45.前哨戦
アストライアから報告を受け、仮初めの王国軍は戦闘開始の時を待っていた。
各々武器を確認したり、目を閉じたり、天を仰いだり。それはある種の祈りにも似ていたが、だがしかし、これから先祈りで得られるものは何もない。
ただ自分の武力だけが、生と死の境を分ける。
思えばなりゆきに任せて結成されたメンバーではあったが、しかし奇跡的な人材が揃ったとレオニスは思っていた。シャアラもアストライアも王城で鍛錬してきたこともあり剣技は凄まじいものがあるし、イリスとクレビオスは相手の魔術に対抗し得る精霊術を持っている、騎乗するレオニスの背後にしがみつくようにしているリーゼは戦闘力すら乏しいが、治癒の魔術はそれなりに使えるらしい。
そして前にはパラフェの率いる【檻】が、後ろにはエカレアの率いる【冥王ノ書架】が居る。魔王直属の魔天七星将が二人もこちらには付いているのだ。
単純な戦力差ではこちらが上のはずだ。
しかしレオニスは、それでも気を緩めることは出来なかった。
レオニスはこの戦いを、一人の犠牲出さずに終わらせたいと思っていた。そしてそれは全軍に通達してある。それは理想論でしかないが、しかしそれが一番望むべきことだということは、誰しもが分かっているはずだ。
――――その意味を全員が分かってくれなくてもいい。理解されなくても、俺はそこを目指すだけだ。
戦争で一つの犠牲も出さないなど、絵空事だろう。そんなことはレオニスでも分かる。だが、どれだけ理想論だろうと、絵空事だろうと、綺麗事と言われようとも。レオニスは妥協することなくそれを目標に掲げる。出来ない可能性が高い――――いや、ほとんど不可能だろう。
それでも。
諦めなければ一縷の望みは必ず生まれる。
これだって、絶対だ。
どこかに希望はある。
数ある選択肢の先の分岐点のどこかに、光の射す道があるはずだ。
そして確かに、レオニスの目はそれを見据えている。
まだ太陽は真上に来ないが、斜めにさす光でもその輝きは十分に闇を照らす。
その白日の下では、全てがさらけ出されるような気さえする。
レオニスの覚悟も、ワッファルの執念も。
きっとここは、それをぶつけ合う場所だ。
レオニスは馬上で、これまでともに戦ってきた剣を抜き放つ。その煌めきが乱反射しレオニスの目をも光らせたその時。
空気震えた。
「全軍、進めえええっ!!」
そして戦場は動き出す。
* * *
【穿光】の動きはやはり早い。馬に騎乗している者など一人も居ないというのに、その進行速度は風というよりは音に近かった。
戦闘開始から数秒で100メートルの距離を駆け抜け、こちらも進軍を始めていたパラフェの部隊、【檻】とぶつかる。前衛は兵士同士のぶつかり合いだ。
お互い魔王軍に所属しているときには背中を預けあっていたわけで、こんな状況は想定していなかったが、相手を知っているからこそ油断は出来そうにない。
パラフェにとってもワッファルにとっても、それは同じだった。相手に背中を預けられるということは、相手の力量を認めているということなのだ。
それは一兵士にとっても同様で、魔獣部隊も高機動遊撃部隊も、お互い全力でぶつかる。
【檻】は鎧を纏った魔獣の群れで構成されており、対する【穿光】は武器を持たない拳闘士の集団だ。
ただ、武器を持たないからといって油断出来るものではない。武器を持たないということはつまり、己の身体のみで相手を捻じ伏せることが出来るという自負の表れでもある。そして実際に、彼らはそれだけの実力を持っている。ワッファルの下で、そういう鍛錬をしてきた。
だから相手が異形の化け物であっても怯むことはない。
相手の隙を見つけ、果敢に飛び掛かっていく。
角を折ろうと掴み、関節を断とうと手刀を放ち、弱点の見えない敵には正面から殴りかかる。誰の目にも迷いはなく、ただワッファルへの忠誠心だけがその瞳の奥に燃えていた。
一方の魔獣達も負けるわけにはいかない。
一見何の繋がりもないこの多種多様な生物の群れだが、しかし彼らを結ぶものは確かにあった。
それは決して忠義ではない。主であるパラフェに対するものであるのは間違いないが、それは情愛であって崇拝でもある。
