+天地の星姫+
トロトロと柔らかな炎がゆらめく。時折パチリと音を立て火の粉が闇に舞いあがる中、ひとり火番を買って出た拓陸は、色を染め変え続ける炎の中心を見つめていた。
――伊坂出身の伊佐……か。あいつ、なんで俺達のことを……というより、紬の……星姫候補のことを知っている? こうしてひとりで居れば、また話にくるかと思ったのに、肝心の本人は高いびきで完全に寝入っているようだし……誰かの命を受けているのなら、なぜわざわざ自ら身許を明かして近づいてきた?
「若君」
ちいさな声に振り返ると、下草を踏んで近づいてくる音とともに暗がりの中から紬の姿が現れた。
「どうした? 眠れないのか?」
「うん……。あの、なんだかさっきからお腹の調子がおかしくて……ぅぅ……」
わずかに眉根を寄せ、腹をさすりながら傍らに座り込んだ紬に拓陸は苦笑すると、腰に下げた布袋からちいさな薄茶色の豆粒をいくつか取り出した。
「馴染みのない物を一気に食ったから、胃の腑が驚いたんだろう。ひと粒ずつ口に入れて細かく噛み潰してから飲み込め」
ひと粒を口に含んで一度噛んだ途端、紬は思い切り顔をしかめた。
「うえぇっ! 苦ぁいっ。これ……なに!?」
「竜豆だ。本当は煎じるものだけど、乾燥させたものを飲みくだせばすぐに効いてくる。火に当たって、しばらくじっとしてろ」
「若君も随分たくさん食べていたけど、大丈夫なの?」
「……俺も、さっきひとつ飲んだ」
「あら、若君もお腹を壊しちゃったのね」
紬は拓陸の言葉にふきだすと、湯沸かしの瓶から湯を注いで自分と拓陸の傍らに置いた。
「ね? 若君はもともと、ずっと都にいたんでしょ? どうして鳴海郷に戻ってくることになったの?」
手元の枯れ枝を手に取り、埋み火に近くなった焚き火にくべた拓陸は、パチパチと音を立て息吹を取り戻す炎を見つめた。
「俺の従兄弟――秋穂の兄が仕官のために都にのぼることになったから、人手のことも考えて俺は戻ることにしたんだ」
「ふ~ん……。ご領主様はいつもお忙しそうだものね。わたしが初めて若君を訪ねていった時も、ご領主様に会いにたくさんのひとが領館の門から道沿いに並んでいたわ」
「この時期は竜宝祭のために、方々の集落からひとが集まってくるからな。特別だ」
「……若君は、竜王様や織り姫様にお会いしたことはある?」
「――あるけど、なんだ? その話は嫌がってたんじゃなかったか?」
「そ、そうだけど……。当代の織り姫様は、どんな御方なのかと思って」
暗がりの中、口籠もった紬の様子に拓陸は微かに笑むと、揺らめく炎を見つめた。
「織女か……? そうだな。確かに普通の暮らしを送る娘とは違うから、任目を終えるころには姿見も物腰も見違えるようになる。どちらの竜に仕えるかで、まったく変わってくるけど」
「どちらの? ……あ、さっき若君が言っていた、紫竜様と黄竜様のこと?」
「ああ。竜王にはそれぞれ属性があって、水と風を司る紫竜に仕える織女――星姫は“紫星”、土と炎を司る黄竜に仕える星姫は“黄星”とも呼ばれる。今度選ばれる星姫は、黄竜に仕える“黄星”だ。つまり紫竜と黄竜にはそれぞれ三人ずつ、双竜合わせると六人の星姫が仕えているってことだな」
「え!? でも、竜王様にお仕えする星姫様は、いつも三人でしょ?」
「――天界からは、な」
「……じゃあ、あとの三人は……ええぇっ!?」
拓陸の言葉に怪訝そうに首をかしげた紬は、突然大声をあげた。
――バカ!! おまえ、そんな大声で叫ぶ奴があるか!?
――ご、ごめんなさい。だってびっくりしちゃって……でも、本当なの!?
