十折
花宴の翌朝。
白い手が不気味に敷妙を這い、帳台で眠る折姫の肩を叩いた。
「ぴぎゃぁあああっ!」
「わたくしですー、姫様ー」
余程疲れていたのか、その日折姫は初めて、シオンに起こされた。几帳の隙間からぬらりと手を差し入れてくるという、その起こし方には少々問題があったが。
「悪趣味! 変態!」
「キュン。お褒めいただきありがとうございます」
「けなしてます!」
「それもまたキュンです。それより姫様、一大事でございますよ」
パタパタとしゃべる手には手紙が握られている。
「本日、白百合殿の中宮が桜の壺に参られます」
昨夜、中宮宛てに書いた手紙は早朝にシオンの手により届けられていた。届け先で中宮が返し文を綴りながらシオンへそう告げたという。
美しい字が目に眩しいその手紙には、簪を届けたいのでお時間をくださいと、簡潔にしたためられていた。
態々お出でいただくのだから、失礼があってはならない。
折姫は御髪にくるまるクロを布団へ移すと、すぐに湯浴みへ走った。シオンが着付けをする間に朝飯をかきこみ、洗髪の間にミカンを食べる。
シオンは呆れた。
「忙しいのに、食に余念がない!」
「おやつは、なにがいいかしら」
「まだ食べるのですか?」
「失礼ね。中宮様にお出しするのよ」
「失礼ながら、今お口に入れたおミカンが、今日のおやつです」
ちなみに果物ならば、朝膳にも出している。リンゴを丸ごと食べたのに記憶にないらしい、折姫は真面目な顔をして焦った。
「どうしましょう。お茶だけ出すわけには」
「後ほど大炊殿へ見に行ってみますが、望みは薄いかと」
大炊殿は、御所の台所だ。
人間の食べ物だけでなく、神饌を作る場所であり、供物にあげた果物もまた朝晩、集められる。季節の果物は人気が高く、はやめに並ばないとありつけない。
隣の殿舎を探してみるかと、シオンがあぐねていると、折姫の手がポンと鳴った。
「そうだ……! あれがあった!」
茶膳の準備を整えると、折姫はいつもの《お掃除スタイル》へと装備を変え、ネコと足並みを揃えた。
せっかくなので、客室なる出居をつくり、畳を敷いて迎えようと出してみれば、案の定埃だらけ。あの舎人、毎日うんざりするほど暇であろうにまるで役をこなしていない。
吹き込んでくる桜の花弁といっしょに埃を掻き出しながら、そういえばその姿がないことに気付いた。
中宮を迎えに出たのだろうかと回廊で惚けていると、掃除が途中だというのに拌、と一斉にネコたちが消えた。
次には帖、と出居の御簾が落ち、また次には沙、と御簾が上がる。
「きゃぁああ!?」
折姫を踏み台に、コロコロと女が転げ落ちてきた。
「たたたたたっ、尻餅ついちゃったぁ」
「い、息ができな」
「わー! 紫陽花殿の桜よりずっときれい!」
女は下敷きとなった折姫を跨ぎ、桜の垂れる縁へと走る。折姫はしばらくポカンと、うつ伏せたまま考えた。
無邪気にぴょんぴょん跳ねるが、その着衣は二単の唐衣裳。銀糸で縫われているのは白百合模様である。
「粗茶ですが」
折姫は整えていた茶膳を縁へ滑り込ませた。
驚いた女はすてん、と尻もちをつく。よく転ぶ人だ。折姫もまた下敷きになった。
「中宮さま! ご無事ですか!」
「いや、あなたがご無事ですか」
二度も下敷きにして気の毒に思い、女は折姫の手をとった。
「わたくし白百合殿から参りました、中宮のシオリと申します。桜の壺の女御はどちらに?」
「わたくしですが」
「わたくし?」
「はい」
「あなたが?」
中宮の手が煎餅を焼くように何度も翻った。驚くのは無理もない。
三つ編みにした髪と単衣の裾を帯に挟み、箒を抱える女御がこの世のどこにいるのか。
今さらではあるが、折姫はたすきをはずし三つ編みをほどくと、扇子を口もとに添えてみた。すると中宮はぷっと吹き出し、ケラケラと笑った。笑い顔が可愛らしい人だ。
「文の通り、なんだか憎めない人ね。簪を目の前でへし折ってやろうだなんて、意気込んで来たのに拍子抜けだわ」
「こちらをどうぞ──!」
剣呑な物言いに恐れをなし茶膳を進めた。白旗の代わりに作り上げた自慢のおやつだ。薬草を浮かべた茶器に、温めた茶碗。その横には、茹でたての団子にきな粉とみたらしを添えた。
「なに、これ……、もしかして」
「こちらではめずらしいかと存じますが──」
「お団子じゃない!」
中宮は団子の皿を持ち上げると扇子のなかにしまい、手品のように秒殺で平らげた。シレッとしているが唇はみたらしでグロスを塗ったように艶めいている。
うっとりと余韻に浸る中宮を前に、今だ! と懐紙に包んだそれを中宮の手前へ差し出した。可愛らしい朝顔の簪だ。
「泥棒のような真似をしてしまい、誠に申し訳ございません。アスナ様には可哀想なことをしました」
最初は折姫の簪を羨みとったのだと思っていたが、アスナはその朝顔の簪をとてもよく気に入っていた。きっと今ごろ姫君は深く落ち込んでいることだろう。
すっかり腰が落ち着いた中宮は折姫を責めるどころか、板場に手をついた。