パラフェはこの魔獣達を飼いならす為の契約として、自身の身体を毎晩3000余りの魔獣に捧げている。それはまるで異種族間のレイプのような光景だが、しかしパラフェはその一頭一頭に対して、確かに愛と慈しみを持っていた。それを魔獣達もそれを解している為、パラフェを傷つけるようなことはしない。
確かな愛情を持って、順番にパラフェの身体を犯していく。それは決して不潔な時間でなかった。
言わば、存在を混ぜてお互いを確認する、神聖な時間。
パラフェは身体を許すことで、心も許しているのだ。
そうして身体を繋ぐことで、心も繋いでいる。
事実、そうして魔族にとってシステム的には意味のない交配を行うことで、魔獣達はパラフェに対して是対的に服従している。パラフェは、【檻】にとって女王だった。
それはある意味、一つの国家である。
魔天七星将がそれぞれ率いるどの部隊も、魔王よりも身近な部隊長に心酔し敬服吸うことが多いが、その濃密さで【檻】に勝る部隊はないとさえ言える。それほどに、身体の繋がりは心を繋ぐのだ。
それ故に、パラフェは自分を愛し慕ってくれる魔獣たちのことを、家族と呼ぶのだった。
だから魔獣たちもこの戦いに敗れるわけにはいかない。それはパラフェの愛情を裏切ることと同義だからだ。魔獣たちにそこまで高い知性はないが、本能でそれを感じ取っていた。
【穿光】の兵士達はさすがに強靭だが、しかし魔獣も必死に喰らいつく。怒涛の攻めを受けようとも。獣は獣らしく、獰猛に。
その戦いは苛烈というより他はない。
レオニスは遠目にその惨劇じみた光景を眺め、これが戦争なのだと思い知る。
魔獣も、魔人も、どんどん傷つき、その数を減らしていく。
猛り狂う魔獣はその体躯の部位をいかに損傷しようとも攻勢を緩めようとはしない。その様はまさに、命をなげうっているといえよう。
角が折られようと爪をもがれようと、脚を絶たれようと眼球をくり抜かれようと、獣は敵対する魔人達に噛みつく。
次第に、【檻】が【穿光】を押し始めた。徐々に前線を押し上げ、敵の部隊を後退させていく。
レオニスがそれを認識したその時、反対側でワッファルもその現状を目の当たりにしていた。
「ちっ、やっぱり【檻】は相性が悪いか。クーカ!」
ワッファルの呼びかけに答え、まるで使い魔のように瞬時にその女性は傍に現れた。
呼ばれたことに特別なリアクションはない。隊長であるワッファルがクーカを呼ぶのは自然なことだ。
クーカは指示が下るのを黙って待ち、それに従うだけだ。
というクーカの簡潔な態度を、ワッファルは気に入っていた。単純な強さでも【穿光】の中ではワッファルに続くものがあるが、しかし副隊長に任命した背景には人格的なところが大きく関わっていた。
クーカは、ワッファルの拾った魔族だった。そうそれはまるで、魔王にワッファルが拾われたように。
だからワッファルには、クーカのワッファルに対する忠義の質が分かりやすく信頼することが出来た。
ワッファルはクーカに自分を重ねていた。それをクーカも分かっているし、実際クーカはワッファルに対し忠義だけでなく恩義も感じていた。だからこそ他の誰よりもワッファルの役に立ちたいと思い、それ故に誰よりも必死に鍛錬をこなしてきた。
つまりクーカの強さはその想いの副産物でしかなかったが、しかしそのおかげで【穿光】なかでも指折りの実力者になることができ、クーカが副隊長に任命されたことをとやかく言う者はいなかった。
それも魔王軍におけるワッファルの待遇と同じだった。
ワッファルも、最初はただの下っ端で、魔王に拾われて鍛えられるうちに魔王の役に立ちたくて、死にもの狂いで修業をした。その結果として、実力で魔天七星将にまで登りつめたのだ。
そういう意味でもワッファルとクーカはとてもよく似ていて、だからこそワッファルはクーカを信頼することが出来た。
「ここまでは想定内だ。次の戦術に移行するぞ」
「かしこまりました」
その返事だけで、クーカは引き下がる。
ワッファルは戦局を見つめていた。
仲間たちが魔獣に喰われていく。あのパラフェの家族に。
