『告白したいのですが……』1
私はその日、大学の食堂で朋絵と昼食をとっていた。
あの迷子の男の子事件から数日。あの子のその後も曖昧に霞んだ結果になって、何となく消化不良な感じ。
それでもその消化不良分をうまく処理しようと、自分の中で少し前向きに気持ちが動き始めた頃だった。
「花音は午後休講だっけ?」
「うん、そう。今日はバイトも休みだし、お茶でもしにいこうかな……。朋絵は?」
「私サークルに顔出さなきゃなんだよね~。一緒に行きたかったな、あのお店行くんでしょ?」
「ん。朋絵まだ行ってないんだっけ?」
飲みかけのアイスティーそっちのけで、朋絵は化粧直しに余念がない。
リップを塗りながら、
「そうなの。何回か行ってみたんだけど、辿り着けなくてさ」
ふと手を止め、首を傾げる。
思わず頷いた。私も初めは着けるか不安だったもの。あれでは迷って見つけられなくても仕方無い。
「あの辺は裏路地で小さい道が沢山あるからねー。なんか、異国情緒漂ってるでしょ?」
「異国情緒……? うーん、まあそうかな? そんな感じでもある」
ほわん、とした口調で朋絵は言った。どうもピンと来ないみたいだ。
私は雑貨に目がないせいか、北欧とか南プロヴァンス、あんな感じの街並みにも興味が有るけど、朋絵はどちらかと言うとそっち向きじゃない。
ミステリーにハマり中な最近の彼女の異国情緒と言ったら……。そう、霧煙るロンドンの夜や二時間ドラマ枠で古都京都……?
そうなると、確かにあの店の周りの雰囲気とは違う。
「ね、今度一緒に連れてってね! 花音。……って、わ! もうこんな時間じゃん。行かなきゃ!」
「ていうかさ、朋絵。いつの間にサークルなんて入ったの?」
「知り合いに誘われてね。花音も入る? ミステリー研究会」
「……うーん。遠慮しとく」
急いでるんだと思うんだけど、テーブルに散らばるリップや手鏡、ミント味のキャンディをバッグにしまう朋絵の手はのんびりだった。
「そういえば、田所さんもミス研入ってたんだよ!」
「えっ!?」
「ま、当然の如く幽霊部員だけどね」
「…………だろうね」
ふふっ、と笑った朋絵は残りのアイスティーを飲んで。
そこからは行動が速かった。
コップを手にバッグを抱え、
「じゃあね! 花音! またっ」
慌ただしく席を立つ。
テーブルの端っこや椅子の背もたれにぶつかりながら急いで行く後ろ姿を見つつ、彼女のいつも時間ギリギリ行動の裏はこんな事になってるのね……と苦笑。
基本、のんびり屋さんな朋絵だ。
アイスカフェオレを飲み、私はもう一度一人で笑った。
食堂は大きな窓が開放的で気持ちがいい。家の小さな窓から眺める空とここから見る空は同じなのに、四角の面積が変わるだけで随分と違って見える。
そういえば……。
窓の上部へ目をやって、空の高くを見つめた。
(お店の中庭から見る空は、もっと違って見えたな……)
澄んでいる。というか、綺麗というか。
表現が当たり前な感じでしか浮かばないけど、言い表すには難しい……次元の違う清々しさ……みたいな。そんな様な。
あの中庭が何といっても美しいからかも。
ホワイトローズ、ピンクローズ。淡い色彩の薔薇たち。流れる水の爽な音。足下の緑。
空気が高く空と重なる……。
――思い出すだけでウットリ出来た。
路地裏の秘密の花園を、朋絵がまだ知らないのはとっても残念。早い内に連れていってあげなきゃ!
私は、さっきまで朋絵に見せてあげていた授業のノートをバッグにしまった。忘れられたみたいに、お財布の下敷きになっているリップを取りだして唇に乗せる。
さてさて。私もそろそろ向かおうかな。
「みーつけた、花音ちゃん」
でも。
立ち上がろうとした私を制する様に、目の前の席に影がそう言って座って。
見事相手の思惑通り動きが止まった私。
「えっ!? 零さん……?」
まさかこの場で会うとは思わなかった人物に、一瞬見間違いかと自分の目を疑った。
がしかし、そんなことはなく。
目の前の人物は紛れもなく零さん、その人だった。
第一、この容姿をそう簡単に忘れる訳がない。
大学の食堂では何だか浮いちゃってる気もする、雰囲気ある姿。
お昼のピーク時は越したものの、まだ多くの学生も食堂にいるので目立つ姿は注目を集めている。……主に女子に。
「なんでここに零さんが……?」
言ってから気付いた。……別に不思議な事ではない……?
