eclipse2
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家の前に停められた黒い車に乗り込んだら、運転席にいる空とルームミラー越しに目が合った。空は「やぁ、少年」といつも通りの挨拶を掛けてくる。
空は僕の補助をしてくれている。車での移動に加えて、能力者を捕らえる時の拘束と輸送は彼女がする。捕らえるために相手を戦えない体にするのは僕の役目。能力で相手の状態を数時間巻き戻せる空がいるから、殺さない限りは何をしても問題がない。死なない限りは僕も何をされても大丈夫だ。
彼女の能力は、肉体だけの時間を戻すことと、記憶を含めた相手の状態を巻き戻すことが出来るため、肉体だけを巻き戻すことで治療にも使える。戻せる時間は最長で三時間とはいえ、戦闘のサポートには便利な能力だ。
「チョコレートは美味しいかい?」
「美味しい」
流れていく景色を横目で見つつ、家の冷蔵庫から持ってきたアーモンドチョコレートを頬張る。僕の家から三日市までは車で二十分もかからない。三日駅からやや離れた人気のないところに、空が車を停める。空は車内で待機し、僕が巡回をするのがいつものことだ。
チョコレートを一粒口に含んで、箱を座席に残してから、僕は車を出た。時刻は深夜零時過ぎだが、駅近辺だから通行人がちらほら目に付く。とはいえ三日市はそれほど栄えている市ではないため、騒がしくなくて良い。待宵市の巡回をした時は絡まれたりして面倒だった。
大通りを歩きながら建物の間等の路地裏に目を向け、不審な人物がいないか見回っていく。顔を左右に動かして歩くと流石に僕が不審者のようになるため、瞳だけをちらちらと左右にずらしていた。
偽物の世界がなくなってから数日は、人がいる普通の夜に落ち着かなかったが、今ではもう慣れた。
時の流れは早いもので、あれから半年ほどが経っている。
何かを殺すことはなくなったけれど、自分の能力と武器を使って戦うことはこうして続けている。東雲と空に頼まれたから、ということもあるが、僕自身も戦いたくて戦っている。それは、誰かを傷付けるのが好きだからとかそんな理由ではない。
普通の人間で在る為には能力を使わなければ良いのだが、結局能力というものは僕自身の一部みたいなもので、そのたった一部でも自分を否定することは出来なかった。この能力は偽物の世界で僕を守り続けてくれていたものだ。それを、簡単に捨てられない。忘れようとしてもふと使いたくなるし、自分の身に危機が迫った時は頼りたくなる。
だから、能力を長い期間使い続けてきた僕みたいな人間にとって、能力者を保護したり捕らえたりする仕事は救いでもあるのかもしれない。
それに普通の人から見たら化物じみたこの力を、誰かを救うために使えることで、能力を憎まずに済んでいる。能力を使って助けたことで拒絶されたことがあっても、仮にこれから拒絶されても、命を救えたのだと思えば気は軽くなる。
通り過ぎて行った車を何の気なしに目で追いかけ、車道の向こう側にある歩道の奥――薄暗い脇道に視線が縫い止められる。その先で何が起こっているのかまでは見えないが、脇道の手前が赤黒く色付いていた。
少し進んだ先の横断歩道を渡ってその脇道を覗き込む。周りの雑音に掻き消されているおかげで微かだが、争うような声が聞こえた。ベストのポケットの中に手を差し入れ、バタフライナイフの柄を握る。
能力とは無関係な一般人の争いだったらこのナイフは抜かず、代わりに警察に電話をするようにしている。革靴の音を響かせないようそっと足を前に運び、細い道を進んで行った。
「追いかけっこはもう終わりかよ、つまんねぇなぁ」
「ご、ごめんなさいっ! 殺さないで!」
「あぁ? 先に喧嘩吹っかけてきたのはそっちだろうが。最初の威勢の良さはどこいったんだ?」
聞こえてくる会話だけだと、この先に能力者がいるかは分からない。若い女性の悲鳴が上がるが、どうやらまだ殺されてはいないみたいだった。足を早めて声の方へ進み、拓けた所を覗き込む。取り壊される予定と思しきマンションの敷地内で、血を流して蹲る高校生くらいの少女を前に、金髪の男性が立っていた。男は愉しそうに笑っているが、両手から血を流している。
