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月光If(番外編+if劇場版)  作者: 藍染三月
-if劇場版-偽物の月は僕達だけに光を見せていた
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eclipse20

「分かったようなことを言うな……亡くして、記憶まで失った俺の気持ちが君にわかるのかよ!?」


 横に払われたそのナイフが狙うのはやはり首。僕は後方へ跳んで距離を広げる。熱を帯びた感情のせいか、常磐は荒い呼吸を繰り返して、まるで力尽きたみたいにその場で立ち尽くしていた。追ってくる気配のない彼と一定の距離を保ったまま、僕は彼が動くタイミングを観察する。


「分からないよ。僕だって、亡くなっている大切な人の記憶を失ってる。けれど好きだったかすら覚えてないから、愛した人を思い出せないっていう君の苦しみはわからない。それでもこの復讐は虚ろなものだと思う。こんなことをしたら、それこそなにもかも、君は失うよ」


「何もかも失う覚悟くらいしてるんだよ!!」


 彼が手品の如く両手の指に四本ずつナイフを持ち出した。計八本のナイフが僕に向かってくる。「〈飛べ〉」と一番端のナイフに命じて軌道を横に変えるも、それと衝突させて横へ飛ばせたのは二本。なににも遮られることなく僕へ向かってきたナイフの三本を払い落とし、残り一本は体を逸らして避けた。頭の中でナイフの本数を計算して、僕が避けた本数と常磐が投げた本数が合わないことに気が付く。


「くっ……!?」


 構え直した右手の前腕部に、落ちてきたナイフが突き刺さる。僅かに気が緩んでいたのか、予期していなかった衝撃にバタフライナイフが指先から滑り落ちていく。それを拾おうとした視界で糸のようなものが光った。


 バタフライナイフを拾い上げ、その糸を切ろうとしたが、それよりも先に常磐が糸を引く。それは僕に刺さったナイフに繋がっていたようで、鮮血を散らした刃が常磐の方へ吸い寄せられていく。


 抜かれた弾みにバタフライナイフを握る手が微かに震えたが、柄を強く握り締めて震えをかき消す。常磐は回収したナイフを自身の口元まで近付けた。はっとして、僕は叫ぶ。


「〈歪め〉!」


 ナイフを持っていた常磐の腕が操られる前に、彼は刀身を伝う血液を舐めていた。命令は虚しく響いて、落とされたナイフの音色の中に余韻が薄れていく。能力を使われる前に優勢に立たなければと焦り、僕は彼の前へ飛び出した。バタフライナイフを振り上げるも、「〈押し潰せ〉」という彼の命令に体が上方から潰される。片膝を突いた僕の前で、彼はナイフを煌めかせた。


「紫苑ちゃん、そろそろ終わりにしよう。君の言葉をこれ以上聞きたくないしね」


「……玉城若菜は、どれほど傷付けられても、あんたの居場所を一切吐かなかった」


 虹彩だけを上に向けたら、常磐の見張った両目が視界に飛び込む。感情を押し殺すような色をしたその目から、僕は情感を引きずり出そうとした。


「彼女がそうまでしてあんたを守ったのは何故だと思う? 彼女が本当に守りたいと思ったものは、なんだったと――」


「もういい黙れ!!」


 僕にナイフを振り下ろそうとした常磐の隣へ、突如浅葱が降り立った。どうして倒れていた彼女がそこに、と思ったが彼女の能力を考えてみれば転移したのだろうと理解する。常磐にぶつかった彼女はそのまま彼を押し倒し、固く目を閉じて、その唇で彼の口を塞いだ。


「ん、……ッ!?」


「――〈折れろ〉」


 浅葱が何をしたかったのか、何をしてくれたのか察した僕は動揺を示す常磐の左腕を折って使い物にならなくした。彼の上に被さっていた浅葱を抱き上げて、常磐の左足を踏み付ける。


「〈曲がれ〉」 


「ぐあっ……!」


 右足を腕同様に折り曲げてから、僕は少し離れた位置に浅葱を座らせた。「ごめん、ありがとう」と彼女の耳元で呟いた後、倒れたまま動けない常磐のもとへ戻る。彼は、悔しげに濡れた瞳で僕を見上げた。


「……常磐。何もかも失う覚悟なんて、しないでよ。それ以上失おうとしないで。恋人に抱いた思いを、大切にしなよ。見えなくなった思い出だって、きっと綺麗なまま箱の中に入っているのに。それを汚してどうするの。復讐なんかで、君の大切なものを本当の意味で失くして、どうするんだよ」


 訴えているうちに、何故だか泣き出したくなる。それは、見つめる常磐の瞳があまりに切ないからだろうか。怒りや憎しみといった激情に突き動かされた彼の思いも、多分ある種の愛なのだろう。しかしそれは、きっと彼の恋人が愛した愛ではないはずだ。


 だんだんと落ち着いた色を広げ始めた常磐に、僕は泣き出しそうな目のまま苦笑した。


「記憶の中の情景はいつか褪せてしまうけど、その思い出の中で抱いた気持ちは消えないでしょ。失った記憶を思い出すことばかり考えないで、優しい気持ちを思い出せば良い。その気持ちは、きっと君の恋人が君にくれたものだから。それまで失ったら、駄目だ」


