70・パンとおむすびのあいだを取って、お米パンという選択肢もあります。
「「やったやった! スライム仁丹が増えたー!!」」
手を取り合って喜ぶ瑞恵と橋田さんを、満足げに眺めていたパン屋の奥さんだったが、にわかにまじめな顔つきになった。
「ちょいとちょいと、あんたたちのお役に立てたのはうれしいけどね。あたしの魔法は、パン生地のためにあるんだよ。スライム仁丹を増やせるようになった代わりに、パンが膨らまないなんてことになったら……」
「たしかにそうよね。奥さんのパンが作れなくなったら、町のひとたちみんなが、困っちゃうわ」
瑞恵のあたまに、井戸端会議をしていた親切なおばちゃんたちの顔が浮かぶ。
「ちょっと、試してみましょうよ」
橋田さんが、発酵前のパン生地が入ったボウルをひとつ、棚から取り上げた。
「増幅!!!」
パン屋の奥さんが、右手をかざす。
……。
…………。
…………………。
「ふ、膨らまない……」
パン屋の奥さんは、膝から崩れ落ちた。
「「奥さん!」」
瑞恵と橋田さんは、慌てて駆け寄る。
「あたしは、パン屋なのに……パンがつくれないパン屋なんて、生きていく意味がないよ……」
「奥さん、そんな悲しいこと言わないで。そうだ、しばらくの間パン屋は休んで、おむすび屋にしない?」
「み、瑞恵さん、それはさすがに無理なんじゃ……」
瑞恵の失礼寸前の提案を、橋田さんがあわてていさめる。
「オムスビ? なにそれ、おいしいの?」
意外にも、パン屋の奥さんは興味を示した。
「あら、おむすびをご存じない? 持ってくればよかったわねえ、橋田さん」
「え、ええ……。でも瑞恵さん、やっぱりパン屋さんのアイデンティティーは、おむすびじゃなくてパンに宿るのよ。そんなホイホイ、つくるものを変えるわけには、いかないんじゃない?」
「あたしは、おいしいものなら何でもいいけど。でも、あたしのパンよりおいしいものは、この世界にないよ」
パン屋の奥さんが胸をはる。
柔軟なようで、パン作りにかけるプライドは相当なものだ。
「というわけで、さっさとあたしの能力を戻しておくれ」
パン屋の奥さんが、ずいと右手を出す。
「戻してくれって言われても……ねえ、橋田さん」
「あたしたちが、魔法を使ったわけじゃないから……ねえ、瑞恵さん」
「なんてこったい! あんたたち、ひどいじゃないかい!! あたしをだまして、増幅の魔法の性質を変えちゃうなんて!!」
パン屋の奥さんはテーブルをどん、と叩いて怒った。
「だますなんて、とんでもないわ! だませるもんならだましたいものは山ほどあるけど、だませないから正直に生きてきました」
「瑞恵さん、人生振り返っている場合じゃないわよ……」
「なにいー。あたしなんかね、パンには噓はつけないと、パンに誠実に、バカ正直に生きてきたんだ!!」
「さすが!! あたしたち、正直者同士、気が合うと思う! 一緒にがんばりましょう!!」
瑞恵は思わず、パン屋の奥さんの手を取った。
「何を一緒にがんばるっていうんだい! あたしはもう、パン屋じゃいられないんだよ!」
「そんなことないわ! 要は、パン生地が発酵できればいいんでしょ?」
瑞恵の目がきらりと光る。
「そうだけど……あんたは増幅の使い手じゃあないんだろ。生地を膨らませることなんか、できないじゃないか」
おばさんは、うさんくさそうに瑞恵を見る。
「いますぐには無理だけど……そうね、5日もあれば、できるわ」
「本当かい? 言い逃れの、時間稼ぎじゃないだろうねえ……?」
パン屋の奥さんは、信用ならないという態度を隠しもしない。
パン生地の発酵能力は、パン屋の奥さんにとって生命線。
それが消えてしまっては、瑞恵と橋田さんは疫病神かなにかに見えるのかもしれない。
「あたしは、あんたたちに気を許しすぎたよ……さては、あんたたち……」
パン屋の奥さんは、はっとしたように息をのむ。
「あんたたち、まさか……最近世間を騒がせている、悪い魔女の2人組って、あんたたちのことなんじゃ……!」
奥さんの目に、おびえが走る。
「ちょっとちょっと、突然想像をたくましくしないでよ。あたしたちが魔女のわけないでしょ。橋田さん、論理的に説明してさしあげてよ」
「パン屋の奥さん、あたしたちが魔女だったら、タダ働きなんかすると思いますか? あたしたち、ただのおばちゃんです。あ、ちょっとステータスが上がって、瑞恵さんは「すごいおばちゃん」、あたしは「大したおばちゃん」ですけど」
「魔女の2人組は、料理が得意だってもっぱらのうわさだよ……あんたたち、ますますあやしい……」
後じさりしながら、奥さんはパン生地をのばすこん棒を手にした。
「ちがいますって!」
こん棒に恐れをなして、瑞恵は大声を張り上げる。
「お願い、誤解しないで!」
橋田さんも、いつもの冷静さを失いかけている。
「そうだよ! こんなちんちくりんのおばちゃんが、魔女のわけないだろう!!」
「「へ?」」
声のした方向を、瑞恵と橋田さんが振り返ると、
物陰に、ふたりのおばちゃんが立っていた。
「「マダム・フロリーヌと……ピンクのおばさん!!」」




