+風の踊り輪+
「おまえの兄貴は、おまえを都からひとりで帰す時に、なにも言わなかったのか?」
「ん~。そういえば凪沙ちゃん、なんだか様子が変だったのよねー。ひとりで帰れって、わたしを先に荷所舎から発たせたのに、荷所舎から竜王宮の御門の傍までずーっと隠れてついてきていたし。身体が大きいからすぐにわかっちゃうのにね。結局、わたしが御門を出たところで、諦めて戻って行ったみたい」
「都からこのオオクスに着くまで、誰かに声をかけられたりしたことは?」
拓陸の問いに、紬は首をかしげた。
「途中でお団子屋さんに寄って少し休んだけど、お店のおばさんと少し話をしただけで、特に話しかけられたりはしなかったわ。でも、どうして?」
「いや、別に大した意味はない」
そのままじっと焚き火を見つめ黙り込んだ拓陸に紬は、ちょっと片づけてくるね。と言い残し、食べ終えた器を手に祠へと向かって行った。
晩飯を終えた者達は皆、焚き火の周りに集って座り、酒を酌み交わしては踊りはじめた。皆の中でもいっそう年若の紬は、いつの間にか踊りの輪に引っ張り出され、はやしたてる声の中、楽しそうにみよう見まねで舞いはじめている。
「――兄さんは踊らないのかい?」
そう声をかけてきて、傍らにどっかりと座り込んだ若い男に酒を勧められ、拓陸は黙って頷くと杯を受け取った。
「今日の渡りは散々だったな。俺達も峠に入りかけてたんだけどよ、あまりにも山の獣が騒ぐんで、恐ろしくなって引き返した途端、滅茶苦茶な雨やら風やらが吹いてきやがって、慌ててこの祠まで逃げてきたんだ」
「俺の馬も騒いでたな。確かにもう少しで身体が吹き飛ばされるところだった」
「まぁそのおかげで、こうして道連れがたくさんできて有り難えけどな。兄さんも、あのちびっこい嫁さん連れじゃあ峠越えは無理だろうし、酒でも飲んでゆっくり行こうぜ」
「嫁? あ、いや。あいつは……」
「なんだ? やっぱり違うのか? 飯食ってる時のあんたらの様子を見てると、どんな関係なのか、いろいろとワクワクさせられたんだぜ? いやぁ、踊りはいまいちだが、愛嬌があってなかなか可愛い娘っこだ。出身はどこだい?」
踊りの輪の中で無邪気に笑う紬の姿を眺めている男に、拓陸も紬の姿を眺めながら答えた。
「桜間だ」
「へえ、また随分遠いところからきたんだな。俺は伊坂出身の、伊佐ってんだ。よろしくな」
伊佐と名乗った男は懐から紙包みを取り出すと、食うか? と拓陸に向かって差し出した。
「おまえ、どこかの傭兵なのか?」
拓陸の問いに、伊佐はニッと白い歯を覗かせた。
「おう。伊坂のご領主殿のご立派なお屋敷で、長ぇこと生かさず殺さずで飼われてたんだけどよ。色々と面倒くせえから都で仕官することにしたんだ」
まぁ兵隊の性って奴かな。食うと落ち着くんだよ。
ん。と差し出された金平糖に手を伸ばした拓陸を面白そうにじっと見つめ、伊佐は突然呟いた。
「あれが今度の星姫さんかい? 都の花形、警護府次官殿」
――っ!?
とっさに男から身を引き、構えた拓陸の前で、伊佐はおどけた顔を崩さずに、口に放り込んだ金平糖をボリボリと噛み砕いた。
「怖いねえ。その威勢じゃ、大盗賊も尾っぽを巻いて逃げ出しちまうわけだ」
「――何者だ?」
「だから言ったろうが。伊坂出身の伊佐だって。鳴海の甥御様が桜間のご出身とは初耳だな。ところでみんなが次官殿を見てるぜ。いいのかよ?」
気色ばむ拓陸の様子に構わず、伊佐は抱えていた酒瓶から自分と拓陸の杯になみなみと酒を注ぐと、こちらを眺めている者達に、なんでもねえよ。続けてくれ。と杯を持ちあげて笑ってみせた。
「あらら。あんたがそんな仏頂面してるから、星姫さんが戻ってきちまった」
「おまえ、紬には余計なことを言うなよ――あいつはまだ、なにも知らないんだ」
「紬ちゃんか。良い名だなあ。お、きたきた」
踊りの輪から離れ、小走りに駆け出した紬は、伊佐の姿に一瞬歩を緩めると真っ直ぐに拓陸の元に戻ってきた。
「ごめんなさい、楽しくてつい戻ってくるのが遅くなっちゃった。若君のお知り合い?」
首をかしげ、拓陸と伊佐を見比べている紬に、伊佐は頭を掻いた。
「いや、さっき知り合ったばかりで、ほら、ひとりで飲むのも味気ないだろ? ちょっと若君殿につき合ってもらってたんだ。お、吹き流しのお出ましだぜ。おふたりさん」
杯を向けた伊佐の仕草に、紬と拓陸は背後のオオクスを振り返った。
「わあ……白布の竜ね」
オオクスの周囲には、高い竿に結ばれ掲げられた丈の長い薄布が風にはためいていた。時折吹いてくる風に遊び、揺れる無数の吹き流しに人々は皆、峠の彼方にある都に向かい、竜王の加護を願って手を合わせている。
同じように手を合わせ、瞳を閉じて祈りを捧げている紬の姿をじっと眺めている拓陸の様子に、伊佐は気だるそうに首を回しひとつ伸びをすると、酒瓶をぶら下げてその場から離れて行った。
「……あれ? ねえ? 今のひとは?」
伊佐の姿がないことに気づいた紬が拓陸の顔を見ると、彼は不機嫌な顔で紬の手を掴み、立ちあってオオクスの根もとにある祠を目指して歩きはじめた。
「若君?」
「子どもはもう寝る時間だ。明日も早いし、モタモタしてると都に着けないぞ」
「ち、ちょっと。子どもってなに!? わたし?」
「他に誰がいるっていうんだ? 朝までしっかり寝ておかないと、峠越えは辛くなる。眠れるうちに寝ておけ」
「ねえ? ……さっきのひとと、なにかあったの?」
手を引かれたまま、おずおずと問いかけてくる紬に、拓陸は表情を崩さないまま淡々と答えた。
「別に。ちょっとした知り合いだ」
「でも、あのひとは初めて会ったって……?」
「ああ。会ったのは初めてだな」
えぇ? なによそれ?
眉を寄せ、チラリと背後を振り返った紬に構わず、拓陸は紬を祠の奥まで連れて行くと、その場に居合わせた女に声をかけた。
「こいつもここで寝かせてやってくれないか?」
「ああ、いいよ。場所も布団も十分にあるからね。うちの子たちの隣でいいかい?」
「ええ。わたし寝相が悪くて。蹴とばしちゃったらごめんなさい」
「ああ、いいのいいの。うちの子たちも同じよ。じゃあ、こっちにきて手伝って」
「はーい……あ、ねえ? 若君はどうするの?」
「俺は適当に火の近くで寝る。寝坊するなよ」
じゃあ、頼む。
そう言い残し、拓陸は祠から出て行った。