 自分と浅葱のことが重なって笑ってしまう。思い出は思い出せなくても抱いた気持ちだけは残っていて、それがどうしようもなく胸を刺す。だがそれは、思い出せないと悩むからだ。思い出せないことを無理に思い出そうとして苦しくなるからだ。初めから、そんな邪念から目を逸らして、残っている気持ちだけ見つめれば良かったのだ。それに気付くまで、僕も時間がかかってしまった。


「ふふ、おかしいね。なんで、紫苑ちゃんが泣きそうな顔してるの」


 慮外なことに敵意も悪意も孕んでいない柔らかな声が、常磐の唇から漏らされた。憑き物が落ちたような優しい面貌が、僕から肩の力を抜く。


「そんな顔してないよ。もしそう見えるなら、君が泣き出したいんじゃない?」


「……そうかもしれない。俺は、何をしていたんだろうね。君の言う通りだ。俺……彼女への愛まで、見失うところだった」


 常磐が僕から顔を背ける。その腕が動いたなら、目元を覆い隠していたと思う。彼は眉を顰めて、涙を流していた。僕は自身の首元に手をやって、ネクタイを解く。


「常磐。悪いけど、念のために目を塞ぐよ」


 言っておいてから彼の目元をネクタイで覆う。浅葱の能力である転移は視界内の位置にしか移動出来ないため、こうしておけば問題は無い。足も手も動かせず、能力も使えない彼は放っておいて大丈夫だろう。


 僕は浅葱の元へ歩いていき、彼女の後ろに回って拘束を解いた。


「あ、ありがとうございます!」


「あのさ」


「は、はいっ……ふぇっ!?」


 浅葱の前に回って跪いた僕は、彼女の顎に手を添えていた。だらしなく開けられたその唇を親指でなぞると、浅葱が肩を震わせる。微かに血の滲んでいるそこが痛んだのかもしれない。情けない反応を見て、嘆息を吐いた。


「もっと自分のこと大事にしなよ」


「で、でもっ、ほかに能力を奪わせる方法が浮かばなくて!」


「……次は、僕が奪うから」


「え?」


 彼女から手を離して、真ん丸のその目を凝望する。僕が真っ直ぐに見つめているからか、彼女も視線を逸らさなかった。


「枯葉にされた口付けも、常磐に君がしたことも、いつか全部上書きしてやるから覚悟しといて」


「そ……それって……告白ですか!?」


「うるさい」


 告白と言われてからなんだか物凄く恥ずかしいことを言った気分になり、額を押さえて浅葱に背を向ける。よく考えてみれば、口付けをする誓いなんて浅葱の言う通り告白とも取れるものではないか。


 僕は顔の熱を冷ますように、窓際に行って窓を開けた。偽物の月は今日も満月で、けれどそれがほんのりと赤みを帯びているように見えた。月蝕を思わせるその赤は、白い光と混ざって少しだけ蘇芳色に見える。


 確かどこかの国では、月蝕によって月が影で染まりきると、その月は空から落ちてきて世界を滅ぼす、という話があるらしい。あの仄かに紅い月は、今ソファで眠っている蘇芳が、偽物の世界を終わらせたいと望んでいるみたいだった。


     ▽〈視点・河内蘇芳〉


 泣き声が聞こえた。閉じた瞼の向こうから光が差しているようで、眩しく思って薄目を開ける。柔らかなソファの上で上半身を起こして気付いたが、あたしの手首に巻かれていた紐は解かれていて、自由に動かすことが出来た。


「お! おはよう蘇芳ちゃん。気分はどうかな?」


 顔を持ち上げてみれば、白衣がふわりと揺れる。篠崎さんがあたしの傍に歩いてきて、幼子にするみたいに頭を撫でた。あたしは思わずその手を振り払う。


「や、やめてよ。子供じゃないんだから」


「良かった。元気そうだね」


 そっぽを向くと、部屋の扉が視界に入る。その近くには見知らぬ白髪の男性がいた。彼の前に立っている常磐は両手に手錠をかけられていて、目隠しもされている。目覚める時に聞いた泣き声はどうやら、常磐にしがみついて泣いている玉城という女のもののようだった。


「若菜、心配させてごめんね。もう、こんなことしないから」


「私も、ごめん。常磐に、罪を犯してほしくなくて。居場所、バラしちゃった……」


「うん、ありがとう」


「――常磐はこれから能力者保護協会本部に連れて行かれるよ」


 二人のやり取りを見ていたあたしに、篠崎さんが小さめな声で教えてくれた。普通の声量で言わなかったのは、二人の雰囲気を壊さないためだろう。白髪の男性も静かに二人を見守っていたが、会話が落ち着いた頃を見計らって常磐の腕を軽く引く。三人が室外に出ていって、篠崎さんがあたしに手を差し伸べた。


