7.飼い猫
扉を開けたレオニスを待っていたのは、やはり黒と赤と金を基調にした程よく広い一室だった。
「今後はここを自由に使ってもらって構いません。今日からここが勇者さまのお部屋ですよ♪」
どこか楽しそうな様子を隠そうともせずに、フィナンジェはレオニスを魔王の居た玉座の間から徒歩3分のこの一室へと案内した。
無数にある未使用の客室の一つらしく、その中でも玉座の間に最も近い部屋なのだと説明され、レオニスは。
「別に、そこまで近くじゃなくとも俺は構わないのだが……」
「何をおっしゃいますか勇者さま! 今後は魔王さまの玉座の間が『魔王討伐対策室』になるのですから、交通の便は良い方がいいでしょう?」
魔王の部屋が魔王討伐対策室とは、何とも言えない微妙な話だ。
笑っていいのか悪いのか。
「まあ確かにそうかもしれないが……魔王は本当にそれでいいのだろうか」
「もう、勇者さまは乙女心をもうちょっと分かってください。魔王さまとて、生半可な気持ちで勇者さまの手で逝きたいと言っているわけではありませんよ?」
「それは、そうなのだろうが……」
「それに、私やエカレアさんのような家臣だって、複雑なんですよ。本当は魔王さまにこの世を去ってなんてほしくないんですから。それでもそれが敬愛する魔王さまの望みであればと、心を殺して付き従っているのです」
「そう……そうだな。すまない。そもそもは俺が一人でやり始めたことだというのに、この期に及んで尻込みしたようなことを言うのは失礼ですらある。もう覚悟は決めた。俺は為さなければならないことのために手段は選ばん。後で誰に糾弾されようとも、信念を貫くことにする」
「うん、カッコいいです♪ やはり男の子はそうでなくては、ですね」
「男の子、はやめてくれないか……。もうそんな歳じゃない」
「ふふ、いえいえ、勇者さまなど私たち魔族からすれば永遠の少年ですよ。悪戯したくなってしまいます♪」
そういって唇をペロリとなめるフィナンジェの姿が妖艶すぎて、レオニスの心臓の鼓動が速まる。
それに気付かれないように目を部屋の中へと逸らした。
「少し休ませてもらう、ここまで案内助かった」
ここでフィナンジェと長話をするのは危険と判断し、早々に話を切り上げることにした。
「あ、はい。一応勇者さまに専属でお世話係も用意しましたので、何かお困りでしたらその子にお申し付けくださいね」
「ああ、分かった。ありがとうフィナンジェ」
「勿体なきお言葉です」
フィナンジェが一礼して去っていく。
部屋に入り久しぶりに一息つく。
前回この城に来て、ユリアと同居する家で目を覚まし、そして魔王城でまた目を覚まし。
正直息をつく暇もなかった。
装備している甲冑を外し、上下に分かれた麻の着物をすべて脱いで下着姿になると、少し横になろうと寝台に向かう。
ゆっくりと腰を下ろすと、城という場所に相応しい上質な柔らかさがレオニスを迎えた。
そのままの勢いで毛布を捲り身体を滑り込ませたその瞬間、レオニスは違和感を感じた。
その直後。
「ひぅっ」
なにやらか細い悲鳴が聞こえ、レオニスは寝台から飛び降りた。
改めて寝台に向き直ると、そこには。
足を崩してペタンと座る少女が、眠そうに目を擦っていた。
「な、なんだお前は!?」
そう問いかけつつレオニスは観察を欠かさない。
緩く波打った肩口くらいに切り揃えられた灰色の髪と、そこから生えた猫耳、そして機動力重視なのか布地が少ない衣服を着ている。多少つつましやかながらも張りのありそうな胸をだけを覆うチューブトップに、スカート丈も膝上で危うく下着が見えてしまいそうなほどで、視覚情報だけならフィナンジェよりも扇情的だ。上下とも黒い布地がベースでフリルが付いているところを見ると、メイド服の類なのかもしれない。
そして最後に彼女のお尻から生えた髪と同じ色の尻尾を発見した。
「ひぅ……えーと、あー、あなた様がレオニス様ですねー。おはよーございますー」
「お、おはよう」
