表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜王の星姫  作者: 菜種油☆
第二章
13/35

+遣わされた密使+



「――失礼します」


「ああ、来たか。入りなさい。なんだ、今日は随分早いじゃないか?」


 書物から顔を上げた鳴海郷の領主は、部屋に入ってきた甥の姿を眺め、そのうんざりしたような表情に苦笑を漏らした。


「この暑さですからね。皆早々に切り上げて、帰ろうという話になったんですよ。とりあえず祭りの準備は今のところ順調ですので、今日はやぐらを組む建者衆も皆、早めに帰しました。それと、織部の長が寄り合いに見えられたので、挨拶をしておきました」


「そうか」


 鳴海郷領主――鳴海柾鷹まさたかは甥の言葉に頷くと、微かに聞こえてくる機音の方角を見遣りながら口を開いた。


「そういえば、あの織部の娘はしばらくこの屋敷にいるんだろう?」


「ええ、昨夜、彼女が秋穂に機織りを教えることになったと言ってましたが……彼女が、なにか?」


「きみは、あの娘さんと知り合いなのか?」


「――ええ、まぁ。都からの道中が一緒になったので」


「じつはさっき、秋穂に機織りの手ほどきをしているところを、わたしも見せて貰ったんだが……なんというか、物言いがどこか突き抜けてはいるが、腕は大したものだ。拓陸、きみは彼女が機を織っているところを、見たことはあるのかね?」


「いえ。彼女が作ったという品を、見せて貰ったことはありますが」


 先程までの屋外の暑さを思い出しながら、千代が出してくれた茶で喉を潤し、照り付ける日差しが降り注ぐ中庭を眺める。小気味よい機音にそのままぼんやりと耳を傾けていると、しばらく黙って機音を聴いていた柾鷹がふいに尋ねた。


「――きみの目から見て、彼女のことをどう思う?」


 眩しく光る庭から、伯父の顔に視線を戻すと、暗闇に慣れない視界の中で柾鷹は静かに立ち上がり、部屋から廊下へ出る際に歩いていった。


「……どう、とは?」


「わたしは織部の住民とほとんど面識がない。織りの腕前だけで判断するのなら、わたしも迷うことはないのだが……ことは、竜王様のお側近くに控える者についてだ――正直、決めかねていてね」


「それは……次代の、織女推挙のお話ですか?」


「正式に我が郷の織部から出すと、決めたわけではないが……辺境の織部には、竜王様への御推挙に適う娘がいないようなのだ。特に今年は、御方々が天と地を入れ替わられる時期に当たる。献じる御衣についても、おそらく通常の織女の業より優れた技量に応えられる者でなければ、御衣を目にする都の貴族達も収まらんだろう」


「ですが、それは最終的に竜王ご自身がお決めになる事でしょう? いくら彼女の知り合いだからといって、俺の意見は参考にはなりませんよ」


 柾鷹は振り返ると、意外そうな顔をした。


「きみがそんなことを言うとは意外だね。どちらとも交流を持ち、尚且つ、常に一歩引いたところから物事を見極めるきみの意見なら、わたしにとっても、確かな参考になると思ったんだが」


「彼女の……山之辺紬のほうはともかく、竜王については俺にはよくわかりません。都では俺は、ただの役人のひとりに過ぎませんでしたから」


「――竜王様にとって、在任中の織り姫は娘に当たる御方になられる。特に今回の御渡りで天界に戻られる竜王様は、少々気まぐれなところがおありだというじゃないか。それは側近くにいたきみも、よく知っているんじゃないのかね?」


「……別に、俺は側近くで仕えていたわけじゃありませんよ。竜王がもっとまともな御方であれば、おそらく直接お目にかかることすらなかったはずですから」


 ――後に竜王とわかるその人物と出会った時の事を思い出し、拓陸は溜息をついた。


「どうだろうか? 偶然とはいえ、今この時期にあの娘さんがこの屋敷に逗留しているのもなにかの縁だ。きみからあの娘さんに、話をしてみてくれないかね?」


「…………」


 実の伯父とはいえ、鳴海郷の領主からの、ほぼ命令に近い言葉をあっさりと断る訳にもいかず、かと言って、昨夜紬が彼に明かした、織り姫選定から逃れるために取ったという、とんでもない彼女の手段の件をこの場で伯父に打ち明けてしまえば、自分が密かに講じた策も試みないまま、鳴海郷全体が竜王を謀った罪を甘んじて受けなくてはならなくなる。特に紬自身については、万が一、あの変わり者の竜王が赦しても、この伯父がどう出るか――彼は一瞬迷い、そして柾鷹の顔を真っ直ぐに見つめた。


