63.魔王の力
結果的に言うと、元魔天七星将であり【要塞兵器】の異名を持つバーバロイは、いとも簡単に魔王によってその存在をレオニスの目の前から消した。
だがしかし、その光景はあまりに現実離れ過ぎていて、短時間の出来事にも関わらずレオニスの目にしっかりと焼き付いた。
「バーバロイ、あなたよくも私のレオニスに酷いことをしてくれたわね?」
まず最初に、アールメリアはそう言った。
「おやあ、これはこれは魔王。あなたがこのような場所に姿を現すとはねえ。嬉しいですよ、あなたが僕の相手をして下さるんですかあ? 僕を魔王軍から追放した、あなたが」
まだこの時は、バーバロイは余裕だった。楽しそうに笑っている。
バーバロイは美形だが、基本的に卑しい笑みを浮かべることが多いためそれが分かりづらい。とはいえ、そんなことを気にするのは本人も含め誰も居ないが。
魔族の性質として、外見をあまり気にしない、というのがあるのだが、それは恐らく魔族が一人も余すことなく整ったビジュアルを有しているが故だろう。それが当たり前だから、特に気になることではないのだ。だから整っていようが、魔族には居ないが仮に不細工であろうが、魔族の中に気にするものは居ない。
「ええ、相手をしてあげますよ。私が、私の思う存分に。あなたは痛めつけられるのが、好きですもんね?」
アールメリアの笑みも、レオニスに背を向けているのをいいことにバーバロイに負けず劣らずの恐ろしさだったが、それを正面で見ているバーバロイにとってはその目を向けられるのは快感でしかない。
バーバロイは、強い相手と戦いたい。
その為だけに存在していると言っても過言ではない。
そして、魔王はそのバーバロイの目的としては最終地点だ。
この世界で最強の魔王と戦えるなんて、仮にその身が滅びようとも、バーバロイの愉悦は止まらないだろう。
だが、ただで殺される気はもちろんない。バーバロイの目標は、あくまで強敵をめちゃくちゃに壊すことだ。
だから、返事をする代わりにバーバロイは右手に握っていた【水の剣】を振り上げようとして、気付く。
無い、剣が、手の中から消えている。
無意識に鞘に納めたのかと思い、腰に目を遣るとやはりそこにもない。どころか、鞘さえ消えている。腰に差したままだった【冥の剣】も【狂の剣】も、忽然と姿を消している。あり得ない。そう思いながら左手を見ると、【止の剣】もやはり消失していた。
「あはは! ねえ、もしかしてあれを探してるの?」
哄笑しながら上を指差す魔王。バーバロイは探し物を求めて上空を見る。
そこには確かに、バーバロイ愛用の四振り一揃いの魔剣【冥狂止水】が、少しずつ感覚をあけてその切っ先を地面に向けて宙に浮かんでいた。
手は届きそうになかったが、だがそれを気にする必要はなかった。
次の瞬間、意味も分からずに空を仰いで口を開いているバーバロイのその口に、魔剣達が殺到した。
バーバロイは突然のことに反応すら出来ず、その口内から斜めに貫かれ、背中の中ほどから四本の刃が飛び出している。バーバロイの口から出ているのは、魔剣の柄だけだった。
四本のそれぞれの刃の先から、バーバロイの血が滴り落ちる。
異常なまでの苦痛を感じるが、【止の剣】の効果でバーバロイは表情を歪めることも出来ないし、口は刃で塞がり声帯も完全に損壊しているので悲鳴すら上げられない。
ただただ、奇跡的に残っている神経が気絶しそうな程の痛覚をバーバロイの脳に伝達するだけだ。
首を上に向けているから吐血も出来ない。か細い息だけが、口の隙間から漏れ出ている。
「ねえ、どんな気分? 自分が人を斬ってきた剣で身体を貫かれるのは。気持ちいい? 前にあなたは言ってたわよね。『脆弱な人族は斬られることでこの世界から解放される。だから僕がしているのは救済なんです』とかなんとか。どう? 救いを感じる?」
凶悪な笑みが、バーバロイに向けられているが、しかしバーバロイはそれを見ることすら出来ない。