警戒するレオニスに対して一切緊張感のない気の抜けた雰囲気を漂わせながら、少女は一礼。
レオニスは真面目なので、そんな場合でないと分かっていても、挨拶をされたら返さずにはいられないのだった。
「えーと……リーゼは、今日よりレオニスさまの身の回りのお世話をさせていただきます、リーゼと申しますー。レオニスさまにとって飼い猫のような存在になれるようがんばりますので、可愛がってくれたらうれしいですー。以後よろしくですー」
やたらと言葉尻が伸びるのが気になったレオニスだが、それよりももっと気になることがあった。
「確かにフィナンジェがお世話係が居ると言っていたが、飼い猫か……。ま、まあよろしく頼む。というかお前は、魔族……でいいのか?」
彼女の頭とお尻とを交互に見ながら、レオニスは未だに気だるげな猫娘に聞いた。
「あ、はい、一応。獣魔人族といって、魔人族の亜種になりますねー。まあ括ってしまえば魔族ですー」
「そうか……魔王城だしな、当然と言えば当然か。まあそれはいいとして、しかしなぜ、お前はそこで寝ているんだ?」
魔王城の規則云々(うんぬん)はレオニスの与り知るところではないが、しかし客室で使用人が睡眠を取っているというのは、常識的におかしい。少し一般人の感覚に疎いところのあるレオニスでも、それくらいのことは知っていた。
「えーと、説明しなきゃですかー? レオニスさまほどの慧眼でしたらー、もう分かっているのではー?」
初対面レオニスを慧眼と称する適当さに、さすがのレオニスを毒気を抜かれた。というか呆れて溜め息をついた。
「サボっていたのか?」
「嫌ですね、違いますよー。リーゼははこれでもメイド長ですからー、サボったりしませんよー。レオニスさまが急遽このお部屋を使われるというので、寝台が冷えていてはいけないと思いまして、温めておりましたー」
「な、なんだそういうことか、それは疑って悪かった」
自分の為にしてくれたリーゼを疑ってしまったことに罪悪感を覚え素直に謝罪するレオニスに、何故かリーゼの表情が悲しいものに変わる。
「ど、どうした?」
「レオニスさま、申し訳ないですー。リーゼは嘘をつきましたー。本当は大急ぎで掃除をしていて、疲れて眠ってしまったんですー。すみませんー」
ここに来てようやく、猫耳メイドは素直に頭を垂れた。
「そ、そうなのか。しかしなんで本当のことを言ったんだ? 自分で言うのもなんだが、言わなければ俺は多分気付かなかったと思うぞ?」
「いえー、だからですー。レオニスさまがあまりにも素直に受け取ってくださるので罪悪感に苛まれてしまいましたー」
申し訳なさからか未だにしゅんとしている猫娘が、レオニスはどこか可愛らしく思えた。そのせいか、この少女を責める気は微塵も起きない。
「そうか。だが、気にしなくていい。どちらにせよ俺の為にしてくれたことの結果だろう? ありがとう、リーゼ」
「リーゼは嘘をついたのに、それを責めはしないのですかー?」
「嘘なんてつかない人間はいないさ。それにリーゼはすぐに謝ったんだから、正直だと俺は思うぞ」
「ひぅ、レオニスさま……。リーゼは決めましたー。リーゼは誠心誠意、レオニスさまに仕えさせていただきますー。レオニスさまの為でしたら、どんなことでも致しますのでー、遠慮なくお申し付けくださいねー」
「あ、ああ、よろしく」
そう言いながら、リーゼの視線が熱っぽく感じ、レオニスはなんとなく視線を逸らしてしまう。
「あ、それよりもレオニス様、もしかしてお休みしようと思ってたのですかー? そうだったら重ねて申し訳ないですー」
「いや、まあ大丈夫だ。実際寝台は温まっているだろうし、それに酷く疲れているわけではないからな」
「んー?」
レオニスの言葉に急に唸り始めたリーゼは、まじまじとレオニスの肢体を眺め始めた。
自分の身体を見られることに慣れていないレオニスは、少しドギマギとする。
「な、なんだ、どうした?」
「レオニス様、嘘はダメですー。そのお身体、非常に疲労を溜め込んでいますよー? んしょっと」