様子を窺っていると、男の手が怯える少女に向けられた。刃物や武器は持っていないようだ。だが少女の腕の傷は素手で付けられるようなものではない。刃物が地に落ちているわけでもない。半ば確信して爪先を街灯の差す方へ向けた。
男の腕で血液が異様な動きを始める。生き物のように伸びたそれが少女に向かった直後、僕はそれを切り払いながら少女の前に躍り出た。ナイフで切れるもので安堵し、ほっと息を吐く。
闖入者である僕の姿を不愉快そうに見て、男は「はぁ?」と大口を開けた。
「なんだよテメェ。そいつの知り合いか?」
「『能力者保護協会』って知ってる? 能力で人を傷付ける君みたいなヤツを、捕まえているんだ」
後目に背後を窺う。少女は足を負傷しているみたいで立てそうになかった。端の方で大人しくしていてもらわないと巻き込んでしまう。僕の「捕まえている」という言葉に眉を顰めた男へナイフの切っ先を向けたまま、屈む準備をする。
「捕まえてる、だ? ハッ、ざけんなよ。ガキに捕まえられてたまるかってんだ!」
男の両腕から血の刃が伸びてくる。狙いは僕の頭部。素早くしゃがんで躱し、間を作らずに男の足を蹴った。彼がバランスを崩して倒れている短い間の中で少女を抱きかかえ、脇道の方へ彼女を運んで下ろし、向かってきていた血の弾丸を振り向きざまに切り捨てた。
血液をどんな形状にも変化させて操れるようで、厄介だ。とっとと膝を突かせて腕を切り落としてやろうと考え、僕は血液を鞭のように振るっている男を睨み据えて地を蹴る。
「〈押し潰せ〉」
「っ、ああ!?」
上空の空気が重くなったように男が片膝を突く。「〈歪め〉」と呟き能力で右腕を捻り上げ、捩じられた肘にナイフを沈めた。「〈歪め〉」と再度呟いて、刃を振るう腕の勢いを強める。表皮に沈んだナイフは肉を抉り骨を切り払う。血を吹き出させながら男の右腕が宙を舞って地へ落ちた。
まず一本、と胸中に呟いてから唾を飲む。次いで左腕を切り落とすつもりだったが、右腕から吹き出した大量の血飛沫が地に付くことなく浮いて見えたのが一瞬。次の瞬間には浮いている血の全てから赤黒く鋭い針が伸びて、僕の右腕を串刺しにしていた。
「ぐっ……!」
「あー……くそ、いてぇなぁ、おい」
男が体勢を立て直して立ち上がるのを捉えながら後退しようとしたが、下がる為にはこの腕に刺さる幾つもの針を抜かなければならない。無数の血の針は宙に浮いたまま、更に伸びて僕の腕を貫通した。血管が引き裂かれ骨も砕かれているであろう右腕はもう使い物にならない。針から引き剥がすのを諦めて能力で捩じ切るかとも考えていたら、腹部に圧迫感と痛みが走った。
「ぁが……っ!」
男の蹴りで体が傾き、右腕が針から離れていく。背中が地面に着いた直後、すぐに身を転がして右手が取り落としたナイフを掴み上げ、片膝を突きつつ上半身を起こす。
目前に迫っていた血の弾丸をいくつか払い除けるも、身体中に放たれているそれら全てを弾くことは出来ない。肩、頬、脇腹と太腿の皮膚が弾に引っ張られて裂かれる。電撃が走るような痛みに唇を噛んで、すぐに駆け出した。
男は切り落とされた右腕の血を利用して先程よりも太く長い鞭を形成し、それを振り回す。それを切り捨てて男の目の前に迫り、左手で構えていたバタフライナイフを回した。刃を仕舞い込んで柄を腹部に突き立てる。男のシャツが深い皺を刻み、硬い腹に柄がぶつかる。前のめりになって崩れかけた男は僕の頭上で笑った。
「ハッ……それで学んだつもりかよ!」
「くっ……!?」
足にいくつもの針が刺さったような痛みを覚え、思わず自身の足元へ目を向ける。地面は、男の右腕から滴っている血で濡れていた。地面に染み込んでいる血液さえも操れるのは予想外だ。太い針が僕の両足を穴だらけにして、血液に戻りアスファルトへ溶けていく。立っている力が失われて体が傾いた。