うちの大学の食堂は一般利用可。生徒以外の利用者も結構いるのだ。だから当然、彼がここに居てもおかしくは無い。
――たまたま最近知り合った人が、たまたま今日ここにいただけの事。
うーん……。
とはいえ、結城さんみたいに神出鬼没なのが笑えるくらい一緒とは。
私が知りあう人は皆こんな感じだな、最近。ほら、田所さんも行くとこ行くとこでバイトしてるし……。
「ここの学食のオムライス、美味しいんだって聞いたからさ」
零さんが白い歯を見せ笑った。
雑誌や噂……色々情報が入ってきたから気になったのだ、と彼は言う。
そんな零さんは、私の目の前に座ったものの、オムライスの皿も飲み物も用意していなかった。
「もう食べたよ。確かに美味かったなぁ」
私がテーブルへ向けた視線に気付いた零さん。
こちらが言いたかった言葉を言う前に、先回りで答えを出してきた。
「それは良かったです。季節・数量限定でビーフシチューもありますけど、そっちもオススメですよ」
「へぇ! 今度また来よっと」
「零さん、いつから居たんですか? 全然気づかなかった……」
「結構前から居たぞ? 花音ちゃんが気付かなかっただけだろ? お友達とお喋りに夢中になってたみたいだし」
「見てたんだ……」
一体いつから?
この人が現れたら、絶対気付くと思うのに。私がもし気付かなかったとしても、朋絵が気付いてたはずだ。あの、イケメン、メガネ男子好きな朋絵なら。
現に、今食堂内の女子はチラチラ零さんを見てはこっそり盛り上がってる。
この空気に気付かない程、私と朋絵は二人揃ってお喋りに興じていたっていう事?
それにしたって……。
「なんか俺、怪しまれてない?」
零さんの言葉にハッとなってしまった。
いけない、つい。
だって、セツナちゃんや藤本さん、結城さんまでもが零さんの事あまり感じよく言わないから……。
結城さんに至っては、ついこの間も「零には気を付けてくださいよ」と念を押されたばかりだ。
全く彼の情報が無くとも、これでは警戒せざるを得ないというか何というか……。
彼には悪いと思いつつ、私の中で零さんの印象は限りなくグレーに近くなっていた。
あの男の子の一件も相まって、トラブルを好む、という零さんの前評判がすっかり定着しつつあったからだ。
「だって零さん、突然現れるから……」
「だからさっきから居たって」
「偶然とはいえこんな場所にいるし」
「ひっでーなぁ、その扱い。言っとくけど俺、ストーカー気質とかじゃないからな? ま、花音ちゃんの事は気に入ってるけどさ」
ん? ……どっかで聞いた事のある台詞だ。
そんな事を思いつつ、目の前の見目麗しい男を改めて見る私。
似てる。けど違う。
結城さんと彼とでは全く毛色が違う。
だけど、なんて言うのだろう……独特の雰囲気があるという点ではやっぱり二人は似た感じがした。
そこらの人とは一味違うって感じ?