リーゼは寝台から降りると、掃除をしていた割にはすごく綺麗な手で、レオニスを寝台に促した。
「横になってくださいませー。私が気持ちよーく、してあげますからー」
「えっ!?」
レオニスは分かりやすく動揺した。しかしそんなことは関係ないと言わんばかりに、立ちすくんでいるレオニスの腕を引き、半ば強制的に寝台へと導いた。
「はい、仰向けで大丈夫ですからねー。あとはリーゼにに任せてくださいましー。ご主人様を癒すのがペットの務めですー。では、少し上に乗らせていただきますー」
そう言ってすぐに、下着姿のレオニスの腰に、股がるように乗る。
レオニスの心臓はバクバク脈打ち、正直余計に疲れそうだと思った。
「身体の力を抜いてくださいねー」
「そう言われても……リーゼ、お前は恥ずかしくないのか?」
「えーと、男性の身体を見ることですかー? こういう仕事をしていますからー、恥ずかしいとかはないですー。慣れてしまいましたー。エカレア様とかでしたら、照れ屋さんなので目を背けてしまいそうですがー」
慣れた、ということは最初はやはり恥ずかしかったのだろうと憶測を立て、レオニスは少しだけ安心した。
自分だけが特別恥ずかしがりなわけではないのだ。エカレアもそうだと言うし。
「それじゃー、始めますよー。動かないでくださいましねー」
上に乗る猫耳メイドが唇を舐める姿を見て、レオニスは大人になる覚悟を決めたのだった。
* * *
覚悟していたがチキンでもあるレオニスは自然に両の目を閉じていた。
そうして視覚を封じると他の感覚が鋭敏になり、リーゼの呼吸と体温とが、レオニスの疲れた脳に興奮を呼び覚ましていく。
完全に受け身状態になっているレオニスが次に感じたのは甘い香りだった。
糖度の高い果実のような、甘くて優しいそんな匂いに、レオニスは確かな安らぎを覚えたが、それも束の間。
顔にくすぐったさと、首筋に濡れた感覚を覚えてふと固く瞑っていた目を開くと、すぐ近くにリーゼの頭があって、灰色の髪がレオニスの顔に降り注いでいて、くすぐったさの正体はそれだと分かる。
それと同時に首筋の感覚も、レオニスは察した。
リーゼの舌が、ゆっくりとそこを這っていた。
レオニスからその様子は見えないが、ピチャッという音と、潤いの中にあるリーゼの体温が、それを伝えていた。
「汚いぞ」
本当にそう思い、レオニスはそれだけを言った。
すると、リーゼは少しだけ頭を上げるとレオニスの耳元でくすっと笑った。
「大丈夫ですよー、むしろ汚いと思われるかと思ったので、可笑しくなっちゃいましたー。あのー、一応困惑されてもどうかなーと思うので、今からすることを説明しますねー。別にエッチなことをするわけじゃないですからねー?」
「えっ、違うのか?」
完全にそっちの方向に頭が進んでいたレオニスは素で驚いてしまった。
「あー、やっぱり期待してましたー? レオニスさまって結構、いやらしいんですねー」
「ち、違う期待してたわけじゃない! ただお前の服装とかがだな……」
「そういう目で見てましたかー。いや別にいいんですけどねー。実際レオニスさまが望むのでしたら、お世話係としてそちらのお世話も謹んでさせていただきますがー?」
耳元で響くそれは、とても魅惑的な誘いだった。
5年前から今日まで、魔王を倒すことだけを考えてきたレオニスには色恋に手を出している暇などなかったし、それ故に性欲なども感じたことはなかった。
ところが魔王城に辿り着き通うようになってから、レオニスの眠っていた男性的な本能が目覚め始めてしまった。
その原因は一つとは言えない。魔王・アールメリアの純粋な恋心を浴びてなのか、フィナンジェの苛烈なスキンシップの賜物なのか。
あるいはその両方かもしれなかったが、しかしその両者もまさか知らないところで敬愛する勇者さまが一線を越えそうになっているとは思いもよらない。
レオニスの身体はリーゼの誘いに正直に反応してしまう。だが心はまだ抵抗を試みていた。
「い、いや……俺は、その……」
