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月光If(番外編+if劇場版)  作者: 藍染三月
-if劇場版-偽物の月は僕達だけに光を見せていた
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eclipse19

     ◆〈視点・呉羽紫苑〉


 弓張駅に着いて数分が経つ。浅葱の家から弓張駅までの距離と、僕の家から駅までの距離を比べると、もちろん僕の家の方が駅に近い。けれど、待てども待てども彼女が来る気配はなく、嫌な予感に眉根を寄せた。


 冷静になるべく深呼吸をしてすぐ、ベストのポケットの中で携帯電話が振動する。それは僕のものではなく蘇芳のものだ。取り出して画面を見てみれば、登録されていない番号から着信が来ていた。見知らぬ番号ではない。


 舌を打ち鳴らしてから通話ボタンを押して耳に押し当てると、気持ち悪いくらい愉しそうな声が鼓膜に流れ込む。


『紫苑ちゃん、元気かな? それとも大切な彼女が見当たらなくて心配?』


「……お前、浅葱に何をした」


『ふふ、機嫌悪そうだね。君が今どんな顔をしているのか見てみたいな』


「僕の質問に答えろ」


 弓張駅で合流するのではなく、僕が彼女の家に向かうべきだったかと後悔したが、恐らくそれでも間に合わなかっただろう。このタイミングで僕に電話をかけているということは、もっと早い時間、それこそ偽物の世界に招かれてすぐに常磐が彼女と接触した可能性が高い。


 くそ、と吐き捨てたいのを堪えて唾を飲み込んだ。


『安心してよ、殺してはいないから。ちょっと痛め付けて、拘束しただけ。でもこれから何をするかは分からないね』


「……へぇ? そんなに僕に会いたいんだ?」


『そうだね。若菜が今どこにいて、何をされたのか聞かせてもらいたいし、彼女がされたことをやり返してやりたい気分だよ』


「そう。じゃあ今から君に会いに行ってあげるよ。……場所は?」


 場所を聞かずに電話を切ることも考えたが、玉城若菜から情報が渡っていると思われない方が都合が良い。クレセントビルの最上階だと常磐に告げられてすぐ通話を終わらせ携帯電話を仕舞う。ポケットからバタフライナイフを取り出して、僕は駆け出した。


 クレセントビルの場所は事前に確認済みだ。三日駅から徒歩五分ほどの場所で、ここから歩いたら三十分以上かかってしまう。だから全力で駆けた。奴が浅葱に何をするか分からない以上、のんびりしてなどいられない。


 常磐が浅葱を捕らえたのは人質として利用する為だろうから、殺しはしないはずだ。けれど死なない程度には傷付けようとするかもしれない。


 常磐の前に行けばきっと戦闘になる。だから出来るだけ体力は使いたくないが、一駅分以上走った後にビルの十階まで上らなければならないのかと考えたら、さすがに体力が尽きそうだった。


 止まることなく駆けて、ようやく三日駅まで辿り着く。そこから近い位置にあるビルに向かっていたら、ビル手前の道で行き先を阻むみたいに人兎が立っていた。


「〈潰れろ〉」


 まともに交戦などしていられない。走りながらすぐに人兎を潰して、先へ行く。頬に付いた返り血を拭って馳せれば、ビルの真下まで辿り着いた。だが入口前には何体もの人兎がいて、思わず足を止める。数十分ぶりに止めた足が微かに痙攣していた。しかしそれを落ち着かせるまで待ってはいられない。右側にいた人兎が長い槍を突き出して来たため、それをナイフで払い除け、すぐさま構え直したナイフを正面の人兎の胸へ突き刺した。


「〈歪め〉」


 槍を持った人兎を押し潰して、正面の人兎の腕を切り落とす。次いでその首を深く抉ってから後退した。しかし背中が何かにぶつかる。左手側にいた人兎が背後に回っており、僕が振り向く前に刃物が振り下ろされていた。


「ぁぐっ……〈折れろ〉!」


 左肩から腕を切り落とそうとする刃を視界に映して砕く。振り向きざまにその首を切り裂いて蹴り飛ばした。背後から革靴の音がいくつも聞こえてきて、休む暇もなく武器を構え直してそちらに向き直る。五体ほどの人兎を前に、苦笑を浮かべた。能力の対象に出来るのは一体だけ。この数を一度に相手にするのは流石に厳しい。


 こちらに向かって各々武器を振りかざし近寄ってくる。僕は一体も相手にせず、攻撃を避けてビルの目の前まで近寄った。ガラス製の扉を素早く開けようとしたが思いの外重いそれを押し開けているうちに、首根っこを掴まれて投げ飛ばされる。起き上がろうとした視界で数体の人兎が武器を振り上げていた。


 串刺しにしようとする切っ先を避けるために地面を転がるも、右足に刃が突き刺さって動きを止められる。痛みに呻いてすぐ顔を上げ、再び僕を貫こうとしている人兎達を能力で飛ばそうとしたら、その前に彼らは払い飛ばされていた。


