表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
120/128

帰り道の灯り

忘れ潮の浜で、ユノたちは名前ではなく“帰り道”を取り戻しました。


 白い貝殻。

 波にさらわれた道。

 名前を伏せたまま、帰りたいと願う人影。


 その灯りを、ルグナの名前を書かない壁へ届けます。

ルグナへ戻る道で、ミアは一度も記憶灯を手放さなかった。


 灯りの中には、忘れ潮の浜から写し取った小さな光がある。


 名前ではない。

 記憶でもない。

 帰り道。


 それは、とても細い光だった。


 少し強く息を吹きかけただけで消えてしまいそうなのに、どれほど暗い布で包んでも、完全には隠れなかった。


 ミアは両手で大事に抱え、何度も確かめた。


「まだある」


 ユノは頷く。


「ある」


 カイも、いつもより静かだった。


 海で見た人影のことを考えているのだろう。


 名前を聞かずに助けること。

 顔を知らずに守ること。

 帰り道だけを返すこと。


 守る者のカイにとって、それは簡単なことではなかったはずだ。


 リゼは歩きながら、最低限の記録だけを残していた。


 ――忘れ潮の浜。

 ――白い貝殻。

 ――名は開示せず。

 ――帰り道の灯りを採取。

 ――白い札へ返還予定。


 それ以上は書かない。


 誰の札か。

 誰の帰り道か。

 どんな名前が海に預けられていたのか。


 それは記録しない。


 エルネは青白い糸を記憶灯の周りに結び、灯りが波の記憶に引き戻されないよう支えていた。


「この灯りは、早く壁へ戻した方がいいです」


 ユノは聞いた。


「弱ってる?」


「弱っているというより、迷っています。帰る場所が近づいているのに、名前を呼ばれないから」


 カイが眉を寄せる。


「名前を呼ばないと迷う。でも名前は呼べない」


 リゼが静かに言った。


「だから帰る場所を呼ぶのよ」


 ユノは胸に手を当てた。


「ルグナ」


 記憶灯の中の光が、少しだけ強くなった。


 ミアも言う。


「ルグナ」


 カイも。


「ルグナ」


 リゼも。


「ルグナ」


 エルネも。


「ルグナ」


 五人の声が道に響く。


 灯りは細いまま、けれど確かに前を向いた。


 帰る場所の名が、名前の代わりに道を示している。


 それは、忘れ潮の浜で学んだ新しい守り方だった。


 ルグナが見えたのは、夕暮れの頃だった。


 町の煙突から白い煙が上がっている。

 広場には灯りが点り始めている。

 星灯坑の入口が、青白く光っている。


 ユノの胸元の星灯炭が温かくなった。


「帰ってきた」


 ミアが小さく言う。


「うん」


 門には、父オルヴァとセレノが待っていた。


 セレノはユノたちの顔を見て、すぐに記録帳を開いた。


「名前確認」


 ユノ。


「ユノ。ルグナ。名を呼ぶ者」


 ミア。


「ミア。ルグナ。記憶灯の守り手」


 カイ。


「カイ。ネリオとルグナ。守る者」


 リゼ。


「リゼ。ルグナ。星詠みの魔女」


 エルネ。


「エルネ。アイリシアの塔、谷の家、ルグナ。星約守り」


 セレノは頷いた。


「名の揺らぎなし」


 父がユノの肩を見る。


「持ち帰ったか」


 ユノはミアの記憶灯を見た。


「名前じゃない。帰り道の灯り」


 父は少し目を細め、それから静かに言った。


「なら、早く戻してやれ」


 五人は広場へ向かった。


 名前を書かない壁の前には、すでに人々が集まり始めていた。


 誰が知らせたわけでもない。


 けれど、白い札たちが淡く光り、町の人々は何かが戻ってくると感じたのだ。


 壁の中央に近い一枚。


 海の幻を見せた白い札。


 その札は、ほかの札より強く震えていた。


 名前は書かれていない。


 誰のものかも分からない。


 けれど、灯りが帰り道を待っている。


 ミアは記憶灯をそっと近づけた。


 リゼが皆に言う。


「これから戻すのは名前ではありません。帰り道の灯りです。札の主を探さないでください。誰の名かを問わないでください」


 町長が続けた。


「ここは、名前を書かない壁です。知ろうと急がないことも、今日の誓いです」


 人々は静かに頷いた。


 カイは壁の前に立ち、子どもたちへ小声で言った。


「名前は呼ばない。帰る場所だけ呼ぶ」


 子どもたちは真剣に頷いた。


 エルネが青白い糸を白い札へ結ぶ。


 ミアが記憶灯を置く。


 リゼが小さな魔法陣を足元に描く。


 セレノは記録帳を開いたが、書くのは最小限にとどめた。


 ユノは札の前に立った。


 そして言った。


「名前は聞かない。開かない。でも、帰り道を返す」


 白い札が震える。


 記憶灯の中の灯りが、ふわりと浮かび上がった。


 とても小さな光。


 海の匂いがした。


 黒い岩に砕ける白い波の音が、広場に一瞬だけ響いた。


 人々が息を呑む。


 ユノは声を落とし、けれどはっきり呼んだ。


「ルグナ」


 ミアも。


「ルグナ」


 カイも。


「ルグナ」


 リゼも。


「ルグナ」


 エルネも。


「ルグナ」


 町の人々も、静かに続いた。


「ルグナ」


 帰る場所の名が、広場全体に広がる。


 名前を書かない壁の白い札が一斉に光った。