慌てて両の手で口元を覆った紬は、瞳を丸くしたまま拓陸を見つめた。
「……星姫が竜王宮から出ることはないから、表沙汰にはされていないけど、下界――天界と対を為す地界からも、三人の星姫が選ばれる。地界の星姫は、地界の水底から天に昇る竜王の翔ぶ“道”を示し、天界の星姫はその《道》を元通りに紡いで、ふたたび竜王が天から地へと渡る任を担う。だから渡りの時には、竜王は星姫を伴っていないと“道”を見失って翔ぶことができないんだ」
「で、でも星姫様達はみんな、普通の人間でしょ? 星姫様になったからって竜王様に渡りの道を示すことなんて、できるようになるの?」
腑に落ちず首をかしげる紬の様子を窺いつつ、拓陸は慎重に言葉を選んで話しはじめた。
「星姫が竜王の娘だって言われる大きな理由のひとつが、その渡りの道を示す力にあるんだ。もちろん星姫達に最初からそんな力があるわけじゃない。天と地、それぞれにある竜王宮の中での“育み”が星姫達の大きな役割だ。これを果たせないと未成熟な竜王は、天界と地界の狭間を遮る気の流れの激しさに耐えきれず、渡りに失敗してしまう」
「育み……って、なにか育てるの?」
紬の問いに、拓陸はちいさく頷いて言葉を続けた。
「竜王は一度の渡りを終えた時点で幼体に戻るんだ。全身全霊でふたつの世界の狭間を越える間に、自分の持つ力を使い切ってしまうから、ふたたび渡りを迎える前までに、竜王本来の力と姿を取り戻しておかなきゃならない。そのためには竜王とともに渡りを迎えた経験を持つ星姫達の力が欠かせないんだ。翔んでいる間に変わっていく竜王の姿を目にするのは、星姫達だけだから」
「でも……そんなに大変な渡りの時、星姫様達はどうしているの?」
「竜王が翔ぶ間、星姫は竜王の体内で身を守られる。道を示す星姫達を守るために、竜王は自らの身命を賭して渡りの激しさを堪えるんだ」
「星姫様の……人間の命を、守るため……」
わずかに瞳を翳らせてポツリと呟いた紬は、頭上に今も残る渡り雲と、今はおとなしく尾を垂れる白布の吹き流しを見あげた。
「……ねえ? どうして竜王様はそこまでして、渡りを行わなきゃならないの?」
「竜王の属性を偏らせないようにするためだ。土と風、炎と水はふたつの世界のどちらにも欠かせない。ひとつ処に留まって生長できる限界が三年。それ以上になると、天地は均衡を保てなくなると言われてる。つまり竜王と星姫――竜と人間とが力を合わせてきたからこそ、この世界は存在しているってことだ。星姫達は幼体に戻った竜王を育みながら、渡りの時に竜王が身につける鱗皮を織りあげる。鱗皮は俺達にとっての鎧みたいなものだな」
「それで機織りの手業を持つ者が暮らす織部から、星姫様が選ばれるんだね……? そっか」
納得したようにちいさく呟いて、傍らのエニシダの小枝を炎にくべる紬とともに、拓陸は長枝で燃える枝をより分けて新たな気を潜らせ、炎の勢いを蘇らせた。
「ああ。鱗皮の織りは糸とともに生まれ育つ織部の娘じゃなければ、手に負えない業だから」
「あの……わたしね? 星姫様って竜王宮の奥屋敷で、竜王様のお褥のお相手をして、蝶よ花よと束の間の慰めに愛でられるだけのお役目なんじゃないかって思ってたの」
「蝶よ花よって……おまえ、星姫は竜王の手付き女だと思ってたのか?」
唖然とした拓陸の顔に、紬は頬を膨らませた。
「だって! 竜王様の娘だなんて言ってるけど、実際はわからないじゃない? 第一、星姫様になる御方は未婚の乙女だけだっていうし、その……やっぱりそういうことも、あるのかなって……?」
顔を真っ赤にする紬に、拓陸は思わずふきだして笑いはじめた。
「未婚の乙女からそこまで想像が膨らむとは、さすがは子どもの発想だな。残念ながらそんな話は聞いたことないけど?」
「もう、わかったってば! そんなに笑わなくたっていいでしょ!? 若君だってそんな意地悪言うあたり、子どもと一緒じゃない!!」
「俺をおまえと一緒にするな。悔しかったら早く大人になるんだな」
ほら、子どもはそろそろ祠に戻れ。もう腹の調子も良くなっただろ?
まだ微かに笑いを引きずったまま、拓陸はむくれて立ちあがった紬に声をかけた。
「――紬」
「……なによ?」
「おまえが竜王を色仕掛けで落とせたら、大人の女として認めてやろうか?」
――!!
「認めていただかなくて結構です! わたし、絶対に星姫様になんかなりませんから!!」
くるりと背を向け、肩をいからせドスドスと乱暴に下草を踏み付けながら祠へと去っていく紬の姿を、拓陸は笑いを噛み殺して見送った。
「いちいち真っ正面から受け止めて腹立てて……あの単細胞ぶりじゃ、あいつの兄貴も心配するはずだ」
さてと、笑ったところで俺もそろそろ寝るとするか。
弱まってきた焚き火の炎に残りわずかな枝をくべ、拓陸は着の身着のままで乾いた落ち葉にごろりと横たわると、徐々に薄らいできた天上の渡り雲を見つめた。
――まずは、売り払った反物探しだな。三本か……あいつの手を離れてから、日も随分経っているし、一本でも消息が辿れれば上々だろうな……
そう心の中で呟いた後、瞳を閉じた拓陸からも、やがて静かな寝息が聞こえはじめた。