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星喰いの王と、忘れられた魔女  作者: あーちゃん


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ミナの道

ミナは、井戸の名であり、水の名であり、守り名でした。


 白紙の野で失ってはいけないもの。

 それは、呼び合うこと。


 ユノたちはミナの水を携え、白紙の奥へ進みます。


 そこには、まだ沈んだままの村の本当の名が眠っていました。

ミナの道は、白い草の中へ細く続いていた。


 石畳はある。


 けれど、足を置くまでは見えない。


 一歩進むと、その足元だけが淡く浮かび上がる。


 次の一歩を踏み出すと、また次の石が現れる。


 まるで道そのものが、進む者の名前を確かめながら姿を見せているようだった。


 ユノは胸元の小瓶に触れた。


 ミナの水。


 その中には、ユノの名と、ルグナの光と、名を呼ぶ者という呼び名が映っていた。


 ミナは言った。


 三つの名を持ち、ひとつを失わないで。


 そのひとつは、呼び合うこと。


 だからユノたちは、何度も互いの名を呼んだ。


「ユノ」


「いる」


「ミア」


「いるよ」


「カイ」


「いる」


「リゼ」


「いるわ」


「エルネ」


「います」


 そして、三つの名を確認する。


「ユノ。ルグナ。名を呼ぶ者」


「ミア。ルグナ。記憶灯の守り手」


「カイ。ネリオとルグナ。守る者」


「リゼ。ルグナ。星詠みの魔女」


「エルネ。アイリシアの塔、谷の家、ルグナ。星約守り」


 そのたびに、ミナの道は少し先まで現れた。


 カイが木剣を担ぎ直して言う。


「名前確認、もう歌みたいになってきたな」


 ミアが笑う。


「白紙の野用の歌にする?」


「いいかも」


 リゼが真面目に言った。


「有効かもしれないわ。一定の調子で名を呼べば、意識が保ちやすい」


 カイは驚いた。


「本当に歌にするの?」


「あなたが言ったのよ」


 ユノは少し笑った。


 けれど、その笑いもすぐに白い風に薄れかけた。


 白紙の野は、笑い声さえ保存しない。


 声にし続けなければ、何もかも紙の上から消しゴムで消されるように薄くなっていく。


 ミアが小さく歌い始めた。


 言葉は簡単だった。


 ――ユノはいる。

 ――ミアはいる。

 ――カイはいる。

 ――リゼはいる。

 ――エルネはいる。

 ――帰る名、忘れない。

 ――呼び合うこと、失わない。


 カイがすぐに続いた。


 少し音程は外れていたが、声は強かった。


 エルネも控えめに声を重ねる。


 リゼは最初、歌うことを迷っていたが、やがて小さく口ずさんだ。


 ユノも歌った。


 白い草が揺れる。


 ミナの道が、少し明るくなる。


 白紙の野では、歌も道になる。


 ユノはそう感じた。


 しばらく進むと、道の両側に家の跡が見え始めた。


 石の土台。

 傾いた柱。

 扉だったはずの長方形の空白。


 すべて白い。


 けれど、ミナの水を近づけると、そこに暮らしの影が浮かぶ。


 母親が火を起こしている。

 老人が糸を撚っている。

 子どもが石畳を走っている。

 誰かが誰かを呼んでいる。


 でも、呼び声だけが聞こえない。


 口は動くのに、名前がない。


 ミアは唇を噛んだ。


「名前を守るために隠したのに、呼び声まで消えちゃったんだね」


 リゼは記録帳に書き込む。


「白紙化の副作用。外部記録から逃れるため、内部の呼称記憶も徐々に薄れた可能性」


 カイが家の跡に向かって言った。


「今はまだ呼べないけど、ちゃんと探すからな」


 家の跡が少し光った。


 返事のようだった。


 エルネは青白い糸の腕輪に触れ、アイリシアへ短い呼びかけを送った。


「アイリシア。白紙の奥へ進んでいます。ここには家がありました。暮らしがありました」


 空は白く、星は見えない。


 それでも、腕輪が淡く光った。


 ――聞いている。

 ――空からは見えない場所。

 ――でも、エルネの声で覚える。


 エルネは頷いた。


「ありがとう」


 ミナの道は、やがて広い場所へ出た。


 広場だった。


 中央には、円形の石盤がある。


 その周囲に、白い柱が十二本立っていた。


 柱には文字が刻まれているはずだった。


 けれど、すべて白く抜けている。


 リゼが息を呑んだ。


「ここが村の中心ね」


 ユノは石盤へ近づいた。


 足元のミナの水が反応する。


 小瓶の中の水面に、無数の名前が浮かびかけては消えた。


 まだ読めない。


 でも、ここに村の名がある。