 海の灯りは、その声に導かれるように、中央の札へ近づいていく。


 だが、札へ触れる直前、灯りが揺らいだ。


 海の波音が強くなる。


 ――返して。

 ――でも、怖い。

 ――戻ってきたら、名前を呼ばれてしまう。


 ミアが涙ぐむ。


「大丈夫。呼ばないよ」


 カイも言う。


「名前を言わなくても、帰っていい」


 エルネが青い糸を両手で支える。


「伏せたまま帰れる道を結びます」


 リゼが静かに言った。


「帰ることと、名を開くことは別です」


 セレノが続けた。


「記録しない。暴かない。ただ、帰還の灯りとして預かる」


 ユノは白い札へ向かって言った。


「ここには、名前を書かない壁がある。君の名も、あの人の名も、勝手には呼ばれない。だけど、灯りは置ける。帰ってくる場所はある」


 灯りが震えた。


 そして、白い札に触れた。


 その瞬間、壁の前に小さな光の道が現れた。


 海から伸びる道ではない。


 ルグナの広場から、どこか遠くの霧の中へ伸びる道。


 そこを、あの人影が一歩進んだように見えた。


 顔は見えない。

 名も分からない。

 けれど、海の霧の中にいた時より、輪郭がはっきりしている。


 人影は白い札の前に立った。


 札の中へ入るのではない。


 壁のそばに、灯りとして戻ってきた。


 広場にいた人々は誰も名前を聞かなかった。


 誰も「誰だ」と言わなかった。


 ただ、静かに見守った。


 人影は、声にならない声で言った。


 ――帰れた。


 白い札が涙のような光を落とした。


 その光は、今度は海ではなく、ルグナの石畳に染み込んだ。


 ミアは泣いていた。


 カイも目を赤くしている。


 リゼは記録帳を胸に抱え、何も書かなかった。


 エルネは青白い糸をほどきながら、小さく息を吐いた。


 セレノは深く頭を下げた。


 ユノは白い札を見つめ、静かに言った。


「おかえり。名前は聞かないまま」


 その言葉に、人影の灯りが穏やかに揺れた。


 町長が広場の人々へ向き直った。


「今日、この壁に帰り道の灯りが戻りました。名前は伏せられたままです。誰のものかを問わないでください」


 黒麦亭の女将が頷く。


「帰ってきたなら、スープくらい用意しないとね」


 その言葉に、張り詰めていた空気が少し柔らかくなった。


 カイが小さく笑う。


「名前なくても食べていいもんな」


 ミアが頷く。


「うん。帰ってきた人だから」


 その夜、黒麦亭では一つ空席が用意された。


 名前は書かない。


 誰の席とも言わない。


 ただ、白い小さな灯りが置かれ、温かいスープが一椀置かれた。


 女将は言った。


「食べられるかどうかじゃない。帰ってきたなら、席があるってことだよ」


 エルネはその席を見て、涙ぐんだ。


「ルグナは、本当に帰る場所を作る町ですね」


 ユノは頷いた。


「うん」


 星灯坑では、セレノが短い記録を残した。


 ――帰り道の灯り。

 ――忘れ潮の浜より回収。

 ――名前を書かない壁へ返還。

 ――名は開示せず。

 ――帰還確認あり。

 ――詳細記録は保留。


 リゼがその記録を見て頷いた。


「十分ね」


 セレノも頷く。


「書かないことも、記録の一部だ」


 夜更け、ユノは名前を書かない壁の前にもう一度立った。


 海の幻を見せた札は、静かだった。


 けれど、そのそばに新しい小さな灯りがある。


 帰り道の灯り。


 名前はない。


 でも、帰ってきたことは分かる。


 ユノはその灯りへ向かって、名前ではなく言った。


「ここにいていい」


 灯りが揺れた。


 返事のように。


 ミアが隣に来た。


「ユノ」


「いる」


「名前を聞かなくても、こんなに嬉しいんだね」


「うん」


「不思議」


 ユノは頷いた。


 名前を守る旅をしているのに、名前を聞かないまま喜ぶ日が来るとは思わなかった。


 でも、それは確かに名前を守ることだった。


 呼ぶことだけが守ることではない。


 帰ってこられる場所を作ることも、守ること。


 白い札の中にある誰かの名は、まだ伏せられている。


 海から戻った人影の名も、まだ分からない。


 それでいい。


 今は、帰り道が戻った。


 その事実だけを、灯りとして置けばいい。


 翌朝、名前を書かない壁の前に新しい札が掛けられた。


 町長が書いたものだった。


 ――名前を出せなくても、帰ってきていい。

 ――ここには、帰り道の灯りがあります。


 人々はその札を読み、静かに頷いた。


 そして誰も、海の灯りの名を聞かなかった。


 ルグナはまた一つ、名前を守る方法を覚えた。


 帰り道だけを灯すこと。


 名前を伏せたまま、おかえりと言うこと。


 それは、呼び合う町が見つけた、新しい優しさだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 忘れ潮の浜から持ち帰った“帰り道の灯り”は、名前を書かない壁へ戻りました。


 名前を聞かず、伏せたまま、帰ってきたことを喜ぶ。


 次のページは『名前を聞かないおかえり』です。

 帰ってきた灯りを迎えるルグナの、新しい優しさを描きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