8.『したいこと』の為に『やるべきこと』
魔王城に夜がやってきた。
とはいえ、魔王城の上空は昼間でも空が赤く、故に地に降り注ぐ光も人族の生活圏よりも格段に暗い。
城の各所にある窓から見える風景も、昼と夜でそこまでの変化はないように、レオニスには思えた。
フィナンジェとエカレアと朝食を食べた(時間的にはレオニス以外には昼食だったらしいが)食堂で、また同じメンバーで食卓を囲って夕食を食べた。
昼間と違い魔王城で生活している兵や使用人も、広い食堂のそこかしこで各々食事を取っていた。フィナンジェの話ではレオニスが城に居るということは城の全域に通達されているはずだが、レオニス達の近くに座った集団などはやはりレオニスのことを奇異の目で見てきた。そんなことを今更気にするレオニスでもないが、エカレアが睨みを利かせて周囲の視線を封じてくれて、その心遣いを嬉しく感じた。
そして食後、再び三人は玉座の間改め、魔王討伐対策室に集められた。
「勇者さまに夜もお会いできるなんて、魔王は……魔王は!!」
アールメリアは感動のあまり大粒の雫を両目から垂れ流していた。
レオニスは困惑、エカレアは少々の呆れ顔、フィナンジェは微笑ましく見守っていた。
「お、落ち着け魔王、俺はそんな大それた存在ではない。会いたくなれば会いに来よう」
「ほ、本当ですか!? 勇者さまお優しい……魔王めをこれ以上惚れさせないでください!」
「そんなつもりでは……」
「まったく、口の軽い男だな。先ほどは私にも美人だなどと言うし……」
昼間の闘技場でのやりとりを思い出したのか、言葉を濁らせながら顔を赤らめるエカレアは、美人というよりは可愛らしかった。
「あらあら、まさか勇者さま、魔王城にハーレムでもお作りになる気ですか? でしたらフィナンジェも仲間に入れてくださいませ♪」
レオニスを糾弾するのかと思いきや、むしろフィナンジェが一番乗り気だ。
足取り軽くここぞとばかりにレオニスの腕に絡み付き、その柔らかな胸を押し当てている。フィナンジェの柔らかさと女性らしい香りに心拍数を上昇させながらレオニスは、
「ち、違う! 俺はただ――――」
と弁明を試みるが、しかし最後までさせてはもらえなかった。
「フィナ! 勇者さまに馴れ馴れしくしないの!」
レオニスの言葉を遮った魔王が、嫉妬を隠すことなくフィナンジェの腰に手を回し引っ張る。
傍観しているエカレアは、溜め息を吐くしかなかった。
「そろそろ本題に入りませんか?」
このままでは話が先に進まないと踏んだエカレアは、自ら進んで進行役をすることにした。
そのタイミングでフィナンジェも勇者から剥がされたので、諦めて話をする気になったようだった。
「ええ、そうですね。勇者さま、続きは後ほど」
「続きはないからね!」
釘を刺してくる魔王を笑顔で受け流して、フィナンジェは話し始める。
「とりあえずエカレアさん、最初の訓練はいかがでしたか?」
「まだこの男の実力を測っただけだ。まあその実力は散々だったがな」
歯に衣着せないエカレアに魔王とフィナンジェは苦笑、レオニス当人は沈痛な面持ちだった。
「大丈夫です勇者さま! 勇者さまが弱いというのは最初から分かっていたことですから!」
「魔王さま、本当のことを言えばいいわけではありませんよ?」
「いやフィナンジェ、お前も結構酷いぞ」
「あ」
エカレアの指摘に頬を赤らめるフィナンジェ。どうやら本気でレオニスのフォローをしたつもりだったようだ。
「別に構わない。むしろ俺は本当のことを言ってほしい。そうじゃなきゃ俺は自分が弱いことに、気付けないかもしれないからな」
「「勇者さま……」」
魔王とフィナンジェの声が重なる。
「分かりました、今後ははっきりと言わせていただきますね。勇者さまはとても弱い、と」
「私も、勇者さまの為に心を魔王にして言いますね。勇者さまはすごく弱いって」
