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この作品は月光完結から二年が経過したことを記念して書いたものです。もし月光が映画化したら、というifの話としてお楽しみ下さい。※本編から半年後のお話です。
本編はこちら→https://ncode.syosetu.com/n7495db/
各話ラストに1枚挿絵を入れています(話に合っていたりいなかったりします笑)、挿絵苦手な方はご注意ください。
1日3話ずつ(10時、11時、12時に)投稿していきます。
死ぬまで、思い出の中の彼女を愛し続ける。そのつもりだったのに、大切な思い出はいつの間にか零れ落ちて、何もかも消えていた。
どうして、なんて疑問を放つことに意味はない。何故一番大切な彼女の記憶が消えてしまったか、その理由ははっきりと分かっている。
数人の能力者と化物しか存在しない偽物の世界に招かれて、そこで死ぬと記憶を一部失う、なんて都市伝説を広めたら、信じる者がいるだろうか。答えは否だ。馬鹿げた虚言だと、下らない妄言だと、誰もが笑って聞き流す。
偽物の世界という、彼女の記憶を失くす原因を造った『ウサギ』を、あれからずっと探し続けている。情報が広まりやすい世の中だから、すぐに協力者が出来て、『ウサギ』の手がかりも見つかると思っていた。しかし、インターネットを通じても『ウサギ』のことは一切掴めなかった。情報を知っている人を求む、と呼びかけたところで、まともな情報は塵さえも出てこない。
見つけられる可能性が低いとしても、『ウサギ』探しを諦めるつもりはなかった。
なにより大切な彼女の記憶を奪った『ウサギ』を、苦しみの渦に突き落とす。その為なら、どれほどの年月を削っても構わなかった。
◆〈視点・呉羽紫苑〉
葉桜が揺れるのを窓越しに眺めて、双眸を少しだけ細めた。葉も枝もほんのりと茜色に染められており、今が眠気を誘う時刻であることをそれとなしに伝えてきている。欠伸を噛み殺していたら、僕の向かい側に腰掛けている担任が長いため息を吐き出した。そうしたいのは僕の方なのだが。
「呉羽、これがなんの時間か分かってるか? 俺の話聞いてるか?」
「……三者面談でしょう。聞いていますよ、僕の成績がひどいって話ですよね」
「お前、これ親御さんに見せたくなくて親呼ばなかったのかってくらいひどいぞ。五段階評価で二ばかりは流石に笑えない」
窓に向けていた黒目を机の上に動かす。そこには僕の成績表と、よく分からないプリントや分厚い本が置かれている。
三者面談だというのに親を呼ばなかった生徒は今のところ僕だけのようで、面談開始時から長々とそれについて愚痴を吐かれた。うんざりする。母親は他界していますし父親は家に帰ってきません、と言ったら多少は同情を引けるだろうか、なんて考えたりもしたが、下らない話をしたくはなかったため、自分の成績表ととりあえず向かい合った。
数学は五で現代文と体育が四だが、それ以外はすべて二。確かに、担任教師ともなれば呆れたくなると思う。
「呉羽、お前進路どうするつもりなんだ? まぁ、欠席は多くないから就職は出来るかもしれないが……進学は厳しいんじゃないか」
「……まだ、決めていません」
「まだって、もう三年生なんだぞ。早めに動き出さないと行ける場所がなくなる。分かってるのか?」
「……はぁ」
「あー……まぁ、そろそろ時間だから、今日はここまでにする。次の面談までには進路決めとけよ。あと、成績も上げるよう努力すること。良いな?」
「分かりました」
立ち上がりざまに呟いて、鞄を肩に掛け、廊下へ出ていく。廊下に置かれている二脚の椅子には同じクラスの男子生徒と、その母親と思しき女性が座っていた。女性に軽く会釈をされたため、同様に軽いお辞儀で返し、そのまま廊下を進んでいく。
ブレザーのポケットから携帯電話を取り出して、僕はメールの画面まで操作する。宛先に『宮下浅葱』を選び、本文には面談が終わったことだけを書いた。
一階へ下ると、階段の右手側にある図書室から浅葱が出てくる。視線を絡めた彼女はとても嬉しそうに破顔して、僕の腕に飛び付いてきた。