「まあせっかくだし、きっとあなたは何が起きているのかすら分かっていないでしょうから、説明してあげるね。どうして、魔剣があなたの元から消えたのか。正直、説明するほどのことじゃないけど。私は魔王だから、魔の王だから、“魔”の付くものなら何でも、私の手中にあるんだよ。つまり、私の思い通りになるの。“魔”剣の所在も、動作も。“魔”族である、あなたの意識もね。これだけ言えばもう分かったよね? あなたに意識させないように魔剣を抜き取るなんて、私には呼吸するよりも簡単てこと」
バーバロイは何も出来ない身体で、五感と思考だけは絶望的に鮮明だった。
ここに来てようやく、自分が絶望的な状況に立たせられていることを悟った。
過去一度も感じたことのない恐怖を、バーバロイは今感じている。
しかし、恐怖はまだ、始まったばかりだった。
「さーて、せっかくだし、【止の剣】だけじゃなくて他の魔剣も、試してみたいでしょう? あなたがそうしてきたように、あなたもそうされたいでしょう? それじゃあまずは、【水の剣】。あなたがレオニスにしたこと、思い知ってね?」
アールメリアがそう言うと、触れてもいないのに【水の剣】から水が溢れ出す。
口の中が、身体の中が、水で満たされていく。呼吸すら出来なくなり、異常な痛みと共に剣で切り拓かれた背中から、血の混じった水が流れ出していく。
血管の中まで水が浸透し、血が薄まっていく。このまま続ければ、バーバロイの身体の中から血は一滴残らず流し出される。そんな想像が、恐怖を加速させる。
「あははは! すごいね、人間てこんな風になるんだぁ! 面白い、ねえ、バーバロイ?」
問われたところで、頷くことすら出来ない。
間近で異様過ぎる光景を見せられているレオニスは思った。
俺はここまでのことはされてない……。
だが、口を挟む勇気は無かったし、今はそれでいいと思った。
そして時を同じくして、バーバロイも思っていた。
僕はここまでのことをしたことがない、と。
上には上がいることを、それこそバーバロイは思い知らされていた。
だがしかし、一方で救われている人間もいた。
それは、シャアラだった。彼女もまたようやく身体を起こし、その凄惨な事態を目撃していた。
うん、これはあれだ。私なんか全然魔族じゃないや。
少しだけ、シャアラの心は軽くなったのだった。
バーバロイから流れ出る液が、アセロラジュースの色に変わった頃、アールメリアは次のフェーズに移行することにした。
「あとは【冥の剣】と【狂の剣】か。冥は空間を超越して斬撃を与える魔剣。狂は持ち主の痛覚をゼロにする魔剣、だったっけ。うーん、そうだなあ」
その悩み方は、衣服を買う際に二つの内どちらにするか悩んでいる女子のようであり、今日の夕飯を何にするか悩んでいる主婦のようでもあった。
「あ、そーだ! 良いこと思いついた! 良かったね、バーバロイ!」
多分恐らく、バーバロイにとっていいことではないだろう。
「今の魔剣の持ち主は私だけど、私の権限でバーバロイの痛覚を消してあげるね」
そう言ってアールメリアが指を鳴らすと、バーバロイを襲っていた気の狂いそうな痛みが、瞬時に無くなる。束の間の安寧だった。もっとも、痛みすらなく死に向かっていくというのは、それはそれで恐怖でしかないが。
というか、バーバロイが魔族ではなくて人族やエルフ族だったなら、もうとっくにその命を散らしていただろう。無限の痛みが続く世界は、それでも生きていた方がいいのか、それとも死んでしまった方が楽なのか、難しい問題ではあるが。
そんな取りとめもないことを考える余裕が生まれる位には、痛覚の有る無しはバーバロイに影響した。
だがしかし、魔王がこれで終わるはずもない。
「で、次は【冥の剣】だね。バーバロイの痛みが無い間に、バーバロイの身体を細切れにしてあげるね」
バーバロイにあった思考する余裕は一瞬にして無くなった。
もう後は、その瞬間を待つことしか出来ない。
いつか、いつ来るのか。
バーバロイが冷静ではなくなった頭でそう考えている間に、レオニスの前では。