例えば、人を惹きつける力が異様に強い癖に、人を安易に寄せ付けない空気を纏ってる……みたいな。
二人とも凄く愛想が良くて人当りも良さそうなのにな……。変な感じだ。
「どうせアイツに、俺はろくでもない奴だー、なんて吹き込まれてるんだろ。花音ちゃん」
「え。アイツって……結城さんの事ですか?」
「そっ。セツナちゃんからの風当たりも最近強ぇしなぁ……。あーあ。ホント参るわ」
ふぅ、と肩を落とし息を吐いた零さんは、前髪を掻き上げ「参った参った」と更に呟いた。
彼の指先で、少しクセのあるふわふわな猫毛が揺れる。
「ろくでもない奴だって言われちゃう原因が?」
私はあえてそう聞いてみた。
零さんがそれにニヤニヤ笑みを見せ、
「ズバリ言っちゃうねー。花音ちゃんってば」
ちょっぴり楽しそうな声音で反応。今度は腕を組み、うんうんと一人頷く。
「それが分かってたら言われない様にしてるよな」
「まぁ、それもそうですが……」
「ていうか俺はさ、別にただの意地の悪い奴のつもりは更々無いワケ。こうだ! って思ったら即その方向で動いちまうってだけなんだ」
「えぇ」
「それが、アイツ等みたいな冷静沈着好きな部類には理解不能なんだろ? 多分」
そんだけの事だよ、と零さんは苦笑した。
そんだけの事であそこまで毛嫌い……じゃなかった、警戒されるのだろうか? 思考のタイプが違い過ぎるとどこまでも分かり合えないモノ?
私にはまだそれに対しての上手い答えが見当たらなかった。
考えがすぐ顔に出るとよく言われる私は、今日もまた同じだったらしい。零さんは私の表情にクスクスと笑った。
「そんな顔すんなって。仲良くしよーぜ、花音ちゃん?」
「私、そんな変な顔してます?」
「変な顔も可愛いよ」
どういう意味だ!
「冗談冗談。ああ……だから怒んなって!」
「別に怒ってはいませんっ」
むきになって反論したら益々笑われる。
でも、零さんがあんまりにも楽しそうに笑うものだから、最後には見ていた私まで一緒になって笑ってしまっていた。
「零さんって変な人」
「変なのはあの店にも一杯いるだろ」
「またそんなこと言って……」
「アレでいてナユタも結構クセのある奴だし。そうそう藤本のじーさん!」
知ってる?
と、零さんはわざと口元に手を添え内緒話の体を見せる。小声になった彼に私も耳を傾けると……。
「あの人、他の大学のキョウジュなのに、わざわざココの学食までオムライス食いに来るんだぜ? なんか好物らしい」
「ふ、藤本さんって教授なんですかっ!?」
「店ではコーヒーばっか飲んでるんだけどなぁ」
「知らなかった……。なんか教養ある感じで品の良い人だなって思ってたけど……」
まさか、他大学の教授だったなんて!
そんな藤本さんの好きなものがオムライス。なんだか、ちょっと可愛いというイメージがプラスされる。
「今度ナユタ連れてきてやるか。ここのオムライス覚えさせて店で出したら、じーさんどんな反応するか……」
すまし顔が崩れるのは見物だと笑う零さんは、そういう所が問題視されるのでは? というくらい意地の悪い顔で笑っていた。
まぁ、底意地の悪さというより悪戯を思い付いた子供っぽさが垣間見えたので、こちらも苦笑で受け止めてみたけど。
「あの店では、食事メニューはナユタ担当が多いんだ。で、セツナちゃんは主にスイーツ」
あまりお客の出入りが頻繁ではない事。来るのはほぼ常連客である事。
零さんは、お店の話をしてくれた。
少し情報が集まるだけで、気に入った場所をどんどん身近に感じる事が出来る。
私は嬉しくて、つい零さんと話し込んでしまった。時間にしてはそんなに長くなかったんだけど、満足感が高かったせいか時の密度も濃かった気がする。
……そして。
腕時計に目をやった零さんが、そろそろいかなくてはと席を立った。話はそこでとりあえず一区切り。
「俺、これから仕事なんだよね。今日は特に忙しくてさ」
「仕事、夜が多いんですか?」
「うーん。ま、日によって?」
濁す様な返事をした彼は、ニッコリと私に笑いかける。
「じゃあな、花音ちゃん。また!」
「あ、はい。また……!」
忙しなく、でも爽やかに去っていく零さんを見送りながら、私はなんだかおやつでも食べたかの様な満腹感を。
胸にほんわか、ささやかな幸福感?
あのお店で会うみんなにちょっと近づけた気分が、その後の自分の足取りをぐんと軽くさせた。
(なんか、話してみると零さんって面白いし、嫌な人には見えないよね)
なんでみんな零さんには渋い顔するんだろう?
もしかして、ああいうタイプの人って誤解されやすいのだろうか……。
気持ちも足取りも軽くなった私は、一人そんな事を思っていた。




