『手を出したら殺しますよ』8
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綺麗に整理整頓された部屋。無駄なものが一切無く、緻密に計算された空間演出。
相変わらず結城さんの部屋はモデルルームみたいだった。とても素敵なんだけど、どこか空気がひんやりしてる。それに、ちょっとさみしい感じも。
自分の部屋と何が違うのか……。
考えてみて気付いたのは、気配だ。
そう。この部屋、人の気配が極端に少ない。人数がどうという事ではなく、物のひとつひとつに温度を感じないというか……つまり、生活感が圧倒的に感じられない。
だから、彼の部屋はモデルルームの様だったんだ。
展示された間取りが、そのままここへ移ってきたみたいに。
「我が家はそんなに不思議な場所ですか?」
あからさまにキョロキョロしないように……と気を付けていたつもりだけど、結城さんにはバレてしまった。
「えっ」
肩で驚きの返事をした私の前に紅茶を置き、自分はコーヒーを一口口にする。結城さんは目で私に「どうぞ」と紅茶をすすめた。
「仕事が忙しくて自宅にいる時間が少ないですからね。あまり生活感が無くてさびしいものでしょう?」
花音さんの部屋とは違って、と結城さんは笑った。
「貴女の部屋は、とても温かみのある可愛らしいお部屋ですから。同じ一人暮らしでも全く違うモノですよね、本当」
「私の部屋は散らかってるし、細々《こまごま》したものが多いから……。それだけですよ。片付け苦手なんです」
「そうですか? そうは見えませんでしたけど。雑貨選びのセンスも飾り方も、とても良いじゃないですか。あの店にも花音さんの様なセンスが加わるとまた違うんでしょうねぇ」
自分の好きなものを褒められるとやっぱり嬉しい。部屋作りは、誰にも言ってないけど結構こだわっているので尚更だ。
こんなに洗練された部屋に住んでいる人に「センスがいい」と言われるのは、悪い気がしなかった。
「あそこは、あの感じだからいいんです。まっさらで、でも見えない何かが満ちてる……。そうだな、優しい感じ?」
「優しい、ですか」
コーヒーの香りが揺れた。私の手元からは紅茶の香り。
「それは……セツナとナユタが聞いたらきっと喜ぶでしょうね」
結城さんは目を細めて静かに笑うと、カップを傾ける。
その仕草がちょっと色っぽくて、私は小さな羞恥を誤魔化す様に視線と意識を紅茶へと落とした。
今は深夜だと忘れてしまいそうだった。昼間、あのお店で彼と過ごしている様な錯覚に陥る。
今日ずっと、こういう時間を送りたかった自分がいたのだと改めて認識したみたいで、とても恥ずかしかった。
「それで。聞きたかったというお話についてですが……」
結城さんの声にハッとなった。
そうだ。私はそれが聞きたくて、彼の帰りを待ち、そしてここに来たのだ。
ウットリとお茶の楽しみに浸ってる場合ではなかった。
「はい! あの後……あの子」
「残念ですが、花音さんの期待していた結果にはならなかったんです」
「……え?」
「彼の探していた母親は、見つける事が出来なかったので」
「見つけ……え?」
アッサリと告げられた結果。
呆然と結城さんを見る。
私から目を逸らす事無く、結城さんは淡々と説明を続けた。
「ですから、親子は再会を果たしていません。……そうなると当然、彼をいつまでもあの店に足止めさせて置く……という訳にもいきませんでした。然るべき場へ彼を案内するしか他なかったんです」
「それは……警察、とか……?」
対応しきれなかった迷子の行き先なんて、決まってる。あえて聞く事でもない。
それでも出てしまった言葉に、結城さんは少し困った様子を見せた。
「そんな……。だって」
「出来る事はいつだって限られています。残念でしたが……」
「でも! じゃあ、零さんは……? あの人、あの子のお母さんの事を知ってるって……!」
あんな風に店を出ていったけど、零さんは最終的には連れてきてくれるかと思ってた。
結城さんが母親を見つけ出すのが早いか、それとも零さんが連れてくる方が先か。どっちかだろうと思ってたのに……!