「あなたの髪に簪が飾らせているか見てきなさい、なんて私がアスナへ言ったからよ。ごめんなさいね」
そういって、同じように差し出された桜の簪。
折姫が手に取ったのを見届けると、中宮は桜に目を移し、悲し気にその意味を語った。
藍昌石が嵌め込まれた花簪は、主上が愛する家族へ贈る特別なものだ。貺都では藍昌石は守護を意味し、「一生貴女をお守りします」という言葉が籠められている。
中宮の右耳には可憐な百合の花が咲いていた。その簪には藍昌石が朝露のように上品にあしらわれている。
だがその表情は寵妃とは程遠く悲愴に満ちた顔だ。
折姫は手のひらに乗る桜の簪を前に、固く決意した。
「私、もう二度とこの簪をつけません」
「でも、それでは主上が──」
「まだ一度もお会いしたことはありませんし、今後桜の壺に下られてもお断り致します」
アスナとコトハは両親を深く慕っている。中宮はもとより、主上は家族を大切にされている方なのだ。割って入るべきではない。
「本当に、お会いしたことないの?」
「はい、まったく」
「三日三晩は」
「寂しくネコと寝ていました」
折姫は入内した日から日記をつけた、暦の巻物を広げた。主上の名を探そうにも見事に何も書かれていない。掃除とお化け工作のルーティーンに、妖怪のお団子教室。特記事項といえば「蝶々がきた」「シオンのおでこにてんとう虫がとまった」など、虫の往来程度である。
折姫は茶を注ぎながら、朗らかに笑った。頭にはミカドの顔が浮かんでいる。
「お気になさらずです。こう見えて第二の人生を、自分なりに楽しんでおりますので」
「第二の、人生ね」
中宮は茶を受けとると、扇子に隠れた折姫を目で追った。顔は扇子で隠せても、耳は端まで紅い。
「好きな人がいるのね。日本に恋人がいたのかしら。第二、というからには、御所に務める方?」
「ギクリ」 シオンの癖がうつり、つい擬音を口をつく。
「昨日は楽しそうだったけど、薫の君はやめといた方がいいわよ。女の敵よ」
「それはないですね」 きっぱりと言う。
「んもう! じゃあ、誰!」
万が一、御所に知れたらミカドの立場が危うくなるかもしれない。そう思い、折姫は口をつぐんだ。また中宮もその意味を理解し、深くは問い詰めなかった。
むず痒い空気が流れる寸の間、折姫にはふと疑問が過る。
「日本……? 中宮は、日本をご存知なのですか」
「知るもなにも、私も五年前に喚ばれたのよ」
中宮もまた齢十五歳の春に入内し、主上に見初められたという。元の名を柏木栞。
「陰陽師家六家から、一代にひとり貺都へ捧げられる。私は柏木家本家の長女だったから、物心ついたころから知らされていたわ。御所の貴人のなかで、歳の近い方にあてがわれると聞いていたから、まさか主上に召し上げられるとは思いもしなかったけど」
白羽の矢にかかっていた打掛は橘の花の紋様であったが、のちに五芒星の紋様へ変えられた。
「それにしても、六家一代に六人、同じ呪いをかけられているとは驚きです」
「異界の女との間にできた子は、異能を持って産まれてくるんですって。皇族の血と同等の価値があるから、金銀財宝を積んで娶る豪族もいるとか」
「私たちは恵まれているということでしょうか」
「どうかしらね。所詮、籠の鳥にはわからないわ」
中宮は朧げな笑みを浮かべた。
「私、本当はお習字の先生になりたかったんだ。折姫は? 夢があった?」
「私は……」
花宴を振り返る。
夜に家族を思い出したのはきっと、その未来の可能性があったことを、知ったから。
「保育士さん、ですかね」
その後、折姫と中宮は一刻ほど語り合った。どことなく似た二人は、話せば話すほど気があった。出身も近く、地元話しに華を咲かせては、貺都にはない料理や甘味の話しで盛り上がる。そして語り合えば語り合うほど、中宮は主上を思いやり、また彼を愛しているのだと、折姫に伝わった。
和やかな午後のはじまり。
一枚の紙吹雪がふいに庭へ降りてきた。
拌。
二本足の式神。御所の使いネコである。
「みつかっちゃったみたい。私、そろそろいくね」
「またお会いできますか」
「もちろん! 約束しよ」
中宮は懐紙袋から折り紙を取り出すと、「栞」の一文字を書き綴った。
「名を交わし、懐に納める。貺都の縁結びよ」
中宮にならい折姫も筆を取る。少し迷ったが、ミカドとの約束を守りこちらにしようと決めた。「折」の紙を中宮へ差し出す。
「……折? これだけ?」
「は、はい」
「ふうん。……もう行かなくては。では、これからふたりのときは、シオリって呼んでね」
「うん! またね、シオリちゃん」
「バイバイ、折姫」
ネコに拐われ中宮が消えると、折姫はさっそく自分の懐紙袋を取り出した。紙をおさめようとすると、一筋の模様が浮かび上がる。
「蛇……?」
懐紙に蛇の判が捺されている。紋章のようなものだろうか。首を傾げつつも、顔をにやけさせながら「栞」の名を懐へおさめた。




