嘘の日
都内にあるファミリータイプのマンション。
女子高生の八神あやめは、ところどころはねた栗色のロングヘアを揺らしながら、弟の部屋を訪ねた。
「恭~。ちょっといいか?」
「何? こんな朝から」
「へへ~っ、今日はなんの日でしょう?」
八重歯を見せて笑う姉に、弟はチラッと卓上カレンダーを見ながら答える。
「4月1日……エイプリルフール?」
「そう、今日は嘘の日! へへ~っ、お姉ちゃん、お前のこと、大・大・だーい嫌いっ!」
笑顔で嘘を吐くあやめに、恭はしばしの沈黙の後。
「……俺だって、お前のこと大嫌いだけど」
「へっ?」
ピシッと固まる姉に、弟は真顔で続ける。
「世界一ウザいし、死ぬほど嫌いだわ」
「きょ、恭君や。いくら嘘の日でも真顔で『死ぬほど嫌い』はダメージがデカいぜ……」
たじろぐあやめを、恭は無言で見返した。
童顔チビの姉と違い、武道を嗜む高身長美形の弟は黙っていると威圧感が増す。
「なんだよ、その冷ややかな目は! それがお姉ちゃんの可愛い嘘への返礼か!?」
「別に可愛くもないし」
「へーんだ! お前のことなんて嫌いになってやる! お前との姉弟関係も今日で終わりよ!」
ドラマチックに部屋を飛び出して行くあやめに恭は、
「そういうところがウゼェんだよ」
と呆れ顔で呟いた。
あやめはエイプリルフールに「お前との姉弟関係は終わりだ」と恭に宣言した。
けれど最初から本気ではなかったので、切れたはずの姉弟関係はその日のうちに回復。弟へのウザ絡みがやむことはなかった。
春休み明けの今日も、あやめは深夜にもかかわらず何食わぬ顔で弟の部屋に来る。
「恭~。ちょっといいか?」
「ダメ。帰れ」
「まだ何も言ってねぇ」
秒で断られて瞠目するあやめに、恭が迷惑顔で返す。
「どうせ怖い映画とか見て眠れねぇから、ここで寝かせろとか言うんだろ」
「へっへっへ、流石よく分かってらっしゃる。それなら、お姉ちゃんが目的を遂げるまで帰らないことも知ってるはずだな? 無駄な抵抗はやめて大人しく寝かせるんだ!」
「無法者のくせに警察みたいな口を利くな」
恭は冷たく突っぱねたが、あやめは弟の腕に縋りついて全力で駄々をこねる。
「そんなこと言わないで頼むよ~。このままじゃ明日、寝不足で学校に行けなくなる~」
「俺だって、お前と寝たら寝不足になるわ」
「なんだ~? お姉ちゃんと寝るとドキドキするのか? 異性を感じちゃうのか~?」
姉のウザ絡みに、弟はイラッとしながら言い返す。
「そうやって、お前がうるせぇからだよ」
「じゃあ、なるべく静かに寝るから、ベッドだけ貸して」
「ベッドだけ貸してって……お前にベッドを貸して、俺はどこで寝るんだよ?」
不可解な要求に困惑する恭に、あやめはぞんざいに床を指して答える。
「お前はなんかトレーニング用のマットを持ってんだろ。それ敷いて床で寝ろ」
「殺すぞ」
しかし数分後、姉弟はシングルベッドに並んで横になっていた。狭いので自然と体の側面が触れ合う。
自分のわがままを押し通したあやめは「ひひっ」と、ご機嫌に笑って言う。
「結局お前は、お姉ちゃんに逆らえぬ運命」
「仕方なく入れてもらった分際で偉そうにすんな」
即座に弟に叱られるも、姉は「いいじゃん」と平気な顔で返す。
「昔はお前のほうが『怖い夢を見た』って、私のベッドに入って来ただろ?」
「そんなの幼稚園か小学生の頃の話だろ。高校生になってまで弟と寝ようとするヤツがあるか」
「へへ~っ、ここにいま~す」
挑発的に笑うあやめに、恭は殺意の表情でツッコむ。