 ユノはそう直感した。


 カイが柱を見上げる。


「十二本って、何か意味あるのか?」


 エルネが答える。


「星約では、十二は“呼び合う輪”を表す数です。ひとつの名を、十二の声で支える儀式があったと聞いたことがあります」


 リゼが頷く。


「白紙化の儀式も、ここで行われたのかもしれない」


 ミアが不安そうにする。


「じゃあ、ここで村の名前を隠した?」


「おそらく」


 その時、広場の中央に白い影が現れた。


 一人ではない。


 たくさんの影。


 大人。

 子ども。

 老人。

 若者。


 村人たちの影だった。


 顔はまだはっきりしない。


 けれど、井戸のミナよりもさらに薄い。


 その中の何人かが、ユノたちへ手を伸ばした。


 声はない。


 ただ、口が動いている。


 呼んで。


 そう言っているようにも見える。


 でも、違う。


 ユノは胸を押さえた。


 彼らは、自分たちを呼んでほしいだけではない。


 互いを呼びたいのだ。


 呼び合うことを取り戻したい。


 ミアもそれに気づいたのか、涙ぐんだ。


「みんな、名前を呼び合いたいんだ」


 リゼは広場の石盤を見つめた。


「村の名だけでは足りない。村人たちの呼び合う声も戻さないと、村名は安定しないわ」


 カイが言った。


「でも名前が分からない」


 エルネがミナの水を石盤にそっと垂らした。


 水は石盤の溝を流れ、十二本の柱へ向かって広がった。


 すると、柱の一つに文字の欠片が浮かぶ。


 ――ミ。


 別の柱に。


 ――ナ。


 カイが驚く。


「ミナ?」


 リゼが首を横に振る。


「違う。ミナは守り名。村の名の一部にミナが含まれている可能性はあるけれど、まだ全部ではない」


 三本目の柱に、別の文字が浮かぶ。


 ――ル。


 四本目。


 ――ア。


 文字はばらばらだった。


 ミ、ナ、ル、ア。


 順番も分からない。


 ミアが記憶灯を掲げる。


「並び替えるの?」


 リゼが言った。


「急がないで。名前は謎解きの答えではないわ。呼び合う記憶から正しい順番が戻るはず」


 ユノは村人の影を見た。


「どうすれば、呼び合う記憶が戻る?」


 エルネが小さく言った。


「私たちが、先に呼び合う」


 ユノは彼女を見る。


「自分たちの名前を?」


「はい。ミナが言ったように、失ってはいけないものは呼び合うこと。ここで私たちが呼び合えば、村人たちも思い出せるかもしれません」


 リゼは頷いた。


「試す価値はあるわ」


 五人は円形の石盤の周りに立った。


 十二本の柱には足りない。


 でも、五つの声から始める。


 ユノが呼んだ。


「ミア」


「いるよ」


 ミアが呼ぶ。


「カイ」


「いる」


 カイが呼ぶ。


「リゼ」


「いるわ」


 リゼが呼ぶ。


「エルネ」


「います」


 エルネが呼ぶ。


「ユノ」


「いる」


 五つの声が輪になった。


 石盤が光る。


 村人の影が震える。


 ユノたちはもう一度呼び合った。


 今度は三つの名も添えて。


「ミア。ルグナ。記憶灯の守り手」


「いるよ」


「カイ。ネリオとルグナ。守る者」


「いる」


「リゼ。ルグナ。星詠みの魔女」


「いるわ」


「エルネ。アイリシアの塔、谷の家、ルグナ。星約守り」


「います」


「ユノ。ルグナ。名を呼ぶ者」


「いる」


 石盤の溝を、ミナの水が走った。


 十二本の柱に光が灯る。


 村人たちの影が、互いへ顔を向け始める。


 一人の子どもの影が、隣の老人へ口を動かす。


 声はまだ出ない。


 でも、老人の影が涙を流す。


 名前を思い出しかけている。


 ミアがリリアの歌を小さく歌った。


 カイが白紙の野の名確認の歌を重ねる。


 エルネがアイリシアの旋律を低く添える。


 リゼが記録帳を開き、戻る文字を待つ。


 ユノは星灯りの剣を出した。


 石盤の中央に、白い封じ目が見えた。


 黒い糸ではない。


 白い糸。


 守るために結ばれた糸。


 ユノは剣を構えたが、すぐには斬らなかった。


 これは敵ではない。


 名前を守ろうとした結び目だ。


 乱暴に斬れば、村の名を傷つける。


 ユノは剣を細くし、糸をほどくように触れた。


「開いていいか?」


 村人の影たちが、こちらを見る。


 ミナの声が遠く井戸の方から届いた。


 ――無理に暴かないで。

 ――でも、戻りたい名なら、ほどいて。


 ユノは頷いた。


「戻りたいなら、呼んで」


 声のない村人たちが、一斉に胸に手を当てた。


 その動きは、答えだった。


 戻りたい。


 呼び合いたい。


