星がひとつ消えた夜
夜空を見上げることが、少なくなった気がします。
忙しい毎日。
止まらない時間。
誰かの言葉に傷ついて、誰かの期待に疲れて、それでも明日が来るから眠るしかない夜。
そんな日々の中で、ふと空を見た時、昔より星が減った気がしたことはありませんか。
この物語は、“忘れられていく世界”の話です。
星が消えるたび、人々の記憶も消えていく世界。
大切な人の顔。
交わした約束。
愛した時間。
それさえも、静かに世界から奪われていく。
けれど、それでも人は誰かを想い続けることができるのか。
『星喰いの王と、忘れられた魔女』は、冒険の物語であり、喪失の物語であり、そして“生きる理由”を探す物語です。
強いだけの主人公はいません。
完璧な英雄もいません。
傷つきながら、泣きながら、何度も間違えながら、それでも前へ進こうとする人たちがいます。
この物語を読み終えた時、あなたの心の中に、“忘れたくなかった誰か”が浮かんでくれたなら嬉しいです。
それでは――。
星がひとつずつ消えていく世界へ、ようこそ。
その夜、空から星が消えた。
まるで誰かが指で拭ったみたいに、一瞬で。
ユノがそれに気づいた時、炭鉱町ルグナはいつも通り静かな夜だった。山肌にへばりつくように建てられた古い家々。黒い煙を吐き続ける採掘塔。煤けた石畳。遠くで鳴り続ける蒸気機関の低い唸り。
世界は何も変わらないように見えた。
けれど、空だけが違っていた。
「……また減った」
ユノは家の屋根に寝転がったまま、ぽつりと呟いた。
冷えた夜風が頬を撫でる。
ルグナでは夜になると星を数える子どもが多い。娯楽が少ない町だからだ。酒場へ行ける大人は酒を飲み、老人は暖炉の前で眠る。子どもたちは空を見るしかない。
だが最近、誰も星の話をしなくなった。
減っていることに気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。
ユノには分からなかった。
ただ確かなのは、三年前より夜空が暗いということだった。
「ユノー! またそんなとこいるの!?」
下から怒鳴り声が飛んできた。
幼馴染のミアだった。
栗色の髪を二つ結びにした少女で、ユノより一つ年上。腰に工具袋をぶら下げている。彼女の父親は機械工で、ミアも小さい頃から修理仕事を手伝っていた。
「落ちたら死ぬよ!」
「落ちねぇよ」
「前も落ちたじゃん!」
「あれは足場が悪かっただけ」
「屋根から落ちる時点で足場も何もないでしょ!」
ユノは苦笑した。
ミアは昔からうるさい。だが嫌なうるささではなかった。
彼女が怒鳴る時は、大抵ユノを心配している時だ。
「夕飯、冷めるって。早く来なよ」
「あとちょっと」
「また星?」
「ああ」
ミアは少し黙った。
そして、ゆっくり空を見上げる。
「……本当に減ってるの?」
「減ってる」
「でも、学校の先生は“昔からこうだった”って」
「嘘だよ」
即答だった。
ミアは眉をひそめた。
「なんで分かるの?」
「覚えてるから」
「……何を?」
「昔の空」
風が吹いた。
遠くで鐘が鳴る。
夜十時の鐘。
炭鉱夫たちの交代時間だった。
ユノは身体を起こした。
「三年前、もっと星あった」
「気のせいじゃない?」
「違う」
「そんな言い切れる?」
「言い切れる」
ユノは夜空を見た。
違和感があるのだ。
どうしても。
まるで世界が少しずつ削れているような感覚。
しかも気味が悪いことに、人々はそれを気にしていない。
星が減っている。
なのに誰も騒がない。
誰も疑問を持たない。
まるで、“そういうもの”として最初から認識しているみたいに。
「なあミア」
「ん?」
「もしさ」
ユノは少し迷ってから言った。
「ある日、急に誰かのこと忘れたらどうする?」
「は?」
「例えば……大事な人とか」
ミアは呆れた顔をした。
「何その怖い話」
「もしもだよ」
「そりゃ思い出す努力するでしょ」
「思い出せなかったら?」
「……」
ミアは口を閉じた。
そして、小さく肩をすくめる。
「でもさ、人ってそんな簡単に忘れなくない?」
ユノは返事をしなかった。
本当にそうだろうか。
最近、町で奇妙なことが起きていた。
市場のパン屋の老婆が、「息子なんていたかねぇ」と言ったのだ。
周囲は笑っていた。
年寄りのボケだろう、と。
けれどユノは知っていた。
老婆には確かに息子がいた。
三ヶ月前まで、店を手伝っていた男だ。
だが今、その男のことを覚えている者がほとんどいない。
写真も残っていない。
家族の記憶からも消えていた。
まるで最初から存在しなかったように。
「……ユノ?」
ミアが不安そうに覗き込む。
「最近変だよ。あんた」
「そうか?」
「なんかずっと怖い顔してる」
「別に」
「嘘。昔はもっと笑ってた」
ユノは目を逸らした。
昔。
その言葉が胸に引っかかる。
昔っていつだ。
本当に昔は笑っていたか?
