『どうして』6
流れていく文字はノイズになり、彼女を雑に引っ掻いていく。
《デビューへの執念は関係者も驚くばかりだった――》
この文言はどこで見たんだっけ? ネットニュースかツイッターか……思い出せない。でも、読んだ覚えがある。
朋絵と田所さんと話した事。育児と熱心な音楽活動。様々な情報が私の気持ちを暗くしていった――。
「なんでそんな真っ直ぐな目で酷いこと言い続けるの!? 優音君はお母さんが大好きなのに!」
優海さんが目を見開く。
「ははっ……。酷いこと言い続けてるのは……一体誰よ……」
――微かな声。鼻で笑われた気がした。
「……いつまで良い人やってんの?」
「っ!」
もう我慢出来ない。
いい加減にしてよ!
言うより先に、手が出てしまった。
物に当たる経験はあっても、カッとなり故意に手を出すのは初めてだった。
――振り上げた手で私は何をしようとしたのだろう?
力のこもった右腕が棍棒に変わった瞬間、私の目は殺人者と同じだったかもしれない――。
しかし直後、頭の中で銀色の光が爆ぜて。
それが狂気と凶器を根本から折った気がする。
盛大な空振りに私はバランスを崩した。
「あ!!」
「……ッ」
よろめいたところを支えてくれた優海さんの顔が一瞬歪む。
「ごめ……っ!?」
――でも謝罪の言葉は、目の前の状況で吹っ飛んだ。
(なに……これ……)
彼女は私の右手首をしっかりと握っている。
一方、私の掌は優海さんの肌をすり抜けて、中に手を突っ込んでいるみたいに見えた。
(どういうこと……!?)
――私を混乱させた原因はそれだけじゃない。
急いで引き抜こうとした手を、優海さんが掴んで離さなかったのだ。
パニック寸前の私と違い、こうなる事は分かっていたという風に冷静な顔でいる彼女は、今の状態を維持するつもりなのだろう。
両手でガッチリと私の手首を固定する。
幽霊だからといっても、自分の胸に人の腕が刺さっているのは、気持ちがいいとも面白いとも思わないだろうに。
「ちょっと……やめようよ!?」
「……」
言っても彼女は聞かない。
どういう感情からなのか、うっすらと口元に笑みを浮かべて、私の手を見つめていた。
(私から魂を受け入れる為に必要な行動だから問題ない、とでも零さんから聞いているの……?)
とんでもない作り話だ。だって、私に魂を触らせる行為は――
優海さんの黒い瞳が青い色へ変わった時、嫌な予感がした。
澄んだ瞳は、青い小さな光を見ている。
――自分の胸で揺らめく炎を。浮かび上がった大事な魂を。
「優海さんっ」
ぴりぴりと指先が痺れてきた。この感覚……嫌でも思い出す、あの時の――。
「駄目だ……このままじゃ!」
彼女の魂を奪ってしまう。
手を強く握ったら最後、小さな炎は私の中に吸い込まれるんだ。
……そうしたらどうなるの?
考えたくない。
離せ、離さない、と揉み合う私達を、零さんはニヤニヤと見ているだけだった。お守りのブレスレットが全く反応しないのも、彼にしてみれば愉快痛快なのだろう。
(お願い。ナユタ君セツナちゃん、力を貸して……!)
一縷の望みに賭け、私は優海さんのお腹を思い切り蹴る。
悲鳴をあげて彼女は飛んだ。
手加減なしの蹴りは明らかにやり過ぎだった。
砂場に倒れせき込む優海さんを見て、後悔しつつ、でも我を忘れて襲うよりはマシだ、仕方がなかったんだ……と、心の中で言い訳する。
また地面すれすれでお守りが発動して、見えないクッションが優海さんを受け止めてくれるかもしれない――そこに全て賭けた事も裏目に出てしまった。
不思議な力は私のものではないのだから、自分の思うように使えないのは当然。
それでも、ひょっとしたら……と願って、つい……。
「うっ……が、はっ……」
「優海さん!」
優海さんが何度も激しくむせる。胸をおさえ苦しそうに喘ぐ彼女の顔色は、真っ青になっていた。
「!」
まさか! と手を見た。蹴り飛ばしてまで彼女と離れた事は正解だったようで、掌の違和感は消えている。
だけど――。
五本の指先にチラチラと炎が、青ではなく不完全燃焼の赤色が、マニキュアを塗った様に残っていた。
「ひっ……!」
振って振って、必死に振って。手首が折れるんじゃないかってくらいに振って。
しつこくへばりついていた火は、それでようやく消えてくれた。最後まで残っていた薬指のオレンジ色が空気に溶けていくのを、私は呆然と見送る。
まだ咳き込んでいる優海さん。
ここにあった魂の欠片は彼女に戻ったの? それとも私が取り込んでしまった?
何も分からない。
知る為の術がない。
でも、確かなことが一つだけ。
「良かった……優海さん……消えない……」
全身の力が抜けた。