも上がってもいいわよー!」



「面倒だな……」

寮への帰り道、彼が駆るバイクは明るい夜道を走り続ける。

道の両サイドには数多くの街頭が立ち並び、並立するビルの群れはいずれも光々と輝いていた。

ユリはしっかりとサトルにしがみついて体重を彼に預ける。

「あの……迷惑だったでしょうか……?」

「いや、気にするな。だが、普通にベッドで寝られるようにするにはちょっと問題があってな」

信号機が赤に変わる。彼は一度バイクを止めて振り返った。

「当分は俺のベッドを使うといい」

「それじゃあ、サトルさんは?」

「俺は床に寝る」

信号が青く灯る。サトルは一気にスピードを上げて走り出す。飛ぶように夜景が流れ去っていく。

「だ、だめですよ! そんな床で寝るなんて……」

「問題ない。地面で寝ることも時にはある。屋根のある場所で寝られるんだ。文句はない」

サトルは徐々にスピードを下げる。T字路で曲がり、またすぐに曲がって脇道へ入ると、男子寮はすぐである。

「到着だ」

一度地下駐車場へと降りる。何台かの車と、多数のバイクが止められている。

サトルはその列の中へバイクをねじ込むと、ヘルメットを外した。

「こっちだ」

自動ドアをくぐると、カードキータイプのロックされたドアが二人を出迎える。

サトルは財布からカードを一枚取り出すと、機械へ通す。

「さ、こっちだ」

エレベーターを上がり、やがて一つの部屋の前へと到着する。彼はもう一度カードを通すと、がちゃりと錠が開く音が鳴る。

彼はドアを開き、ユリを中へと招き入れる。

「お邪魔します」

ユリは丁寧に靴を揃えて部屋へ上がる。

入ってすぐ左側にバスルーム、そしてまっすぐ進むとリビングがあった。その奥にはベッドが二つ、部屋の両サイドに置かれている。

キッチンはリビングの手前側にあり、中は綺麗に片づけられている。

リビングには小さなテーブルと椅子が一つ置かれていた。テーブルの上には何もない。

一言で表すならば殺風景。まさに何もない部屋だった。

「ベッド、二つありますね」

「一つは使えない。ちょっと訳ありでな」

彼はベッド脇に座り込むと、マットレスの端にかけられていた留め金を外す。

マットレスが大きく飛び上がり、ベッドが二つに割れてトランクケースのように開いた。

「凄い……」

「趣味で集めていたんだが、保管場所に困ってな。仕方なくベッドを改造して突っ込んである」

そこに収められていたのは、黒い銃身の光る火器類。

「これは……リボルバー式の銃ですか?」

「骨董品さ。今じゃほとんどがオートマチックだからな」

「触ってもいいですか?」

「弾は抜いてある。好きにするといい」

ユリは一丁の重い銃を持ち上げる。丸い弾倉には当然ながら弾丸は入っていない。

「銃に興味あるのか?」

「少しだけ……こっちはもっと古いですね」

「アメリカの西部劇時代の銃さ」

「ウィンチェスターライフルですね」

サトルは驚いたような表情を浮かべて、ライフルを弄るユリを見つめる。

「良く知っているな」

「一昔前までは同じタイプの銃がスポーツに使われていたと思います」

「クレー射撃だな。最近はめっきり減ったがな」

今の時代、銃は戦争の象徴である。平和目的のスポーツとはいえ、敬遠するものが多かった。同様の理由で、狩猟も減っている。

「戦争がない時代の遊びさ。いまでは銃を禁止する法律が厳しくなって、軍人以外が銃に触れる機会も減った」

量産された銃器は戦争へと投入されると同時に、厳しい規制の対象ともなる。一般の民間人が銃を携帯するのは特別な場合を除いて許可されない。これは日本だけでなく、ほかの多くの国もそうであった。

「銃は恐ろしい武器ではあるが、それと同時に深い歴史を刻んだ歴史書でもある。その時代の用途に応じて作られ、様々な発展を遂げてきた」

「少し前では娯楽のため、今では戦うため、ということですね」

「そういうことだ」

彼は腰のホルスターを外すと、ベッドの脇の棚へしまいこみ、施錠する。今の法律では、銃器はきちんと施錠して保管しなければならないと義務付けられている。言わば毒物と同じ扱いだ。

「さあ、もう遅い。ユリも疲れているだろう? 早く休んだ方がいい」

サトルはベッドを閉じると、きちんと施錠する。もっとも、銃器がこんな場所に保存されていると思うものもほとんどいないだろう。

「シャワーを浴びてきたはずだが、風呂も入るか?」

サトルは上着をハンガーにかけるとクローゼットへしまった。

「いえ、遠慮しておきます」

「そうか。ベッドは使って構わない。俺は風呂に入ってから寝る」

そう言って、サトルは寝室を後にした。

後に残されたユリもやや戸惑いながらベッドに横になる。

枕元のスイッチを弄ると電気が消える。部屋は闇に満たされ、窓から飛び込んでくるわずかな光だけが部屋の中を照らす。

ユリは目を閉じてからいろいろなことを考える。

気付くと無機質な部屋の隅でうずくまっていた自分。理由はわからないが、心臓は激しく動悸し、恐怖が身を包みこんでいた。

やがて、窓ガラスが砕ける音。そして、先ほどまで話していた少年の大声。

意味がわからず、ただ恐怖だけが体を満たす。銃を構えられ、そして引き金に指がかかる。

彼女には、それが命を奪う道具だとすぐにわかってしまった。恐怖は倍増され、歯ががちがちとなったのを覚えていた。

だが、少年は銃を床に置くと、手を差し伸べてくれた。

その手を見たとき、不思議と震えは収まり、恐怖は何処かへと去っていった。

彼は優しく話し掛けてくれた。その温かさに触れて、彼女は少しだけほっとした。

それからは矢のように時が過ぎる。自分の体を洗ってくれた少女との出会い。優しそうな女性と少年の話。少年の乗るバイク。そしてつい数分前の銃器のコレクション。

記憶がないことは悲しかったが、ともかく今生きていることは確かである。ならば、なぜ記憶を失ったのか、どんな記憶を持っていたかわかるまで、自分は生きなければならないだろう。