 ユノは白い糸をほどいた。


 一本。


 また一本。


 糸がほどけるたび、村人たちの口からかすかな声が漏れる。


「……ル」


「……ナ」


「……ミ」


「……ア」


 文字が増えていく。


 柱に浮かぶ文字が、少しずつ位置を変える。


 ミ。

 ナ。

 ル。

 ア。

 イ。

 ト。

 セ。

 ラ。


 リゼが息を呑む。


「まだ足りない。でも、村名が近い」


 カイが叫ぶ。


「呼び合え! 俺たちも呼ぶから!」


 その声に、子どもの影が初めて声を出した。


「……ナ」


 老人の影が答える。


「……ル」


 母親の影が子どもへ手を伸ばす。


「……ミナ」


 ユノは気づいた。


 ミナは、やはり中心の名だ。


 村人たちはまずミナを呼ぶことで、互いの名前を思い出す。


 井戸。

 水。

 守り名。


 それが呼び合う輪の中心だった。


 ユノたちも呼んだ。


「ミナ」


 村人たちの影が続く。


「ミナ」


 声が増える。


「ミナ」


「ミナ」


「ミナ」


 広場全体が光る。


 十二本の柱に、文字が正しい順番で浮かび上がっていく。


 リゼが読み取る。


「ミナ……ル……セ……?」


 文字がまだ揺れている。


 エルネが青白い糸を石盤へかざす。


「呼び合う輪を、閉じ込めずに繋いで」


 アイリシアの歌が響く。


 空から見えなかった白紙の野に、青白い光が落ちる。


 その光を受けて、最後の文字が戻った。


 リゼがはっきり読んだ。


「ミナルセラ」


 村人たちの影が一斉に震えた。


 ユノがその名を呼ぶ。


「ミナルセラ」


 ミアも。


「ミナルセラ」


 カイも。


「ミナルセラ」


 リゼも。


「ミナルセラ」


 エルネも。


「ミナルセラ」


 広場に声が広がった。


 白紙の野の奥に沈んでいた村の名。


 ミナルセラ。


 帰る名を守る水の村。


 十二本の柱が光り、家々の輪郭が戻り、白い草に色が差していく。


 村人たちの影が、互いを呼び始めた。


「ラナ」


「トウ」


「エリ」


「サナ」


「ミロ」


「ハル」


 小さな名がいくつも戻る。


 完全ではない。


 でも、呼び合う声が戻り始めている。


 ユノは胸が熱くなった。


 ミナルセラ。


 村の名前が戻ったから、村人たちの名前も呼び合える。


 村人たちが呼び合ったから、村の名前も戻った。


 どちらが先でもない。


 名前は、輪なのだ。


 ミナの声が、井戸の方から届いた。


 ――ミナルセラ。

 ――戻った。


 ユノは涙をこらえながら頷いた。


「戻った」


 その瞬間、白紙の野の空に、色が戻った。


 薄い青。


 完全ではないが、白紙ではない。


 遠くに丘が見え、畑の跡が見え、道が見えた。


 ミナの道は、ミナルセラの道へ変わっていく。


 リゼは震える手で記録した。


 ――ミナルセラ。

 ――帰る名を守る水の村。

 ――王国の名簿支配から名を守るため白紙化。

 ――呼び合う記憶の喪失により村名沈降。

 ――ミナの水、呼び合う輪により回復開始。


 カイは石盤に座り込んだ。


「戻った……」


 ミアも涙を拭った。


「よかった……」


 エルネはアイリシアへ手紙を送るように、空へ言った。


「アイリシア。白紙の野に、名前が戻りました。ミナルセラです」


 空から青白い光が返る。


 ――ミナルセラ。

 ――覚えた。


 その声が聞こえた時、白紙の野はさらに色を取り戻した。


 空にも読まれたのだ。


 地に呼ばれ、空に覚えられた。


 ミナルセラは、もう完全な白紙ではなかった。


 けれど、リゼが言った。


「まだ終わりではないわ」


 ユノは頷いた。


「うん。村人たちの名前は、まだ少ししか戻ってない」


 ミナの声が届く。


 ――でも、呼び合うことを思い出した。

 ――それが始まり。


 ユノは石盤に手を置いた。


「ミナルセラ」


 村の名が応えた。


 ミナの道は、村の中心へ続く道だった。


 そして、呼び合うことを取り戻すための道だった。


 白紙の野は、その日、最初の色を取り戻した。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


 ミナの道の先で、白紙の野に沈んでいた村の名が戻りました。


 その名は、ミナルセラ。


 帰る名を守る水の村です。


 次のページは『ミナルセラの声』です。

 村の名が戻ったことで、村人たちの呼び合う声が少しずつ蘇ります。

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