「最終決戦、古月方正対古月方源!」
「おっ、面白くなってきた」
「まさか兄弟対決になるとはな」
「方正……」族長の微笑みが微かに収まる。「お前の最大の影は兄だ。赤鉄真元と玉皮蠱で圧倒しろ!この闇を打ち破れば真の飛躍が待っている」
夕陽が血のように擂臺を染める。
瓜二つ(うりふたつ)の顔が向き合う。弟の瞳に炎が燃え、兄の眼差しは深淵の如し。
「兄さん……」方正が拳を固める。「降参してくれ!二転の赤鉄真元8割、兄さんの青銅真元4割4分では勝ち目がない」
方源は淡々(たんたん)と見据える:「真元の量で勝敗が決まるなら戦う必要などない」
「……!」方正の瞼が瞬く。内心では降参など求めてはいない。だが血縁への情けとして言わねばならぬ義理があった。
「覚悟が決まったら、いざ!」
地面を蹴る音が黄昏に響いた。
「またこの手か!」擂臺下の漠北が歯軋りした。今夜から猛特訓を決意、今日の屈辱を十倍返しすると心に誓う。
「方源終わりだな。龍丸蛐蛐蠱も持たないんだから」赤城が腕組みして嗤う。他人の不幸を喜ぶ様子だ。
方正が猛り狂うように突進、瞬時に間合いを詰める。掌に月光が煌めいた。
方源の表情は鉄のように冷たく、微動だにしない。接近する弟を静観しつつ、右掌に水のような蒼い月華が滲み出す。
突然!
方源が地面を蹴り、数歩跳ね出す。退くどころか逆に襲い掛かる。
「っ!」予想外の反撃に方正が動揺、焦って月刃を放つ。
無言のまま蛇行する方源。月刃が肩先を掠める。咆哮も雄叫びもないが、沈黙の中に鋼の覚悟が凝縮されている。
方正は本能的に後退を始めた。6メートルが限界の戦距が今や5メートル未満。今度は自分が間合いを取る番だ。
シュッ!シュッ!シュッ!
後退しつつ掌を翻し連続で月刃を撃ち込む方正。必死に距離を保とうとする。
方源は寸止めの軌道修正を繰り返し、蜘蛛のような身軽さで月刃を回避。一糸乱れぬ歩幅で迫り続ける。
「この方源、度胸据わってやがる!」薬紅が声を上げた。
「生死を度外視した戦いだ」青書も声を押し殺せない。
「また戦闘狂かよ!」漠顔が歯を食いしばり、赤山を横目で窺う。
赤山は相変わらず無表情だが、眼球が不規則に震えていた。
観衆の喧騒が止み、擂臺の攻防に釘付けになる。
月刃が方源の顔面をかすめる度、青白い光が横顔を染める。冷徹な表情は微動だにせず、危険と余裕が同居する回避動作に、戦闘の才能が露呈していた。
観戦席の族長と家老たちが険しい面持ちに。
赤城と漠北は口を開けたまま、月刃を次々(つぎつぎ)躱す方源を凝視。
「どうやっているんだ?」生徒たちの脳裏に疑問符が渦巻く。
――五百年の戦歴を持つ方源に、たかだか一年の指導を受けた方正が及ぶはずがない。
方源の瞳に映る弟は透き通った小川の如し。水流の方向も岩場での屈折も、水底まで見透かされていた。
月刃発射には必ず掌の反転が伴う。肩の震え、足運みの乱れ――あらゆる体術の兆候が、攻撃意図を筒抜けにしていた。方正の思考さえも、方源の脳裏で再構築されていく。
方正の頭が真っ白になっていた。
十数年間も心を縛り続けてきた兄の影が、今や奈落へ引き摑り込むほどの闇へと膨張していた。
混乱から玉皮蠱の存在すら忘れ、兄の猛攻に呼吸も乱れ思考が停止。
これが「経験差」だ。
方源にとって五百年の戦歴こそが春秋蝉より貴い財産。族長にも、家老にも、家族にも、友にも、蛊虫にも頼らない。
己のみが絶対の拠り所だ――この世に信頼できるのは自分の実力だけだと悟っていた。
間合いが詰まった瞬間、方源が隱密な一撃を放つ。
ドスン!
腹に食い込んだ拳に方正が腰を折り曲げる。吐き気を催しながらも、基礎訓練の成果で両腕で頭部を防護、大股で後退。
「どこ……⁉」腕の隙間から眼球を激しく動かす方正。
「後方だ!」直感が走った刹那、腰に衝撃が炸裂。
バランスを失い地面に倒れかかるが、訓練で身体が反応。倒れ込む勢いを利用して宙返りしつつ、掌から月刃を後方へ撃ち放った。
――これこそ族長から授かった戦闘の知恵だ。
普通の相手なら、この月刃に直撃するか、少なくとも後退を余儀なくされていただろう。
だが方源は違う。族長古月博でさえ、彼の戦歴には遠く及ばない。
方源は弧を描くように迂回し、月刃を易々(やすやす)とかわして方正に接近。
「間合い取れた……?」立ち上がりかけた方正の耳に、風切り音が轟いた。
「拳の風圧⁉」認識するより早く、側頭部に衝撃が走る。
ゴン!
視界が真っ暗くなり、激しい眩暈に襲われる方正。地面に崩れ落ち、二呼吸分も動けなかった。
視力が戻ると、目前に方源の足元が映る。犬のように這い蹲う自分と、高見から見下ろす兄との対比に、顔が火照った。
「くそっ……!」恥辱に震える手で地面を押す方正。
大勢の目の前で、方源が右足を高々(たかだか)と掲げた――
ゴン!
彼は即座に視界が真っ暗になるのを感じ、激しい眩暈によって平衡感覚を失い、完全に地面に倒れ込んだ。
二呼吸分も地に伏した後、徐々(じょじょ)に視界が回復すると、方正は方源の両足が目の前に立っているのを見た。
その瞬間、自らの姿が如何に惨めかを悟った。犬のように地に這い、方源が高みから見下ろしている。
「くそっ!」方正は羞恥心と怒りで全身が熱くなり、起き上がろうとした。
大勢の視線が注がれる中、方源が右足を高く掲げ、強く踏み下ろした。
ドスン!
方正の頭は石球のように擂臺に叩きつけられ、甲高い衝撃音を発した。
「ふざけるな……!」方正が狂ったように再起を図ろうとする。
方源は冷然とそれを見詰め、再び足を踏み下ろす。
ゴン!
頭が激しく擂臺に打ちつけられ、頭皮が裂けて血が止まらなくなる。
「ちくしょう!ちくしょうォォ!」方正は鋼の歯を噛み締め、全身が燃えるような怒りを感じながら、再び頭を持ち上げようとした。
ガン!
方源が三度目に踏み込み、今度は足を離さず頭を押さえつけた。巨大な力で顔が擂臺に押し潰され、頬骨が軋む音がした。
顔が変形しそうな圧力の中、方正は荒い息を切りながら身動きできなかった。頭に巨石が乗っているかのような重圧を感じ、如何に暴れても微動だにしなかった。
「そうだ!月光蠱があるじゃないか!」絶体絶命の状況で閃いた方正の右掌が、突然青白く輝き出した。
だが方源が気付かないはずがない。
スッ!
月刃が正確に右掌を貫いた。
「ぎゃああああっ!」
激痛が電撃のように全身を駆け巡り、身体が痙攣した。掌は殆ど貫通され、白骨が露わに。月光蠱も致命傷を負い、瀕死の状態に陥れた。