そう思うと、今の状況もそう迷わずに受け入れることができそうだった。

明日はどんなことが待ち受けているのだろうかと考えると、恐怖や悲壮感よりも期待が勝る。

また、あの少女には会えるのだろうか。会うことができれば、きちんと礼を言いたいと彼女は思った。



夜が明け、サトルはカーテンのすき間から降り落ちる光と、聞き慣れない音で目を覚ます。

「ん……」

体がごきごきと鳴る。やはり堅い床で寝るのは体に堪える。特に任務で一日動いた後は酷い。

彼は伸びをすると、聞き慣れない音の源を探す。軽快なリズム感を持って鳴る硬い音と、ゆっくりとしたメロディー。それはキッチンから聞こえるようであった。

「おはようございます」

「おはよう……どうしたんだ?」

サトルがキッチンへ向かうと、ユリはすでに起きていて料理をしていた。

軽快なリズムは包丁がまな板を叩く音で、ゆっくりとしたメロディーは彼女の鼻歌であった。

「朝ご飯を作っているんです。その……迷惑でしたか?」

「いや、構わない。きちんとした朝食をとるのは久しぶりだな。むしろ歓迎するくらいだ」

普段の朝食は固形栄養剤か、栄養ドリンクの類である。最後に朝食らしい朝食をとったのはいつだろうかと記憶の底をあさるが、思い出すことはできなかった。

「もうすぐできますから、待っててくださいね」

「何か手伝うことはあるか?」

「じゃあ、食器の準備をお願いします」

サトルは言われた通り、椀と茶碗、そして皿を用意する。

ユリはすぐに料理を完成させ、温かな湯気を上げる味噌汁と、ほかほかのご飯、香ばしい匂いを放つ焼魚を用意する。

「ふむ、なかなか上手だな」

「こういうのは得意だったみたいです」

二人は向かい合うように席に座る。二人の前には出来たての焼魚定食。

「「いただきます」」

サトルは箸を持つと、まず一番に味噌汁をすすった。

細かく刻まれたネギが入れられたそれは、体だけでなく心までも温める優しさが込められていた。

「美味い」

「気に入ってくれたみたいでよかったです」

焼魚は絶妙の焼き加減で、箸を入れると脂がにじみ出る。それを冷めないうちにほぐしながら身をつまむ。

「魚の焼き加減もいいし、味噌汁の味噌の量も的確だ。ご飯の水加減も丁度いい。満点だな」

「そこまで褒められると照れちゃいます」

ユリは嬉しそうに笑った。食べる者が喜んでくれる料理ほど作り甲斐のあるものはない。

二人は朝食を済ませると、今度はサトルが食器を片付ける。

ユリも手伝うと申し出たが、サトルは美味い朝食を作ってくれたのだから、片付けは自分でやると言って一人で片付けを進める。

しばらくの間キッチンに立ってサトルが皿を洗う様子を眺めていたユリだったが、やがてテーブルへ戻ってサトルが皿を洗い終えるのを待った。

「終わったぞ」

サトルは新聞を片手に現れる。新聞は毎朝届けられると、自動的に部屋まで送られる仕組みとなっていた。

「おつかれさまです」

「大した手間じゃない」

そう言って彼は椅子に座ると、新聞を広げて読み始める。

しばらくの間新聞を読み終えるのを待とうと思っていたユリだったが、やがて我慢しきれなくなったのか、新聞を読んでいるサトルへ尋ねた。

「あの、サトルさん。今日はどうするんですか?」

「今日は非番だ。だから買い物に出かけるつもりだ」

「買い物ですか?」

「ユリの服や日用品を買う。そのための金は師匠から預かってきた」

そう言って、サトルは封筒をテーブルの上へ放り投げる。封筒の中には一万円札がぎっしりと詰まっていた。

「慎重に選ぶように、と言われている。だが俺には女の日用品などわからん。だから同僚を連れていくつもりだ」

「それって……」

「一人は昨日会ったと思うがヒメだ。もう一人は俺と同じ隊長をやっているリンってヤツだ。すでに昨晩のうちにメールを打った。しばらくすれば来るだろう」

「もう来てるわよ」

ユリは驚いて顔を上げる。サトルはそこに二人がいるということがさも当然だというように新聞を読み続ける。

「毎度毎度言っても無駄だとは思うが、勝手に鍵を開けるんじゃない。なんのための鍵だと思っている?」

「いいじゃない。これもヒメの技術向上の手助けだと思えばお易い御用でしょ?」

ヒメは黙って偽造カードキーを放る。サトルはため息をついてカードを折った。

「また新しい鍵を付けないとならないだろうが」

「いいじゃない。お金なんていくらでもあるんだし」

「面倒だ」

そう言ってサトルは新聞を閉じると、テーブルの上へ放った。

「一応紹介しておくと、昨日話したユリだ」

「は、はじめまして」

ユリはぺこりと頭を下げる。

「よろしくね。それにしても……まったく、師匠もムチャクチャよね。男と同じ部屋に女の子を泊めるなんて」

「師匠には男とか女とかって概念がない。だからどうでもいいことなんだろう」

「あー納得。絶対自分のこと女だと思ってないよね……」

ヒメも黙って頷く。

「さ、行くわよ」

