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1.白銀の魔王

 闇の降る空の下、魔王城の巨大な城門が、ギシリギシリと不穏な音を立ててゆっくりと開いていく。

 それを眼前に見据えている平凡な見た目の男には、何度も見ているにも関わらずその仕組みが未だに判然としなかった。


 男は別に押してもいなければ引いてもいない。

 特に何か呪文を唱えたわけでもない。

 まあ魔力の皆無なこの男が何を発したところで、塵の一つも動かせはしないのだが。


 大扉が完全に開ききるのを見届けてから、男は足を踏み出した。



「これは勇者様、よくぞお越しになられました」



 一歩目を出したところでどこからか妖艶な女の声が聞こえ、反射的に二歩目を止めてしまった。

 男が眼球を動かし声の主の所在を探していると、不意に目の前の空間に歪みが生じた。特に何もないはずなのにそこから“闇”が滲み出し、肥大化し、そして凝縮してそれは人の形を取った。



「フィナンジェか」



 もはや見慣れてしまったその姿をみて、男は低い声を発した。

 目の前に現れたのは、紅く真っ直ぐに伸びた長い髪と、髪の色に“宵闇”を足したような色のタイトなドレスを身に纏った女だった。髪の掛かる左耳にだけ飾られたドクロのピアスが、怪しげな雰囲気を増大させている。



「魔王を倒しにきた。俺の前に立ちはだかるというのなら、お前も容赦はしないぞ」



 男は睨みを利かせながら女に忠告するが、女は特に恐れるでも怒りを露にするでもなく、現れた時のまま微笑をたたえていた。



「そのようなこと、滅相もございません。魔王さまはあなたさまを待ちわびておりました。であれば魔王さまの配下である私にとっても、勇者さまは歓迎すべきお方でございます」



