42・橋田さんは、そろそろこの旅が10万字超えちゃったことに気付いている。この内容で10万字はあり得ない、とも気付いている。
基経の、庭の、池に、浮かぶ、宝船。
「庭に池があるところまではぎりぎり分かるけど、舟が浮かんでいるってもはや何を言っているのかよく分からないわねえ」
「瑞恵さん、ほらほら、はやく。定員オーバーで乗れなくなったら困るわよ」
「エレベーターみたいに、ブブーッって鳴るの? とんだ宝船だわ」
「瑞恵殿、橋田殿。本当に、もう行ってしまわれるのですか」
ヤスコちゃんが夏休みの終わりの子どものような顔でおばちゃんふたりを見上げる。
「ヤスコちゃん……。元気でね。楽しかったわ」
「瑞恵殿。これは、わたくしがいただいてもよろしいのでしょうか」
ヤスコちゃんが、瑞恵の非常持ち出し袋から持ってきたラップを差し出す。
「ああ、いいわよ。しっかしなんでラップを持ってきたの、ヤスコちゃん」
「この透明な膜一枚隔てた景色は……不思議な光沢に彩られております……そこにはもうひとりの、わたくしでないわたくしがいそうで……つい魅入られてしまいました」
「ヤスコちゃん、それ、のこりものに、まくやつだよ」
「もう、ニコラは。夢がないわねー」
「ヤスコちゃん、のこったおとうふ、らっぷしておいたほうがいいよ」
「確かに! ヤスコちゃん、あなたの邸で作ったモブマヨもラップしておいてね。これはね、こうびいーーっと出して、ここで箱をくるっとすればうまい具合にいくから」
「瑞恵殿。わたくしも、これをいただいて良いのでしょうか」
高子姫が、缶切りを差し出す。
「はいはい、どうぞ。……缶切りは、ヘイアンキョウじゃ、まったく役に立たなそうだけど……」
「瑞恵殿の、思い出にいたします」
「やくたたずの、おもいでだね」
「くぅぅニコラ。憎らしいことばっかり言って!」
「そうだ! 瑞恵さん、あたしたちの非常持ち出し袋は? ヤスコちゃんのうちに置いてきちゃったんだっけ?」
「マダム・ミズエ、マダム・ハシダ。このずだ袋だろ、あんたたちが探しているのは」
「「さすがマダム・フロリーヌ! 持ってきてくれたのね!!」」
「はあ、よっこいしょっと。まったく世話が焼けるおばちゃんだよ」
「瑞恵殿。よろしければ、これをお持ちくださいな」
ヤスコちゃんがしずしずと、ラップで巻いた何かを差し出す。
「これ……さっき、マダム・フロリーヌに食べさせたノビルみたいな草じゃない?」
「これは蒜にございます。これを煎じて飲むと、熱病によく効きます」
「へええ。そうだったの」
「瑞恵さん、もしかしたら特効薬に一歩近づいたかもしれないわ!」
「そうね、橋田さん! ヤスコちゃん、ありがとうね。でもこんなに、ラップぐるぐる巻きにしなくてもいいのよ」
「ヤスコちゃん、らっぷつかってみたかった、だけでしょ」
「瑞恵殿。わたくしからは、これを……」
「あら、高子ちゃん。これは櫛かしら。うれしいわ」
「櫛は、髪の乱れを整えます。旅の道もまた整い、無事に目的地に着くことを祈っております」
「高子ちゃん、さすが! ここでも掛け言葉しているのね」
「にこらもほしい、にこらもほしい!」
「だめよ。これはあたしがもらったの」
「瑞恵さん、大人げないわよ……」
「どれ、櫛ならあたしの小タマネギみたいな髷が一番映えるよ。ちょっと貸しなさい」
櫛の取り合いに宝船がゆらゆら揺れる。
「……兄上。ダンチの方、おひとりずつに櫛をお渡しいただけませぬか」
「櫛を取り合うとは、ダンチの方もやはりおなごですなあ。どれ、この宝船には宝物として櫛を積んでありますよ。おお、ちょうど四つある」
藤の花文様が施された半月型の彫櫛だ。
「まあ素敵。橋田さん、これ売ったらいくらになるかしら?」
「瑞恵さん! なんてこというの!!」
「じょ、冗談よ。あんまり素敵だから、つい……」
「まあ、ひゃくまんえんは、くだらないな……」
「ニコラ! それは確か??」
「瑞恵さん、目の色変えないで」
「どうだい、皆さん見て頂戴。あたしの髷に、ぴったりだろ」
マダム・フロリーヌが得意げに櫛を髪にさす。
「にこらのほうが、にあうもん」
「あたしだって、負けないわよ」
「瑞恵さんよりあたしのほうが、ヘアアレンジは得意よ」
ぶうぶう主張しながら、4人そろって櫛を差すと、
「たいへんです! ダンチの方々の櫛が、藤の花文様が、瞬いております……!!」