「あの、行くってのは……」

「決まってるでしょ。ショッピングモールよ」



一台の黒いワゴン車が車道を走る。他に走っている車は見当たらない。

平日の真昼間ともなると、通行量の多い国道を除くとほとんど車が走ることはない。

五人はやや騒ぎながらドライブを楽しむ。

「にしても、なんで毎回毎回オイラが駆り出されるんすか?」

「お前しか車を持っていないからだ」

「だってバイクの方が手軽だもん」

「……」

四人の中で唯一自分用の車を所持しているというだけで、このグループが出かける際は毎度毎度足にされているヒロキが不平を言う。しかし、それは他の三人によってあっという間に潰される。

「まあ、オイラも楽しいからいいんすけどね」

ちなみに、四人とも一通りの乗り物の免許は取得している。原付、自動車、さらにはトラックや重機、ヒメに至っては航空機や船舶をも自在に操る資格を持つ。

「でしょ? だから別にいいのよ」

リンはふんぞり返ってさも当然だというように言う。ユリはそんな四人の様子を微笑ましく見守る。

「そういえば、ユリちゃんは今隊長のトコに住んでるんすよね?」

「あ、はい、そうです」

ユリは突然会話を振られ、やや戸惑うも返答を返す。

「はあ、こんな美人と一緒に住めるなんて……隊長が羨しいっす」

「え、え!? わ、わたしが美人!?」

真っ白な頬を真っ赤に染めながらユリは驚きふためく。

「あら、ユリは十分美人よ」

「……」

リンの言葉にヒメもうんうんと頷く。

「そのうち、隊長も手を出しちゃうんじゃないすか?」

サトルはため息をついて拳銃を取り出す。

「じょ、冗談っす! 嘘っす嘘嘘! 隊長に限ってそんなことがあるわけないっす!」

サトルはもう一度大きなため息をついて拳銃をしまう。ユリが乾いた笑いを浮かべる。

だが、他の二人には日常茶飯事なのか、やれやれといった様子でヒロキの座る運転席を蹴り上げる。

「り、リン隊長!? 痛いっす! 痛い痛い痛い!」

「いい加減学習したら?」

「……馬鹿」

運転中にとんでもない悪ふざけをする四人だが、ユリには四人がこのやりとりを楽しんでいるように感じられた。

ヒロキも学習していないのではなく、こうやってふざけあうのが楽しいからサトルをからかっているのだろう。

ユリは、こんな楽しげな四人の中に混ざることができてとても楽しく思う。

「さ、着いたっす」

背中を蹴られながらも、ヒロキは安全運転で駐車場に車を止める。

「具体的には何買うの?」

「まずは衣類だな。今着ている一着しか持っていないはずだ。あとは歯ブラシなんかの日用品だな」

「了解! 予算は?」

「百万円」

そう言って、サトルは万札がぎっしりとつまった封筒を手渡す。

「師匠が全部使いきってもいいと言っていた。ただし、一応領収書は付けろとのことだ」

「わかったわ。じゃ、あんたら用済みだからゲーセンでも行ってたら?」

「そうさせてもらうっす!」

サトル達男子陣と、リン達女子陣はショッピングモールに入ってすぐに二手に分かれた。

「終わったらそっちに行くわ。いつもの店でしょ?」

「ああ、そのつもりだ」

「じゃあ、また後でね」

サトル達はゲームセンターへ、リン達は衣料品店へと向かった。



サトルとヒロキは行き慣れたゲームセンターへと足を進める。

「サトル様、ヒロキ様、ようこそいらっしゃいました」

店員が恭しく挨拶する。二人はゲームセンターの常連客であるとともに、ゲームセンターにとっての上客でもあった。

「両替してくれ」

そう言って、サトルとヒロキは一万円札を十枚ずつ差し出す。彼らは普段から軍務についているため、一人暮らしをするには十分すぎるほどの収入を得ていた。

「はい、わかりました」

軍人はそこにいるだけで警察のように治安を高める効果を持つ。警察以上に軍人は恐ろしいからだ。それゆえに、ゲームセンターは彼らを厚遇するのである。

それと同時に、市街地でもテロ事件が発生することが多々ある。それゆえに市民はあまり外出したがらない。それゆえに、普通の学生なども気軽に訪れることはない。ゲームセンターとしては、数少ない客であると同時に、治安維持効果を持つ最上の客なのだ。

もっとも、テロを恐れぬ廃人ゲーマーや、不良学生などは相変わらず訪れる。彼らが存在するからこそ、ゲームセンターも営業を続けることができるのであった。

サトルとヒロキはさっそくガンシューティングゲームの機械に紙幣を投入する。平日の昼間ということもあって、客はわずかであった。

「隊長、目標スコアはどれくらいっすか?」

「100万だな」

二人は慣れた手付きで銃型のコントローラーを構える。実際に普段から銃を扱う者にとっては軽すぎるが、それでも彼らは狙いを外すことなく正確にターゲットの頭を撃ち抜く。

一般的に彼らがプレイするゲームの平均スコアは20万点ほどである。100万ものスコアを叩き出す為には、コンボ、狙いの正確さ、時間、そしてシークレット要素を完璧にこなす必要がある。