「ウザさから生まれたのか?」
「お前と同じ親からだい」
「その割には見た目も中身も少しも似てないな」
恭の言うとおり、インドア派のあやめは低身長で華奢な体格。子どもの頃から格闘技をしている恭は高身長で筋肉質。
顔立ちに関しても、あやめは釣り目がちの丸い瞳に低い鼻の童顔で、恭は切れ長の鋭い目に通った鼻筋とシュッとした輪郭の大人顔。能力的にも弟のほうが、文武ともに優れていた。
姉弟なのに似てないという恭の一言に、あやめは少し声を硬くする。
「『本当に姉弟?』は禁句だぞ。他人に言われるのは諦めたが、お前には言われたくない」
「……別に言わねぇよ、そんなこと」
姉の感情の変化を察した弟は発言を控えた。
「まぁでもお姉ちゃん、不出来な姉と優秀な弟って構図が嫌いではない」
打って変わってニヤニヤする姉に、弟は怪訝な顔で尋ねる。
「なんで? さんざん比べられて嫌な想いしただろ」
「そりゃこうして一緒に寝る時、お姉ちゃんだけが一方的にイケメンの弟とくっつける利得を味わえるからだよ~!」
横から抱き着いて来るあやめを、恭は鬱陶しそうに押し返す。
「やめろ。ベッドを貸すだけって言っただろ」
「シングルベッドで、くっつかないなんて無理がある。私をベッドに入れた時点で、お前の負けは決定していたんだ」
あやめは満足そうに、恭の肩に額を擦り付けた。
そんな姉に弟は「結局うるさい」と文句を言いつつも、
「もう黙って寝ろ」
とだけ命じて、そのまま一緒に寝かせてやった。
翌朝。帰宅部の姉と違ってボクシング部の弟は、朝練のために早起きして、朝食を食べにダイニングに向かった。
「おはよう、恭」
窓から差し込む朝日を浴びながら、爽やかに挨拶した黒髪ワンレン美女は2人の母親の静香だ。
静香は今年で43歳だが、実年齢より10歳は若く見える。早くに夫を亡くしてから、家事と仕事を両立しているスーパーウーマンだ。
仕事はテキパキこなすが、おっとりした性格の母は頬に手を当てて問う。
「昨日の夜、あやめと揉めてたみたいだけど、大丈夫だった?」
「別に。アイツがまた俺の部屋で寝かせろって駄々こねてただけ」
素っ気なく答えて食卓に着く息子に、母は少し狼狽えながら質問を続ける。
「そ、それで一緒に寝たの?」
「そうだけど、何?」
不審そうに問い返す恭に、静香はハラハラした様子で尋ねる。
「高校生にもなって姉弟で寝るって普通なのかしら? もしかして2人は付き合ってる?」
「付き合ってるわけねぇ。何言ってんだ、母さん」
息子はドン引きで否定したが、母の疑念は消えない。
「だけどあなた、昔はあやめと結婚するって言ってたし」
「そんなの子どもが自分の親と結婚するって言うようなもんだろ」
「でも恭が空手をはじめたのは、あやめがきっかけじゃなかった? お姉ちゃんの好みが強い人だから、自分も強くなるって」
「……そんなの覚えてない」
本当は覚えていたが、恭にとっては黒歴史なので否定した。
しかし身内からの容赦ない追及は続く。
「恭の成績ならもっといい高校に行けたのに、あやめと同じ学校だし」
「単に家から近いとこ選んだだけだろ……」
「じゃあ、今はあやめと結婚したいと思ってない?」
「思ってるわけねぇ。どんだけ疑うんだ?」
「疑ってるって言うか、親として子どもの本心を知っておきたくて」
あまりに母がしつこいので、恭は顔をしかめて言い返す。
「正真正銘何も無いから、朝から不愉快な疑いをかけないで欲しい」
反省した母は「ゴ、ゴメンね」と謝ると、
「はい、コーヒー」
とマグカップを差し出した。




