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竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第二章
15/35

+竜王の渡り+



「この壁にずっとついてる跡、なんなのかな?」


 切り立つ崖に挟まれた谷に向かう細道を行くうちに、不思議な縞模様が連なって描かれた対岸の岩場を眺めて呟いた紬に、拓陸も岩壁を振り仰いだ。


「あぁ。雨で谷が増水して、この高さまで水が来たんだ。竜王の渡りが近くなって来たから、雨が降るとすぐにこうなる」


「へぇ……。竜王様の渡りの影響が、こんなところにまで出てくるんだ……」


 谷底に到着し、しばらく休息を取った後、ふたりは谷川の瀬に添った道を歩き始めた。

 馬を引く拓陸の後ろを歩く紬の傍らには、谷底から見れば天を突くような途方もない崖が遥か頭上まで続いている。紬の足下から身の丈をしのぐほどの高さまで崖の色が変色し帯状に続く切り通しの道で、紬は時折立ち止まり、壁に手をついてはぬかるんで水音を立てる自分の靴の水を振り落とし、衣の裾をぎゅっと搾った。


「水を汲みに行くだけで、なんでわざわざ川に落ちるんだ?」


「きれいな蝶々に見とれて、ちょっと足が滑っただけよ。水筒も無事だったし、織部に着いたら着替えるから平気……あ、みてみて?」


 ほら。また飛んで来た。


 見れば、自分たちの歩みに伴うように、すぐ傍らを二匹の蝶がひらひらと舞っている。蝶に見とれる紬は足を止め、木立の彼方、明るくなった空へと舞い上がるちいさな姿を見送った。


 先程も休んだ折に、興味深そうにじっと川の様子を眺めていた紬の姿を思い出しながら、拓陸は懐から紙包みを取り出して開き、中身を数粒摘んで自分の口に放り込むと、残りを紙包みごと紬に差し出した。


「ん。これじゃ腹の足しにはならないけど」


「あー。金平糖ね?」


 いただきます。


「ん~。おいしい。若君、こんなに可愛いお菓子が好きなの?」


「好きっていうか、習慣だな。昔はよく持ち歩いてたし」


「昔?」


 首を傾げる紬の手のひらに指先を伸ばし、再び金平糖を摘みあげると、拓陸はちいさな棘を持つ白い粒を眺めた。


「まだ俺が都にいた頃、仕事で都から遠く離れなきゃならない時には、それこそ宿なんかない場所で野宿をすることがあって、ろくに飯も食えない時があったんだ。そういう時、兵士はこれを非常食にするんだよ。湿気さえ気をつけておけば保存もきくし。だから今でも遠出の時には、なんとなく持ち歩く癖がついてる」


「ふ~ん……。兵士さんのご飯かあ。そういえば、あき嬢ちゃまが若君はひとりで暮らすことが多かったから、料理や機織りが上手だって言ってたよ?」


「飯はまぁ、もとから自分で作るのも食うのも好きだし。機織りのほうは、ほんの真似事だけだ」


「ねえ? 若君は絵が下手なの?」


 ――!?


「……そんなこと、誰が言った?」


「若君のお母上様よ。他にもねえ、若君のこといろいろ聞いちゃった」


 母上、余計な事を……


 拓陸は、はぁ。とちいさな溜息をつくと、再び馬の手綱を引いて歩き始めた。


「で? おまえは?」


「え?」


「さっきから、川とか蝶とかよく観察してるだろ? そういうのが、織りの図柄になるわけ?」


「あー。そういう訳じゃなくて……織部にいると、こんな場所には滅多に来られないから、珍しくって」


「じゃあ普段、鳴海郷からも、あまり出歩いたりはしないのか?」


「そうねー。郷から出ることも、あまりないかも。あ、でも都になら何度か行ったことはあるよ?」


 しばらく谷間の小道を行き、昼に差し掛かる頃、細道はやがて緩やかな斜面の草地へと紛れていった。更に草地をしばらく歩くと、木立の向こうに田畑が広がる場所へと出た。


「あれ? ……ここ、見覚えあるよ?……もしかして、織部の近く?」


「ああ。今通ってきたのは、地元の人間なら誰でも知ってる抜け道だ。まともに郷の中の道を通ると、歩きで丸一日潰れるし、荷が少なくて雨さえ降らなければこの道を使ったほうが早い。道は一本だから、迷うこともないだろ?」