可能な限り高速で敵を全滅させ、無駄弾を減らすことが高スコアへの道である。

最初のステージが終わり、二人のスコアが表示される。

「隊長、ちょっとスコア低くないっすか?」

「これなら足りる。問題ない」

当然ながら二人の命中率は100パーセント。スコアもそれに準ずる高さであった。



一方、買い物に出かけたリン達は、ユリを着せ換え人形のようにして遊んでいた。

「それも可愛いし……こっちもいいなぁ……」

「あの……リンさん?」

次々といろいろな服を着ることができて最初は楽しんでいたユリだったが、積み上げられる服を見て言葉を失う。

ユリはヒメへとリンを止めるように視線を送る。しかし、ヒメは相変わらず黙ったまま二人の様子を見ていた。

「り、リンさん……あんまり試着ばかりしているとお店に迷惑が……」

「大丈夫。あなたに着せた服は全部買ったから」

ユリの表情から血の気が失せる。すでに数十着という数の服を試着しているのだ。どれもそこそこ値が張るものばかりで、決して安物ではない。

「ひ、ヒメさん……助けて……」

ユリはヒメへ助けてくれるよう懇願するが、冬物の黒いセーターと、茶色のスカートを身にまとった彼女を見て、ぼそりと呟いた。

「……可愛い」

ユリは今という状況を打破するあらゆる方法を諦める。店員が次々と服を買う上客を止めるはずもなく、リンもまたやめそうな雰囲気がない。この場で唯一冷静に見えるヒメもしっかりと楽しんでいる。

「大丈夫大丈夫、買い過ぎたら私とヒメがもらってあげるから、ね?」

「そういう問題じゃないような気がしますが……」

しかし、もはやユリは抵抗する気力もなかった。その場の空気に流されるまま、ただひたすらリンが飽きてくれるのを待ち続けた。

そろそろ試着した服の数が50にも届きそうになったとき、ぴたりとリンの動きが止まる。

「うーん……そろそろ日用品も買わないといけないわね……」

ようやく希望の光が見えたと、ユリは嬉々とする。しかし、その希望も即座に打ち砕かれることとなる。

「まあいっか。どうせ私も使いきれないくらいお金あるし、私財を使ってもう少し楽しむことにするわ」

ユリは再びうんざりとしながら、様々な服を着せられるハメとなったのだった。



ガンシューティングのスコアは宣言通り100万点を超え、観客が現れるほどだった。

しかし、スタッフロールを迎えてしまうと、観客たちは残念そうに散っていく。

「次は何するんすか?」

「久しぶりに対戦、やるか?」

「望むところっす!」

サトルの言う対戦とは、アクションゲームの対戦である。

アクションゲームといっても、キャラクターをレバーやボタンで操作するアクションゲームではない。

体にセンサーを取り付け、その動きを直にゲームへと反映させるダイレクトフィードバックシステムを採用した最新鋭の格闘ゲームである。

ダメージポイントは体に取り付けられる拘束具の重さによって変化する。ダメージが増えれば増えるほど体が重くなるのである。

二人はドーム内へと入ると、体にセンサーを取り付ける。紙幣を投入すると、周りの機械が動き始め、二人の体を拘束する。頭の位置にヘルメットが降りてきて、中に取り付けられたモニターが灯った。

ゲームのルールは、定められた一定エリア内に落ちているアイテムを拾いながら、敵を数多く倒した者の勝利である。基本ルールは二対二のチーム戦であり、相方のプレイヤーはネットワーク経由で全国で同時刻ゲームをプレイしている別のプレイヤーが担当することとなる。

店内のプレイヤー同士が対戦する場合、相方のプレイヤーは店内から募られる。同時期にゲームを始めようとしたプレイヤーに参加を呼び掛け、それに応じた者が相方となるのである。

