この世界の主人公
わたしが読んだ異世界転生モノの主人公は、どれもただ異世界に転生するわけではない。前世の記憶、生まれ持った才能、はたまた神様からもらったチートスキルなど、普通の人とは違う突出した能力を持っているものだ。
もし、この《夢想世界》が異世界転生モノの世界だとするならば、突出した能力を持つ主人公というのは、間違いなく彼のような存在を言うのだろう。
巨大な化け物を相手に剣一本で戦う彼を見て、わたしはそう思ったのだ。
憧れてた世界に、夢とはいえ、本当にやってきたんだという実感と興奮。
病院で暮らしてた頃とは何もかもが違う。わたしには、それらが人一倍色鮮やかに映った。
しかし、そんな主人公である彼は今は剣を失い、地面に伏している。
先ほどまでは、敵の攻撃を掻い潜って流れるように化け物に攻撃を叩き込んでいた。青年が言っていた「何度も倒した」を証明する見事な体捌きだった。
そんな彼が今劣勢に陥ってるのは、今回はイレギュラーがあったに他ならない。
――わたしだ。
素人のわたしでも分かる。化け物がわたしを狙うようになってから――彼がわたしを守る様に戦い始めてから状況は一変した。
確実に、わたしはこの戦いの邪魔になっており、青年の足を引っ張ってしまっている。
それに気づいたのは、敵の攻撃を受けて宙を巻う青年の姿を見てからだった。
「そんな……」
化け物が斧を振り上げ、今にもわたしに振り下ろそうとしている。
今度こそ死んでしまうんだと、瞳をきゅっと瞑った時、甲高い金属音が頭上に響いた。
「逃げろ!」
わたしは顔を上げると、青年が剣で斧を受け止めている。その剣は先ほど使っていた長剣ほどの長さではない。代わりの剣だろうか。
徐々に青年は力負けをして、体が沈み込む。
「早く逃げろバカ!」
「でも、背中見せたら襲ってくるって……」
「俺がなんとかする!」
そう叫んだ青年の体を、化け物が蹴り飛ばす。
青年は地面に放り投げられるが、すぐに体制を整えて化け物に斬りかかる。
「早く行け!」
そう叫ぶ青年の声に、体をびくつかせる。
なぜそこまでして、さっき出会ったばかりのわたしを助けようとするのか。
無情にも、甲高い金属音を響かせて、またしても青年の剣が弾き飛ばされ、わたしの後方に突き刺さる。
「行け!!」
わたしはただの足手まといだ。いたほうが迷惑になる。そしてなにより。
――わたしのせいで死んでしまう青年を、見たくない。
化け物に背を向けて、もつれる足を必死に動かして――走る。
ゲームなのだから、本当に死ぬわけじゃないと自分に言い聞かせる。名も知らぬ青年は、今ここでHPを全損しても、どこかで生き続ける。
なのに、なんでこんなに苦しいのか。なんでこんなに悲しくなるのか。
――見捨てて逃げるなんて、こんなの……まるで。
お母さんと一緒だ。
お母さんは、いつも気丈に振舞っていた。病気で苦しむわたしを励ます為に、いつも明るく楽しそうにしていた。
でも、わたしは分かっていた。お母さんはいつだって悲しそうで、苦しそうだった。
――だって、わたしの目を見て話してくれた事、一度だって無かったもんね。
日に日に弱っていくわたしの事を見てられなかった。病気で余命少ない自分の娘の現実を受け止められなかった。
そして、お母さんは限界が来てしまい、わたしの前から姿を消した。
わたしがやろうとしてることは、お母さんと同じだ。
――一緒になんて、なりたくない。
感じる。背を向けたわたしを狙って、化け物が近づいてきてる。青年が何かを叫んでいるが、良く聞こえない。
きびすを返して、わたしは化け物に向かって走り出し、青年の使っていた剣を掴んで持ち上げる。
想像していたよりもずっと重くて、体がよろめく。化け物は、斧に緑色の光を灯して、こちらに突進してきている。
化け物からは先ほどの恐怖を感じない。人を見捨てて逃げ出すことの方が、今のわたしにとっては余程恐ろしいからだ。
――わたしは、お母さんみたいにはならない。
わたしが思い描いてきた異世界の戦いは、想像していたよりもずっと怖いものだった。
だけど、青年が見せてくれた。過酷で怖いものだけど、人はこの剣一つで、化け物と戦うことが出来ると。
それなら想像を書き換えるのだ。戦いが想像以上のものであったなら、想像以上を想像すればいい。
剣先を引いて、突進してくるゴブリンリーダーに向けて構える。
わたしの空想してきた異世界の主人公と自分の姿が――重なる。
「なんだあれ……」
わたしの持つ剣に白い光が集まっていく。やがて、この化け物や青年が武器に灯した以上の輝きが、わたしの剣に宿る。
「うああああああ!!」
――苦しみも、悲しみも、恐怖も、全てこの一撃に。
体は感じたことが無い程に軽く、とてつもなく力が入る――いや、見えない力がわたしの体の動きを加速させているのだ。
踏み出した一歩で、地面が軽く隆起する。その有り余る全身の力を剣先に集中させるように、渾身の突きを放った。
ギイィン!