 僕を刺した人兎は殺されたのだろう、足に刺さっていた刃物が消えて、起き上がれるようになる。痛みから目を逸らして身体を立たせれば、入口前の歩道に早苗が立っていた。


「あら、呉羽くん。素敵な姿ね。そのまま愛でてあげたいくらい」


「……助かったよ、ありがとう」


 相変わらず、全身を舐めるように見る早苗の視線は苦手だ。仏頂面で返したら、早苗が口元に左手を添えて笑いながら右手を振るった。手にしていた黒いものが鞭のように撓って、迫っていた人兎を薙ぎ飛ばす。僕がここに来るまでの間も戦い続けていたのだろうか、よく見れば彼女はところどころから血を滲ませていた。


「ふふ、せめて笑顔でお礼を言ってもらいたかったわ。ま、戯れはこのくらいにしておきましょうか。ここ、人兎がすぐ集まってくるのよ。私と向こうにいる神屋敷くんがなんとかするから、あなたは行って」


 早苗から見て右手側に目をやれば、数十メートル離れたあたりに菖蒲の姿があった。絵を描いては人兎にぶつけていた彼が、視線を感じたように振り向いた。僕と目が合うと手を振ってきたため、軽く振り返して、僕は扉に手をかける。


「早苗、危なくなったら退いて。菖蒲にも、無理はさせないように」


「分かってるわ。あなたも、死ぬんじゃないわよ」


「死なないよ」


「河内さんのこと――」


「分かってる。だから、心配しなくて良い」


 ガラス戸を押し開けて中に入ると、照明の付いていない暗い中を見回し、階段を探した。正面奥にエレベーターがあり、その右手側に階段を見つけ、そこを駆け上がる。足を動かす度に刺された傷が痛み、顔を顰めた。そのまま最上階まで上がると、扉が開けられたままの部屋が目に入る。


 廊下を進んでその一室に足を踏み入れたら、テーブルに座っている常磐に笑いかけられた。


「遅かったね。いや、距離を考えたら、早かった、のかな?」


「紫苑先輩!」


 常磐よりも左手奥に浅葱が倒れている。両手首を後ろで縛られている彼女の服が乱れていて、僕は目を細めた。腕を刺されたのか、彼女の腕から血が流れている。


 バタフライナイフの切っ先を向けると、常磐がテーブルから腰を上げる。


「浅葱、もう少し待ってて」


「紫苑ちゃんさ、玉城若菜がどこにいるか知ってるよね? 『ウサギ』を捕らえてからは彼女と二人でここで過ごしてたんだけど、昨日は夜になっても帰ってこなくてね」


「玉城若菜は、今能力者保護協会にいる」


「あぁ、やっぱり? 彼女は忠実だから、何をしても無駄なんだけど……そんなことを知らずにどれほど傷付けてくれたのかな?」


 常磐の笑みが歪んでいく。僕は、それを冷めた瞳で映していた。


「常磐。君はとても、愛されているね」


「……それは、喧嘩を売っているのかな」


「事実を口にしただけ。君の愛した人はこの世にいないかもしれないけど、君を愛している人はまだこの世にいる。それなのにどうしてそれから目を背けるんだ?」


「君はおかしなことを言うね。俺を愛してくれるのは彼女だけ。俺が愛せるのも彼女だけだ」


「そんな風に哀しい生き方をして、何が楽しいの。過去に囚われ続けて、今を見つめずに生きることのどこに幸せがあるわけ」


 常磐の仄暗い瞳が次第に細められていく。やけに落ち着いた目見が優しさを灯し始めたが、それはどこか汚れて見えた。


「幸せだったよ、俺は。彼女の思い出に浸れる間は幸せだった。けど今は幸せじゃないね。思い出せなくなったから、今は、『ウサギ』に対する怒りしかない。だから――今夜こそ『ウサギ』の前に君の死体を用意してあげなきゃ」


 反射的に後退したら、元々僕がいた場所の床から刃が突き出していた。壁から無数の針が飛び出し、すぐにその場を離れたが、さして広くはない室内のため常磐に接近してしまう。彼は手にした剣を横に薙いで僕を払い飛ばそうとした。それをバタフライナイフで受け止めたら金属音が響く。割れた硝子みたいな涼しい音が溶けて消えても、ぶつかり合う刃はどちらも引かれない。


「いい加減やめなよ、消えてしまったものにばかりしがみつくのは。どうして今あるものを、残っているものを大事に出来ないんだ……!」


「何が残ってるって言うんだよ!」


 常磐の剣が一旦引かれて、バタフライナイフは押さえていた勢いのまま虚空を裂く。叩きつけるように振り下ろされる刃が下を向く前に、僕は「〈飛べ〉」と呟いて彼を押し飛ばす。勢い良くソファの端へ引き寄せられた彼は剣を落とし、肘掛けにぶつかって床へ倒れた。視界に映る彼の片腕を折り曲げようとしたが、彼の足元から矢の如く飛んできた小刀が目に留まり、咄嗟に片足を軸にしてステップを踏むようその場から移動する。再び前へ向き直って、向かって来ていた二本目の矢をナイフで払い除けた。