しばらくの間、二人は相方のプレイヤーが入ってくるのを待ち続ける。このゲームは人気が高いため、相方待ちの場合、すぐに相方が入ることが多い。

今回もすぐに相方のプレイヤーが決まり、ゲームスタートの合図と同時にゲームが始まる。

サトルはマイクへ向かって語りかける。

「今回は逃げに徹した方が身の為だ」

『よろし……え?』

それだけ短く告げると、彼はステージ内を疾走する。

ダイレクトフィードバックタイプのゲームは少なからずプレイヤーの身体能力が反映される。それはもちろん、このゲームも例外ではない。

故に、軍隊式の鍛え方を受けたサトルに一般人のプレイヤーが適うはずがないのである。

サトルは素早くヴィブロブレードを拾うと、敵プレイヤーを探して走り始める。

やがて、視界の中に銃を持った敵プレイヤーが映る。サトルは足元の石を拾うと、敵へ向かって投げつけた。

投石に気付いたのか、慌てるように銃の乱射を始める敵のプレイヤー。その動きから、そのプレイヤーはヒロキではないと判断する。

サトルは素早く物影から身を翻すと、敵の銃弾を回避しながら一気に距離を詰める。

相手が慌てふためいている様子がよくわかる。マシンガンを乱射しているにも関わらず、一発も被弾することなく迫る敵がいれば誰でも恐怖を感じる。

一気に距離を詰めたサトルだったが、不意に立ちどまり、バックステップで下がる。その直後、彼が居た場所を一発の銃弾が駆け抜ける。

ヒロキの狙撃である。仲間のプレイヤーを囮にする戦略に嫌気を感じながら、狙撃を回避して敵プレイヤーを斬り伏せる。

素早く武器を奪い取り、トドメを刺すとサトルは物影に隠れた。

不意に左腕が重くなるのをサトルは感じる。左腕に被弾したようだった。

「回復アイテムはあるか?」

『あ、えっと……キュアーパッドならありますけど……』

「今そっちに行くから、その辺りに投げておいてくれ。一発被弾した」

サトルはレーダーを見ながら味方のプレイヤーのいる場所へと向かう。

『投げま……ッ!?』

味方のプレイヤーの反応が消滅する。回復アイテムを渡される前に、ヒロキが狙撃したようだった。

「ちっ!」

サトルは短く舌打ちをすると、二度の狙撃からヒロキの位置を予想する。

彼の戦術から言って、視野の広い狙撃に適した高台にいることは間違いなかった。

「となると……あそこだけか」

そのステージ内でもっとも狙撃に適したポイント……物見台である。

上へ上がる方法は地上から上がることができる梯子のみで、それを上がるのにも時間がかかる。

普通のプレイヤーならば、逃げ場のない、あらゆる場所から狙い撃ちできる死にスポットとしてそこへ近付く者はいないが、逆に常軌を逸したスナイパーならば、そこは最高の狙撃ポイントとなる。

更に熟練したプレイヤーであれば、そこへ至る道の途中にトラップを仕掛けることを忘れない。恐らく、物見台の周囲には数多くのトラップが仕掛けられていることは間違いないだろう。

迂闊に近付くことはできず、かといってこのまま時間が経過すれば一発被弾しているサトルの判定負けである。

狙撃銃を使用して狙撃しようにも、相手は常に銃を構え続けている。確実にヒロキの方が早いことは間違いない。

しかし、サトルは諦めなかった。この圧倒的不利な状況でも、逆転の一手を叩き込む。

サトルは持っていた武器を全て捨てた。重量の関係で、幾分か体の動きが軽くなる。

「さて……うまく行くか……」

彼は大きく息を吸い込むと、地面を強く蹴った。



ようやくリンの気分が済んだのか、服を買い終わった三人は日用品を選んでいた。

「シャンプーにリンスにボディソープは必要よね」

「……洗顔料も」

「ああ、忘れるところだったわ」

次々と洗面用具の類をカートへ移すリン。その後をユリは不安そうに付いて歩く。

「あの……染料は何に使うんですか……?」

「あら、白い髪なんて流行らないわよ?」

そう言って、リンは染色剤のボトルをカートへ入れる。

「えっと……わたし、白いままでいいです」

「あら、そう?」

リンは残念そうにボトルを棚へと戻した。

「白い髪って、綺麗じゃないですか?」

「うーん、まあ雪みたいで素敵だとは思うけど、なんだか脱色したみたいでね……」

しばらくの間ユリはうつむいていたが、やがて口を開いた。

「……わたし、百合が好きなんです」

「えっと……自分が好きってこと?」

「……花」

ヒメが小さく囁く。ユリはその言葉にうんうんと頷いた。

「白い……百合の花が好きなんです」

「それで、白い髪がいいの?」

「はい」

ユリの記憶は定かではなかったが、どういうわけだか百合の花が好きであることだけは確かだった。

彼女にも、それがなぜだかはわからなかったが、事ある毎に頭の中に可憐で美しい白い花が現れた。

それを思い出すとなぜか心が温まり、気分が晴れ晴れとする。彼女にも理由はわからなかったが、ともかく白い百合の花が大好きだった。

「まあ……名前と同じ花だしね。好きなのもまあよくあるような話だと思うけどね」

「はい、もしかすると名前が同じだから好きなのかもしれません」

「……」

ユリは思い浮かべる。自分の名前と同じ花に囲まれる自分の姿を。

もし一面の百合畑を訪れることができれば、どんなに素敵なことだろうか。

「でもね……今時花なんて花屋でしか見られないからね……」

優れた文明は人々の生活を栄えさせた半面、地球上から自然の姿を減らしていった。

今では保護された一部の地区や、山奥などに入らなければ野に咲く花を見ることができる場所はない。

「……植物園」

「ああ、そういえばそんなものがあったわね!」

「郊外の植物園なら、百合畑もある」

百合畑という言葉にユリの目が輝く。

「ホントですか!」

ヒメはこくこくと頷く。ユリは嬉しそうにヒメの手を取ると、嬉しそうにぶんぶんと振った。

「こ、今度連れてってください!」

あまりの喜び様に驚きを浮かべるヒメ。思わずその勢いにこくこくと頷く。

「ありがとうございます!」

嬉しそうな笑いを浮かべると、ヒメに思い切り抱き付いた。

ヒメは女の子の中でもかなり体の小さい部類に入る。そんなヒメに思い切り抱き付けば、当然ヒメの体は倒れる。そして、当然のことながら周囲の棚へとよりかかる。

「あ……」

リンがそう声を上げたときにはすでに時遅し。かなりの勢いで飛びつき、その勢いのまま棚によりかかったためか、棚はゆっくりと傾き始め、ドミノ倒しのようにばったんばったんと棚が倒れていく。

