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時速60kmのアキレス  作者: 朔良 海雪


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記憶の欠片:雛森美玖(2)

 三回目のデートが実現したのは、十二月になって最初の日曜日のこと。


 二人がいるのは、美玖の自室だった。


 年頃の女の子らしい、水色を基調とした部屋だった。カーテンやベッドの上の掛け布団がそうだ。子供部屋らしからぬ立派なテレビが置いてあるが、今は電源が入っていない。デスクの上には畳まれたノートパソコンの他に、既に解き終えた問題集が山積みになっている。美玖はそんな勉強机ではなく、部屋の真ん中にある円形の机に向かっていた。天板はガラス製で、その下にある美玖の脚は、二時間も前から正座を崩していない。その隣に、桐馬はあぐらをかいて座っていた。


 桐馬の予定が空いたのは、実に二ヶ月ぶりのことだった。しかも日曜日だ。一日中遊び回ることだってできる。学生が楽しめそうな場所の候補を思い浮かべつつ、どこに出かけようか、と持ちかけたのだが、美玖が選んだのは雛森家でのおうちデートだった。


 というのも、直前にあったテストで美玖の結果が振るわず、彼女の親から「休日もしっかり勉強するように」とのお達しが下ったのだ。桐馬と過ごすことができる日が少ないということを分かっていながらも、真面目な美玖はそれを真に受けてしまい、結果的にデートとは名ばかりの勉強会をすることになったのだ。


 桐馬としては、普段美玖からの誘いをことごとく断っている手前、提案を無下にすることもできなかった。それにデートをしたせいで美玖の成績が下がったり、最悪入試に落ちてしまったりしたら責任の取りようがない。そうなったときのことまで考えると、彼女の勉強に付き合うのがベストだと結論づけた。


 暖房がよく効いた部屋で、桐馬は羽織ってきた上着を脇に畳んで美玖の真剣な顔を見つめていた。

「ごめんね、いつもは私が出かけたいって言ってるのに、こんなデートっぽくないデートになっちゃって」


「まあ、デートより進学が重要なのは間違いないしね。あと勉強会デートっていうのも普通にあるらしい」


「一緒に勉強して何が楽しいのかな。遊ぶわけでもないし、勉強してる間はお話もできないし」


「大抵の場合勉強は前半戦で、集中切れたら普通の家デートにシフトするんじゃない? ゲームしたりとか」


「ふーん」


 美玖は相槌をうちながら、次の問題文に目を通し始めた。


 美玖の志望校は、桐馬とは違って県内でも指折りの進学校だ。各学校の成績上位者ばかりが受験会場に集まることが予想される。だが美玖の親から言わせればそこも通過点でしかなく、将来的には最低でも有名国立大学の合格を目指すことを言いつけられているらしい。「跡取りとしての箔が付く」。美玖の父はいつもそう言って聞かせるのだという。


 美玖の成績は悲観するほど悪いわけではない。今回はテストの点数こそ低かったものの、その理由は問題の難易度が受験本番を意識したもので、現在の美玖のレベルに対して必要以上に高かったからだ。点数を大きく落としたのは他の生徒たちも同じで、実際のところ、美玖は今までと変わらず学年トップクラスの成績を残している。


「だあああ、この図形問題、意味わからなさすぎだろ! なんで立体を斜めに切るんだよ、頭がこんがらがる……!」


 美玖が叫びながら頭を抱えている。問題を見てみると、細長い角柱とそれを分断する正方形が図形として与えられ、その図形に関していくつかの設問が用意されていた。美玖の手は小問の一つ目で早くも止まってしまっている。


 見かねた桐馬は助け舟を出した。


「このままの図形を見ていても混乱するだけだ。まず小問の一つ目は、図形の二点を結ぶ線の長さについての問題。もしこれが立方体だったとしたら、どう考える?」


「えー……んと、展開図を書いて、平面に落とし込むかなあ」


「そう、立体で考える必要はないってこと。あとは部分ごとに分けて三平方でも使えば、簡単に長さがでてくるはず」


「なるほど……?」


 ヒントを与えれば、美玖のペン先が途端に迷いなく動きだした。ルーズリーフにフリーハンドで展開した図形を書くと、すらすらと立式に移る。美玖はすぐに答えを導き出すことに成功し、小さく息を吐いた。


「おー、意外と簡単だった。さすがは桐馬くん」


「与えられた複雑な図形に囚われすぎるのは悪い癖かもね。小問側から分解して考えたほうがいい場合もあるよ。実際本番だと、小問を見て直感的に解き方がわからなかったら、一度飛ばしてしまったほうがいい場合もあるし。そういうのも立派な戦略」


 桐馬のアドバイスに、美玖は恨めしそうにじっとりとした目を向けてくる。


「いつも思うけど、桐馬くんはそんなに頭がいいのに、工業系の高校なんかで本当によかったの? 桐馬くんなら私が目指してる学校だって、簡単に合格できるんじゃない?」


「……別に。元々進学校に進む気はなかったんだ。勉強ができるからって偏差値の高い学校に進まなきゃいけないって決まりがあるわけでもないでしょ」


「それはそうだけど……もったいないなあって。私なんかよりよっぽど勉強できるのにさ……」


 美玖は退屈そうにペンをくるりと回す。桐馬を僻むようなセリフはいつものことだが、その言葉の裏には隠しているものがある。


 桐馬は既に推薦で大秋高校への進学を決めている。ならばこのまま美玖が進学校に合格した場合、桐馬と美玖の関係はどうなってしまうのか。そんな不安だ。美玖は受験の合否を気にするのと同じくらい、桐馬との未来を気にかけている。