 銀の軌跡が視野から消えたと同時に、僕の眼前に常磐が迫っていた。息を飲みながらも左肩を後ろへ逸らし、僕を貫こうとした常磐の右腕を受け流す。前に出た右手の内でバタフライナイフを回して順手に持ち変えると、迫った勢いのまま僕に倒れ込みそうだった常磐の左腕へ切っ先を突き立てた。筋繊維を押し裂いて血が溢れ出す。沈められるだけ沈めた刃を躊躇なく引き抜けば、モノトーンの室内に赤が散った。


 抜いた拍子に右半身が下がり、前に出た左肩に常磐のナイフが突き刺さる。彼は負傷による隙を一切作らず、痛みを意識から潰して反撃に移っていた。押されるままに壁へ背を打ち付けた僕は常磐の腕をバタフライナイフで貫いたが、彼の腕は揺らがない。僕の左肩に刺さったままのナイフの形状が変化する。常磐が創造の能力によって、刀身をより長く、幅広くしていた。体の内側から肉と皮膚を破かれるような感覚で溢れた悲鳴を噛み潰した。


「残ってないんだ……記憶の欠片すら残ってないんだ! それなのに……なにを大事にしろっていうのさ。偽物の世界に招かれなければ俺が自分の能力を知ることだってなかったんだ。能力者だって自覚して、自慢みたいに学校で言いふらして嘘吐き呼ばわりされることだってなかったのに。みんなに見放された俺に彼女だけが優しくしてくれた! 彼女だけが俺をちゃんと見てくれて、愛してくれて、俺も愛したのに! 消えちゃったんだよ何もかも!」


「なにもかもじゃ、ない」


 彼の腕に刺していたナイフを抜くと、脱力したように僕の右手がだらりと落ちる。けれど、バタフライナイフを握り締める拳は覚悟を決めていた。「〈曲がれ〉」と吐息じみた呟きが、常磐の腕を手先から捻じ曲げていく。腕が雑巾のように成り果てる激痛に、彼が悲鳴を迸らせていた。


「紫苑先輩っ!」


 浅葱が悲痛な声を上げたのは、僕の身を案じてだろう。常磐の腕はどれほど肉が捻れて骨が砕けても、その手をナイフから離さなかった。彼の腕が捩じられていくと同時に、幅広く鋭利なナイフが僕の左肩に穴を開けそうなくらい捻られる。


 皮下組織をめちゃくちゃにかき混ぜられる中で声を堪えて、原型を留めないほど歪められた常磐の腕を視認し、彼の腹部を蹴り飛ばした。肩に刺さったままのナイフを引き抜いて床に投げ捨て、乾いた音を立てたそれを能力で彼の方へ飛ばした。彼は床を盛り上げて壁を作り、それを防ぐ。ナイフがぶつかった壁は砂城の如く崩れていき、ふらつきながら立ち上がる常磐の姿がしかと見えた。


 バタフライナイフを構え直した僕は雷に打たれたような痛みに呻いて視線を落とす。床から突き出した太い針が、僕の足を貫いていた。恐れと躊躇いを頭の中から切り捨てて、足を引き上げ針を抜く。その場から離れてもすぐに床からいくつも針が飛び出して、止まることが出来ない。浅葱の方には行かず、扉寄りの床を踊るみたいに踏み鳴らし歩いて、針を避けながら常磐に接近した。地を蹴って跳ぶと勢いの付いた体は空中で一度回転してから落ちていく。重力に身を任せ、ナイフを振りかざして常磐の目の前に着地した。常磐は先ほど僕が飛ばした血濡れのナイフを素早く手にし、僕からの攻撃を受け止める。上方へ力を加えて押し返そうとする彼と、重力の助けを借りながら下方に力を注ぐ僕は、元々力の差が無いみたいに互角だった。押し合う刀身はどちらも押し負けない。その銀刃の先、激情を醸し出す彼の双眸に語りかける。


「愛した気持ちまで憎しみで汚してどうするんだ。君の恋人が愛した君自身まで、歪めてどうするんだよ。僕に愛なんて分からないけど、あんたの思う愛は綺麗なものなんでしょ。優しいものだったんでしょ。そんな愛を、暴力と憎しみで塗り潰すなよ……!」


 バタフライナイフに掛かる重力を操作して畳み掛ける。押し返すのを諦めた常磐が動かしたのは足だ。寸刻反応が遅れて、足を払われた。元々人兎にやられていた傷が痛み、バランスを崩したおかげで倒れかけた身体を素早く立て直したが、彼の動きを捉えて咄嗟に上体を後ろへ逸らす。こちらの首を裂くように持ち上がった常磐のナイフが僕の前髪を僅かに掠めていた。



挿絵(By みてみん)


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