しかし、それは想定内だ。【檻】がそれほど甘くないということを、ワッファルも【穿光】の兵士たちもよく知っている。だからこそワッファルは、戦いが始まる前に、いくつかの戦術を用意していた。
「狙いはエリオト王、ただ一人だ」
そのワッファルの独り言を聞いたものは居なかった。
* * *
選局が優勢に傾いたのを見て、レオニスたち本体には安堵の空気が流れ始めていた。
「ふう、パラフェちゃんのペット達強いじゃん。これなら私たちに出番はないかなあ?」
背後でお気楽に言うイリスに、シャアラは溜息を落とす。
「イリス、戦場で気を抜いてはダメよ。いつ何が起こるか分からないのだから」
「はーい」
その気の抜けた返事は分かっているのかいないのか。
不安要素は尽きないが、しかしイリスもクレビオスも、人族の為にエルフの里からここまでわざわざ来てくれたのだ。この戦いがエルフ達にはなんの影響もないというのに、それでも二人は来てくれた。知り合ったばかりだというのに。
その恩義に報いる為にも、二人は絶対に無傷で返さなければ。そうしなければ二人の母であるセレネにも顔向けができない。人族とエルフの融和を望んでくれているあの人格者を悲しませることは、人族にとっても大きな損失だ。
とシャアラはそこまで考えてどこまでも政治的な自分の考えに嫌気が差す。しかし、それでもいいと思った。どんなことを理由にしようとも、この二人を守ることが出来るのであれば、それで構わない。
その感情こそが二人を思いやるものだとシャアラが自覚する前に、アストライアが手綱を操ってヴェローニカをミシェランダに寄せてくる。
「どうしたの?」
「いえ、実は少々気になることが」
「言って」
「はい。先ほどから私はクーカという副隊長を目で追っていたのですが、どうやら彼女はこの戦線から離脱したようなのです」
「今の状況で副隊長が離脱? それは―――」
「おバカさんだねえ」
イリスが口を挟んで、それにアストライアにしがみつくクレビオスが反応する。
「おバカさんは姉さんだよ。今の状況を見ればどう考えたってこちら側が有利だ。だというのに戦線から兵士の数を減らすなんて、まともな神経じゃない。ただの戦下手ならいいけど、でも相手は魔王軍の魔天七星将だった男だ。きっと裏がある」
「私もクレビオスさんの意見に賛同します」
アストライアの言葉にシャアラも頷く。
「うん、そうね。クレビオス、相手の狙いはなんだと思う?」
シャアラからの問いに、クレビオスは顎に指を当てて思案顔になる。
「そうだな……相手の究極的な狙いはエリオト王を討つことだけど、それには鶴翼に展開している【檻】が障害になっている。となれば、戦場を大きく迂回して、別方向から攻撃を仕掛けるつもりなのかもしれない」
「左右か、背後から、ということね。でも三択か……」
シャアラは自陣を客観視する。
単純に陣形だけを見るなら【檻】と【冥王ノ書架】の間に挟まる本体を狙うには左右の隙間を狙うのが一番手っ取り早い。だがそれは相手がこちらの軍の全容を知っている場合の話だ。
「アストライア、戦闘開始前にその副隊長と話したのよね?」
「はい」
「相手はこちらのことをどれくらい知っているようだった?」
「恐らく情報はほとんど持っていませんでした。パラフェさんの部隊がこちらに協力しているということも、戦場で向かい合って初めて知ったようでしたので」
「なるほど、だとしたらやっぱり……」
「うーん、普通不意打ちするなら後ろからだよね」
シャアラの考えもイリスの意見と重なる。
「そうとなればイリス、馬を降りて」
「え、どうするの?」
「私は背後の守備に回るわ」
「一人で!? 危ないよ、私も行くよ!」
「ダメよ。あなたにはまだここに居てもらわないと。エカレアさんにも協力をお願いするし、大丈夫」
「本当に?」
「本当よ、私はあまり嘘をつかないわ」
「それ、たまには嘘をつくってことだよね?」
「人間だからね。嘘をつかない人なんていないわ。でも、私はあまり嘘が好きじゃないから、極力つかないようにしている。あとは信じてもらうしかないけどね」
シャアラの言葉はまるで地平線のように真っ直ぐだった。
