「方源が今回生徒を脅し取ったが、方正・赤城・漠北三人を打ち負かしながら元石を取らなかっただと?」侍従の報告を聞いて学堂長老はやや驚いた表情を浮かべた。
「決して偽りはございません。事実その通りでございます」床に跪いていた侍従が即座に答えた。
「ふむ」長老は肯定も否定もせず手を振った。「退いてよろしい」
「はっ」
侍従が退出するや、学堂家老は深い思案に沈んだ。元々(もともと)心配していたのは、方正が受け取った三十元石が方源に奪われる事態だった。もしそうなれば学舎の褒賞制度が形骸化するため、厳罰を準備していたのである。
「だが予想に反し、方源は三人を見逃したとは……数百元石を所持しているから三十元石に目がくらまないのは理解できる。だが何故あえて三人を解放したのだ?」
長老の皺くちゃな眉が徐々(じょじょ)に伸びていくように、表情が緩んでいった。
彼は徐々(じょじょ)に理解してきた。
漠北・赤城・方正の三人は、家族の三大勢力を象徴する存在だ。方源が彼等を見逃した行為は、明らかに三大勢力への接近を示すもの。これは方源が心変わりし、家族へ屈服する兆しと解釈できる。
「もっともなことだ」学堂家老は独白した。「酒虫を持っていようと、丙等の素質の不足を自覚したのだろう。何度か反抗して不満を晴らした後、今は落胆しているに違いない」
「族長の言う通りだ。15歳の少年に家族制度への挑戦など不可能だった。現実を受け(うけ)入れ(いれ)始めた今、自分の居場所を見つけ、家族に溶け込むのは必然の成り行きだ」
そう考え至ると、学堂家老は安堵の息をつき、思わず表情が緩んだ。
三日の時間が、あっという間に過ぎ去った。
やがて年中考査の日が訪れた。
「早く早く!山猪を引き寄せたぞ!」少年が狂ったように走りながら焦り混じりに叫んだ。
両足の脛に淡緑色の旋風が巻き付いている。これが普通の人間を超越した走力を生み出していた。
しかし背後から迫る山猪の速度は増すばかりで、距離が縮まって来ていた。
炎天が木々(きぎ)の間から差し込み、山猪の牙を白く輝かせていた。
「山猪が来た!縄を引っ張れ!」草叢に潜んでいた四人の少年が太い麻縄を引き上げ、瞬時に障害を作り出した。
駆け抜ける少年は軽やかに跳躍して縄を越え、そのまま走り続けた。
後続の山猪はまともに縄に引っ掛かり、地面に叩きつけられて五、六(ご、ろく)メートルも滑った。
「いてっ!」四人の少年も縄に引きずられ、山猪同様に転倒した。
「行くぞ!」先へ走り出していた少年が戻り、怒鳴るように叫んだ。
倒れた者たちは慌てて起き上がり、山猪に包囲網を縮めていった。
……
シュシュシュ!
