第270話 開会式 その3
案内役の人に促され、私たちは中央の競技区画の片側へと通された。
そこが今回、私たちの持ち場らしい。
調理台は広く、火口の位置も高すぎず低すぎず、動きやすいよう考えられているのが素人目にもわかる。
そして予選とは違い、世界各国の調理器具がひと通り揃っていた。
中には使い方がわからないものまで置いてあるが、どれも一流の大会らしく上質で、きちんと手入れが行き届いていた。
紅月はそこへ立つと、まず何も言わずに目でざっと見回した後、おもむろに自身が使うであろう器具だけを手に取った。
『……悪くないわね』
『いつも通り、使えそう?』
『ええ。少なくとも、器具のせいで負けたと言いたくない程度には整っているわ。たとえばこの鉄鍋――』
紅月はそう言って、重そうなフライパンをひょいと持ち上げた。
『きちんと油で慣らしてあるわ』
『慣らす……?』
『新品の鉄鍋というのは、一番状態が悪いのよ。ある程度使って、表面に薄い油の膜が張ってある状態が一番いいのだけど……』
紅月は、今度はそのフライパンをじっくりと吟味するように見た。
『全聚楼のものと同じ……とまではいかないけれど、使い勝手はよさそうね』
『へぇ、さすが本選。待遇が全然違うね』
少しだけ安心した、その時だった。
「なんじゃ! おぬしは!」
フェニ子が突然吠えた。
その声にびっくりして振り返ると――
少し離れた通路の向こうで、サチンさん申し訳なさそうに頭を掻いていた。
『と、突然すみません……試合前の挨拶に来たのですが……』
「挨拶じゃと? 火口に細工をしたり、食材をちょろまかしたりするのが挨拶とな!」
『えぇっと……なんのことでしょう……』
どうやらいわれのない濡れ衣を着せられているようだ。
私が行って、誤解を解かなければ……なんて思っていると、黄さんもそれに合流する。
『悪いが、このちびっ子の言うとおりだ。用がないんだったら今すぐ――』
『ちょちょ、ちょっと待ってください!』
私は急いでサチンさんと黄さんとの間に割って入った。
『なんだ東雲』
『この人はサチン・ヴェルマさんと言いまして、今日の対戦相手です』
『ああ、知ってるよ』
『し、知ってるって……』
『東雲、おまえはこいつと交流があるかは知らんが、俺にはないんだ。信用するかどうかは俺が決める』
おそらく曽瀬のことがあったから、黄さんはサチンさんを警戒しているのだろうけど……。
『で、ですが黄さん、サチンさんは――』
『ありがとうございます、東雲さん。ですが、いいのです』
『け、けど……』
『黄さんの言うとおり、僕が出過ぎました。……失礼いたしました。改めて、本日はよろしくお願いします』
『ああ』
黄さんが毅然とした態度で答えると、サチンさんは少し口角を上げ、自分の持ち場へと帰っていった。