「うーん、【冥の剣】、バーバロイは振って使ってたけど、振らなくても斬れると思うんだよね。うん、やってみよっかな」
まるで子供が新しい遊びを思いついて試すかのように、アールメリアは嬉々として【冥の剣】に念を飛ばす。
すると、アールメリアの予想通り、その現象は起きた。
アールメリアが意識の中で狙ったバーバロイの手の指が、左右どちらとも第一関節から先を、ボトボトと地面に落とした。
「うん、上手くいったね」
そこからの手際はとても良かった。指を斬り落とし、手首を斬り落とし、肘を斬り落とし、肩を斬り落とし。下半身も、同じように末端から関節ごとにバーバロイから切り離していく。無駄に存在する性器は何故か執拗にみじん切りにされた。胴体も6ブロックに分割され、気付けばバーバロイは頭部だけを残して身体の各部位は地面に落ちていた。頭部だけは口から首を貫いた4本の魔剣が地面に刺さり、それによってどうにか地面への落下を防がれているが、それが幸か不幸かは分からない。
バーバロイの瞳には一貫して快晴の空が映っているため、痛覚を失っているバーバロイは今自分の身体がどうなっているのかを知らない。まだ、斬られていることを知らない。
「あ、これ失敗したかな?」
アールメリアが思案顔で言う。
「首から下が無くなっちゃったら、首しか痛くないかも。うーん、まあいっか。さて、じゃあバーバロイ、痛覚を戻すね。もう魔剣もいらないし、壊しちゃえばいいか」
またアールメリアは指を鳴らす。
するとそれに反応するように、四振りの魔剣は粉々に砕け散った。
それと同時に、すべての魔剣の効果消える。
【水の剣】から流れていた水はもう出なくなり。
【狂の剣】で失っていた痛覚を、バーバロイは取り戻し。
しかし、【冥の剣】で切り離された身体が元に戻ることはない。
故に、【止の剣】が無くなってもバーバロイが動かせるのは、かろうじて口だけだった。
声の出ない口をパクパクと動かす様は、まるで観賞用の小魚のようだった。
痛い。
苦しい。
しかし、その感覚を外に示す手段を、バーバロイはもう持っていない。
それでも意識を手離すことが出来ないのだから、強靭たる魔族もそこまでいいものではないのかもしれない。
「ま、こんなところか。それじゃあね、バーバロイ。せっかくだから、あなたの骨は海に撒いてあげる。肉が付いたままだけど、別にいいよね?」
返事を待たずにアールメリアは手を翳す。
バーバロイに話せる口は無いし、アールメリアも聞く耳は無いので当然と言えば当然だ。
アールメリアの内腿、そこに刻まれた刻印が微かに発光する。それが刻印を媒体とした魔術発動の合図だった。
しかしアールメリアはちゃんと服を着ているので、それを観測できる者は居ない。
だがしかし、その後には、ここに居る全ての者に観測できる事象が発生した。
微塵になったバーバロイの身体の真上、アールメリアの視線の高さに、闇が生じた。それは球体で、中心に向かって渦を巻いている、闇だ。
最初はそれこそバーバロイの頭ほどしかなかったその黒い球体は徐々に肥大化し、やがてその直径をレオニスの身長の半分を飲み込みそうなほどに成長させた。
「【ダークネスプリズン】、全てを封じる闇の牢獄。だけど、私は優しいから今回はちゃんと出口を用意してあげたからね。約束通り、海底に。生きてたらまた会おうね、バーバロイ」
それを別れの言葉と判断したのか、闇の球体は幾つにも分かたれたバーバロイの身体を吸い上げ、中へと取り込んでいく。
軽い物から順に、粉々の性器、手足の指、甲、上腕、前腕、脛、分割された胴体、大腿部。
そして最後に、長い白髪を帯びた頭部が浮かび上がる。その目はしっかりと見開かれていて、アールメリアの顔を見ていた。
しかし、感情は読み取れない。
何も感じていないようですらある。
心の底から戦いを渇望していた相手を見つめながら、バーバロイは闇へと、飲み込まれていったのだった――――。