 一筋縄ではいかなそうな女ではあるが、嘘はついていないように思えた。

 まあ正直なところ、もうこうして何度も魔王城に来てはこのフィナンジェに案内をうけて魔王の居る玉座の間に通してもらっているので、男にとっても疑う余地はないのだが。



「そうか、であれば、魔王のところに案内を頼む」



「かしこまりました」



 そう言って(うやうや)しくお辞儀をし、紅髪の女はまた口を開く。



「しかし勇者さま、こう何度もこの魔王城に来られているのでもう分かっているとは思うのですが、玉座の間への道程、少々億劫ではありませんか?」



 この大扉から玉座の間までは階層を50階も上がらなければならず、しかもその1階1階がそれぞれ迷宮のように入り組んでいるので、相当に時間を要する。

 この魔王城に通うようになった最初の頃などは当然自力で最上階を目指して居たのだが、毎度のことトラップによって城外に放り出されるという体たらくだった。

 途中で見るに見かねたフィナンジェが現れて導いてくれたおかげで、どうにか最上階の玉座の間に辿り着くことが出来たのだ。


 それからというもの、こうして城門に辿り着く度に出迎えてくれて、毎度毎度丁寧に道案内をしてくれるのだった。

 だから男も内心ではこの怪しげな女に感謝はしているのだが、とはいえ人族に仇なす魔族と親しくするわけにはいかないので、会う度に敵意を見せるように心掛けている。


 そうこの女、フィナンジェは魔族だ。

 人の形を取っていようが、どれだけ美しい容姿をしていようが、魔族は魔族。

 しかもこのフィナンジェは魔王の側近であるらしい。

 ということは魔族の中でも最上位の存在であるはずだ。

 となれば、男が決して心を許すことは出来ないと気を張るのも当然のことだった。



「正直に言えば、道中を想うと辟易はする」



「うふふ、正直で素敵ですね♪ やはり、そうだと思いました。だって私も面倒くさいですもの」



 そう言うフィナンジェの意図が、まだ男には掴めない。

 それよりも『面倒くさい』というのは嫌味だろうか、と邪推してしまう。



「ああいえいえ、勇者さまと同道出来るのは喜ばしいことなのですが。しかしいかんせん時を要し過ぎます。何せ最短の道を行っても半日を費やしてしまうのですから」



「その物言いだと、何か方法でもあるのか」



「ご明察になります。さすがは勇者さまです」



 あそこまで匂わされれば誰でもそこに行き着くとは思うが、褒められて悪い気はしなかった。



「前にも言ったが俺はまだ勇者ではない。まだ魔王を倒していないからな」



「ああ、そうでございましたね。申し訳ありません。では勇者さま、これより転移の術を行いたいと思いますが、よろしいですか?」



 結局勇者と呼ぶことはやめる気がないらしい。本当は糾弾したいところだったが、それよりも“転移の術”というのが気になった。



「転移? そのようなことが出来るのか?」



「ええ。私がここに現れたのも転移によるものですから」



 そんなことが出来るのであれば、始めからそうすれば良かったのでは……。という男の身勝手な疑問を読み取ったかのように、紅髪の女は続ける。



「転移の術で、知らない場所に行くことは出来ません。ある程度、術の対象となる人の記憶に転移する場所が刻み込まれている必要があるのです。なので最初はこの方法を使うことが出来なかったのですが、もう勇者さまは何度もこの魔王城に足を運んでおられます。きっと玉座の間も、勇者さまの記憶に根付いたことでしょう」



「なるほど」



「納得していただけたようで何よりです。それでは、術を行使したいと思いますのでもう少し近くに来ていただいても?」



「分かった」



 短く答えると、男は二歩程歩いてフィナンジェとの距離を詰める。



「はい、ありがとうございます♪ それでは失礼しますね」



 何を失礼するのか、と疑問に思うよりも先に、フィナンジェが腕を大きく広げ、そして男の身体を抱き寄せた。

 突然の密着に男はさすがに戸惑った。

 思いの外甘い香りがするし、思った以上に柔らかい。



「私と勇者さまを別々に飛ばすことも出来るのですが、魔力を節約したいので、密着することで一つの個体として一緒に転移いたしますね。不快でしたら申し訳ございません」



「いや……不快ではないが……」



 それ以上のことを、男は言えそうになかった。

 正直なところでは魔族であろうとも美女であるフィナンジェにこうして身体を重ねられるというのは悪い気がしないどころか男としては喜ばしいことですらある。しかしそれを明け透けに話すほど男は素直ではない。



「それなら良かったです。あの、もう少し密着度を上げたいので脚を絡ませていただきますね」



 言うが早いか、男の股下に膝を差し込んだ妖艶な魔族はそのまま蛇のように男と自分の脚を絡ませた。



「はい、これで大丈夫です」



 密着してからというもの耳元で聞こえる声に、男は内心ゾクゾクしていたが、それを表に出さないだけの精神力は備えていた。



「ふふ、頑張っていますね。でも少し汗ばんでいます。身体というのは正直なんですよ?」



 からかうように言うフィナンジェに、男はそれでも冷静を装って応じる。



「いいから早く、転移を」



「ふふ、つれないのもまた可愛らしいですね。まあ、魔王さまもお待ちなことですし、そろそろ飛びましょうか。それでは勇者さま、目を閉じてくださいませ」



 そう聞いて素直に閉じることは出来なかった。信用してはいるが、それでも相手が魔族である以上簡単に隙は見せられない――――と、男は思っているが、客観的に見ればもう手遅れだろう。



「お前、俺に何かを変なことをするのではあるまいな」



 ここまでやたらと性的なアプローチを仕掛けてくるフィナンジェに、男は警戒を強めていた。



「おやおや勇者さま。一体『変なこと』とは、どのようなことにございますか? この無知なフィナンジェめにお教えくださいませ」



 無知ではなく無恥の間違いではなかろうかと、男は思った。

 しかしどうやら男の疑念はやぶ蛇だったようだ。男が言った『変なこと』の意味を、男が口にしたくはない。それを言ってしまえば男の方こそ邪な想像をしていると自白するようなものだ。