「待っていました!」
「知ってるよ……というか離れて」
「ご、ごめんなさいっ、つい!」
前世は犬だったのではないかと思うくらい、彼女は気分が良くなると飛び付いてくる。その度冷静になってから顔を真っ赤にして離れるのだから、飛び付く前に冷静になれといつも思う。
浅葱は桜色の頬を両手で押さえて、下駄箱に向かった。僕も上履きから革靴に履き替え、昇降口を出た所で彼女と合流する。隣に並んで、校門の方へ歩き始めた。
「紫苑先輩、明日明後日は土日で休みですけど、何か予定あったりします?」
「いや、特にないけど」
「そうなんですか! ふふ、私はですね、日曜日に蘇芳ちゃんと遊ぶんですよ!」
「……え? 自慢したかっただけ? どこか行こうって誘われるのかと思った。まぁ楽しんできなよ」
言われてから誘うということを思い付いたのか、浅葱は残念そうに肩を落としていた。楽しんできます、と言っているが、眉尻は下がったままだ。
走り込みをしている陸上部の部員が駆けてきたのを避けながら、僕達は校門を潜った。
「割といつでも空いてるから、君の都合が良い時に誘って」
「はいっ! じゃあ来週の土曜日はどうですか?」
「分かった、覚えておく」
僕の予定は基本的に家事くらいだし、買い出し以外に出かけることはあまりないため、いきなり誘われても断る必要がない。まぁアルバイトをしていなくて友達もいない高校生なんてそんなものか。
友達というと、浅葱はどうやら二年生になってから友達が出来たみたいだ。というのに昼食は僕ととっている。友達と食べた方が良いんじゃない、と提案してみたが「紫苑先輩と少しでも長く一緒にいたいんです」なんて面映ゆいことを恥ずかしげもなく言ってきた。
そのことを思い出したせいか、少しだけ暑くなる。ネクタイを軽く緩めて、息を吐き出した。
「アイス、食べたい……」
心の声が、気付くと唇の隙間から零れ落ちている。あ、と思って口元に手をやったが、隣を進む浅葱がにこりと笑って僕を見上げた。
「駅前のコンビニで買いましょうか!」
「あ、いや、いいよ。帰ったら食べるから」
「そうですか……残念です……」
本当に残念がっている頭を何気なく撫でてから、歩道を進む。暫く歩けば、繊駅が見えてきた。
改札を抜けて階段を降りたタイミングで、ちょうどよく電車が来たので、それに乗り込む。
一駅次の三日駅で浅葱が僕に手を振りながら降りていき、そこからもう一駅先の弓張駅で下車をした。
帰宅すると、珍しく鍵が開いている。今日はどこにも寄っていないのに兄である紫土の方が先に帰っているのか、と少し驚いたが、そういえば面談で無駄に時間を使ったのだった。
リビングに入った途端、食欲を唆る香りが鼻腔を擽った。ソファに鞄を置いて台所の方へ目を向けてみれば、紫土がポテトサラダを作っていた。香りから察してはいたが、どうやら夜ご飯はカレーのようだ。
「おかえり、紫苑」
「……ただいま」
紫土が明るく笑いかけてくるようになったのは、いつからだろう。それでもその微笑がぎこちないことを僕は知っている。以前のように冷たい目で僕を見ることも、僕を痛めつけようとすることも、まだたまにある。
多分僕には想像出来ないくらいの激情と葛藤を内に抑え込んで、歩み寄ろうとしてくれている彼に、僕も少しずつ普通に接しようとし始めた。どうしてもぎこちなくなってしまうのは、これまでの関係が記憶に刻まれているからだ。
冷蔵庫からカップのアイスを取り出し、スプーンを手に取って、ソファに体を沈めた。沈黙が気まずく、無音をかき消すためにテレビをつける。見るわけではないから番組は気にせず、ショートケーキ味のアイスをスプーンで一口掬って口内に含んだ。
「紫苑、夜ご飯は……まだ食べない感じだね、その様子を見ると」
「あぁ、後で自分でやるから気にしなくて良いよ」
「そう」
ソファの前にある四人掛けのテーブルに、紫土が自身の分の食事を並べていく。テーブルと椅子を挟んでいるから距離はあるものの、向かい合うような位置に座られると少し気まずい。ひんやりとしたアイスを食べ進め、テレビに目を向ける。報道番組をぼんやりと眺めながら、スプーンを咥えた。食べ終えてしまったアイスのカップを洗いに席を立つ。スプーンとカップを洗い終えてから、紫土が洗わずに放置していたまな板を見て眉根を寄せた。これくらい洗ってほしいと思いつつ、それを手に取ろうとしたら何かが降ってきて右手に痛みが走る。