「さて蘇芳ちゃん、帰ろう。どこに帰りたい? 自宅? それとも待宵支部が良いかな? キミの愛しの朽葉くんは待宵支部にいるけど」


「なっ……誰が愛しの、よ! 別に、朽葉のことなんて愛しいなんて思ってないし!」


「そう? まぁ取り敢えず、君の行きたいところに連れて行ってあげるからさ、言ってごらん」


「……待宵の、保護協会」


 唇を尖らせて言ってしまったのは、朽葉に会いたいから保護協会を選んだ、と思われそうだったからだ。会いたくないわけではないけれど、それは好きだからとかじゃない。ただ、自宅に行くよりも、今は協力者達といたかった。


 ようし任せて、と篠崎さんがあたしの手首を引いて歩き出す。けれどすぐに「そうだ」と振り返り、彼女は自身の携帯電話をあたしに渡してきた。


「常磐、偽物の世界から戻ってきた時、私達の説得とか必要ないくらい冷静になっていたんだ。どういう心境の変化? って聞いたらさ、彼、少年に大切な事に気付かされたんだって」


「呉羽先輩が……」


「だからさ、少年にお礼でも言ってあげると良いよ」


 篠崎さんの後ろに付いていきながら、あたしは携帯電話の画面を点けた。既に画面には呉羽先輩の電話番号が表示されている。少しだけ指が震えるのは、彼と話すのに緊張しているからかもしれない。発信ボタンを押して携帯電話を耳に近付ける。


 廊下を進んだ先のエレベーターに篠崎さんが乗り込んだため、あたしも中に足を踏み入れた。扉が閉まり、エレベーターが動き出す。耳元で鳴っていた機械音が音声に切り替わった。


『空? なにかあった?』


 中性的で綺麗な声がさらりと流れてきて、心臓が跳ねる。呉羽先輩のことは恋愛対象として好きではないと気付いたのに、兄のような存在としての好きでも、心は揺れるみたいだった。熱い頬を軽く押さえて、なんとか言葉を紡ぐ。


「あっ、いや、あたし、蘇芳です。篠崎さんの電話、借りて……」


『あぁ……そっか、蘇芳の携帯返さないとね。今日の夕方頃、保護協会で良いかな?』


「はい。って、その話が、したかったんじゃなくて」


 優しい声音に嬉しくなり、あたしの口端は緩んでいた。エレベーターが一階に着き篠崎さんを追いかけてビルの外に出る。少し離れた所に篠崎さんの車が停まっていたため、後部座席に乗り込んだ。


『話って? あ、君、怪我とかは大丈夫? 体調悪かったら、空に言うんだよ』


「あ、りがとうございます。大丈夫です。血は親指からとられていたみたいで、それほど深い傷とかは負ってません」


『そう。無事で良かったよ』


 呉羽先輩の一言一言にときめいてニヤけていたら、車を走らせ始めた篠崎さんとルームミラー越しに目が合う。思わず咳払いをしそうになった。篠崎さんと目が合うと恥ずかしいから、顔を真横に向ける。


「あの、常磐のこと。本当にありがとうございました。呉羽先輩……たくさん、傷付きましたよね。本当に、あたしのせいでごめんなさい」


『怪我をするのは慣れているから良いよ。それに君のせいじゃないから気にしないで』


「……呉羽先輩、本当に優しいですよね。そういうところ好きですよ」


『それはどうも』


「……今、何を作ってるんですか?」


 話の流れで通話の終わりを感じて、もう少し話したかったあたしは問いかけてみた。呉羽先輩が食器を触っているような音が微かに聞こえたからそう問いかけてみたのだが、そのことは彼にも伝わったのだろう。苦笑が返ってくる。


『ごめん、うるさかったかな? 食器を洗ってるだけだよ。紫土が夜中に使ったのを洗いもせず放置していてね』


「いえっ、うるさくはなかったですよ! というか紫土さん、結構雑なところあるんですね」


『真面目にやる時はやるんだけどね。ちなみに、これから作るのはトマトソースとスフレオムレツ』


「美味しそうですね! 呉羽先輩のご飯、いつか食べてみたいです」


『そんなに良いものじゃないと思うけど。今日保護協会の調理場借りて何か作ろうか。せっかく一件落着したんだし、君の好きなものでも作ってあげるよ。何が良い?』


 まさか、作ってくれるなんて言ってもらえるとは思っておらず、反応が遅れた。えっ、と大声を出しそうになったがそれを飲み込んで「ええと」と返す。好きな料理がパッと思い浮かばず、咄嗟に思いついたものを口に出す。


「し、白身魚のポワレ、とか。あとは、料理じゃないですけど果物が、好きです」


『そっか、じゃあデザートも用意しよう。食べられないものはある?』


「お肉が苦手、です」


『分かった。メニューを考えておく。それじゃあ、そろそろ朝食の支度するから、切るよ』


「は、はいっ。ありがとうございました!」


 目の前に呉羽先輩はいないのに、つい頭を下げてしまってから恥ずかしくなる。篠崎さんに今の動作を見られていたかも、と考えると恥ずかしさが増していく。顔を左右に振ってから、今日の夕方のことを想像した。楽しみだ、と微笑みを湛えて、あたしは流れる景色を見送った。



挿絵(By みてみん)


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