「いや……なんでもない」



 これ以上要らぬ勘繰りをされても面倒なので、男は一転してすぐさま目を閉じた。



「うふふ、勇者さまでもそういう知識はおありなのですね」



 見透かされているようだが、男はそれを魔族の女の独り言として、無視を決め込んだ。

 おおらかな気質なのか、フィナンジェも特に気にせず話を先に進める。



「では、頭の中に玉座の間を思い浮かべてくださいませ。空間の広さ。飾られた豪華な装飾品。色味。漂う香りや雰囲気などなるべく詳しく、その頭蓋の内に思い描いてください」



 言われるがまま、意識を集中して何度も訪れたあの広く豪奢な空間を脳裏に描く。



「そう、その調子です。もっと深く、もうそこに居ると錯覚するほどに、脳を想像で満たしてください」



 深く。

 深淵へ。

 深層にある玉座の間へと、落ちていく。



「いいですよ。もうそろそろです。あと少しで、イキます」



 耳元の声は、まるで暗示を掛けているかのようだった。

 声につられて頭がぼやっとして、意識が朧気になり、そして記憶さえも曖昧になってくる。

 もう、自分が今どこに居るのかすら、分からない。

 いや、風景が、見える。

 真下にある、玉座の間。

 赤と黒と金を散りばめたようなその空間に。

 自分の姿が、見える。

 そしてゆっくりと近づいていく。

 沈んでいく。

 やがて自分の身体と、それを観測しているこの意識とが重なり。

 そして――。




「うぎゃあああああああああああああっ!!」




 とてつもない悲鳴に意識が覚醒する。

 反射的に開かれた男の目に飛び込んできたのは、目的地である玉座の間の風景だった。

 想像でも幻でもない、本物の質量を伴って、男の脳へと空間が情報として入り込む。



「成功、したのか?」



「ええ、さすが勇者さまです。恐れ入ります♪」



 男の問いに、紅色の女が優しく答える。

 男は安堵を包み隠さずに溜め息を吐いたが、それと同時に先の悲鳴を思い出した。

 あの絶叫は、一体誰の?

 もちろん自分ではないし、様子を窺うにフィナンジェでもない。それに声音が、健全そうな女子のものだった。

 しかしその疑問は、答えを探す必要もなくすぐに解消された。



「ちょっとフィナ! あなたは何をしているの!? あろうことか勇者さまのお身体にそのようにっ! ……そのようにっ!」



 横合いから聞こえた声に顔を向けると、これまた男にとって見慣れた姿があった。

 肩に掛かるくらいの白銀の髪に、透き通るように白い肌、そして華奢な体躯に纏っているのは、少女の溌剌とした雰囲気には不釣り合いにも思えるタイトで布地が少なめの、地球でいうチャイナドレスに似た純白のドレスだった。

 目には16歳くらいの人間の少女に見える。

 男と絡み付くフィナンジェに向けられたその瞳は血のように赤く、その部分だけがかろうじて魔族の様相を呈していた。



「おやおや、魔王さまともあろうお方がこれくらいのことで心を乱されては、威厳を損なわれますよ?」



 未だに男から離れようとしない妖艶な魔族は、意地悪な笑みを浮かべながらそう言った。それに対し白銀の髪の少女は、更に表情を厳しくする。



「いいんです! 最初から威厳なんてありませんから! あれば今のような事態にはなってないんです! それよりも、早く勇者さまから離れて!」



「ふふ、仕方ありませんね。名残惜しいですが、私も魔王さまには逆らえませんから♪」



 男には、そう言ってするりと離れるフィナンジェが楽しそうに見えた。



「ふぅ、もう! フィナは仕方ないんだから……」



 少女は疲れたようにそう言ったかと思えば、今度は一転目を輝かせて男声を掛ける。



「それにしても勇者さま! よくぞ来てくださいました! 魔王めは勇者さまをとても待ちわびておりましたよ!」



 もうこのやりとりは何度かやっているが、男は未だに慣れなかった。男にとっては、この少女こそが倒すべき魔王なのだ。



 第13代魔王・アールメリア。



 見た目にはか弱そうな少女にしか見えないが、その内には底知れない力を秘めている。

 というのにも関わらず、この人族にとって諸悪の根源たる愛らしき魔王は、まるで飼い主を見付けた犬っころのようにとても男に懐いていて、来る度にこうして手厚い歓迎を受けているのだった。