「うん……必要以上は言わなくていいし、お前の心はもともと魔王だよな?」
レオニスの予想通りの反応に、魔王とその紅髪の眷属は顔を合わせて笑う。だが今度はすぐに真面目な顔になったフィナンジェが話を先に進める。
「してエカレアさん、取り急ぎ勇者さまの鍛錬に割きたい時間はどの程度ですか?」
フィナンジェの含みのある言い方に、エカレアは少しムッとしながら答える。
「正直なところいくら時間があっても足りないだろうな」
「それは承知しております。ですが昼間説明したとおり、勇者さまには他にもやってもらわなければならないことがあります」
「それは私も分かっている。だが一朝一夕では強くなりようがないぞ」
「仲間を集める、か……」
話を聞きながら、レオニスは昼間の会議を思い出し一人そう呟いていた。
* * * * *
「それでは2つ目の案をお話しますね」
エカレアがレオニスの鍛錬を半ば強制的に任されたその後、フィナンジェは第二の案の説明に入った。
「2つ目は、勇者さまを強化する、その逆です」
「それはつまり……」
「魔王を弱体化するということか?」
言葉を止めたエカレアの後を引き継ぐようにレオニスが言うと、フィナンジェが笑顔を返してくる。どうやら正解ということらしかった。
「待てフィナンジェ、魔王さまが弱体化する、ということは私たち魔族は……」
不安げな表情のエカレアに応じるフィナンジェは、いたってクールだった。
「ええ、勿論一緒に弱体化するでしょうね、私たちも」
「そうなのか?」
一人話に付いていけないレオニスは、知識の溝を埋めるべく質問する。
「はい。魔王さまの魔力は全魔族の大元なのです。木に例えると分かりやすいでしょうか。魔王さまは木の幹で、私たちその眷属はただの枝葉にすぎません。ですので、幹たる魔王さまが枯れれば、当然葉は落ち枝は朽ちます。魔王さまの長大な魔力を魔族間で共有しているとも言えますね」
なるほど、とレオニスは頷く。
「だから魔族は、魔王が現れると同時に人族を攻めるのか」
「そう、です。ごめんなさい、勇者さま」
自分の存在が敬愛するレオニスに迷惑では済まないレベルの被害を与えているという事実に耐えかね、魔王は謝罪を口にした。
「あ、いや、こちらこそすまない。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。無神経だった」
「そんなことはありません。勇者さまにとってきっと大切なものが奪われてしまったんだということは、この魔王にもなんとなく分かります。だってそうじゃなければ、一人でこの城に乗り込んでこられるわけがありませんから」
それは、その通りだった。
もし魔王降臨のあの日の襲撃でレオニスの村が襲われなかったなら、レオニスは魔王討伐を志すことはなかっただろう。被害を伝え聞くことはあったかもしれないが、それは所詮他人事だ。
冷たいようだが、知らない人がどこかで辛い目にあったとして、その話をどこかで聞いたとしたって、それは自分で見ていない以上、どうしても実感はしづらい。空想の域を出ない。
だから、物語の出来事に同情することはあっても本気で憤慨する人が居ないように、伝聞でその惨状をきこうとも、レオニスはのうのうと村で暮らしていただろう。
そもそもレオニスが魔王を倒す決意をしたのは、全ての人族の為ではない。
あくまで自分の為、ある人との約束を守るためにレオニスはここまで来たのだ。
「少し気になることがあったんだが、聞いてもいいか?」
「はい、何なりと聞いてください」
魔王らしくなく魔王が応じる。
「今はもうそう思ってないが、俺は最初は、魔王が命じて魔族に人族を襲わせたのだと思っていた。でも、違うんだよな? 魔王が現れたあの日、魔族が人族の生活圏を襲ったのは、魔王の意思とは無関係だった」
「それは、そうです。ですが、やはり私のせいでもあるのです」
「どういうことだ?」