 進学校は美玖の実家から電車で通える距離ではあるものの、通学にはかなり時間がかかる上、大秋高校とは位置関係的に真逆だ。今までのような下校デートはできなくなる。その上、桐馬の予定が詰まりに詰まっているのは進学しようと変わらない。高校進学を境に二人の関係が疎遠になっていくことは想像がつく。


 美玖が感じている不安と同じようなものは、桐馬にもある。


 美玖という唯一の繋がりを失ってしまえば、桐馬は正真正銘の一人きりだ。中学で友達ゼロだった自分が高校で上手くやっていける自信がなかった。美玖との関係だって、もとはと言えば美玖の方から声をかけてもらったことで始まったものなのだ。


 中学校は学区で割り当てられているが、それが高校となれば、ある程度同じような成績の人間が集うことになる。偏差値の高い高校には医者の子供などがやってくる可能性も高く、家柄による差別は今よりも減ることだろう。そうなれば、元々のコミュニケーション能力が高い美玖はきっと上手くやっていくはずだ。今桐馬がいる美玖の隣は、桐馬でなくとも構わなくなる。


 この関係の終わりは近い。しびれを切らしてどちらかが口にするにしろ、自然消滅を待つにしろ、それだけは間違いなかった。


 桐馬が黙りこくっていると、美玖はまた問題集に向かい、きりたんぽのような形をした図形を頭の中でこねくり回し始めた。


 美玖が志望する高校を一緒に目指したい。そんな思いが消えることはない。けれども、桐馬を取り巻く現実がそれを許さない。隣にいながら、二人の間には大河が横たわっていた。




「そろそろ休憩にするね。……っと、もうこんな時間だったか。なにか食べる?」


 壁掛けの時計は、両方の針が真上を向いてからかなりの時間が経過していた。長時間勉強に打ち込んでいたこともあり、頭がぼんやりとしている。脳がエネルギーを欲していた。


「そうだね、そろそろごはんにしようか」


 桐馬が答えると、美玖はポケットから最新機種のスマホを取り出し、電源を入れた。勉強中は律儀に電源を落とすのが、美玖のスタイルだった。


 出来合いの料理を配達してくれるサービス。美玖は親のいない休日にはいつも、昼食としてそのアプリを利用している。


 というのも、雛森家は土日を別荘で過ごすことが多いらしい。父親の意向で、「少しの休息も全力で休む」というのが彼女の父のモットーらしい。普段ならば一緒になって出かけていく美玖だが、受験を控えた今、美玖は一人で自宅に残ることを選んだ。結果的には水入らずの時間が出来上がり、桐馬としても悪い気はしない。


「んー、今日は牛丼にしようか。それともハンバーガーか……桐馬くんはどうする?」


「僕は何でも。奢ってもらう立場だし」


「堅いこと言いなさんな。専属の家庭教師代としては安すぎるくらいだよ」


「そう言うなら……寿司とか?」


「おお。確かにお寿司もいいね。私も海鮮丼にしようかなあ」


 美玖は慣れた手つきで画面に指を滑らせると、やがてチャリン、と決済音が鳴った。


「さてと、ご飯が届くまで、なにかゲームでもしようか? 散々頭使って疲れたから、なにも考えずにストレス発散できるようなのがいいなあ」


「格ゲーとか?」


「お、いいね。最近アップデートが来て、私の持ちキャラが強化されたんだよ」


「勉強に集中してるんじゃなかったの?」


「息抜きは必要ですから」


 美玖がテレビの電源をつけると、ちょうど昼のニュース番組が流れているところだった。


『物価高が続く中、ひとり親家庭の厳しい実態が再び注目されています。シングルマザーを取り巻く社会の実態についてのトピックをお届けします』


 ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げる。入力切り替えをしようとした美玖の手が止まった。


『シングルマザーとなる背景の一つに、十代での妊娠件数の増加が挙げられます。相手も未成年であることが多く、認知を得られないままに出産した結果、母親が学校を辞め、働かなくてはならなくなるというケースは後を絶ちません。そうした家庭は金銭的に困窮することが多いほか、犯罪の標的にもなりやすいとされ、国による支援が不足しているのではないか、という専門家の意見があがっています』


 映像はVTRに切り替わり、スーパーの出入り口で女性がインタビューを受けていた。


『……はい。田舎から上京してきた身で両親の助けもあてに出来ず、一人手でどうにか育てています。……そうですね、食料品の値段が上がっているのは率直に苦しいです。どんなに高くても買わないわけにはいきませんし、成長期の息子は食べ盛りですから……』


 女性の口調は静かながらも、その端々から苦労が漏れ出ている。


『こうした声が上がっている中、こども家庭庁では──』


「美玖、ゲームは?」


「──あ、そうだよね……ごめん」


 美玖は慌ててリモコンを操作してチャンネルを切り替え、ゲーム機にも電源を入れた。


 美玖にしては珍しく、彼女が操作するキャラクターは桐馬のぎこちないコンボを前に、手も足も出ずにK.Oを奪われた。

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