男の足元に倒れた僕の側頭部に、黒い靴が降ってくる。思い切り体重をかけて人の髪をめちゃくちゃに汚して乱してから、男は僕の脇腹を踏み付けた。
「能力者を捕まえてる組織っつー割には、クソ雑魚じゃねぇか。とっとと立って、もっと楽しませろよ。そんなに地面の寝心地が良いか?」
「くっ……はは、そう、だね……あんたの足がよく見えて最高だよ」
「あ?」
笑い飛ばすような声に、「〈折れろ〉」と呟いた。僕を蹴ろうとした足が本来折れるはずのない方向へ折れ曲がる。相当痛かったのか、男は喉から悲鳴を迸らせていた。よろめいて倒れた男のもう片方の足にも折れるよう命令を下して出鱈目に折り曲げる。足の骨を粉々に砕くように、ポスターを丸めるみたいに彼の片足が爪先から丸まっていく。形容しがたい音を伴って、それは足とは言えない形状に成り果てていた。
「な、なん、だよ、これ……!」
「ほら、とっとと立ちなよ。あ、もしかして立てない? それとも地面がそんなに気持ち良いのかな?」
心做しか風を通しやすくなっているような両脚を立たせて、僕は男を見下ろした。骨が砕ける痛みも肉が無遠慮にかき混ぜられる不快感も、理性を吹き飛ばすには十分だろう。彼は真っ青な顔をして自身の足を見ていたが、それまでの強気な顔を取り戻し、僕を睨め上げる。
「ふっざけんなよテメェ! 俺に勝てると思ってんのか? 足と腕が使えなくなっても――」
「五月蝿い、耳障りなんだよ」
顔面に片足を叩き付ける。爪先を左右に動かして顔を踏み躙ってみたが、正直僕の足の方が痛みを覚えていると思う。気を抜いたら倒れ込みそうなくらい、穴だらけの両足は微かに震えていた。
ポケットから携帯電話を取り出し、僕はそれを耳に押し当てる。
「空、能力者との戦闘を終えた。回収しに――……ッ、ぐぁっ!」
足の甲の血管や皮膚がぶちぶちと裂かれる感覚に目を瞠った。思わず携帯電話を取り落とす。男の顔を踏み付けていた僕の足の甲から、真っ赤な両手が花のように生えていた。それは、血液によって形成されたものだろう。僕の足を真っ二つに裂かんとするその手の指が革靴に絡みつこうとしたのを視認して、すぐさま足を引っ張った。
「ぁっ……、くそッ!」
けれど血液で出来た手の爪はまるで刃物のようで、抜こうと引っ張れば引っ張るほど足へ沈み込む。僕の足を離さない真っ赤な手から更に両手が生えて、十本の指が足首に隙間なく突き刺さる。激痛に顔を歪ませていれば、足が下から押され、刃が更に深々と刺し込まれた。
「血さえありゃあ……めちゃくちゃにやれんだよ」
「ホント……厄介な、能力だな……、くっ」
立っていられなくなって尻餅を突く。まずい。この男に勝つには意識を失わせなければならない。けれど僕の力では、意識を失わせることは難しい。せめて視界を奪うか、と考えてもみたが、奪ったと同時に眼窩から流れる血で僕も負傷する。
しかしここまで来てはもうこれ以上どう負傷しようが構わない。激痛と出血多量で意識を保つことすら辛かった。
バタフライナイフを握りしめた左手を地面に突き、立とうとする。しかし立つには、真っ赤な手に捕らわれている足をどうにかしなければならない。素早く思考を回している僕に、男の不愉快な笑い声が響く。
「なぁ、足の断面ってどうなってんだろうなァ?」
足の甲が引き裂かれる感覚を意識の外に追いやって、左手に力を込めた弾みで立ち上がる。血塗れの足を男から引き離すと、苦しげに顔を顰めていた彼が吃驚して僕を見上げた。僕はその右目にバタフライナイフを突き立て、すぐさま横に薙いで左目も切り裂いた。散った鮮血が多方面に針を突き出させる。僕がどこにいるか分からないからだろう。僕に届いた赤黒い針は二本だけ。一本は頬を掠め、もう一本は首筋の肉を削ぐ。男の身体に倒れ込みそうになった僕は、なんとか上体を逸らして地面に背を打ち付けた。細められた視界の中で、白い裾がふわりと舞う。
「少年、目を閉じて」
どこか怒気を孕んでいるようにも聞こえる声だった。目元に冷たい手が押し当てられ、視界が覆われる。
「〈戻れ〉」
その声を聞いて、僕の意識は遠のいた。