「だって私は、魔王ですから。本当なら私が統率しなければならないんです、全ての魔族を。でもあの日の私は、まだ何も分かっていなかった」
「それは仕方のないことです、魔王さま」
表情に自責の念を浮かべる魔王を見ていられなかったのか、フィナンジェが口を出す。
「私たち魔族は、『魔王さまは人族の滅亡を望むもの』と思い込んでいたのです。事実、今の魔王さまより前の、歴代の魔王さま方はみな、人族を目の敵にしておりましたから」
フィナンジェの話を、エカレアが補足する。
「だから魔王さまが降臨したあの日、魔族は我先にと功を競った。その中にもいろいろな思惑があっただろう。魔王さまに認めてもらいたい、名誉がほしい、久しぶりに力を手にしたのだから暴れたい、とかな」
「勇者さま、一応事実として言っておきますが、私もエカレアさんも、“あの日”は城で待機していましたので、人族を襲ったりはしていません」
「それは、何故だ?」
疑ってるわけではない。レオニスはもう目の前に居る三人の魔族のことは信頼し始めているのだ。
ただ単純に、その理由を知りたかった。そしてそんなレオニスの意図をフィナンジェも理解して、素直に答える。
「私は今の魔王さまを含め三代に渡り側近を務めさせていただいております。なので私は基本的にはこの城を離れることはありません。“あの日”魔王さまが降臨なされた時も、この玉座の間にて魔王さまをお迎えいたしました」
「そして降臨なされた魔王さまにその時の現状を告げ、魔王さまの命を受けてすべての魔族に人族攻めをやめるように通達したのもフィナンジェだ。私もそれを城で聞いていた」
エカレアの話に、レオニスは5年前に意識を飛ばす。すると断片的な、忘れられないあの記憶が、すぐに脳裏に張り付いた。
「そうか、だからあの時魔族は急に去ったのか……」
そうあの日、魔族の勢いは凄まじいものがあった。
レオニスの村は瞬く間に半壊状態になり、そしてレオニスは母親と幼馴染みのユリアと一緒に、魔族によって路地に追い詰められた。
そして――――。
記憶が少し飛ぶ。
あと少しで獣のような魔族の牙が、レオニスの身体に突き立てられそうだったその時、ピタリと魔族は動きを止め、そして今までの暴動が嘘だったかのように、魔族は一人残らず去って行ったのだった。
「エカレアは、何故城に居たんだ? 騎士団だろう?」
「間抜けなことを聞くんじゃない。騎士団だからだ。魔王さま直属の騎士団が、魔王さまの命なく動けるわけがないだろう」
「ああ、それもそうか、すまない」
「と、エカレアさんは言いますが、仮に騎士団に所属していなくてもエカレアさんは城に居たと思いますよ。エカレアさんは弱いものいじめが嫌いですから」
「フィナンジェ、余計なことを言うんじゃない。そんなもしもの話をしたって仕方がないだろう」
そうですね、と言いながらフィナンジェは笑みを浮かべる。
「分かったか、そういうことだ。別に魔王さまが悪いわけではない。それぞれの魔族が勝手に考え勝手に行動に移したことだ」
その言葉で、エカレアは説明を締めくくる。
レオニスは何かを考えながら何度も頷いた後で、
「知りたいことが知れてよかった。ありがとう」
と、爽やかに言った。
「ああっと、それで、魔王を弱体化するという話だったよな? だいぶ話が逸れてしまった、すまない」
「いえ、必要な話かと思いますので。そうですね、魔王さまの弱体化です。単純な話ですが、勇者さまが魔王さまを倒す為には、今の戦力差を逆転させる必要があります。そこで勇者さまの強化と同時に、魔王さまの弱体化も行っていこうと思っています」
「魔王さまが逝去なされればどのみち私たちの力は失われる、そう考えれば遅いか早いかの話か……。それで、その方法は?」
覚悟を決めた面持ちで聞くエカレアに、フィナンジェが答える