ラップ越しに4人を見ていたヤスコちゃんが叫ぶ。
「おや? そんな仕掛けをしたかな……」
腕を組む基経。
ヤスコちゃんに頬をよせて、高子姫もラップ越しに瑞恵たちを見る。
「本当ですね。このラップというものを通してみると、藤の花が光っております……あれ、景色までも……こことは違うような……」
「……なんだか、ごちゃごちゃとしていますね……これが、ダンチの風景なのでしょうか……」
「せーぶぽいんととやらが、開き始めたのでしょうね」
姫君たちの背後で、ゆるゆると業平が言う。
「さあ、ダンチの方たちを、もとの世界へお送り致しましょう」
心得たようにほほ笑む業平。
ラップの端と端を引っ張って立ち尽くす姫君たちの肩に手を添え、一息に歌を詠む。
「おとうふか そばかと 人の問いしとき つゆと答えて 消えなましものを」
ヘイアンキョウから、瑞恵たちの姿が消えた。
◇◇◇
「あら、ここ団地じゃない! 帰ってきたみたいねえ」
「ほんとう。瑞恵さん、いつのまにセーブポイントが開いたのかしら」
「さあ。全然気がつかなかったわねえ。櫛に夢中で」
と、頭に手をやる瑞恵。
ゆるいパーマをかけたショートヘアに、櫛はうまくささっていたはずだが、
「ない! ない! 櫛がない!!」
「やだ、あたしも! どこに落としたのかしら」
「うわーん。にこらのくしも、ないよう」
「あたしは、あたしは……やったね、ちゃんと刺さっているよ。やっぱり櫛には髷! あんたたち、よく覚えておくんだね」
「でも、マダム・フロリーヌの櫛は、さっきの藤の花の櫛じゃないわよ。高子ちゃんがくれた、唐草文様の櫛ね」
「藤の花の櫛は、こっちの世界とあっちの世界をつないで、消えちゃうものだったのかしら……」
「橋田さん、それ、こわいはなし? あたし苦手なんだけど」
「にこら、こわいはなしすきー。もっとしてー」
「とりあえず帰ってきたって、ワシさんに報告したいわね。こっちから電話できないかしら」
「瑞恵さん、試しに受話器持ち上げてしゃべってみたら?」
「そうね。もしもーし」
『はい、ワシじゃ』
「げ、つながった」
『げ、とはなんじゃ。かけておいて』
「瑞恵さん、つながったのね! あたしたちも聞きたいから、ハンズフリーにしてっ」
「さっき、ヘイアンキョウから帰ってきたのよあたしたち。で、今回はちゃんと収穫があるわよ」
『……ほんとうか? いったい何を手に入れたんじゃ』
「ヘイアンキョウの、ノビルみたいなやつ。煎じて飲むと熱病に効くんだって!」
「……それは、かの国の、蒜のことであろうか」
「そうそう。よく知っているわねえ」
「……その煎じ薬は、息がくさくなるほか、効果はないぞよ……」
「え! そうなの!!」
「ちなみにその効果なら、マダム・フロリーヌが証明済よね、瑞恵さん」
「マダム・ミズエ、さっさと牛乳を寄越しなさい。牛乳飲んで寝れば治るんだろ? あたしゃこの『くさいいき』のせいで、業平さんと最後のハグもできやしなかったんだから」
「ミズエー、にこらも。ぎゅうにゅうのみたい」
「瑞恵さん、ニコラが珍しく4歳児らしいこと言っているわ。ノビルは諦めて、ミルクと紅茶でお茶にしましょ」
「……そうね。あーあ、残念だけど仕方ないか」
『おぬしたち、諦めと切り替えが早すぎやしないか……』
「とりあえず、このノビルは野菜室にいれておくわね。せっかくヤスコちゃんがラップしてくれたし。ワシさん、それでいいでしょ」
『……好きにするがよいさ。だがな、こんな調子で旅をされたらいいかげん、困るんじゃ。今夜一晩、橋田さんの息子さんが持っている「異世界小説」できっちり勉強してだな、次は剣と魔法の世界に行ってもらうから、よろしく頼むぞ』
「剣と魔法? どういうこと? あれ、切れちゃったわ。ちょっと、ワシさーん」
「……瑞恵さん。確かに、ワシさんの言うことも一理あるわね。あたしたち、そろそろ本気出さないと」
「橋田さん? どうしたの? 本気って、どういうこと?」
「本気で、感染症の特効薬を手に入れなきゃってこと。このままじゃあたしたち、ただの異世界放浪人になっちゃうわ」
「せめて、異世界料理人として名を上げたいわね」
「瑞恵さん! また目的が間違っている!!」
「あ、ごめん」
「本気出すために、きょうは徹夜よ! 異世界小説持ってくるから、ちょっと待ってて」
橋田さんはぱたぱたと、徒歩3秒のお隣に駆けていった。




