プロローグ:幸せな時代
しっかり書こうと思った初めての小説がこの作品なので、ラノベ一冊分程の読み切りで掲載します。
反応があれば、続編などもどうしようかと思っています
空も、大地も、海も全て黒に塗り潰された世界。シトシトと二日前から泣くように降り続ける曇天は全てを飲み込むような黒であった。赤くぬめりのある液体と共に地面は雨と襲撃によって荒らされ、地面は殆ど粘着質のあるぬかるみへと変わっていた。
肌を撫でる心地よい風はなく、まとわりつくように吹く微風は焼け焦げた木材の臭い、鼻孔を刺激するツンと立った鉄のような臭いに焦げた肉の臭い、腐臭、雨独特の臭いが一緒くたになった、吐き気を催す異臭となってこの小さな村を包み込んでいた。
生気を感じさせない小さな村は、今や一人の少年の亡霊が現世を彷徨っているだけであった。
黒髪で大雑把に刈り上げた短髪と、切れ長な黒い瞳に幼さを残す顔立ちは大人になりきれていない子供というアンバランスさであった。華奢な体型の少年は目に光を湛えておらず、ただでさえ細身の少年は痩せこけた頬に生気を感じさせない表情、フラフラと覚束ない足取りは正しく亡霊であった。
「何で……?」
ポツリと吐いて出てきた呟きは余りにも空虚で、寂しげであった。
「リリーもお父さんもお母さんも長老もお隣のおじさんもおばさんもレヴィもロウもバドの兄ちゃんもシー姉もみんなみんな何でいなくなったの?」
眼前に広がる惨劇に動揺することなく、目線が左右にフラフラと泳ぎ、しかし後ろを振り返ることもなく、足取りは重いが確実にある一点のみを目指して進んでいく。道中、焼けて崩落した家屋、見知った人がぬかるんだ地面に埋まるように倒れ、動かずに虚空を見つめる様は異常であった。
雨も汚れも妨げる物が無く汚れた服と心身ともに疲労しきった体を引き摺るように向かうその場所は妹とかくれんぼをする前に別れた、村の象徴である大きな樹木にと辿り着く。
「リリー……ねえリリー、鬼の役はもういいんだよ?兄ちゃんが夕飯の前に迎えに来たからさ、ねえ……もう出てきてよぉ……」
象徴でもあった樹木は無残にも襲撃された影響と、燃え広がった飛び火の影響で弔うようにして散っていった篝火の跡となり、変わり果てた姿で少年を迎え入れた。燃え尽きた樹木の葉は力なく容易に雨風に飛ばされ、落ちていく。雨は変わらずに降り続け、更に激しさを増していく中、樹木の根元に溜まった赤く淀んだ水溜まりに見覚えのある指輪が浮かんでいた。
「あ、れ……?何でリリーのお気に入りの指輪がここに……?」
左人差し指にいつもお気に入りで付けていた玩具の指輪。買ってからずっと付けていたその指輪は、持ち主の手から離れて今までずっと水に浸かっていたからか、薄く塗装された銀色のメッキは剥がれ、粗雑な鉄は赤錆びていた。
妹が自分で彫った少し不器用な『リリエル』という名前の部分は細かい砂粒や泥で塗り固められ、こびり付き、錆と共にザラザラと手触りのよくない物にと変わっていた。
膝から崩れ落ち、埋もれた指輪に縋るように、拝むように、慈しむように指輪を撫でた。
「あ、あぁ……うぁあぁぁああぁ……!!」
漏れ出た嗚咽と涙は止め処なく心から溢れ、零れ出し、固く指輪を握りしめて力任せに地面に叩き付け、初めて感情を発露した。
「何で……、何でなんだよ!!もうあんな物語みたいなことは終わったって言ってたじゃないか!?僕たちが何をしたんだ!!人間が、何か悪いことをしたの……?」
怒り、憎悪。それは悲しみと言う感情を塗り潰し思考回路がぐちゃぐちゃに駆け巡り、訳も分からずに泣きながら何回も何回も地面を叩き続けた。空しくなるばかりで希望も、気力も何もかも失い、心折れかけた瞬間、不意に後ろから影が現れて雨が遮られていく。
