第18話 職人組合(6)「考える者」
月追いが市中に現れたのは少なくとも数百年ぶりであり、かろうじてある記録もいつの時代とも判別できない神話の中における出来事であった。
職人組合と大地の神殿は協議し、月追いの出現を黙殺した。市民に不安が広がるのを懸念したからだ。職人組合と神殿の秘密主義はなにもこのときだけではなく、これまでも常にそうであった。
それでも人の口を封じるのは簡単なことではない。こういうときに役立つのが、職人の腕輪である。この腕輪は単なる資格証明ではなく、掟の遵守を感知する呪いがかけられているのだ。
今回の騒ぎで職人組合の秘密主義を初めて実感したのは若き中級職員のエニネである。
経歴を積めば、それが当たり前の感覚になっていただろう。しかし今のエニネは情報が公開されないことに不満を持った。月追いの出現はその危険を警告するためにも、市民に知らされるべきだと彼女は考えた。
しかし意志の強いエニネでさえ、掟の腕輪があるために、上司には逆らえなかった。他の職員にいたっては、この話題に触れることすら嫌がって、翌日には現実を忘れようとするかのように平常業務に専念していた。
エニネは昨日の事件で気持ちが滅入っていた。一方、カミットは実際に戦いに参加したにもかかわらず、今朝から元気に受付業務の補助をしていた。
カミットはもはやエニネとは業務上ほとんど関わりがないが、カミットはちょくちょくやってきてはエニネに話しかけてくることがあった。
「エニネ! 怪我はなかった?」
「大丈夫よ」
「良かった!」
ちょうど客が捌けたタイミングだったので、エニネはカミットの相手をした。
「月追いのこと、上は秘密にするそうよ」
「へえ」
「あら? 興味なさそうね」
「うーん。僕はあんまり活躍できなかったから関係ないや」
エニネはカミットの相変わらずのズレた返事に苛ついてため息をついた。しかし自分は活躍どころか、何の役にも立たなかったことを思い返した。そんなことを考える余裕のある現場ではなかったのだが、エニネは責任感が強く歯がゆい思いがあった。
「あなたは月追いの動きを止めて、バルチッタを助けたわ」
「ネビウスはきっと僕が助けなくても、ネビウス一人で月追いを倒したし、バルチッタのことも助けたと思うよ。僕は呪いで月追いをちょっとだけ邪魔しただけだからね」
エニネはうっかり感心してしまった。実際、カミットの観察は正しいように思われた。素人目にもネビウスの剣の腕前は月追いを圧倒していたし、最後の一撃などは人間離れが甚だしかった。
「そういうことが話したかったわけじゃないんだけどな」とエニネは思いつつ、にこにこと笑っているカミットを見て「そういえば、こいつ、まだ十歳の子供だったわ」と改めて思い直した。エニネはふと思いついて、彼におやつの焼き菓子をぽいっとあげた。
「やった! ありがと!」
「この前の飴玉の分はこれで相殺したからね」
エニネが話している途中で、もうカミットは焼き菓子を口に放り込んでいた。
カミットは食べ終えると急に言った。
「そういえば、僕、今日でおしまいなんだ」
「え? ここのお仕事がってこと?」
「そう! 祝祭の月はベイサリオンのところに通えって言われた。ネビウスは祝祭が終わったらすぐに海の都に行くって」
「そういうことなのね」
大地の祝祭は都で最も重要な行事である。祝祭の間は、都の家柄の良い子供達は神殿で神官に信仰を学ぶのが慣例となっている。
最も地位の高い神官であるベイサリオンの元で信仰の要点だけを学ぶなら、祝祭の月に絞るというのは悪くない案である。もし職人組合で働いていくにせよ、信仰のことをまるで知らないのでは世間に通用しないのは明らかなのだから。どうやらネビウスは息子の将来についてかなり配慮しているらしいことが伺えた。
エニネが何か言おうと考えていると、客が来てしまい、カミットも自分の業務に戻った。
「あいつ、もういなくなるんだ」と思うと、エニネはなぜだか寂しさを覚えた。