「零ですか……」
コトン、とカップをテーブルに置く音。心なしか音が乱暴だ。
ふと顔を上げ私は、しまった、と思った。
なんでそんな事を思ったか分からない。分からないけど、そう感じ身構える。
「たった一度挨拶を交わしただけなのに、随分と親しげに名を呼んで、あまつさえ彼の事を信じたりもするんですね」
結城さんが笑う。
「さすが花音さん。人懐っこさは、性分ですか?……これはまた随分厄介な……」
嘘、目が笑ってない。
それに最後の一言のトーンが地を這うような低さって……。なんなんだ、怖すぎる!
「結城、さん……?」
「私は心配ですよ、貴女が」
ふぅと短く息を吐いた結城さんは、反射的にひきつる私の顔を見て口元を和らげる。言葉がいつもの穏やかな調子に戻った。
「迷子には過度の感情移入。初対面の者でも信じようとする純至。……まあ、それが花音さんが故なんですけど」
席を立ち、低い声。
「時々不安になります。その“過ぎるもの”は影になりやすい。貴女にとっては特に……」
そう言う結城さんの表情は、複雑。
困ってる様にも見えるし、戸惑ってる様にも見える。どことなく怒ってるみたいにも。
……どうして……?
「影……ですか?」
「えぇ。そろそろ自覚してくださらないと」
「はぁ……」
(自覚って言われてもな……)
具体的に何をどうしろと?
首を傾げていると、私の後ろへと歩いていく結城さん。
椅子から振り向く様に目で追ったら、彼はベランダへ続く窓を開けに行っていた。
――無言の間。
ほんの少し開けた隙間から、外の涼しい風が足元に滑り込んできて。
向き直り、私は今のこの不自然な間を理由付けたくてまだ温かな紅茶を口に含む。
でも理由なんかちっとも思い浮かばない。
何故だか焦る。何か言わなきゃ……!
「涼しいですね、今日は。もうすっかり秋めいちゃって……」
…………。
出た言葉の何と不自然な事か。今更、井戸端会議開始の挨拶みたいな事を言ってどうする!
呆れてるかもしれない。
背中越しの静かな相手を思いながら、私は残りの紅茶を一気に飲み干した。
「花音さん」
私がカップをソーサーに置いたのと、結城さんの手が私の肩に置かれたのは、ほぼ同時だった。
びっくりして飛ぶ上がるかと思った。結城さんが近づいたり触れたりするのは、いつも突然なんだもの。
「貴女の人の良さを否定するつもりはありません。ですが、零は……」
置かれていただけだった手が、肩を掴む様に動いた。
「あの零という男だけは信じないでください」
決してです、低い声が斜め上で聞こえる。手には力が籠められた。
「っ……。なんで」
痛い。
肩の皮膚上にチリッと痛熱さ。服の上からでも、爪を立てられたのだと分かる。
私には何故そこまでするのか、されるのか理解できない。
なんで? と、斜め上に抗議を申し立てようと思って。……でも無理で。
「花音さんはいつもこうです。毎回毎回、注意をしてもすぐに忘れて……」
「……っ」
動かしかけた頭を縛り付けてくる。
――低く妖艶な声音。
私の動きは、結城さんを見上げる寸前で封じられた。
この至近距離は危険な距離。それだけは無意に体が覚えてた。ピタリと驚く程に止まる。
「こんな遅い時間に、誘われるがまま男の部屋に上がる。駄目じゃないですか」
「だ、だって……結城さんが」
「私だから応じた? その言葉、嬉しく受け取りたいものですが、残念ながら今の貴女の信用は低いんですよ。花音さん」
すぐ耳許で声がする。結城さんの甘く低いテノール。
口調までも低い。だけどそこには全く甘さなんて無く……厳しさだけがあった。
「どうして貴女はそうなんですか。いつもいつも、馬鹿みたいに油断して隙を作って。忠告なんてまるで聞かない」
「私、あの……そんなつもりは」
「今日だって――」
言いかけた結城さんはそこでストップ。背後で、空気がピリッと固まった気がした。
――また無言の間。
数秒の隙間に私は自分の言葉を滑り込ませる。
「結城さん? どうしたん」
ですか?
という自分の声は、ガタン! と椅子が立てた音で消された。
その音はまさに私が立てたものだった。膝裏が椅子を勢いよく弾いて。
背後に引っ張られる右腕に、体が斜めについて行く。
「わっ!?」
よろめく体はそのまま結城さんによって器用に方向転換され、回れ右。
案の定、一瞬で私は彼の胸元へ飛び込む形となった。




