第一話 サッポロ王都
その日、俺は異世界に転移した。
……たぶん。
少なくとも俺はそう思った。
仕事を辞めた帰りだった。
正確には「辞めた」というより飛んだ。
もう無理だったのだ。
毎朝満員電車に押し込まれ、怒鳴られ、謝り、終電で帰る生活を繰り返した結果、ある日ぷつんと何かが切れた。
上司からの着信を無視した。LINEも無視した。会社のグループチャットも閉じた。
そして気づけば、電車に乗っていた。
逃げたかったのだと思う。どこでもいいから。自分の人生から。
寝不足だった。三日くらいまともに寝ていない。頭もぼんやりしていた。
その状態で俺はスマホを眺めていた。
『異世界転移したら最初にやるべきことランキング』
そんな動画だった。
疲れていた人間が見る動画ではない。
だがその時の俺には妙に心地良かった。現実じゃない場所へ行ける気がした。全部リセットできる気がした。
そして。
長時間の移動で意識が途切れ、次に目を覚ました時。
俺は知らない巨大都市に立っていた。
冷たい風。灰色の空。濡れた石畳。
「…………」
理解に数秒かかった。
そして。
「異世界転移だ……」
口から自然に出た。だってそうだろ。
知らない街。妙に発達した都市。
完全に異世界だ。
ただ、問題があった。
「異世界のくせに生活感が生々しいな……」
もっとこう、あるだろ。石造りの城とか。噴水広場とか。鎧の兵士とか。
なのに目の前を歩いているのは、全員疲れた顔の一般人だった。
誰も剣を持っていない。ローブも着ていない。黒とか灰色の服を着て、片手サイズの板状魔道具を見つめながら歩いている。
中には耳に小型魔道具を刺し、虚空へ向かって話している者までいた。
高度文明すぎる。
「テレパシー系の魔道具か……?」
怖い。
しかも誰も俺を見ない。
異世界転移者だぞ俺。もっと驚け。
「黒髪……東方の民か!?」とか言え。
完全に都会の無関心だった。
さらに意味不明なのが街の名前。
巨大な塔に埋め込まれた発光文字。
『SAPPORO STATION』
「サッポロ……?」
弱い。
王都の名前として弱い。
もっとあるだろ。ルミナリアとか。アルカディアとか。
なんだサッポロって。異世界情緒もへったくれもない。
だが周囲の住民たちは平然としていた。
「サッポロ駅どこー?」
「すすきの混んでたわ」
「大通り行く?」
すすきの。
絶対歓楽街だ。
名前だけで分かる。
あと飯が妙に美味そう。
特に露店みたいな店の味噌ラーメンが異様に美味そう。異世界なのに。
マズイ硬すぎるパンとか塩味しかないスープなんてありゃしないしこれならマヨネーズで無双もできそうにない。
「なんだこの世界……」
俺はポケットを探った。
財布。鍵。スマホ。
元の世界の持ち物がそのまま残っている。
つまり転移時にアイテム持ち込みが許可されたタイプらしい。親切設計だ。
試しにスマホを起動する。
光った。
「おお……」
だが画面にはこう表示されていた。
『圏外』
「圏外……?」
まだこの世界の仕組みは分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
俺はもう、元の世界には戻れない。
なら。
「……生きるしかないか」
雨の降るサッポロ王都を見上げ、俺は小さく息を吐いた。