その言葉を疑ってしまえば、自分自身が歪んでしまいかねない。そんな強迫観念にも似た感覚に捉われイリスは、
「分かったよ」
それだけを言って、ミシェランダから下馬する。
それを確認し、シャラアはアストライアに目を向ける。
「アストライア、イリスとクレビオスをお願い」
「シャアラさま……あのクーカという女は強いです、とても」
この言葉は返答になっていないし、言わなくてもいいことかもしれなかった。それでも、普段理性的なアストライアには珍しく、本能的に口をついて出た言葉だった。
「分かっているわ。あなたの顔を見ればね。でも、私は負けない」
先の邂逅を持って、アストライアはあのクーカという女がの力量が自分よりも上だと判断した。それにシャアラが気付いたことはそれほど驚くべきことではない。シャアラはいつだって慧眼だ。
しかし、最後に城でアストライアと剣術の稽古をした時のシャアラは、実力でアストライアよりも劣っていたのだ。そんなシャアラが、アストライアに恐れを抱かせる相手に挑もうとしている。それは勝ち目の薄い戦いに身を投じるということだ。
無論、ここ数日でシャアラは幾度かの実戦経験を経て、その戦いのセンスは磨かれているのかもしれない。それでもたった3、4日のことだ。そこまで急激な変化が訪れるとは思えない。
だがアストライアは、あの白狼をシャアラが打ち倒すのを見ていた。
白狼といえば、王国の伝記にも書かれている危険な魔獣の一つだ。にも関わらず、シャアラは赤子の手を捻るように、それを闇に還してみせた。
「信じております、シャアラさま」
従者として、本当はそう言うべきではないのかもしれない。止めるべきなのかもしれない。しかしシャアラの迷いのない、むしろ自身に満ちた目を見てしまうと、それを翳らせる気にはならずにその自分よりも華奢な背中を押してしまう。
シャアラは力強く頷いた。
現時点でもシャアラとアストライアは国王の命でもなく勝手に行動している。その上もしシャアラの身に何かあれば、アストライアは厳罰に処されるだろう。
だが、それでもいいと思った。自分の命が散ることよりも、シャアラが自由に行動出来ないことの方が、アストライアにとっては辛い。
「イリス、レオニスにそう伝えておいて」
「うん、分かった……けど、絶対に戻ってくるんだよ?」
「当たり前でしょ、あなたにレオニスは任せておけないからね」
余裕にウィンクしてみせるシャアラに、イリスは頬を膨らませる。
「それは任せてくれていいから!」
「まあでも、この戦場ではお願いするわ、イリス。レオニスを守って」
急に真剣な表情になるシャアラに、さすがのイリスもそのお気楽さを内にしまいこむ。
「別に、この戦場に限ることはないんだよ。私はいつだってレオニスを守りたい」
「そう、やっぱり似ているわね。私たち」
「当たり前だよ――――」
言葉を切ったイリスが一瞬目を伏せるのを、シャアラは不思議そうに眺め、そして少しだけ顔を上げたイリスが珍しく言いづらそうにしながらおずおずと、
「――――友達でしょ? 私たち。類は友を呼ぶんだよ」
上目遣いでそんな風に言われてしまえば、シャアラは否定する方法を持ち合わせてはいなかった。
ただそのあまりの可愛さに、ミシェランダから身を乗り出して今は自分の目線よりも低くなっている御伽話の女神のような金髪の頭を撫でる。
目を細めるエルフの少女は自分よりのだいぶ年上のはずなので、きっとこれは不敬だろうが仕方ない。可愛いと撫でたくなってしまうのだ。レオニスの気持ちが少し分かった。
「そうね、友達よ」
「それは友達にすることじゃないよね!?」
抗議しながらも逃げようとしないイリスは本当に可愛らしい。とはいえ、今はあまりゆっくりとこの髪の感触を楽しんでいる場合じゃない。名残惜しくも手を離すと、シャアラは手綱を握ってミシェランダの身体を後ろに向けさせる。
そして少し離れた位置にいるレオニスを一瞥する。レオニスは戦況に目を見張っているようだった。その様子を瞬時に目に焼き付け、すぐに前を向く。
「それじゃあ行ってくるわ」
その場の全員が頷くのを肌で感じ、シャラアはミシェランダとともに駆け出したのだった。