そんなことをしに魔王城に来たわけではないと、そう言いたかった。
「遠慮なさらなくてもいいんですよー? レオニスさまでしたらリーゼは喜んで、この身をお捧げしますー」
本当に嬉しそうな顔で、リーゼは自身の身体を撫でる。それはまるで細く綺麗な身体を見せつけられているようにレオニスは感じ、生唾を呑んだ。
この灰色猫娘の性に対する明朗快活さが、性に疎いレオニスの判断を鈍らせている。
それを意図しているわけではなく天然で発言しているところが、リーゼという少女の恐ろしいところだった。
自分の意思で目の前の可愛い女の子を自由に出来るという状況は、レオニスに限らず男であれば息を呑んでしまうだろう。
「まあ、ゆっくり考えてくださいましー。とりあえず施術を始めさせていただきますのでー」
「施術?」
そこに疑問を抱いたことで、レオニスはどうにか一時的に性的本能から解放された。
「あ、はいー、私も魔族の端くれなので一応魔術が使えるのですがー、その中でも得意なのが癒しの魔術なんですー」
「癒しっていうと、治癒の魔術か?」
そう聞きながらレオニスは先ほどエカレアに治療してもらったことを脳裏に思い浮かべていた。
「大きく括れば系統は同じですねー。しかし私が得意なのは傷を治すよりもは身体の疲労を回復する方ですー。なので、今のレオニスさまには私が必要なのですよー?」
レオニスの目を見つめながら得意げに言うリーゼに、レオニスは気恥ずかしさを思い出し目を逸らす。
「へ、へー。魔術にもいろいろあるんだな……」
「はい、めちゃいろいろですねー。術式の組み合わせ次第では起こせない現象はないとも、文献には書かれておりましたよー」
「へぇ、魔族も書物を読むのか?」
「むー、バカにしておりますかー?」
可愛く頬を膨らませて言うリーゼを見てようやく、レオニスは自分が失言したことに気付く。
「あ、ああすまない……そういうつもりじゃなかったんだが」
「ふふ、やはり素直ですねー。いえー、実はそんなに怒ってませんよー。リーゼも人族のことは分からないことばかりですしー。というか人族に会うこと自体レオニスさまが初めてですからねー」
そのリーゼの発言はレオニスにとって意外なものだった。
魔族は長命であるというのは有名な話で、だからこのリーゼという少女も自分よりずっと長く生きて、その中でいろいろなことを経験してきたのだろうと、漠然とではあるが勝手に思っていたのだ。
「確かにリーゼはレオニスさまよりずっと長く生きておりますがー、それでも長い歴史があれども、魔王さまのこの居城で人族がもてなされたというようなことは、なかったと思われますよー。少なくともリーゼは文献でも読んだことありませんねー」
リーゼの言ったことが本当なら、自分は今すごいことをしているのでは、とレオニスは今更に気付いた。
勇者と魔王とは通常相反する存在で、だからこそこれまでの魔王は人族の敵として討たれてきたわけで。
そこまで考えて、レオニスは思い至ってはいけないことに、思い至ってしまった。
いや、客観的に物事を判ずるならそれは考えなければいけないことだが、レオニスが人族側の立場で魔王を討とうとするならば、それに気付くべきではなかった。
「ひぅ、どうしましたレオニスさまー、お顔の色が優れませんねー」
「いや……大丈夫だ、なんでもない……」
「うーん、分かりましたー。レオニスさまがそう言うのでしたら、そういうことにしておきますー」
「ああ、ありがとう……」
「いえいえー。それでは、施術をしますのでー、お身体をくまなく舐めさせていただきますねー」
そう言ってリーゼは本当にレオニスの身体をゆっくりと時間を掛けて、まるで動物が毛づくろいをするように舐め始めた。その舌先からレオニスに魔力が注がれ、内側に蓄積された疲労が溶かされていくのを感じながら、レオニスはずっと思考を巡らせていた。
客観的にいやらしく見えることをされていたことに気付いてレオニスが顔を真っ赤にするのは、リーゼの施術がすべて滞りなく終わった、その後だった。




