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時速60kmのアキレス  作者: 朔良 海雪


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11/30

記憶の欠片:雛森美玖(4)

 運が悪いことに、今年のクリスマスイブはカレンダー上における休日だった。


 街にはクリスマスデートを待ち望んでいたカップルたちが溢れかえっている。腕を絡めて歩いているのは寒さのせいだけではない。そうしていない組み合わせを探すほうが難しいくらいだ。


 朝から晩まで一日中デートを楽しむ。美玖が言っていたことを実現するのなら休日であることは都合が良さそうに見えるのだが、桐馬たちの学校は今日から冬休みに突入しているのだ。たとえ平日だったとしても桐馬たちは一日じゅう休みだ。もしこれが平日だったのなら、二人きりの時間をもっと静かに過ごすことができていたはずだった。


 待ち合わせ場所の駅はごった返している。桐馬は念のため、かなり早めにやってきていた。しばらく行き交う人波をなんとなく眺めていると、やがて声がかかった。


「おまたせー! ごめん、準備に時間かかっちゃった」


 美玖だった。先週買ってくれたコートを目印にして、この人混みの中から桐馬を見つけたらしい。


「ううん、約束の時間にはまだ早いし、僕が早く着すぎちゃった、だ……け……」


 桐馬の語尾が雑踏に消える。原因は一つ、駆け寄ってくる美玖の姿を目にしたからだ。


 長く伸ばしている髪にはウェーブがかかり、陽の光に照らされて茶色く透けている。普段学校には着てくることのないような、ふんわりとした白いポンチョ型の上着に、細い脚を強調するスキニージーンズ、雪に擬態できそうなもこもこがついたショートブーツ。うっすらと化粧をしているようで、普段の美玖よりもさらに血色が良く見えた。


 瞳の色にも違和感がある。カラーコンタクトが入っているのだろうか。というかそもそも、普段つけている眼鏡をしていないのだ。ふわりと甘い香水の香りが漂ってくる。美玖曰くバッグまでがファッションらしく、ブーツやポンチョに似た雰囲気の小さなハンドバッグを腕にかけていた。


 細かいお洒落は桐馬には分からない。だが端的に言って、学校での姿とは一変した雰囲気に一目で見惚れていた。


「おー、期待以上の反応。朝から美容室行ってきてよかった」


「美容室でセットしてもらったの?」


「セットだけじゃなくて、色も今日入れてもらったんだよ。学校では髪染めるの禁止だけど、これから冬休みだしね。学校が始まったら黒染めすればいいし」


「そういうものなんだ……」


 他愛のない会話を交わしながら、どちらともなく歩き出す。


 今日の予定は、桐馬には知らされていない。今まで散々デートをお預けにされてきた美玖には、桐馬と行きたいところがたくさんあるらしい。……のだが、あまりにもありすぎて決められないからギリギリまでルートを練らせてほしい、ということだった。街に出るのは本を物色する時くらい、という桐馬からすればありがたい話だ。同級生の女の子が楽しめる場所を挙げてみろと言われても、この間きりたんぽ型の図形に苦労していた美玖のような苦い表情になっていたのは間違いない。


「それで、まずはどこに行くんだっけ?」


「学生が遊びに行くと言ったら、まずはここって相場が決まってるんだよ」


 美玖は片目を閉じて手袋に包まれた人差し指を立て、ふふん、と笑ってみせた。




 桐馬たちがやってきたのは、大型デパートのテナントスペースに入っているゲームセンターだ。


 クレーンゲームに始まり、太鼓やドラム式洗濯機のような形をしたリズムゲームに、ガチャガチャ、ダンスゲーム、シューティング──それぞれが音と光でやかましく自己主張をしている。


 休日とあって、客層は若者が多い。ゲームの類はほとんどに順番待ちの列ができている。中には親に連れられてきた小さな子どももいる。


 その中で美玖がはじめに選んだのは、テナントの一番奥にあるプリクラ機だった。筐体が複数用意されている割にゲームほどの人気はないようで、機種を選ばなければすぐに順番が回ってきそうだ。


「……あの、僕プリクラとか撮ったことないんだけど……」


「大丈夫大丈夫、桐馬くんは私の言う通りにポーズを取ってくれたらそれでいいから」


「わ、わかった」


 美玖は慣れた様子で、百円玉を数枚筐体に投入する。フレームやら撮影タイプやら、桐馬にはよく分かっていない項目も、美玖は迷いなくすらすらと選んでいった。やがて選択を終えたようで、桐馬は手を引かれて撮影スペースに連れ込まれた。カメラレンズの下に用意されたモニターには、既に桐馬たちを映した映像が表示されている。美玖はカメラに近づくと、外を歩いていて乱れた前髪に手櫛を通し始めた。


「ここの画面にいろいろポーズ指定が出てくるけど、桐馬くんは私の言ったとおりにしてね。時間制限があるからテンポよくいこう」


「じ、時間制限?」


「そそ、三カウントで次々に撮影されるの」


 そう言われると途端に緊張感が走る。桐馬は今まで写真に撮られた経験も少なかった。美玖のスマホでツーショットを撮ったのもたった数枚きりだ。その時は「表情が堅い、前髪で目が隠れていてもったいない、桐馬くんの顔はかわいいのに」と美玖は口をとがらせていた。


