10・俺はビール派、兄貴はワイン派
「…これはどう言う事だ?リオ」
あの大騒ぎは何だったのか、というほど瞬く間に回復した兄が自宅に戻ってみると、そこには以前まで無かったはずのものが鎮座していた。
「えーと、ほら、この間オレ宛の依頼があったろ?」
「あぁ、あったな。お前の大好きな暴力沙汰の依頼だったか」
「そうそう、そこで見つけちゃってさー…」
「…持って帰って来たわけか?」
エントランスのソファに腰掛ける弟の足元には、行儀良く座った成犬が1匹。ブラックゴールデンレトリバー、いわゆる黒いゴールデンレトリバーである。その利発そうな黒くて大きな瞳は、弟の前でローテーブルを挟んで立っている兄へと向けられていた。
「あのまま現場に置いて来てたら、アニマルシェルター行きだぜ?」
「例えシェルターに連れて行かれたとしても、これだけの良い犬だ、すぐにでも里親は見つかるだろう?」
「いや…でも…」
「はっきり言え」
もごもごと口ごもる弟に、兄は腕を組んで溜め息を吐く。弟は恐る恐るといった様子で兄を見上げた。
「…飼っていい?」
「初めからそう言えばいいんだ。…世話は誰がするんだ?」
「オレがする。餌やりだって散歩だって、ちゃんとする!」
駄目だ、の言葉を出さなかった兄に、弟はいきいきと喋りだす。兄は、半分呆れたような顔で、弟と犬を見比べた。
「…成犬だな、毛並みも良い。しっかり手入れと躾を施されていそうだ」
「あぁ、座れと待ては出来たぜコイツ。家の中で粗相も無ぇし」
ふむ、と組んでいた腕を下ろして犬へと近付く兄。床に膝を付いてその頭に触れ、毛並みに沿って撫でてやると犬は嬉しそうにフサフサと尻尾を振った。
「慣れているな」
「なぁ、飼ってもいいだろ?」
兄を見る弟の顔は、期待半分、不安半分だ。兄はしばらく犬を撫でたあと、立ち上がって再び腕を組んだ。
「いいだろう」
「…Yeah!!」
拳を握り締めて喜ぶ弟。駄目だと言われる予定でいた為、かなり嬉しい様子だ。弟の膝ほどの高さにある犬の首に抱き付き、ぐしゃぐしゃとやや乱暴にその頭を撫でる。そこへ、兄が一言付け足した。
「ただし、条件がある」
「…条件?」
わしわしと大喜びで犬を撫でまわしていた弟の動きが、ピタリと止まる。撫でまわされていた犬はたいして嫌がる素振りもなく、その艶やかな毛並みをくしゃくしゃにされてもきょとんとしている。
「何だよ、家事とか部屋の掃除もちゃんとするって」
突っ込まれるだろう、と思った事柄を先に言ったつもりだったが兄はゆるく首を左右に振った。
「そうじゃない」
「じゃあ何だよ」
「その犬の名前は、まだ付けていないだろう?」
「…えー!!ちょ、オレの犬だぜ?!」
名付けの権利を奪われまいと、弟は必死に食い下がる。が、兄も負けてはいない。
「俺達の犬、だろう。許可したのは俺だ」
「でもよー…」
「諦めろ。センスの良い名前にしてやる」
ぶちぶちと気に食わない様子で文句を垂れていた弟は、急に何かを思いついたように手を叩いた。兄はそれを見て首を傾げる。
「良い事思いついた!コイツに決めさせようぜ」
「犬にか?」
「コイツ頭良さそうだし、それくらい理解出来るんじゃねぇ?」
犬の頭をポンポンと撫でながら、弟は言った。なぁ?と犬の顔を覗き込むように見ると、まるでそれを理解しているかのように、フン!と短く鼻を鳴らした。それはまるで返事をしているように見える。
「…なるほど、頭の良い犬だ」
「だろ?」
****
夕食を終え、食器を片付け終わったダイニング。弟はビール、兄はワインを片手に寛いでいた。
「なぁ兄貴、名前決めたか?」
「あぁ。お前は?」
「オレはもう決まってる」
2人はグラスを持って立ち上がり、ソファへと移動する。ダイニングテーブルの足元には例の黒い犬が静かに伏せていたが、2人が動くのを見て顔を上げた。2人は並んでソファへと腰を下ろした。
「それぞれ名前呼んで、反応した方の勝ちだからな」
「勝ち負けがあるのか?」
「いーの!Come on Eddy!」
ビールのビンをローテーブルに置いた弟は、身を乗り出して手を叩き、エディ、と犬を呼んだ。犬は腰を上げ、尻尾を振って弟に駆け寄ろうとする。弟もしてやったり顔だ。だが、兄はまだ名を呼んではいない。
「どうしたんだよ、オレんトコ来ちまったら兄貴の負け」
「Come on Dante」
弟の声を遮り、兄はソファに背を預けたまま、静かにその名を呼ぶ。ダンテ、そう呼ばれた犬は弟の手前で急に進路を変えると、兄の膝に前足を乗せ、千切れんばかりに尻尾を振った。勝敗は、明らかである。
「…ずりぃ」
「お前が言い出した案だろう?」
グラスを傾けながら犬の頭を撫でている兄を恨めしそうに睨み、弟はビンに残っていたビールを一気に飲み干した。
こうして、兄弟の家に新しい家族、ダンテが加わる事となった。
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