 拓陸は草地から道筋の様子を窺い、馬に跨ると、紬に後ろに乗るようにと手を差し出した。


「少し走らせるぞ。もう後ろでも平気だろう? 勝手に馬から落ちるなよ」


「ま……また走るんだ。ねえ? 別にそんなに急がなくても、いいんじゃないの?」


「いいから。さっさと行くぞ」


 馬の背に紬の身体を引き上げ、手綱を引いた拓陸は馬の腹を蹴った。

 高い嘶きとともに馬は草地から踊り出ると、田畑に挟まれた広い道を疾走し始めた。ちょうど昼時で、あちこちの木陰で休んでいた郷の者達が握り飯を手にしながら、土埃を舞い上げて遠くちいさくなっていく人馬を眺め、顔を見合わせた。


「おや? 今の、鳴海の家の甥御様だろう? 誰だかっていう織部の娘と、最近よく出歩いてるそうじゃないか。やっぱりあの噂は本当なのかねえ?」


「ああ、今度の織り姫さんが、この郷から出るかも知れないって話でしょ? じゃあ、その娘が新しい織り姫さんになるってこと?」


「さあねえ? どうだか知らないけどさ。なんだか、この間、ずいぶん立派な贈り物が、あの甥御様からその織部の娘宛に届いたらしいよ。織り姫様への贈り物にしては、まるで妻訪いの支度のようだったとかいう話だけど」


「おいおい、なんだなんだ? “でしょ”だの“らしい”だの言ってる割には、まるで自分できっかり見聞きして来たみてえな話しぶりだな」


 女達の好き勝手な噂話に男達は笑い、残り少なくなった煙草を旨そうに銜えながら目を細め、煙を燻らせた。


「まぁあの甥御様がご領主様の跡目を継がねえなら、織部の娘とでも一緒にはなれるだろうが、万が一、本当にその娘が次代の織り姫さんに決まっちまえば、さすがに鳴海の甥御様でも、妻訪いは諦めなけりゃならねえだろうなぁ」


「そうだねえ。織り姫様になる娘が亭主持ちだなんて話、今まで一度も聞いたことないもんねえ」


 アハハ。そりゃあそうだ。


 すっかりちいさくなった馬の影を眺めつつ、好き勝手にガヤガヤと談笑する中、ひとりの村人が溜息まじりに晴れ渡った空を見上げた。


「いずれにしろ、竜王様には早いとこ御渡りを済ませていただかねえと、せっかくもうじき収穫の稲がダメになっちまう。ただでさえ、このところ雨続きで心配なのに、これじゃ秋祭りのお供えにも間に合わねえ」


「竜王様はまだ都にお戻りじゃないのかね?」


「都にも領館にも、竜王旗は揚がってないって言うし、まだ御方々はお揃いじゃないんだろう。当代の織り姫様は、もう宮にお戻りになっていると聞くが」


「当代の織り姫様も、それはお綺麗な方だというし、この郷からもし本当に織り姫さんが出なさるなら、あれかねえ? ほら、いるじゃないか? 双子の姉妹の……」


「ああ。いたねえ、綺麗な双子の娘さんが。でもまぁどちらかになれば、三年は離ればなれだ。それも可哀相な気もするねえ」


「鳴海のご領主様も、どうなさるおつもりなのかねえ」


 さー。そろそろ始めるかい。


 郷の者達は、それぞれに立ち上がり、草むらに散っている牛を追いながら、それぞれの田畑に戻ると、再び鍬をふるい始めた。

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