 美玖がしきりに前髪を気にしているのを見て、桐馬もだんだんと自分の前髪が気になりだした。とはいえ正解がわからず適当に触っていると、美玖が突然桐馬の前髪をまとめて持ち上げた。


「……うん、アリだね」


「え? え?」


 困惑している間に、美玖はバッグからC字型をしたなにかを取り出し、それで桐馬の前髪を固定した。髪で塞がっていた視界がひらけるが、代わりに額のあたりが落ち着かない。そわそわとしてしまう桐馬は、思わず自分の顔を撫で回した。


「……なにこれ? どうなってるの?」


「カチューシャだよ。桐馬くんに似合うかと思って。うんうん、いい感じかも。自分でも見てみる?」


 美玖はそう言って、カメラの前を譲ってくれる。恐る恐る譲られた位置に立つと、普段は隠れている眉が露わになった、見慣れない自分の顔がそこにあった。美玖はいい感じと言うが、桐馬には何がいいのかよく分からない。前髪がある方が目つきの悪さが隠れてくれてマシな気さえする。


 そんな桐馬の感想とは裏腹に、美玖は今までにないくらい目を輝かせている。美玖が楽しいのならそれでもいいか、と桐馬は諦め、カチューシャをした状態のままで撮影することにした。


「それじゃ、そろそろ始めよっか。撮影中はこのラインから出ないように気をつけて。最初は普通に笑ってピースね?」


「了解」


 美玖が準備完了ボタンに触れると、モニターはすぐに撮影モードに移った。美玖の言った通り三カウントが始まる。美玖と対称になるよう、桐馬も片手でピースをし、精一杯の笑顔をカメラに向けた──ぱしゃり。


「はい、次は指ハート!」


「ゆ、指?」


「私の真似して? ……あ、桐馬くん顔に被ってるよ」


「あわわわ」


 ──ぱしゃり。


「次はほっぺくっつけて、ウインク!」


「ウインク!?」


「ありゃ、両眼閉じてる」


 ──ぱしゃり。


「はい、今度は小顔ポーズね? 顎のところでピースだよ」


「あ、あれ? えっと、ピースってこうだっけ?」


「桐馬くん、画面の指示と混ざってちゃってる。それはギャルピース──」


 ──ぱしゃり。


 ──終始そんな調子で、二人は初プリクラを終えた。


 落書きスペースに、桐馬は入れなかった。前髪を持ち上げられた自分の顔が直視できなかったからだ。それに美玖の指示に従ってちゃんと撮影できたのは最初の一枚くらいのもので、あとはなにがどうなっていたのかよく覚えていない。美玖が楽しそうにペンを滑らせているのを、スペースの外で前髪を撫でつけながら待っていた。


「──おまたせー」


 真上に跳ねていた毛束がようやく言うことを聞き始めた頃、美玖は満足そうな顔で落書きスペースから出てきた。完成した写真の印刷には少し時間がかかるらしい。


「どうだった、初めてのプリクラは?」


「どうだった、って言われても……ウインクの練習をしておこうと思ったよ」


「あははは、でもあの写真もいい感じだったよ? かわいかったし」


「やめてくれ……」


 美玖とは対照的に、桐馬は顔から火が出そうな気分を味わっていた。


「それに、前髪上げたのはやっぱり正解だったね。──ほら、印刷が終わったみたいだよ」


 美玖が取り出し口から受け取ったプリクラを見せてくる。そこには目元が極端に強調されたカップルが、仲よさげに映っていた。


「……あれ、思ったより恥ずかしくない……?」


「落書きモードでメイク追加しまくったからね、もう半分他人の顔みたいな感じ。意外と悪くないでしょ?」


 美玖の言う通り、あれだけ違和感のあったカチューシャ姿も、写真を通してみれば想像していたほど似合っていないわけではなかった。ポーズに失敗しているのは変わらないが、美玖がごちゃごちゃと落書きやスタンプを追加して画をにぎやかしてくれたおかげで、いくらか目立たなくなっている気がする。


「うーん、我ながらカチューシャは大正解だったね。いつも前髪長めの桐馬くんがデコ出しだと、なんていうか、本気出しました、って感じ。それに普段の重い前髪のままだと、桐馬くんの目がプリクラのカメラに認識されなさそうだったしね。今回は即席だったけど、今度しっかりセットしてみる?」


「……考えとく」


 そこまで言われれば悪い気はしない。自分のビジュアルにも気を遣っている美玖が言うのだから間違いないのだろう、という信頼もあった。


 半分に切ったプリクラの片割れを、美玖はスマホカバーの裏に、桐馬は財布のサイドポケットにしまい込む。


 そこで財布に触れてようやく、桐馬は大事なことを思い出した。


「……あ、そう言えばお金。半分払うよ」


「いいよいいよ、私が撮りたかったんだし気にしないで。それより次は何する? 私、太鼓得意なんだよね」


 美玖は曇りもなく笑ってみせる。そんな表情を見せられては、桐馬は取り出しかけた百円玉をすごすごと引っ込めるしかなかった。

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