「少年、そんな所で雨に打たれていては風邪を引くぞ?」
耳に聞こえる声音は低く、ぶっきらぼうとも言えるその口調は不思議と心に染み込み、こちらを上から覗き込むようにしている無表情の偉丈夫を見た途端、雨と共に感情が流れていく。
「うっ……うわぁああぁぁぁああん!!嫌だいやだ!!みんなもういないんだ!!全部あいつらのせいだ!!僕たちは悪くない……!!全部、全部……!!」
流れていく感情と共に、自分自身を浸透し、侵していく感情が毒のように体中に燃え上がらせる負の感情がそこにはあった。
ギリッと奥歯を噛み締め、偉丈夫を見やる。後ろには灰色の鎧と盾、剣を構えた軍隊が周囲の状況に目を光らせ、油断なく状況判断に勤めていた。
男は簡素な鎧と腰に掛けた左右のホルダー、黒光りする籠手に左ホルダーの上側にロングソードを差し、自分を守る盾や重装備といった鎧ではなく、どこかちぐはぐな出で立ちであった。
「そんな要領を得ない話し方では生存者の確認の為だけに来た我々に話が通じんぞ、少年。お前は今ここに生きているか?」
黒い瞳がジッと内面すらも覗き込むように凝視され続ける。指示は既に出されていたのか後ろの部下たちが村中に散らばっていくのを見て、大声で叫び、頭に血が上った勢いのまま、今自分が出せる限りの力で拳を振るった。少年にとって岩のようなゴツゴツとした肌は鈍く、湿った音を響かせながら行き場を失った力は無様に地面に吸い込まれていく。束の間の静寂は男から破られた。
「……それだけの力が出せればお前は生きているな。この世界に絶望している大人たちより余程利口であり、懸命である」
ただ淡々と告げられる言葉は怒りに身を任せて振るう拳の前に意味はなく、数回殴っただけで簡単に受け止め、そのまま腕を掴んで引き寄せられる挙動と為される。
変わらずにこちらを観察し続ける男は初めて提案を申し出た。
「少年、もし良ければ俺たちの国に来ないか?我々は交わらざる者……通称ボーダーに襲撃されたこの村に来て生存者の確認をしに来た。だが、生きていたのはお前一人であった。違うか?」
容赦なく付きつけられる現実は否応なしに心を抉り、大事な仲間たちやリリー、両親や長老たちは全員史実や物語で存在していたボーダーに襲われて生死不明、生きているのが絶望的と言う状態だ。言うべき答えは一つしか提示されていない提案を今されたのだ。
「行く……行くよ。行って、そいつらに復讐をしてやる。行けば力を手に入れられるんだよね?」
既に涙は引き、決意を宿し、赤く腫れぼった意志で男に向き直り、真っ直ぐにその眼を見据え、答えた。もう指輪を決して離さないように、変わらずに固く右手に握りしめ、左手で握手を求めた。
何も答えず、不敵に微笑んだ男はそのままゴツゴツとした左手で握手をし、右手で無造作に頭や顔といった雨でぬれた部分を拭っていく。雨が降り続く中水滴が弾き、岩のような掌は冷え切った体を久方ぶりに温めてくれていた。
「気に入った。俺はジルヴァだ、少年。名前は?」
村中を探し、生存者がいないということを改めて再確認した組織の部下たちが三々五々こちらに金属鎧の音を響かせながら戻ってきた。
「僕の名前はヴァイス……ヴァイス・フォンブラウムです」
激しかった雨もいつの間にか小降りにと変わり、遠い所を見るとそちらではようやく雨ではなく曇りにと変わっていくのが見て取れた。長いと感じた雨も終わりそうであった。
「我々はお前のことを歓迎しよう、ヴァイス。世界を直そうではないか」
その日、千年前と全く同じように人類の尊厳と交わらざる者、ボーダーとの全面戦争という舞台の幕が上がった。世界終末の大戦乱はまだ始まったばかりである。