至る所で悲鳴が上がり、慌てて棚から離れる客や、それを止めようとする店員、そしてその様子を茫然と見つめる三人。

ガラスが砕け散る音や、いろいろなものが床へとぶちまけられる音、それから物が壊れる音がそこら中で鳴り響く。

それらが全て止んだ時、店の中は酷い惨状となっていた。

「えっと……その……ごめんなさい」

「……許す」

静寂に包まれた店内で、二人のやりとりだけがやけに響く。

「お客様! な、なんてことをしてくださるんです!」

血相を変えた店主が店の奥から飛び出してくる。しかし、ヒメは落ち着いて立ち上がると、胸元からメモ帳のようなものを取り出し、サラサラと何かを書き込む。

「……弁償」

「弁償って子供の小遣いで弁償できる額じゃあ……」

店主は差し出された紙を見て、目の色を変える。

「……次回からはこういうことのないようになさってください」

店主はその紙を受け取ると、今まで怒鳴っていたのが嘘だったかのように落ち着いて答える。

「……謝る」

そう言って頭を下げると、何事もなかったかのようにカートを押し始めるヒメ。

「えっと……その……ヒメさん、何を渡したんですか……?」

「一千万円の小切手」

その言葉に、一瞬で血の気を失うユリ。

「あら、そんな少額?」

逆に意外そうな表情で尋ねるリン。

「ひ、ヒメさん! すみませんすみません!」

ひたすら謝り続けるユリ。ヒメは無表情のままユリに顔を上げるように言う。

「大した額じゃない」

「だ、だって一千万円ですよ!? と、とんでもない額じゃあ……」

「記憶はないのに金銭感覚は庶民級なのね」

リンが呆れたように言う。ユリは不思議そうな表情を浮かべてリンを見つめた。

「あたし達は命張る仕事してるのよ? 実際に死んでる知り合いもいるわ。そんな仕事をしている私たちの収入が普通だと思っているの?」

「えっと……どのくらいなんですか……?」

「一応税金だから、大きな声では言えないけどね。ヒメの年収は……」

ごにょごにょとユリの耳元で呟くリン。瞬間、ユリの顔から表情が消え失せる。

「……それを聞いたら、国民は怒りませんか?」

「あたし達はこれでも国の軍の主戦力の一つよ。日本国内でもっとも命の危険に晒されている公務員なの。これくらい貰わないと割に合わないわ」

さも当然という様子で答えるリン。戦時中の軍人ともなれば、確かにもっとも危険な職業だと言えるだろう。

彼女は言わなかったが、ジュニアチームは日本軍の誇る最強の戦力の一つである。

幼少の頃から厳しい訓練を受け、鍛えられた彼らは今こそのほほんとしているが、これほどの余裕ある身分になるまでかなりの苦労をしてきている。隊長格ともなれば、その苦労は並みの隊員以上である。それは金で買えるような代物ではない。

「さ、行きましょ。さっさと買い物を終えて私もゲームしたいわ!」

楽しそうにそう語る彼女の表情に、ユリは楽しみ以外の別の感情を感じた。

自分はいつ死ぬかわからない。だから今を楽しもうという達観の情。それは、この年の頃の少女が持つべきものではない。

ユリはヒメの表情を窺う。彼女は相変わらず無表情だったが、その仮面の裏にはやはり達観したものがあるのだろうか。

「……何?」

「いえ……なんでもないです」

ユリはそう言って寂しげに笑う。最初は彼女らの中に自分も混じることができるのではないかと彼女は思っていた。だが、それはどうやら間違いだったようだった。彼女達の仲間になることはできない。――日々に対する覚悟が違うのだから。

彼女達は精いっぱい今を楽しもうとしている。それは未来が保証されていないからだ。

ユリも精いっぱい今を楽しもうとする。けれども、彼女には保証された明日がある。自分はただの文民なのだから。だから日々に対する覚悟が違う。

リン達は、楽しむためなら危険なことでも平気でするだろう。それが楽しめそうなものなら、自分の身を顧みずに思い切り楽しもうとするだろう。

しかし……ユリはそうすることができないだろう。保証された明日を守るために、身の安全を図って楽しみから離れようとするだろう。

彼女はそれが少し寂しかった。仲間であると思えたのは……ただの錯覚だったのだ。

ユリはそのことに淋しさを感じつつ、ただ黙って二人の後を付いて歩いた。



リン達がゲームセンターに着いたとき、ゲームセンターは異様な盛り上がりに包まれていた。

「あーあ、またいっぱい観客作っちゃって……」

三人は一つのモニターの前へと進む。目の前で繰り広げられるゲーム画面には、ステージ全体を真上から見た図と、二人のプレイヤーの視点から見た映像が映っていた。

「これってもしかして……」

「あいつらよ。まったく、本気になって熱くなっちゃって……」

モニターの画面の中では、片方のプレイヤーは高台から辺りを見回して敵を探し、もう一人のプレイヤーは物影に隠れて様子を窺っていた。

「珍しくサトルの方が不利ね……」

「えっと……高いところにいる人がヒロキさんで、隠れているのがサトルさんですか?」

「……」

ヒメがこくこくと頷く。画面の外側にはダメージポイントが表記され、サトルがダメージを負っているということを示していた。

「サトルさん、左腕に怪我してます……」

「一発かすったんでしょうね。ヒロキが外すなんて珍しいわね」

「……サトルは強い」

三人はじっとモニターを見つめる。だが、サトルの突然の行動に会場は一気に盛り下がる。

「武装解除してるぞ……」

「なんだよ……降参かよ……」

不満そうな声がそこら中で湧き上がる。

「サトルさん、負けなんですか?」

「まさか。あの負けず嫌いのサトルが負けを認めるわけないでしょ?」

何人かの観客がモニター前から離れていく。しかし、リン達は最後まで勝負の行方を見守る。リンの言葉を聞いて、ユリにはサトルが何か考えているのではないかと思ったのだった。