「……それは俺に、彼女を納得させろということですか?」


「最終的に織り姫を選ぶのは、領主であるわたしでも、当人の彼女でもない。都に長年いたきみなら、十分に理解していると思うが」


 しばらくじっと黙したままその場に座していた拓陸は、ちいさく溜息をついて柾鷹の顔を見上げた。


「伯父上――ひとつだけ伺っても宜しいですか?」


「な……なにかね?」


「――急に予定を変えてまで、俺があの日、わざわざ都から呼び戻されたのは、俺を、都から戻る彼女に偶然を装って出会わせるためですか?」


 甥の言葉に、鳴海郷の領主は衣の懐に挿していた扇子を取り出し、軽く咳払いをすると、それにしても今日は暑いな。と扇子で風を送りながら呟いた。


「そう言われては、身も蓋もないが……それなら、きみにすべてを話したとして、きみはわたしの言うことに素直に従ってくれたのかね? きみはどういうわけか、鳴海家の人間としての務めを極端に避ける嫌いがあるようだが、いったいなにが不満なんだ?」


「不満とか、そういう事じゃありませんよ。鳴海家の……伯父上の名代としてなら、佑太郎ゆうたろうがいるでしょう」


「この鳴海郷の内でなら、おそらく佑太郎でも身を守ることは容易いが……都からの帰り道に、都城の警護府次官まで務めたきみが付き添ってくれれば、彼女の身も安全だと皆で話し合った結果なのだよ。

 拓陸、現にきみは彼女と知り合った後、怪我の手当までして、織部に送り届けたというじゃないか? 織部の長も、きみには世話になりっぱなしだと大層恐縮されていたよ」


「たったひとりで、あんなに大きな荷を背負って……おかしいと思ったんですよ。織り姫の選定に使われるような白絹を、供もつけずにあんな子どもひとりで都から返すなんて――俺じゃなくても、放っておける訳がないでしょう」


「ひとりで難儀している女性や子どもを、きみなら放っておく訳がないと、都のきみの上官もそう言っていたよ」


「…………」


 呆れ果てて言葉を返す気力もないまま、まんまと周囲の思惑にはまっていた自分を思い、拓陸は腕組みをして、伯父の前で今日何度目かの溜息をついた。


「――彼女は多分、俺の言うことは聞きませんよ」


「少なくとも、わたしが話をするよりは、穏やかに受け止められるだろう。織部の長様もそう仰せだ。彼女はきみのことを、信頼しているようだからと」


 くそ、織部の長の入れ知恵か。……まったく、どいつもこいつも。涼しい顔した腹黒いタヌキじじいばっかりか!!


「まぁそういうわけだから、この際、しばらくきみが彼女の面倒をみてやるといい。郷の中とはいえ、物騒なことにならないとも限らないし。きみも構わないだろう?」


「――鳴海郷の領主の直々のお言葉を、俺が断ることができないのは、伯父上もご存じでしょう? わかりましたよ」


「よろしい。きみは自分自身のこととなると、わたしに反発してばかりだが、他人が絡むとそうもいかないんだな。その間のきみの仕事は代わりの者に任せてあるから、まぁひとつ、よろしく頼む」


「はぁ……。で? 織女決定の宣旨がくだるのは、いつですか?」


 不承不承ながらも織部の娘への説得役を受け入れた甥の姿に、柾鷹は満足気に頷いて元の円座に座り、あぐらをかいた。


「竜宝祭の最終日までに織り姫本人と領主に、それぞれ知らせが届くことになっている。その前に、内々の打診が来るのが慣例らしいが」


「竜宝祭……」


 のんびり悠長に構えていられるほど、日にちは残っていないって事か……。


 一瞬、昼間目にしたやぐらに、いずれ組まれることになっている、大きく裂けた口に次代の織り姫を銜えたまま天に昇る、飾り竜の姿が脳裏に浮かんだ――後先も考えずに行動する、どこか突き抜けた織り姫と、変わり者の竜王。


「……ますます天地が荒れる羽目に、ならなければいいのですが」


 時々調子の狂う機織りの音に、しかし、あれでなぜあんなに見事な布が織れるのかわからないな……と伯父と甥は同じ思いで、しばらくじっと機音の方角を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