聞いたことないような金属と金属がぶつかり合う音。化け物の斧とわたしの剣がぶつかり合い、激しい火花と閃光が飛び散る。
化け物は高いうめき声を発したと思うと、巨大な斧ごと巨躯が後方に吹き飛び、川を飛び越え、向こう岸の崖へ轟音を響かせて激突する。
その衝撃で、崖が大きく崩壊して化け物の頭上に降り注いだ。
――――――――――
片手剣基本武器固有スキル《トゥルーストライク》――片手剣の初期から扱える突き技だ。基本技は威力がやや低めだが、コンパクトで扱いやすい技が多い――はずなのだ。
――どう見ても基本技の威力じゃないだろ。
彼女が放った技は確実に《トゥルーストライク》だ。しかし、速さも威力も、俺が知っているものではない。
そもそも突進技と相性が悪い基本技は打ち負けるはずだ。それが相殺されるどころか打ち勝ってしまうのはおかしい。
確かに明確な想像と、強い想いを乗せた武器固有スキルは少し威力に補正がかかる。しかし、ここまでのものは見た事も聞いたことも無い。
――やっぱり、ただのNPCじゃない。
俺は地面に突き刺さった長剣を引き抜いて、彼女の元へ駆け寄る。
「お前は一体何なんだ……?」
その問いに彼女は、剣をぎこちない動きで持ちあげて言った。
「何なんだって言われても、このゲームさっき始めたばっかりで、わたしにも何が何だかさっぱりだよ」
「えっ!?」
このゲーム? さっき始めたばかり……?
俺の脳内は一瞬フリーズして、その答えを出すまで少し時間がかかってしまった。
「お前、NPCじゃないのか!?」
「えぬぴっ……え?」
その時、崩れた崖の中から雄叫びが響く。
「うそ、まだ生きて!?」
「……話は後だ」
俺は二本の《体力ポーション》をストレージから手元に出現させる。
「これを飲め。HPを回復できる薬だ」
「……ありがとう」
「いいか、ひどい味だから鼻を詰まんで飲め。ちびちび飲んでる時間なんて……」
口上を述べる前に、彼女はすでに薬をためらいなく飲んでいた。あっという間に瓶の中の緑色の液体が空になる。
薬を飲み終えた彼女は、困惑した表情の俺と目が合う。
「……なに?」
「いや、別に……」
俺は瓶の栓を開けて、鼻を詰まんで一気に飲み干した。
相変わらず飲み物の味ではない。まるで包帯を液体にして飲んでるようなひどい味だ。
この薬を平気な顔をして飲める彼女の味覚はどうなっているんだ。
――まずい薬を飲み慣れてでもいるのか……?
