広間の主座に古月博が無表情に鎮座し、深淵のような瞳を光らせていた。
十数人の家老たちは姿勢を正し、目を伏せて瞑想するような体でいながら、眼角の視界で周囲を窺っていた。互いの表情から手掛かりを探ろうとするのだ。
空気が一瞬にして緊迫した。
「方源が首席奪取……単純な話じゃない。猪牙入り袋を拾ったなんて、こんな話、嘘っぽすぎる」
「あの袋は誰かが仕組んだに決まってる。一人で準備できる代物じゃない。つまり裏に黒幕がいる」
「今回の考査は例年と違う。数十人の二転蛊師を動員して監視してたんだ。考査内容は学堂家老だけでなく、他の家老たちも知ってたはずだ」
「袋の仕込みが可能なのは、この場に居並ぶ家老たち——ひょっとしたら族長自身かもな!」
政界の古参たちは瞬時くに看破。
方正が甲等資質で四転まで育てば、次期族長の座は確実。その兄である方源——丙等でも血縁だけで投資価値がある!
族長側から見れば、方源を派閥に組み込めば、将来の方正統治の要となる。
家老たちにとっても、族長一閥が強勢化するのを阻むため、方源を配下に収めれば有効な駒になる。
つまり広間に居る全員が方源を支援する動機を有していた。
「だが……黒幕は誰なんだ?」
古月赤練は思索に沈む:「俺は方源を招いてない。だとすれば誰が第七十八節:計算外れの豊作で密かに支援したんだ? 漠塵の老害か? あり得る……方源があいつの家奴を殺したって、所詮奴隷だ。全滅しても痛くも痒くもないだろう。族長の可能性も高い。方正を囲い込んだ上に方源まで抱え込めば、支配力が強化される……だが年末考査前の早期引き抜きは規約違反だぞ」
「厳密には違反じゃないが、グレーゾーンを突いてる。俺以上に方源を評価してる奴がいるのか?」古月漠塵も指を鳴らす。
実際、方源が高碗を惨殺し遺体を贈り物にした件以来、彼は方源を目を瞠るように見直し、勧誘の気もあった。
だが通常は年末の卒業時期に勧誘するものだ。今回の早期行動には不意打ちを食らった感がある。
古月博の視線は主に赤練と漠塵の顔を往復していた。
族長の思考は更に深い。方源が露骨な嘘で首席を奪った行為は、ある種の示威行為だった。「方源は我が派閥の者だ」と暗に宣言し、他勢力を牽制する意図が窺える。
「だが……この黒幕は一体?」
古月一族の政治構造は三つ巴の勢力図。族長を頂点に、古月赤練が率いる赤脈と古月漠塵の漠脈が鼎立していた。
古月博は内心で冷笑する:「わしが方源を招いた覚えはない。ならば容疑者は赤練か漠塵のどちらか……」
「老獪な面々(めんめん)め、芝居がうまくなったな。表情からは微塵も読めん。まさか小勢力の仕業か?」
古月博は微動だにせず周囲を観察するが、他の家老たちも同様に疑心暗鬼に陥っていた。
学堂家老は中立的な立場から推察する:「方源が某家老に抱え込まれたからこそ、方正・漠北・赤城を脅迫から外したのか。族長か二大派閥のどちらかだろう。これは好機だ! 彼が一族に帰属意識を持ち始めた証。いずれ完全に同化するだろう」
暫く重苦しい沈黙が流れた後、古月博が口を切った:「礼には礼で応じねばなるまい。他山寨が方正を狙うなら、我々(われわれ)も痛烈な反撃を! 暗堂家老、作戦立案を急ぎたまえ」
「かしこまりました」暗堂家老が即座に頷いて承諾した。
「古月方正についてだが、今回の事件で精神的打撃を受けた可能性が懸念される。甲等資質の者として、今後は私が直接指導する」古月博が続けた。
反対意見は出なかった。
実際、多くの家老が族長が既に裏で特別指導を行っていたことを知っていた。公平性に欠けるが、正当な理由がある以上、阻止できなかったのだ。
「古月方源については……」古月博がわざと声を伸ばした。
瞬時く家老全員が耳を澄ます。「まさか族長自らが?」
古月博が視線を巡らすが、何も読み取れない。失望しながら続言する:「丙等で首席は立派だ。私費で元石三十個を褒賞する。学堂家老、『更に励め』と伝えよ」
「承知しました」学堂家老が恭しく頭を下げる。
「三十個の元石とは……微妙な褒賞だな」家老たちが眉を寄せる。
古月博は心中で嘆息した。「誰が方源を抱え込んでも、この褒賞が穏便な信号だ。白家寨と熊家寨が虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのだから」
方正への暗殺未遂は外患、方源の不正は内憂。外敵には鉄槌を、内紛には懐柔策を――これが一族全体の実力維持のためだった。
「よし、これにて一件落着としよう。各々(おのおの)職務に戻るがよい。一族の繁栄は諸君の働きにかかっている」古月博が手を振った。
「かしこまりました」家老たちが順番に退出していく。数息後、広間には古月博独りが残された。
深い嘆息を漏らしながら、両手の指先でこめかみを揉み解す。
族長という最高権力者でありながら、決して楽ではない。派閥間の利益調整、代々(だいだい)続く因習のしがらみ――全て(すべて)が重荷となってのしかかる。
外には熊家寨の横暴と白家寨の台頭。内には複雑怪奇な政争。まだ中年の身ながら、両鬢には白髪が目立ち始めていた。
「族長職についてから……資源は潤沢だが修行が停滞している。雑務に心神を削がれる日々(ひび)。たまには孤高の蛊師になりたいものだ。重荷を下ろせば、きっと修業も進むだろうに」
胸の内で自嘲的に笑う。一族に属すれば責任が伴い、自由を失う。だが逆に、体制外では資源不足で修業すらままならない。
「因果応報の輪廻よ……」古月博が窓の外を見遣る。この矛盾がどれほどの俊才の前途を潰し、天賦の才を土中に埋めてきたことか。
王大は死んだ。
三日後、方源はこの報せを受けた。
同時に江鶴から、あの二人の若い獵師が山狩り中に失踪したこと、右手を斬られた獵師が鬱で「自殺」したことも聞き出した。
「方源さん、顔見知り同士だ。今後は従兄弟の江牙の店で半値にしておくよ」江鶴が意味深な目でそう告げた時、王大の遺体を確認していた彼は真実を悟っていた。
だが村駐在の蛊師として、体制内の責任から真相を曝せない。王大が三年間も魔道蛊師だったことを見逃した事実が発覚すれば、自身の前途が台無しになるからだ。
三人の不審死も全力で隠蔽した。
「お前に影響はねえ。農奴三人殺したって、三十人殺しても族中は大目に見る。せいぜい元石十数個の罰金だ」
江鶴の贈賄を方源は当然のごとく受け入れた。予想外の危難を経たが、結果は上々(じょうじょう)だった。
これで族内に基盤の無い方源は半ばの盟友と、架空の後見人を手にした。
この「存在しない後盾」が第二の保護膜となり、二転に至るまでの修行を支える盾となった。少なくとも露骨な妨害を避けられる環境を保てるのだ。