「これは私と魔王さまの二人で取り組んでいこうと思っています。差し当たり、魔王さまのお身体に刻まれた刻印を解除してみようかと」
「刻印の解除、か。まあ妥当なところだとは思うが、魔王さまのルーンは特別なものなのではなかったか?」
そう問われ、フィナンジェは神妙に頷く。
「そう、そうなんです。ですからそれこそ一朝一夕にはいかないと思いますので、根気強くやってみようかと思っています。あっと、勇者さまは刻印については?」
気の利く魔族であるフィナンジェが、レオニスに尋ねられるより先に確認をする、と、案の定。
「まったく分からん」
「そうですよね、説明いたします。刻印というのは、魔族が魔術を発動する際に必要不可欠な媒体の一つで、中でももっとも簡単なものです。ですので自ずと威力は他に比べて落ちますが、発動自体はほとんど動作なく発動できるので、魔族にとっては便利なものですね」
「へー」
そんなものをがあることを当然レオニスは知らないし、人族の中で初めてその知識を得たのがレオニスであるのだが、そんな人族の歴史を塗り替えている当の本人はそのすごさを理解しておらず、感覚的には世間話をしているのと大差なかった。
「ですが基本的に魔族の身体に刻める刻印は3つまでです。これは肉体的な限界になります。刻印というのは便利な反面、魔族の身体に負担が掛かるのです。ですから3つ以上を身体に刻もうとすると魔力の流れを制御できなくなり、その魔族は魔力に食われて死にます」
「魔力に、食われる?」
「ええ。これは決して比喩的な表現ではありません。刻まれたすべての刻印から魔力が溢れだし暴走し、その身体の主を魔力が覆って溶かしてしまうのです」
言われた光景を想像して、レオニスは少し身震いをした。
「恐ろしい話だな……」
「まあそれは普通の魔族なら知っている話なので今更試そうとする愚か者は居ないとは思いますが」
そう言って笑みを浮かべるフィナンジェ。
それでもその話が伝わっている以上、最初の犠牲者が居たのだろうと思うと、レオニスはとても一緒に笑えそうにはなかった。
「そして、魔王さまのお身体には10の刻印が刻まれている」
エカレアが唐突に言ったその言葉に、レオニスは驚愕した。
「え、それは、大丈夫なのか!?」
今の話を聞いた手前、決して大丈夫とは思えなかった。
「よかったですね、魔王さま。勇者さまが心配してくれてますよ?」
「ああもう、こっそり喜びを噛みしめてたのに、フィナはなんで言っちゃうかな……」
「うふふ、失言でしたか。すみません♪」
そこに居る誰もが、『絶対わざとだろ……』と思った。
照れを隠すように、魔王が説明役を取って代わる。
「勇者さま、私の身体には確かに10の刻印が刻まれています。でもこれは生まれたその時からのもので、これこそが魔王の証でもあるんです」
「生まれながらの、魔王の証?」
「はい、通常刻印というのは魔族自らが任意で魔術を選択し刻むのですが、魔王に至ってはその方式は適用されません。この魔王の身体には、生まれつき10の刻印が刻まれており、そして生まれ落ちたその瞬間から、私の中の魔力が自動的に刻印に流れ込み魔術が常に発動されているのです」
「常に? ということは今も?」
レオニスの新たな疑問に答えたのはフィナンジェだった。
「はい、10の刻印による10の魔術が、魔王さまのお身体では発動しております。勇者さまは、先日魔王さまに触れようとした際に吹き飛ばされたことを覚えておりますか?」
「ああ、鮮明に覚えている」
苦い記憶を頭に浮かべながらレオニスは答えた。
「あの時に働いた反発の力、あれが魔王さまに刻まれし刻印による魔術の一つ、《ローゼンイージス》というものです。あれは魔王さまのお身体の周囲に高密度の魔力の膜を生み出し、魔力耐性のない者が触れた際に弾き飛ばす、という魔術です」
「そうか……いや、あれが魔王の意思ではなくて安心した」
「私の意思なわけがありません!」