「まあ、そうは言っても一週間ぶりだがな……」



 ばつが悪そうに男は言う。

 しかしそれを気にする様子もなく、魔王娘は見えない尻尾を振り続ける。



「何をおっしゃいますか、勇者さま。この玉座の間を出ることの出来ない私にとって、一週間といえ悠久のように感じるのです。外より訪ねてきてくださる勇者さまだけが、私にとって何よりの楽しみなのですよ」



 本当に屈託の無い、 天真爛漫とした笑顔でアールメリアは言う。

 だからこそ、男にとっては非常にばつが悪い。

 これでは、一方的に敵意を持っている自分の方が、悪者のようではないか。

 それでも男は、魔王を屠らなければならない。



「馬鹿なことを言うな。俺はお前を斬り伏せに来たのだぞ」



「例え斬られたのだとしても、魔王は嬉しいです。この世に在りはじめてからというもの、とても退屈でしたから。いっそのこと、勇者さまにこの生を終わらせていただけるのなら、私にとっては喜ばしいことです」



 きっとそれは嘘偽りではない。

 少女の赤い瞳は、穏やかでいて真っ直ぐだった。



「ふん、死んでから泣いても遅いぞ」



 男は努めて気を尖らせて言葉を吐き出してはいるが、内心ではとてもやりづらく感じていた。

 魔王が魔王らしく、悪辣非道を体現してくれたのであれば、この腰に下げた剣を一思いに振り下ろせるというのに。



「私としましては――――」



 いつの間にか真面目な表情になっていたフィナンジェが不意に話しだし、男とアールメリアの視線が自然と魔族の妖女に注がれる。



「忠誠を誓い、敬愛している魔王さまを勇者さまの手に掛けてほしくはありません。勇者さまのことも、私は親しみを覚えてまいりましたし」



 男には風向きの悪い話だが、しかし信念を曲げるわけにはいかなかった。



「だが、俺は魔王を屠り人族に平和をもたらすと、ある人に約束したんだ。ここまで来て、諦めるわけにはいかない」



「そう……でありますか」



 とフィナンジェは意気消沈の面持ちであったが、一方魔王であるアールメリアは晴れやかにも思える笑みを浮かべていた。



「いいのフィナ、これは私が望んだことでもあるのだから」



「魔王さま……」



「私は存在を始めてからずっと、ここで変わらぬ日々を送ってきた。フィナから聞いていた外界の出来事、人族と魔族の争いの話も、耳から入ってくるだけの音でしかなくって。勇者さまには申し訳ありませんけど、一つの実感が沸くこともなく、物語のように思っておりました」



 後半は男への言葉だった。



「それでもある日、勇者さまがここへ訪れてくれて。そして私に確かな殺意を向けてくれた時に、私は――――この魔王アールメリアは初めて、自分がこの世界に存在していたことを実感できたのです。それはとてもとても新鮮な感覚でした」



 その時のこと思い返しているのか、魔王は目を閉じていながら幸せそうな表情をしていた。



「そして私の中に初めて、欲というものが生まれました。それは変化を望む感情です。他力本願で恥ずかしいですが、私はこの玉座の間から出られず、何もすることが出来ません。でも勇者さまなら、私の何かを変えてくれるんじゃないかって、そう思ったんです。そういう希望を、持ってしまったんです。だから、今日ここで勇者さまに葬られようともこの魔王に悔いはありません。勇者さまが与えてくださる変化なら、私はどんなものであろうと受け入れることが出来ます」