そのとき、会場の全員が驚くようなことが起こった。サトルが物影から飛び出し、ヒロキの視界の中へと飛び込んでいったのだった。

「自殺かよ……」

しかし、観客たちはサトルの動きに驚く。あらかじめトラップが仕掛けられている箇所にはマーカーが表示されているのだが、そこへとサトルが突っ込んでいったのだった。

「あー……終わりか……」

観客たちはゲーム終了だと、つまらなそうに散っていく。だが、リン達だけはサトルに何か策があるのだと信じていた。

「あっ!」

ユリが大きな声を上げる。そのただならぬ様子に観客たちの視線は再びモニターへと集まる。

「な、馬鹿な!?」

「裏技か!?」

観客達全員の視線がサトルの動きに釘付けになっていた。トラップが次々と爆発を起こしているにも関わらず、サトルが無傷でトラップ地帯を通り過ぎていたのだった。

「あー……そういうことね。ま、ゲームだからできる技だけど、現実じゃあ無理ね」

「あの……何が起こっているんですか……?」

突然の事態にわけもわからずユリが尋ねる。

「……ディレイ」

「そういうことね」

そのワードに、観客の何人かが反応し、そしてありえないという言葉を連呼する。

「あのゲーム、ありとあらゆる行動にディレイってのがあるのよ」

「……でぃれい……ですか?」

リンがユリに説明を始める。

たとえば、銃の撃つのに何秒かかるだろうか。銃を撃つためには、スナイパーが狙いを定め、標準を固定し、そして引き金を絞るという動作が必要だ。この個々の動作には当然ながら大なり小なり時間がかかる。どんなに細かく一瞬で済む行動でも、必ず時間がかかる。

さて、スナイパーが標準を固定し、引き金を絞るまでの間に対象が移動すればどうなるだろうか。当然ながら、銃から放たれた弾丸は標的には当たらない。

そして、このゲームにはその“間”が忠実に再現されている。ありとあらゆる動作に“間”が設定され、どんな些細な行動をする場合でもこの“間”の時間の間だけはどんな行動も取ることはできない。これを、ゲーマーたちはディレイと呼ぶ。

銃の弾を撃つのにもディレイは存在するが、当然ながらトラップが発動するまでの間にもディレイは存在する。

では、もしトラップを踏んだ後、そのトラップが発動するまでのディレイの間にトラップの上を駆け抜ければどうなるだろうか。当然ながら、トラップのダメージを受けることはない。

だが、それはあくまでも理論上の話である。ディレイタイムは0.1秒未満。普通のプレイヤーがトラップの上をどんなに速い速度駆け抜けてもトラップのダメージを受けることは必須だ。

だが、もしプレイヤーが普通ではなかったらどうなるだろうか。

たとえば、百メートルを8秒で駆け抜けるようなプレイヤーが仮に居たとしたらどうなるだろうか。

トラップの範囲は見た目の演出の割に範囲が狭い。それは、範囲を広く取る必要がないからだ。逆に範囲を広くしすぎると、密集して配置させた際に誘爆を起こしてしまう。それでは、防衛のために大量にトラップを設置しても、投石などでトラップを発動させれば、そのトラップ密集地帯を無力化することができるということを指す。

そして、現在ゲームをプレイしているプレイヤーは、特殊な筋肉強化トレーニングと薬物投与を受けて一般人の範疇の外の域にまで達した少年である。身体能力が大きく反映されるこのゲームでは、それが大きなアドバンテージとして働く。

ヒロキもトラップを過信していたのか、慌てて銃を構える。しかし、トラップの爆発によってもうもうと爆煙が舞い上がり、サトルの姿を掴むことができないでいた。

モニターの画面内ではサトルの位置を表すマーカーが一気にヒロキとの距離を詰める。やがて、そのマーカーはヒロキの足元にまで移動する。

『演出派手過ぎっす!』

ヒロキの悲しそうな叫びが響く。プレイヤーの口元に付けられたマイクに向けて話された言葉は外には大音声で響く仕掛けとなっている。その悲痛な叫びに何人かの観客たちが笑い声を上げる。

そして、勝負は一瞬で付いた。高台へと上りきったサトルは懐からナイフを取り出すと、ヒロキへと攻撃を仕掛ける。狙撃を得意とするヒロキだが、接近戦においてはサトルに分があった。

ゲームセットの文字が画面いっぱいに広がり、戦績が表示される。

会場内は歓声に包まれる。見事なまでの逆転劇にゲームセンター内は大盛り上がりだった。

ドームの中から悔しそうな表情を浮かべたヒロキと、満足そうな表情を浮かべたサトルが現れる。

「やっぱり隊長は化け物っすよ……」

「だが、今回は俺も危なかった。いい勝負だったな」

二人は観客に囲まれ、勝者も敗者も担ぎ上げられる。

「坊主! お前強いな!」

「負けちまったけど、大奮戦だったぞ!」

そんな大盛り上がりの様子を見て、ユリは笑顔を浮かべる。

「凄いですね。二人とも本当に……」

「ホント楽しそうだったわね。あいつらの相方になったヤツらが可愛そうよ。一瞬でゲームから除外されたでしょうに」

そこで、リンがパンと手を叩く。

「ヒメ、行きましょっか」

「……」

リンの呼び掛けにこくりと頷くヒメ。ユリは二人が彼らのもとに駆け寄るものだと思い、一緒に行きますと言おうとした。

だが、リンの次の言葉は、ゲームセンター内の空気を急変させるほどのとんでもない一言だった。

「はーい! あたし達、二人に挑戦しまーす!」

「ええ!?」

その突然の申し出に、ユリは驚いたような表情を浮かべる。それは彼女だけではなく、観客の全員もである。

今目の前で超人的なプレイを見せつけた二人組に、女の子の二人組が挑戦するという掛け声があれば、驚くのも当然である。

静寂に包まれたモニター前を突っ切り、リンとヒメはドームの中に入ってセッティングする。

『はーやーくー!』

『……』(こくこく)