不本意だと言わんばかりに魔王が叫び、それにレオニスが苦笑していると。
「貴様、安心している場合か」
エカレアから放たれた矢のような言葉がレオニスに突き刺さった。
「貴様は下手をすればその時に死んでいたのかもしれないのだぞ。笑っている場合ではないだろう」
怒気さえもはらんだエカレアの視線を、レオニスはまっすぐに受け止め、そして頷いた。
「その通りだ。すまない」
「エカレア、ちょっと言い過ぎだよ」
魔王はレオニスを気遣って庇おうとするが、エカレアがそれに応える前にレオニスは自ら魔王を制するべく言葉を放つ。
「いいんだ、エカレアの言う通り俺はもっと事を重く捉える必要があるようだ」
「勇者さま……」
「魔王さま、お言葉ですが甘やかしてはこの男はいつまでたっても強くなることはありません」
「それは、そうかもしれないけど」
いくら敬愛する魔王であろうとも、間違っていることは間違っている、そう言える強さをエカレアは持っていた。
悪くなった空気を払うように、状況を静観していたフィナンジェがコホンと咳払いをする。
「それでですね、魔王さまのその刻印を解除していけば単純に魔王さまは弱体化します。《ローゼンイージス》を解除出来れば、勇者さまでも魔王さまに触れられるようになるわけですし」
「そうだね! それは是非とも最速で解除したい!」
俄然テンションの上がる魔王にレオニスが首を傾げていると、エカレアがやれやれといった様子で首を振っていた。
「貴様、本当に鈍感なのだな……」
「エカレア、いいの。そこが勇者さまのいいところなんだから」
恋は盲目とはよく言ったものだ、などと思いながら、エカレアは。
「そうですか。そうですね」
と分かりやすく適当に相槌を打ってフィナンジェに話を進めるよう視線を送る。
「まあ解除の仕方などここで説明しても仕方ないですし、それを行っていくということだけ頭に入れておいてもらえれば大丈夫です。そしてようやく最後、3つ目の案をお話ししますが、これは完全に勇者さまにお任せする案件になります」
それを聞いたレオニスの目に少し力が入ったのをフィナンジェは見逃さなかった。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。難しい話ではありません。難しいことではあるかもしれませんが。勇者さまには、仲間を集めていただきたいのです」
そう言ったフィナンジェはウインクを華麗に決めていた。
* * * * *
そして意識は夜のレオニスに舞い戻る。
仲間を探す。それはフィナンジェが言った通り難しいことだとレオニスは思っていた。
そもそもレオニスが一人でこの魔王城まで来たのは、ほかに同志が居なかったからだ。
この世界で今魔王を倒そうと思っている人族はレオニス以外に居ない。
5年前に魔王に荒らされた土地の中には未だに復興中のところもあるし、自衛組織を作るのが関の山で、攻勢に打って出ようというものは庶民の中には居ない。
本来であれば国王の所有する騎士団こそが魔王討伐の陣を敷くべきなのだが、それも5年前に壊滅して今まさに再編を急いでいるところで、とても魔族と戦争を行えるほどの力量はない。
だから一人で魔王を倒そうとしているレオニスを支持するものは人族内にも恐らく居ないだろうとレオニスは思っている。
幼馴染みのユリアなどはレオニスの内情を知っているから応援してくれているが、村人の中にはむしろ無謀な挑戦をしようとするレオニスをよく思っていない者も居るのだ。
どうせ無駄死にするだけだ、余計なことをするな、魔族の怒りを買ってまたこの村が襲われたらどうするんだ。これらは実際にレオニスが言われた経験のある言葉だった。
「勇者さま、一緒に戦ってくれそうな人族の方に心当たりはありますか?」
急に声を掛けられハッとすると、フィナンジェが心配そうな表情で見ていたことに気付いた。