その時、だった。
空が光った。
眩い銀色の光。
流星だった。
けれど普通の流れ星ではない。
落ちてくる。
真っ直ぐこちらへ。
「うわっ!?」
ミアが悲鳴を上げた。
銀の閃光が夜空を裂く。
尾を引きながら落下するそれは、まるで巨大な槍みたいだった。
「なんだあれ……!」
ユノは立ち上がった。
次の瞬間。
轟音。
地面が揺れた。
山の向こう側で爆発が起きる。
遅れて衝撃波がルグナを襲った。
「きゃあっ!」
ミアが尻もちをつく。
窓ガラスが震え、町中で犬が吠えた。
人々のざわめきが広がる。
「落ちた……?」
ユノは息を呑んだ。
場所は北の森。
立入禁止区域《黒樹林》。
昔、大規模な落盤事故があってから閉鎖された場所だ。
ミアが青ざめる。
「ね、ねえ……やばくない?」
「ああ」
「大人呼ぼうよ」
「……」
ユノは森の方を見つめた。
胸がざわつく。
何かが呼んでいる気がした。
「ユノ?」
「行ってくる」
「はぁ!? 馬鹿!?」
「すぐ戻る」
「待ちなさいって!」
だがユノはもう屋根から飛び降りていた。
石畳へ着地し、そのまま駆け出す。
「ユノ!!」
ミアの叫びが遠ざかる。
夜の町を走る。
炭鉱夫たちが騒いでいた。
「今のなんだ!?」
「隕石か!?」
「北の森だぞ!」
誰も近づこうとはしない。
黒樹林は不吉な場所だった。
事故で数百人死んだと言われている。
幽霊が出るという噂もある。
だがユノは止まらなかった。
山道へ入る。
木々の間を抜ける。
冷たい風。
湿った土の匂い。
そして――。
森の奥が光っていた。
銀色に。
巨大なクレーターができていた。
木々が薙ぎ倒され、地面が焼け焦げている。
「……っ」
ユノは息を呑んだ。
クレーターの中心に、“それ”はあった。
巨大な氷のような結晶。
淡く光を放っている。
そして、その中に。
「……人?」
少女が眠っていた。
銀色の長い髪。
透き通るような白い肌。
黒いドレス。
まるで人形みたいだった。
ユノは恐る恐る近づく。
その瞬間。
パキッ。
結晶に亀裂が入った。
「!?」
砕ける。
銀の破片が舞う。
少女の身体がゆっくり前へ倒れた。
反射的にユノは受け止める。
冷たい。
まるで雪みたいだった。
少女の瞼が震える。
ゆっくり開く。
深紅の瞳。
その目が真っ直ぐユノを見た。
そして少女は、最初の言葉を口にした。
「……まだ、世界は残っていたのね」
「え……?」
少女は苦しそうに息をした。
震える指で夜空を指差す。
「星は……あと何個?」
「は?」
「答えて」
ユノは混乱した。
何を言っているのか分からない。
だが少女の目は本気だった。
「わ、分かんないけど……」
「……そう」
少女は目を閉じかけた。
だが次の瞬間、再びユノを見た。
まるで絶望を見るみたいな目で。
「逃げて」
「え?」
「“星喰い”が来る」
風が止まった。
森が静まり返る。
少女はかすれた声で言った。
「この世界は、もうすぐ終わる」
その瞬間。
夜空から、またひとつ星が消えた。
後書き
ここまで『星がひとつ消えた夜』を読んでくださり、ありがとうございました。
物語の始まりは、いつだって小さな違和感から始まるのかもしれません。
「何かがおかしい」。
「でも、誰も気づいていない」。
ユノが見上げた夜空も、そんな“不気味な静けさ”を抱えていました。
星が消えていく世界。
記憶が失われていく人々。
そして、空から落ちてきたひとりの少女。
この出会いが、ユノの運命を大きく変えていきます。
まだ始まったばかりの旅ですが、この先にはたくさんの別れや秘密、そして残酷な真実が待っています。
それでも彼らは進みます。
“忘れたくないもの”を守るために。
次のページでは、眠りから目覚めた魔女・リゼの正体と、“星喰い”という存在について少しずつ明かされていきます。
どうか最後まで、この世界の行く末を見届けてください。




