69・願いはかなうという、いいお話なんですこれは。
「すごいわ! パン屋の奥さんの増幅の魔法は、パン生地を2倍に発酵させることだったのね!」
瑞恵が歓声を上げる。
「すごいけど……もうちょっとこう、発酵だけじゃなくて、いろいろ応用できるもんなんじゃ……」
橋田さんはあくまで冷静だ。
「あんたたちさっきから、ハッコウ、ハッコウって言っているけど……なんだいそりゃ、カッコウのなかまかい?これがなんなのか、あたしゃよく分からないんだよ。ただ、こうやって膨らませてからひとりぶんのパンの大きさに分けて、もういっかい増幅させて焼くと、ふかふかのおいしいパンができるんだ」
「おばさん、あたし尊敬する。パンは確かに、2次発酵が必要なのよ。発酵の意味も知らないのに、もう一度魔法をかけているなんて!! 生まれながら、パン作りの才能があるんでしょうね」
瑞恵は思わず、奥さんの手を握りしめていた。
クリームパンみたいにふっくらした、いい手だった。
「あんた、いいひとだねえ。町のほかのパン屋や、それぞれの家で焼くパンは、もっと平べったくて薄ーいやつなんだ。どうやったらうちみたいなパンが焼けるのか、聞かれるんだけど……」
おばさんは大きなため息をついた。
「増幅の魔法だなんて言ったら、悪い魔女の仲間だと思われちまうからねえ」
「あらそうなの? ここの国では、魔法が使える人はいっぱいいるんじゃないの?」
「そんなにたくさんはいないさ。使える人も、治癒魔法がほとんどだね。戦争をやっている地域じゃ、攻撃力を上げる強化魔法の使い手が多いかねえ」
「ふうん。事情がいろいろあるのね、橋田さん」
「そうねえ。あの、パン屋の奥さんは、パン生地以外のものに増幅の魔法をかけたことはないの?」
「ない」
橋田さんの問いかけに、おばさんは即答した。
「そんなこと、考えたこともなかったよ。あたしはただ、ふっくらしたパンを食べてみたいなあ、そんな夢みたいなパンが作れたらなあって、毎晩願いをこめて手をかざしていたら……こうなったんだから」
「すばらしいわ。パン屋の魂が、魔法を呼んだのね!」
瑞恵は奥さんの手を再び握りしめ、ぶんぶん振った。
ジャムパンみたいにぽってりした、実にいい手だった。
「いやあ、照れるねえ」
「確かにすばらしいけど……瑞恵さん、あたしたちが特効薬を手に入れるためには、パンの発酵にしか増幅が使えないんじゃ、困るわ。ほかの仲間を探さなきゃいけないわ……」
「そんな……せっかくパン作りの師匠と出会えたのに……」
瑞恵がやや本気で肩を落としているのを見て、橋田さんは言葉につまった。
パン屋の奥さんはそんな2人を交互に見て、切り出した。
「ちょっと、試してみようかい? あんたたちは、何を増やしたいんだい?」
「これこれ。スライム仁丹よ」
瑞恵はポケットをがさがさやり、山椒用にと小袋に入れて持ってきたスライム仁丹を取り出した。
「ほう。スライム仁丹かい! 少し前まで、どこの家にも常備してあったけど、最近じゃすっかり高嶺の花だよ」
パン屋の奥さんはちょっとびっくりした様子。
「たしかに、これが増やせたらいいねえ。よし、増幅!!」
おばさんが、パン生地にしたように手をかざす。
瑞恵と橋田さんは、息を呑んで、それを見つめる。
……。
…………。
…………………。
「なーんにも、起きないわねえ!!」
あっけらかんとあきらめの口火を切ったのは、瑞恵だった。
「うーん、やっぱり難しいかあ……」
橋田さんが残念そうな顔をすると、おばさんがうなだれた。
「お役に立てず、わるいねえ」
「何をおっしゃるの、奥さん! 奥さんの魔法は、パンのためにあるってことが証明されたのよ! むしろ、すばらしいことだとあたしは思う」
瑞恵は奥さんの肩をたたき、その手を力強く握りしめた。
チョココルネみたいにまんなかにしるしの浮かんだ、いかにもいい手だった。
「ん? この手の甲のしるし……さっきまで、あった?」
瑞恵が言うと、おばさんは自分の手をみて慌てふためいた。
「あらやだ。こんな急に、大きなシミが浮かぶなんて!」
「だいじょうぶ? やけどじゃないわよね??」
「やけどなんか日常茶飯さ。でも、いまはオーブンを使っていないしねえ……」
おばさんの手の甲のチョココルネを、3人してのぞきこむ。
「ねえ、橋田さん、なんだか……」
「うん、瑞恵さん、これって……」
「なあ、奥さん方、この形は……」
「「「スライム!!!」」」
ぽよぽよはずむ、石化する前のしゅらいむちゃんそっくりのかたちをしていた。
橋田さんが、はっとひらめいたように切り出す。
「ねえ、パン屋の奥さん。もう一度、スライム仁丹に増幅をかけてみてくれない?」
「別にいいけど……なんでだい?」
「お願い。ちょっとためしてみたいの」
パン屋の奥さんは、スライム形のマークが浮かんだ右手を、スライム仁丹にかざす。
「増幅!!」
……。
…………。
…………………。
「「「ふ、増えた!!」」」
およそ2倍の30粒になったスライム仁丹が、小袋をぱんぱんに押し上げていた。