金属音を鳴らしてまな板の上に倒れたのは包丁だ。親指を軽く抉られたみたいで、痺れるように痛む右手から血が流れていた。
「何落としてんの?」
「何落としてんの、じゃないよ。どこに包丁片付けてるんだよ。なんのトラップ? ふざけてるの?」
「え、あー、ごめん。上じゃなかった?」
見上げてみれば、上方の棚の取っ手に包丁差しの紐が引っ掛けられている。何故そこに片付けようと思ったのか頭のおかしさを詰ってやりたい。親指から溢れる血を水で洗ってテーブルの方に行くと、紫土に手を引かれた。
「ちょっと染みるよ」
「いや、消毒くらい自分でやる――痛っ……お前なんで抉った」
「お前が大人しくしないから」
爪が突き立てられた傷口がじわりと痛む。そこに消毒液が垂らされて、零れた液をティッシュで拭かれた。それから彼は絆創膏を取り出し、丁寧に巻いていく。
「はい、これでよし」
「良しと言いつつ爪突き立てるのやめてくれる?」
「つい癖で虐めたくなるんだよね」
「その癖直してよ」
何が楽しいのか人の指を引っ張ったり軽く曲げたりしていた彼の手を払い、台所へ戻った。上の棚から包丁差しを手元に引き寄せて、蛇口の傍へ置き直す。蛇口を捻り、水音で聴覚を満たしていたら、気怠げな声が水泡の旋律を塗り潰していく。
「そういえばお前、今夜も仕事あんの?」
「ん、あぁ……今日は三日市の巡回かな」
「大した金にもならないのに、よくやるよね。いくら貰えるんだっけ?」
「一日五百円、東雲がくれる」
「小学生の小遣いかよ、ブラック企業じゃん」
東雲は能力者保護協会という、能力者を保護したり捕らえたりしている組織に属している。昨年の冬くらいからその仕事を手伝うようになったが、ほとんどは不審者がいないか見回りをするだけで終わる。たまに能力を悪用して人を傷付けたりしている人間を捕らえることもあるが、そういった成果を上げると小遣いが少しだけ増えるみたいだ。
「そうだ、彼女とはどう?」
まな板を洗い終え、皿にご飯とカレーを盛り付けていたら、思わずその皿を落としそうになった。彼女、はきっと浅葱のことを指している。蘇芳か東雲あたりから色々と聞いているみたいだが、彼が浅葱と会ったことは未だにない。会わせたくはないから良かったと思うけれど。
冷蔵庫からポテトサラダを取り出して、声柄に呆れを滲ませた。
「彼女って、別に付き合ってるわけじゃない」
「まだなんだ? 早くしないと他の男に盗られちゃうんじゃない? 俺とか」
「は?」
「冗談だよ、話聞いてる限り物凄く好みじゃない。弄んで捨てるには良いかもしれないけどさ」
相変わらず紫土の冗談は冗談に聞こえない。浅葱を使い捨ての玩具みたいに言ったことを撤回させてやりたいくらい腹が立つ。テレビの音と食器の音の中に、小さな舌打ちを織り交ぜた。
他人にぞんざいに扱われてむかつくくらいには、彼女に好意は抱いているみたいだった。それが恋心と呼べるものかは依然としてわからないまま。偽物の世界で死ぬ前の――彼女との出会いを覚えているかつての僕なら、分かっていたのだろうか。
偽物の世界が壊れてから僕に告白をした彼女へ、どんな言葉を返したかは今でも思い出せる。「君に抱いていた感情が、確かに恋心だったと感じた瞬間を思い出せるまで待ってて」。
恋とは僕にとって何よりも難解で、それゆえ彼女をいつまでも待たせてしまいそうだった。
そんな自分が、恋という、明確な形も実体もないものから逃げているだけに思えてきて、嫌になる時がある。彼女の真っ直ぐな気持ちに真っ直ぐ返したつもりでも、それは『返したつもり』なだけであってそうではなかったかもしれない。
出来る限り、渡された気持ちと同じだけの気持ちを返したいと思うし、少なからず抱いている好意が彼女に伝わって欲しいと思うし、彼女に笑っていて欲しいと思うのは、どういった感情によるものなのだろうか。こんな気持ちになったことは、これまでなかったような気がする。