月刃が空中を舞い、山猪の体に突き刺さり、次々(つぎつぎ)と細長い傷口を作り出していく。
古月漠塵は興奮で顔を紅潮させ、瞳は爛々(らんらん)と輝き、完全に戦闘に没頭していた。
30分後、出血多量の山猪がついに倒れ伏した。
漠塵は大きく息を吐き、地面にどっかりと座り込んだ。全身が泥や青草の切れ端しまみれで、滝のような汗が流れ落ちている。
「生きた山猪との戦いは、木人形や藁人形との練習とはやはり全く違うな。一頭仕留めるのに30分もかかるとは……他の連中はどうなっているんだろう?」
……
ひっそりとした小高い丘の上に、仮設の小屋が建てられていた。小屋は灼熱の日差しを必死に遮り、かろうじて日陰を提供していた。
小屋の下には数脚の椅子が並び、学堂家老が主座に厳かに座っていた。その側には他の家老たちが同席し、背後に数人の蠱師が控えている。
周囲の林にも複数の蠱師が潜んでいた。
その時、前方の林が不自然にざわめき出した。
サッ。
影のような蠱師が林中から飛び出し、小走りに近づくと小屋の前で跪いた。
「状況はどうなっておる?」学堂家老が問いかける。
「家老様、現時点で生徒に死傷者は出ておりません」蠱師が慌てて答えた。
「結構なことだ」
「年中考査が半日経過しても負傷者なしとは、往年ではあまり見られない状況だ」
「学堂家老殿の指導力の賜物であろう」
他の家老たちが満足そうに頷き、口々(くちぐち)に称賛した。
学堂家老は微かに首を横に振った。方源が同級生を強請った結果、生徒たちが基礎拳脚を鍛え上げ(あげ)た事実を知っていた。
跪いている蠱師に問い質す:「現時点で成績優秀な者は?」
「申し上げます。古月方源・方正・漠北・赤城の四名が上位です。赤城は三頭、方正と漠北は五頭、方源は八頭を討伐しております」
「ほう……方源が暫定首位とは!」
「甲等や乙等の生徒が丙等に押されるとは、稀なケースだ」
「酒虫で青銅真元を有するのだから、この程度は当然だろう」
「だが真元の回復速度では甲等・乙等に到底及ばぬ。遅かれ早かれ三人に抜かれるはずだ」
家老たちの議論が沸き立つ中、学堂家老は蠱師に命じた:「退け。方正・赤城・漠北三人の安全は特段の監視を要することを伝えよ」
「かしこまりました」蠱師が深々(ふかぶか)と頭を下げて退いた。
このような野外戦闘は、大多数の生徒にとって初めての経験だ。危険を伴うため、家族は事前に手配を整えていた。数十人の二転蛊師が山中に潜み、考核の安全を監視。さらに三転の家老たちも待機し、緊急事態に備えていた。
灼熱の太陽が天頂から西の山脈へ傾き、夕焼けが雲を炎のように染め上げていた。
夕日が林を照らす中、また一頭の山猪が地面に倒れた。
「二十三頭目か」方源は心で数えながらしゃがみ込み、慣れた手付きで牙を剥ぎ取った。
背中の袋には既に多数の猪牙が入っている。
さらに別の袋には事前に密かに狩った分の牙が入っていた。これらは岩の裂け目の隠し穴に保管され、前々日の夜に密かに回収して地中に埋めてあったものだ。
「地形と山猪の生息域を熟知し、高階真元で月光蛊を駆動、更に小光蛊も併用している。他の連中の狩猟効率など及ばぬ。この袋だけでも首位は確実だが……もう一つの袋を出せば、奴らどんな顔をするだろうな? フフ」
空模様を確かめた方源は、隠し袋の回収に向かおうと足を進めた。
そう考えると、彼の脳裏にパッと地図が浮かび上がった。
ここ数日で獣皮の地図を完全に記憶していた方源は、現在地を正確に把握している。左折して山渓沿いに15分ほど進めば、袋を埋めた地点に到達できる。
しかし足を踏み出そうとした瞬間、ふと迷いが生じた。
「今の位置から最寄りの赤丸マークまでは500~600メートル。この機会を逃すべきじゃないか?」
その思考が頭を離れなくなる。
「勝ちは確定してるし、時間的にも余裕がある。獣皮地図の三箇所の赤丸——王老爺にとって極めて重要な場所で、唯一意味が推測できない印だ。確認しに行くべきだ」
監視している蠱師がいることを承知の上で、方源は敢えて証人を必要としていた。
即座に山猪狩りの続行を装い、密林の奥深くへ向かった。
15分後、地図の赤丸地点に到着。
巨樹の茂った枝葉に隠れるように建てられた樹上小屋——注意深く観察しなければ気付かない造りだ。
「王老爺の狩猟用仮設小屋か……?」眉を寄せた方源の胸に疑念が渦巻く。
梯子を登り小屋に入った瞬間、彼の表情が一変した。