だが残念なことにレオニスはその心配を払拭出来る返答を持ち合わせていない。
「いや、正直まったく当てはないが、考えてみる」
「よろしくお願いします。過去の勇者はみな騎士団の者でした。となれば周囲には必ず仲間が居たものと思います。そうでなくても、単純に戦力の差を人数で補うというのは戦略的に王道だと思いますので」
「分かった。しかし当面は、俺自身を強化するという方針で構わないか?」
「ええ、それは構いません――――」
「いや、貴様の強化も仲間を増やすことも同時に行うぞ」
許諾しかけたフィナンジェの言葉を遮って、エカレアが告げた。
「え? そんなこと出来るのか?」
「出来るかどうかじゃない、やるんだ」
圧力。
それははっきりとした意思を感じさせる声だった。
「しかしエカレアさん、訓練は闘技場で行うのではないですか?」
フィナンジェの当然の疑問に、エカレアは首を横に振る。
「いや、しばらく実戦訓練はしない。というか、次に実戦訓練を行う時はこの男が私を倒せるようになった時だ」
「え? え? それってどういうこと?」
困惑する魔王が、キョロキョロと全員のことを見まわしながらレオニスの言いたいことを自然に代弁する。
その答えを示すべく、エカレアはその空色の髪を翻してレオニスに顔を向けた。
レオニスとエカレアの視線がぶつかる。どちらの目にもその内心は映らない。
「貴様は単純な力で私たち魔族に勝つのは不可能だ。今日の訓練でそれがはっきりした」
「それを承知で、俺は俺を鍛えて欲しいと言っているんだ」
「そんなことは分かっている。しかしこれもはっきり言うが、貴様の身体は人族の中では恐らく最も強靭だ。つまり、これ以上はほとんど伸びしろがない。その上剣術の腕も悪くない。きっと純粋な剣の腕では私とさほども変わらないだろう」
「しかし、俺は全然お前に及ばなかった」
「そうだな。それは私には魔術もあるのだから、当然と言えば当然だ。これで負けては私が騎士団に居られなくなる」
「なら、俺はどうすればいいんだ」
その声は、切実な響きを持っていた。
「だからお前は、人族の領域に戻り、仲間を探せ。それをしながら身体を鍛え続け、そしてもう一つ、何よりも今のお前に欠けているものを手に入れろ」
「俺に、欠けているもの……それは?」
「自分で考えろ、と言いたいところだが、餞別に教えてやる。それは、戦略だ」
戦略。
作戦。
勝つ為の、あらゆる手段を構築する力。
「戦略、か」
「これから先、お前は私に勝つ手段を考え続けろ。明らかに力量で劣る相手に勝つ為に、あらゆる手段を講じろ。戦略はすべての戦いを凌駕し得る。だから、絶対に私に勝てる戦略を思いついたら、その時こそ私に挑むがいい。人族の武器は、いつの時代でも知恵なのだからな」
まっすぐに澄んだ瞳に見つめられ、レオニスは頷いた。
それ以上をここで論じるつもりはない。
考えることは大事だ。でも行動することは、もっと大事だ。
「フィナンジェ、村まで送ってもらえるか」
明らかに目つきの変わったレオニスに驚きながら、フィナンジェは慌てて首肯する。
「え、ええ、構いませんが、すぐにですか?」
「いや、その前に魔王と二人で話がしたい。終わったら行くから、部屋の外で待っててくれるか?」
「御意です」
恭しくフィナンジェが頭を垂れると、今度はエカレアに視線を向ける。
「エカレア」
「なんだ」
「次に会ったときは必ずお前を倒す。覚悟していてくれ」
「ふん、楽しみにしておこう」
それだけを返し具足をを履くと、エカレアはフィナンジェと共に玉座の間を出て行った。
「魔王」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
憧れの人と二人きりという初めての状況に、魔王の身体は無意識に強張っていた。