その呼び掛けに、再び会場が盛り上がる。

「こてんぱんにしてやれ!」

「はは、無茶にもほどがあるじゃねえか!」

「行け行けー!」

観客の後押しを受けて、二人はドームの中へと入っていった。



黒いワゴンが空いた道の中を軽快に走る。だが、車内の様子は軽快とは言えなかった。

わいわいと盛り上がる女子陣。どんよりと沈み込む男子陣。微妙な表情を浮かべるユリ。

「あはは、さいっこうに気分よかったわぁ!」

「……」

「ヒメちゃんズルイっすよ……」

「最悪だ……」

「あはははは……」

快活に笑うリン。こくこくと頷くヒメ。どんよりと落ち込みながら運転をするヒロキ。つまらなそうに車外を眺めるサトル。乾いた笑いを浮かべるユリ。

あの後に行われた戦いは観客達の予想を思い切りぶっちぎるような結果となった。

リンとヒメは常に二人で動き続けた。そして、フィールド内に半端ではない数のトラップを仕掛け続けた。

もちろん、サトルとヒロキも黙ってそれを見過ごしていたわけではない。トラップの設置を阻止するために、幾度となく奇襲を仕掛けたものの、全ての攻撃をまるで見透かしているかのように予測するヒメの前に、二人は為す術がなかったのだ。

最終手段としてヒロキは高台へと上がり狙撃でリン達の動きを制限し、サトルは大量の火器を装備して一斉攻撃を仕掛けた。しかし、それらをすべて予知し、回避し続けるヒメと、その言葉を聞いて回避をするリンの二人に一切のダメージを与えることはできなかった。

結局、仕掛けられたトラップによって与えたほんのわずかなダメージで、結局女子二人組が判定勝ちとなったのだった。

「観客の驚く顔ったらなかったわ~。なんであの弾幕の嵐を全て回避できたんだ、だって! あはははは!」

「だからヒメちゃんがズル過ぎるんすよ……」

「……ゲームでも本気」

彼女は表情を変えずにそう呟く。

やがて、視界に男子寮が入る。ヒロキは駐車場に入ると、所定の位置にワゴン車を止めた。

「着いたっす」

五人は車から降りると、入り口から外に出る。

太陽が傾き、林立するビルの影から赤い光を投げかける。

「また明日から仕事っすね」

ヒロキは真っ赤な太陽を見つめながらそう呟く。

「そうね……」

「それが俺達の責務だからな」

「……」

明日の仕事へと向かう彼らを見て、彼女は再び思う。

やはり、彼らは自分とは離れた世界にいるのだ、と。

「……お仕事、頑張ってくださいね」

それでも、ユリは声をかける。せめて、励ましの言葉くらいかけることができるのではないか。それくらいしかできないけれども……することはできないか、と彼女は考えた。

四人が微笑を浮かべる。それは励ましに対する喜びか、それとも……。

再び四人は太陽へと顔を向ける。背中に責務に対する強い意思と、今という瞬間を享受できる喜びを背負って……。



夕闇に沈みつつある街の中、二人の少女は並んで歩く。

二人の間に会話はない。静寂に満ち溢れた黄昏を二人は寂しいとは感じない。

空には真円の月が上りつつある。東の空で輝くそれは、優しい月光で二人を明るく照らしていた。

「ねえ……」

ふと、リンが口をを開く。ヒメは無表情のままその言葉を受け止めた。

「なんで避けなかったの?」

彼女はショッピングモールでの出来事のことを聞いているのだろう。

確かに、ヒメの能力を持ってすれば飛びついてくる彼女を避けることくらい造作もないだろう。だが、彼女はそれをしなかった。

「避けても同じ」

「ふーん」

ヒメの言う通りである。たとえユリを避けても、彼女はそのままの勢いで棚へ突っ込み、結局は惨状となっていただろう。

「それに、避けると危険」

それどころか硬い棚へ飛び込むのだから、ユリの身にヒメに飛びついた場合以上の危険が降りかかる恐れがある。ヒメはそれを見越して彼女を避けるのではなく、受け止めることにしたのだろう。

「じゃあ、止められなかったの?」

「……ユリは強い」

「一応訓練を受けているあなたより?」

「……」

ヒメはこくこくと頷く。体が小さいとはいえ、一応は訓練を受けている身である。身体能力はそこらの少女よりも遥かに高い。その分だけ力もある。

「ふーん……私より?」

「……」

ヒメは再び頷いた。

しばらくの間リンは黙って考え込んでいたが、やがてやれやれというように肩を下す。

「ま、あたしより力があるのは当然ね」

「リンは体質。仕方がない」

「ありがと」

そうリンは呟くと、再び黙って歩き始める。

「……リン」

ヒメは彼女の名を呼ぶ。リンは振り返ると、何かと問う。

「ユリの素性を洗う。リンも手伝って」

「やっぱり気になるわよね。あの子はちょっと普通じゃないもの」

やれやれというようにリンはため息を付くと、微笑みを浮かべてヒメを見つめた。

「じゃ、任務ついでにやるとしますか」

「……」

ヒメはリンの言葉に頷いた。

二人は闇に沈みゆく街中を、どこまでもどこまでも歩いていった。

彼らはいつものように任務に出かける。

任務といっても特にすることもない、ただ毎日のトレーニングの積み重ねである。

「今日はお弁当作っちゃいました」

そう言ってユリが差し出すは一つの弁当箱。

それが波乱を巻き起こすとは誰もが思っていなかった。

次話、第三話 Fighting

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