「魔王、勘違いをするな」



 男はピシャリと言う。



「俺はまだ勇者ではない。俺の名前はレオニス――――レオニス・フェローリアだ」



「知っています」



「なら勇者と呼ぶな。お前が俺を勇者と呼ぶことはない。魔王を倒したものこそが勇者なのだからな」



「であればこそ、ですよ。私を倒した人が勇者と呼ばれるのだったら。私は貴方に勇者になってほしいですから。それに、そうなると確信もしています」



「ふん、本当におかしな魔王だ。ならいい……勝手にしろ」



「はい、勇者さま♪」



 屈託なく笑う少女の顔を見て、レオニスは少しの間目を閉じ、そして開いた。



「もう、思い残すことはないな?」



 真っ直ぐに目を見つめてそう問うと。



「はい……あ、いえ、ひとつだけ……わがままを言ってもいいですか?」



 歯切れの悪い魔王だったが、最後の言葉を聞くくらいの寛大さは、レオニスも持ち合わせていた。



「なんだ?」



「あの……その、勇者さま……くちづけが欲しいです」



「く、くちづけ? 正気か?」



 思いもよらぬ要求にレオニスは、分かりやすく動揺した。



「魔王は正気です。私は、確かに魔王です。魔族の王です……けど、その前に一人の女の子なんです」



 上目遣いでそう告げる魔王の姿を見てみれば、確かに人族の可愛らしい少女にしか見えない。それも人族にもなかなか居ないほどにアールメリアの容姿は整っている。

 顔は申し分なく可愛いし、身体も細く肌も綺麗で、女性としてはある種の理想的なものを持っているのではないかと、レオニスは思った。



「私だって、女の子としての喜びを感じてみたいです」



 正直な言葉も純粋な視線も、真っ直ぐにレオニスに突き刺さる。

 だがしかしレオニスは、どうすればいいのかが分からなかった。

 というのも、レオニス自身も十九歳という年齢で、これまでの人生において恋愛というものを経験したことがなかったのだ。

 なのでもちろん、キスなど経験したことはない。

 知識としては知っていても実際にしたことはないわけで、だから今この場で上手く出来る自信は正直なかった、が。



「どうか、お願いします……最後に一度だけ」



 目の前に立った可憐な魔王が目を閉じ、おとがいを少し上げる。


 この状況に置かれてしまっては、覚悟を決めるより他はない。

 魔王といえども、少女に恥を掻かせてはならないと、色恋に疎いレオニスでも常識の範疇で知っていた。



「分かった……」



 生唾を飲み、初めてのくちづけをするにあたってまず、その小さい顔の頬に手を添え――


「ぐああああああああ!」


 ――――ようとしてレオニスは吹っ飛んだ。

 だだっ広い広間の中央から端の辺りまで、ノーバウンドで。



「「勇者さま!?」」



 アールメリアとフィナンジェの声が重なる。

 次の瞬間、フィナンジェが転移でレオニスの元に辿り着くよりも先に、アールメリアが、一足で50メートル程あるその距離を駆け抜けていた。


 魔王の手がレオニスの身体を抱き起こそうとして伸び――――



「魔王さまお待ちください!」



 触れる直前に一足遅れで到着したフィナンジェの制止が掛かる。



「魔王さまが触れてはなりません」



「な、なんで!?」



 倒れ伏すレオニスの傍らに膝をついて座るアールメリアは、疑問と哀しみの入り交じった表情でフィナンジェを見る。



「ご自身の力をお忘れですか。魔王さまの身体は生まれながらにして圧縮された高濃度の魔力を纏っているのですよ。魔力と共に生きる種族であればともかく、魔力の無いものが触れれば大きな反発を受け弾き飛ばされてしまうのです。今の勇者さまのように」