そう、今までは必ず最低でもフィナンジェが居て、三人で会話をすることがほとんどだったのだ。それをこんな急に二人きりにされては、心の準備など出来るわけもない。
もふもふの白絨毯の上に置かれた両足もぷるぷると震え、両手も居場所をなくしたように胸の前に組まれて浮いていた。
そんな魔王を見て、昔住んでた家の近所に飼われていた子犬に似ているな、と思いレオニスは苦笑する。
「そんなに固くならなくてもいい」
「む、むむむ、無理です!」
「君は、本当に俺のことが好きなんだな」
「な、なな、何を急に言うのです!?」
「いや、すまん、不器用なんだ。気持ちを確かめたかっただけだったんだが」
普通に会話するレオニスに、魔王は少し悔しくなった。
自分ばかりがレオニスのことを好きで好きでしょうがなくて、きっとこの人は私のことなど何とも思っていない。ただの仇敵としか思っていない。けどそれでも、それでも自分が好きなことは変わらないし、変えることも出来ないだろう。
恋とは厄介だなと、思う。
でもそれを知れたことが、何よりも魔王は嬉しかった。
「一つ、聞いてもいいか?」
「な、なんですか?」
「魔王はなんで、人族を滅ぼそうと思わなかったんだ? 今までの魔王のように」
「なんでって、だって理由がないじゃないですか。人族と争う理由が」
「理由ならあるだろ。これまで人族は魔王を葬ってきたんだ、その復讐とか、考えなかったのか?」
「見ず知らずの魔王の為に怒り狂うほど、私はお人好しではありません。というかですね、私は歴代の魔王とやらが好きじゃないんです」
「それは、何故?」
「だって意味分からないじゃないですか。人族が魔族を恨む気持ちは分かります。大切な人が奪われれば、それはその原因を憎みますよね。でも魔王は、何の意味もなく魔族に人族を襲わせていたんです。魔族に血の繋がりはない。親子も兄弟も居ません。だから前の魔王が倒されたってそれが人族を恨む理由にはならないんです。だからこれまでの魔王はただ本能で、人族を嫌っていたんですよ。それってすっごく、頭悪くないですか? そんなことしてないで、人族と仲良くなれる方法を探せばよかったのに」
「ふっ! はははははは!」
突然笑い出したレオニスに、アールメリアはきょとんとする。
「え、な、なんですか!?」
「いやすまん、アールメリアの答えが、あまりにも魔王らしくなくておかしくなってしまった」
「むー、酷いです」
頬を膨らませる魔王少女は、可愛らしさしかない。
「でも、これでようやく心が決まったよ」
「そう、ですか」
それが何のことかアールメリアには分からなかったが、しかしそれでもいいと思った。
大好きな人がこうして笑ってくれて、同じ時間を過ごして、そして。
「名前……」
「え?」
頬を朱に染め、上目づかいに見てくる魔王にレオニスは不覚にもドキッとしてしまった。
「初めて名前、呼んでくれましたね」
言われて初めて、レオニスはアールメリアを名前で呼んだことに気付いた。
「あ、すまん、無意識で。馴れ馴れしかったな」
「いえいえ、滅相もないです! もっと呼んでください。私ずっとそう呼ばれたかったんです」
「そうか。じゃあアールメリア、君も俺をレオニスと呼んでくれないか?」
「え、しかし……」
「俺もそう呼んでほしい」
「いいんですか? じゃあ、レオニスさま……」
「呼び捨てでいい」
「う、うう、は、恥ずかしくて死んでしまいそうです! けど……謹んで、呼ばせていただきますね」
頷き、その音を待つ。
「れ、レオニス?」
「ああ、アールメリア」
「うううううぅぅぅぅぅっ! レオニス……レオニス、レオニス、レオニスレオニス!」
「お、おう、なんだアールメリア?」
「好きです、レオニス」
まっずぐな言葉と視線を、レオニスは心の内側にそっと保存した。
「ありがとう」
それだけを言って、レオニスは部屋から去った。
アールメリアも、何故だか呼び止める気はほんのひとかけらも起きなかった。