空になった瓶がガラスを割るかのように消えるのを見送ると、俺は《ゴブリンリーダー》の方へ視界を移す。
非常に怒っているのか、崩れた岩の中でこの世の物とは思えない奇声を上げている。すぐにでも出てきそうだ。
「戦えるか……?」
俺は彼女にそう問いかけると、少し間を置いてこくりと頷いた。
「あまり期待しないでね。ほんとにさっき始めたばっかりの初心者だから」
初心者が一人で最深部にいるわけがない。それは後で問い詰めるとしよう。今は目の前の事に集中する。
「さっきと同じ事やれって言われたらできるか?」
「……多分」
「さっきの一撃で、お前はヤツにヘイトを買ってるはずだ」
「ヘイトって?」
「敵視だ」
「敵視?」
「……お前を狙ってくるって事だよ」
「そう言えばいいのに」
――こいつ、あまりゲーム自体やったことなさそうだな。
「俺が隙を作るから、さっきの攻撃でもなんでも良い、とにかく攻撃してくれ」
「……やってみる」
その時、崩れた岩が吹き飛び、その中から怒りに満ちた《ゴブリンリーダー》が姿を現す。
『トワにパーティ勧誘を行います』
俺の視界に表示された文字。共闘するという事なら、PTを組んだ方が良いだろう。
「な、なんか急にパーティに誘われたんだけど、どうすればいい?」
「入るって、思えばいい」
「入る!」
「声には出さなくていい」
『トワがパーティに加入しました』
俺のステータスバーの下に、彼女……トワのHPバーが出現する。
PTを組むのはいつぶりだろうか。もしかしたら、誰かとPTを組むのはPTを抜けたあの時以来か。
「アルバートって……君の名前?」
「……なんだよ。文句あんのか」
「……外国の人?」
「本名なわけねぇだろ」
その時、《ゴブリンリーダー》は緑色の光を片手斧に宿して、こちらに突進してくる。
予想通り、トワの方へ一直線に向かってきていた。
「いくぞ!」
俺はトワと《ゴブリンリーダー》の間に割って入り、長剣に緑色の光を宿らせ突進技の《フォワードスラスト》で迎え撃つ体制を取る。
しかし、今回は敵の攻撃をスキルのモーションで掻い潜って攻撃するわけではない。そんな事をすれば、後ろにいるトワが危険にさらされる。
俺の光を帯びた剣と、ヤツの光を帯びた片手斧がぶつかり合い、相殺される。
お互いに大きく体がのけぞる。足をしっかり地面につけて、転ばないように踏ん張るので精いっぱいだ。
じゃんけんで言うとあいこ。雑魚モンスターの放つスキルは打ち勝つことが出来るスキルも多数存在するが、《エリアボス》の放つスキルは、基本的に打ち勝つ事はできない。このように相殺することが限度。普通に戦っていれば、まともな攻撃チャンスなど無い。
――それが《エリアボス》がPTプレイ推奨と言われる理由の一つだ。
仰け反り、後退した俺と位置が入れ替わる様に、白い閃光が飛び出す。
「はああああ!!」
気合の叫びと共に、トワの《トゥルースラスト》が、相殺でがら空きになった《ゴブリンリーダー》の胴体に激しいエフェクトをまき散らしながらヒットする。
もろに攻撃を受けた《ゴブリンリーダー》の体は浮き上がり、木々をなぎ倒して吹き飛んだ。
さすがに先ほどの威力は出ていないが、それでもこの威力は破格だ。
「うわっとと!」
攻撃の勢いと威力でバランスを崩し、その場に滑り込むように転ぶトワ。
「モーションアシスト無くなった途端にそれかよ。リアルじゃ運動不足なのバレバレだぞ」
「う、うるさいな。運動不足なのは認めるけど」
あの様子じゃ武器固有スキルの威力以外の戦闘力には期待できそうも無いが、それで十分だ。
――思い出すな、あいつの事。
PTを組んでいた時代、今回と同じ戦法で共に前線を張っていた剣士がいた。刀特有の一撃の威力が高い武器固有スキルを叩き込む戦闘スタイルで、PTのDPSの要を担っていた。
「次来るぞ!」
俺はトワに声を掛ける。《ゴブリンリーダー》は斧に光を宿しておらず、そのままこちらに迫ってくる。
狙いはやはりトワだ。完全に脅威だと判断されているらしい。
「えっと、わたしどうしたらいい!?」
プレイヤーが使う武器固有スキルは十秒のCTが存在する。トワはまだCTが上がっていない。
「俺がやる! そのままそこにいろ!」
それなら、ギリギリCTが上がる俺がやるしかない。
俺は《ゴブリンリーダー》に向かって走りながら長剣を構え、赤色の光を宿す。
「はっ!」
短い気合を発した後、跳躍して弱点部位の首筋に長剣を力いっぱいに横一閃する。一筋の赤色の軌跡を描き、《ゴブリンリーダー》はその場で砂埃を上げながら転ぶ。
長剣強撃武器固有スキル《ディバイド・ブレイク》――跳躍して高威力の斬撃攻撃をする技だ。
俺は着地に受け身を取って、《ゴブリンリーダー》の方へ体を向ける。
「す、すごいね」
「恐らくあと少しだ。気を抜くなよ」
《ゴブリンリーダー》は先程の崖の崩壊による地形ダメージで、相当深手を負っているはずだ。あと少し、あと少しで倒せるはず。
俺は長剣の柄を強く握りしめた。