41・お豆腐かそばかと問われたら、両方と答えるのが団地の流儀。
業平が筆をとると、空気が変わる。
高子姫やヤスコちゃんが歌を書き留めている間の、見守るような雰囲気とは異なる緊張感。
触れてはいけない糸をぴんと張り、揺らさぬようにそっと呼吸をするような。
それだけ、業平の歌の才は皆が認めているところなのだろう。
当の業平はさらさらと、気軽な手紙を書くような調子で筆を進めている。
「これは、けっさくのよかんだ……」
ニコラがおもむろにつぶやく。
「橋田さん、ニコラのいた国に、和歌なんてなかったはずよね……」
「そうねえ。ソネットとかなら、あったかもしれないけど……」
「この子、なんでいっぱしの評論家みたいになっているの?」
「すじことか塩辛とかが、好きだからじゃない?」
「ミズエ、ハシダ、しずかに」
「「はい」」
業平が筆を置いた。
「おとうふか そばかと 人の問いしとき つゆと答えて 消えなましものを」
業平の静かな声が、庭に響く。
「……さすがは業平殿。この歌の才が惜しくて、この男のことは都から追放するわけにいきませぬ」
基経がいやはやと笑う。
「ほんとうに。優れた歌詠みというのは、空恐ろしいほどの才ですなあ」
とおるさんが、うんうん頷く。
ペリカンパジャマ姿の高子姫とヤスコちゃんは、手を取り合い、互いの涙を拭い合っている。
橋田さんとニコラもまた、しかと目をあわせて感動を分かち合っている。
「ちょっと!! あたしだけ意味わかんないんだけど!!」
置いてけぼりの瑞恵がぷんすかすると、うぐいすがホケキョと鳴いた。
「橋田さん、なんなのこの感動の渦は。あたしも渦巻かれたい!!」
「あれはお豆腐ですか、そばですか、とあの方が尋ねたとき、いいえあれはつゆですよ、とお答えして、消えてしまえばよかった。あのつゆのように」
橋田さんが訳してくれるが、
「……ごめん、さっぱり意味が分からないんだけど。豆腐かそばかって聞かれているなら、どっちか教えてあげなきゃ不親切じゃない」
「瑞恵さん、どちらか一方を選んで、白黒はっきりさせたら、ダメなときがあるでしょ。……昼ドラでも」
「……三角関係の、どろ沼ねっ」
「意訳するなら……お豆腐かおそばか、二択を迫られたとき、自分は実体のない露ですからと答えて、消えてしまえばよかった、そうすれば誰も傷つかなかった……みたいな感じかしら」
「なるほど。お豆腐とそばが、高子ちゃんとヤスコちゃんなわけね。どっちも選ばず消えようだなんて、できっこないくせに。ずるい男ね~。さすが業平さん!!」
「でも、瑞恵さん。本当に驚くのは、そこじゃないわ」
「え? これも掛け言葉になっているとか?」
「『つゆ』は、露と……」
「そばつゆの、汁!!」
「そう。だけどあたしたち、そばつゆがないから、ごまだれで食べたわよね?」
「そうだったわ。……業平さんはなんで、汁の存在を知っているの?」
「さらに、『問いしとき』には『砥石』が、『消えなましもの』には『なまもの』が、隠れているわ」
「砥石と生もの? そんなもの歌われてもねえ」
「あたしが思うに、砥石は瑞恵さんで、生ものはニコラじゃない?」
「んん? あたし、砥石っぽい? そんなにシャープな印象? もしかして、ちょっとやせた!?」
「瑞恵さん、塗り籠めに隠れていたとき『包丁研ぎ歌・でたらめ』を歌っていたわよね。包丁研ぎましょ、しゃーこしゃこってやつ」
「歌っていたけど……なんで知っているの? あのとき、みんなしてあたしを置いて行っちゃったじゃない」
「めっちゃ大きな声だったから、よく聞こえたのよ。あれはどのような歌ですか?って、業平さん、興味津々だったの」
「やだ、聞こえているなら言ってよ! 恥ずかしいじゃない。どうせなら、よそゆきの『包丁研ぎ歌・本気』のほうを、聞いてほしかったわ!」
「で、ニコラはさ、ヒマさえあれば、お腹に隠したすじこをなめているわけよ。しょっぱいものをそんなに食べちゃだめよって言っても『これはなまものだから、はやくたべないと』なんて、一丁前にいいわけして」
「まったく、困ったもんだわ」
「業平さんはその様子を見ていたんでしょうね」
「すごいわね、業平。一つの歌に4人の女を入れ込むなんて……ばかなのかしら」
「……あたしは、入ってない」
橋田さんが、恨めしそうに言う。
「あたしもだよ!!」
「くさっ。あ、マダム・フロリーヌ!!よかった、ここがわかったのね」
ヤスコちゃんの邸に残っていたマダム・フロリーヌが、仁王立ちしている。
「くさっ、じゃないよまったく。この『くさいいき』の魔法は、いつ解けるんだい!」
「団地に戻って、牛乳飲んで、一晩眠れば治るわ」
「マダム・ミズエ、じゃあさっさと帰ろう。もう、用は済んだんだろ」
「……えっと、用っていうのは……」
瑞恵は、橋田さんを見つめて固まる。
「はやり病の、特効薬を見つけるのが、あたしたちの『用』よね……」
「うん……。でも瑞恵さん、あたしたち、モブマヨと、モブバターと、豆腐をこのヘイアンキョウにもたらしたわ。きっとこのことが、どこかにつながるわよ。たとえあたしたちには、どんなつながりかわからなくても」
「橋田さん、前向き!」
「セーブポイントの宝船に行き着けたってことは、とりあえず、ヘイアンキョウはクリアってことでしょ」
「なるほどねえ。よし、じゃああの舟に乗せてもらわないとね。基経さん、業平さんの歌なら、『せーぶぽいんと』開くわよね?」
「ええ、開きましょう。案内しましょう」
「「「「やったー!!」」」」
「瑞恵殿、ヘイアンキョウには、こんな言い伝えがございますぞ……。むかし、おばちゃんありけり。そのおばちゃん、身を用なきものに思いなして、キョウにはあらじ、ダンチのほうに住むべき国求めて行きにけり……」
「業平さん、なにそれ。まるであたしたちじゃない」
「わたくしには、この『おばちゃん』と『ダンチ』という言葉が分からなかったのですが……瑞恵殿のことだったのですね」
業平が満足そうにほほ笑む。
「皆の者、はやくこちらへーー」
舟へとわたる赤い橋の上で、基経が大声を張り上げた。
次は土曜日に更新します!




