第8話 呪いの森(1)「持たざる者の街」
近隣の荒廃ぶりとは打って変わって、荒れ地の都は立派な建物が立ち並んで栄えていた。いったいどういった用事があるのか、人々がうじゃうじゃと通りを行き交っていた。彼らはミーナと似たようなボロ布の服を着て、肌に毛はほとんどなかった。彼らはこれといった特徴がない人々とも称される。カミットはネビウスから学んだことを思い出した。やたらと数の多い人々、この都に暮らすのがナタブだ、と。
ネビウスは当面の間はこの荒れ地の都に滞在すると決めて、裏通りに空き家を借りて半年分の賃貸料を一気に払った。カミットにとっても新しい我が家となるこの家で、彼はふと気づいてネビウスに聞いた。
「ミーナのお母さんはこの街にいるんじゃない?」
ミーナは部屋の隅で雑巾を使って床掃除をしていて、カミットの発言にぴくりと肩をはねさせていた。
ネビウスはうーんと唸って言った。
「実はミーナは私の知り合いのところの子なのよ」
「なんだ。早く言ってくれれば良かったのに」
実のところ、カミットはミーナが風の精霊に好かれているのが気に入らなかった。けれどネビウスの友人の子だとわかれば、もしかしたらミーナは特別なのかもしれないと思えて、嫉妬の気持ちも収まった。
「そう、そう。そのうちミーナの家族に届けるつもりよ」
ネビウスはこの話を終いにしたかったらしく、思い出したように次のことを言った。
「坊やたち、都市で暮らすためには仕事をするの。職人組合のところに行って、話を聞いてきてちょうだい」
「よく分からない言葉を言わないでよ。ちゃんと教えてくれないと」
「職人組合は仕事をくれるの。大きな都には職人たちが作った寄り合い所があって、そこに人が集まるのよ。ランプを持っていくのを忘れずにね」
カミットは鞄から久々に手提げランプを取り出した。これを使って明かりを灯すこともできるが、その用途の最も重要な部分はそれではなかった。
ミーナはランプを見て、わあ、と感嘆の声を上げた。ミーナが初めて見せた、きらきらとした表情は少女らしく生き生きとしていた。
※
ネビウスに手取り足取りしてもらいたいカミットではないが、知らない土地で知らない大人たちが蠢く様子になおも驚いていた。
秘境の里は都とはまるで違う様子であったことが思い出された。里に暮らす人々はネビウスも含めて、誰もが少年少女のように若く、そして染みも皺もまったくない美しい服を着て、美味しい食べ物を食卓いっぱいに並べて、いつも誰もが笑顔で、毎日のんびりと牧歌的に暮らしていた。
それとは正反対に、荒れ地の都では人々は汚れた服を着て、通りを行き交う姿は忙しなかった。さらに決定的に違うのは大人たち、そして老人である。里には存在しない、不思議な人々を見て、カミットは彼らを指差し「あれはなんて人種?」とミーナに聞いたのであった。
ミーナは困惑して言った。
「人種って、ナタブってことだったら、私もそうだけど」
「一緒なの? へえ、ナタブはいろいろいるんだね」
大通りに面した荒れ地の職人組合本部は都では大神殿と並ぶ随一の大きな建物で、酒場や宿、さらに浴場などを兼ねた総合施設だった。カミットが勢いよく両開き扉を開け放って中に入っていくと、あちこちでテーブルを囲んで酒盛りをしていた大人たちの視線が一気に集まった。
あるテーブルから「種まきの土枯らし!」と大声がかけられたのは、カミットのことを言っているらしかった。カミットはなんと答えたらよいのか分からず、無視をした。カミットは一直線に正面の受付カウンターに向かっていって、椅子によじ登って、職人組合の職員らしい若い女に話しかけた。
「こんにちは! 僕はネビウス・カミット。仕事をしにきたよ!」
「まあ、珍しいお客さんね。今、何歳か言える?」
「十歳だよ」
女は作り物めいた笑顔をカミットに向けた。
「残念だけれど、あと一年したらお父さんとまた来てね」
カミットは追い返されそうになると、すぐさまランプを出して、カウンターに置いた。
すると女の目の色が変わった。
「……仕方ないわね。えーっと、じゃあ、仕事というか、これなんだけど」
女はカウンターの後ろの木の板の掲示板を示した。そこには四種の虫の絵が描かれていた。この精霊集めは精霊を納品さえすれば誰であろうと報酬が発生するものだった。
「ここら辺では土の精霊か風の精霊がいるわ。捕まえてきてくれたら、ご褒美をあげる。がんばってね!」
「分かった。じゃあまたあとで!」
カミットが受付の女と話している間、ミーナは縮こまって一言も発しなかった。職人組合を出るなり、カミットはミーナに言った。
「ミーナは風の精霊を捕まえられる?」
ミーナは首を横に振った。
「精霊を捕まえるなんて、やったことない」
「そっか。じゃあ、僕と一緒だ」
「カミットはできるの?」
「ネビウスができるって言ったんだからできるんだよ」
カミットはミーナの手を引いて、ずんずんと歩き始めたのであった。