「つまり、私がまた触ったら……」



「勇者さまに止めを刺すことになりかねません。なのでここは私めにお任せください。微量の魔力を身体に流し込み状態を見ます」



 少女の姿をした魔王は、現実の厳しさに項垂れるしかなかった。しかしその眷属は主のそんな様子にも構う様子はなく、うつぶせで倒れたレオニスの背中に掌を置いた。その真剣な表情から、事態が急を要することが窺える。



「気管と臓器と腱が大きなダメージを受けていますね……それと骨にも少しヒビが入っています」



「そんな……私のせいで」



「魔王さまのせいではありません。というか、私の不徳の致すところでもあります。前回来たときには勇者さまは、魔王さまの魔力に当てられ近付くことすら出来なかった。なのできっと今回は何か対策を講じたのだと思います。ですが魔王さまがお身体に纏われている魔術ローゼンイージスのことは知識になかったのでしょう。私が前もって言っておくべきでした」



 魔族の女は心底悔いた表情で、男の身体に魔力を通し続けていた。



「フィナ、今勇者さまの身体に魔力を流しているのは大丈夫なの?」



 心配そうに問いかける魔王に、眷属は優しく笑い掛けながら答える。



「心配いりません。魔力は使い方次第で毒にも薬にもなるのです。魔王さまのお身体に刻まれた刻印(ルーン)により自動的に発動する《ローゼンイージス》は対外的な守護兵器なので触れるものを破壊する作用が起きますが、魔力を変質させれば治癒を施すことも出来るのです。このように」



 フィナンジェの手からレオニスに流れ込んでいた青紫色の魔力が、次第にその色を変える。青紫から1度黒になり、そしてやがて真紅になった。

 その様子を魔王が食い入るように見つめていると。



「え、なんか勇者さま光って――――きゃっ!」



 発光し始めたレオニスを心配して口を開いた、その時だった。

 魔力を流し込まれていたレオニスの身体が、炎を上げて燃え始めた。



「燃えてるっ! フィナ! 勇者さま燃えてるよ!」



「落ち着いてくださいませ。これは術を掛けられた者の傷や怪我のみを焼き付くす《フレアリジェネ》という魔術です。勇者さまに危害がおよぶことはありません」



「そ、そっか……」



 自身の使役する眷属の言葉にとりあえず納得はしたものの、やはり身体が燃え盛る様子に安心は出来ないようで、魔王はしばらく心配そうにレオニスを見つめていた。

 やがて少しずつ火の気が弱まり、そして鎮火した。

 フィナンジェの言葉の通り、レオニスの身体が黒こげになっている、というようなことはなかった。



「ふぅ、ひとまずは安心です。どうやら勇者さまは気を失っているようですね。ですが、しばらくすれば目も覚めましょう」



「フィナ」



 ようやく余裕が出来たのか、魔族の妖女は敬愛する魔王を見遣る。



「私は、どうすればいいのかな……」



「魔王さま……」



「このままじゃ勇者さまに触れることもできない。勇者さまの願いも、叶えることができない」



 思い詰める様子の魔王に、フィナンジェは諭すように言う。



「勇者さまの願いは勇者さまのものです。勇者さまとて、誰かに叶えてほしいとは思わないでしょう。ですが、魔王さまの願いもまた、魔王さまのものです。叶えることができるように、これからどうすればよいのか、一緒に考えましょう」



「うん……フィナ、ありがとう」



「勿体なきお言葉です」



 アールメリアの気持ちが晴れることはなかったが、それが今どうにか出来るものではないということを、フィナンジェは知っていた。



「さて、私は勇者さまを村に送って参ります」



「うん、本当、ありがとうね」



「いえ、もう慣れっこですよ」



 そう言って魔王に笑いかけると、フィナンジェは再びレオニスの身体に手を添え、意識を集中した。

 やがて魔王の目に映ったのは、目の前の空間から眷属と敬愛する男の姿が虚空に溶け、消え去る様だった。


 どうやら、密着する必要はなさそうだった――。




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