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35―皇帝の選択

クニシゲには二人の兄がいた。

彼らはそれぞれに優秀で、将来を嘱望されていた。

皇位を継ぐのはこの二人のどちらか、順当にいけば第一皇子であろうとされていた。

そのどちらも、先代皇帝の崩御の少し前に、不審な死を遂げている。


クニシゲはというと、優秀な兄たちのようには厳しい教育を受けることもなく、周囲が彼に望んだのは皇族の一人としての振る舞い程度のものであった。

それでも一般市民よりは背負うものがあったが、兄たちほどには勉学ができずとも見逃され、趣味の狩猟に少々時間を費やしすぎたくらいでは文句も言われず、為政者の器を求められてなどいないことは彼本人が最もよく理解していた。


二人の兄、そして先代皇帝の相次ぐ不審死に、当然ながら周囲は疑問を持った。

結果的にクニシゲのもとに皇位が転がり込んできたことで、彼を怪しむ者たちも一定数はいた。

だがクニシゲをよく知る者たちは、彼にそこまでする野心はなく、例え入れ知恵されても三人もの命を取れはしないほどに人が好いだけの人物であると、良くも悪くも評した。


そんなクニシゲに対する世の評価というものは、毒にも薬にもならないといったものが多かった。

それが一気に覆ったのは、ミカゲの占術結果をもとに、アルテンブルク王国へ使者を送ると決めた時である。

もともと率先してクニシゲを支持しようという層も特におらず、巡り合わせによって皇位を手にした彼に成り行きで従っていた臣下たちが多かった中、人間界で“悪”の代名詞であった魔族に対し友好的な姿勢を示そうとした彼は、まさに乱心したとしか見えず、その信用は地の底に落ちた。


「ハルツネ殿、陛下がお呼びです」


扉の前を警護していたハルツネに、クニシゲの側近であるユキマサが声をかける。


皇帝クニシゲは、反逆罪で投獄されている者達のうち、自分から彼に従う意思を見せた者は連れて来るようにと指示していた。

信頼のできる臣下をほとんど失った現状で、味方の振り続けているをかもしれない疑わしい者よりも、考えを改めた昨日までの敵を近くに置くことにしたのである。


ハルツネはそうして地下牢から皇城へと連れて来られ、驚いているうちに護衛に任命され、扉を守る役目を与えられて皇帝の執務室の前に立っていた。

彼の他にも、牢から出されてクニシゲの身辺を任された者たちは数名いた。

垣間見えたクニシゲの人柄から、拍子抜けするほどに人が好いということが察せられ、不敬な考えではあるが、これは騙されやすいだけの善良な人物なのではないかと思い始めていた。


君主に反旗を翻す価値というものが存在したとするならば、ハルツネはこの皇帝にそれを感じない。

同時に喜んで忠誠を尽くす価値もまた感じないのは、彼の臣下となった今では困ったことなのであるが、ハルツネはこの国のために尽くすと決めている。


「お呼びとうかがって参りました、ハルツネでございます」

(おもて)を上げよ」


この皇帝は、臣下と話をするのにわざわざ謁見の間へ移動する必要はないと言って、ハルツネをそのまま執務室へ呼びつけた。

これは彼の尊敬するとある女王に倣ってのことであるらしいとは、ユキマサの言である。

魔族の女王にすっかり心酔している様子に、ハルツネは危うさを感じないではいられないが、それでもミカゲの占術に頼っていた時よりは影響を受けている相手がマシであると、この時のハルツネは思っていた。


「ハルツネよ、お前は反乱軍の一部隊を預かる部隊長であったそうだな」

「はい。申し訳ございません」


もしや、そんなことも知らずに護衛に任命されていたのかと思うと、ハルツネは様々な観点から心配になった。


「謝罪をもらいたいのではない。お前は自分の部下であった者達をどのくらい知っている?」


その質問の意図を測りかねて、ハルツネは焦げ茶色の瞳に疑問符を浮かべて、失礼にならない程度にクニシゲに視線を向けた。


「お前の部隊の者たちを、お前は今でも動かせるか?一部でも良い」


それはつまり、彼らを牢から出し、皇帝のために用いるつもりがあるということだと察した時、ハルツネは呆れと尊敬の入り混じったような驚愕に、すっかり思考が止まってしまった。


「我はお前を信用すると決めたのだ、ハルツネよ」


曲がりなりにも主君であり、一国の主である男にそう言われてしまえば、ハルツネは自分がしっかりしなければと、奮起する。


「わたくしが愚考しますに、半数程度は皇帝陛下に恭順の意を示すかと」

「充分だ。お前を隊長として、我が親衛隊を編成せよ。明日にでもその時間を指示しよう」

「御意に」


驚愕に何度も頭を打ち付けられたような頭痛を感じながらも、ハルツネは従う意を示す。

しかし拭えない懸念のために、またすぐに口を開く。


「畏れながら、陛下。わたくしを含め、我が隊の者たちは全員、本来反逆罪に問われるべき立場にございます。これをお見逃しになれば、示しがつかないのではございませんか?」


怒りを買う覚悟でハルツネがそう口にすれば、予想に反してクニシゲは上機嫌のままである。


「主君の意に反して忠言できる臣下は、良い臣下だと聞く。お前を選んで良かった」


間が抜けているほどに楽天的な反応に、ハルツネは開いた口が塞がらなかった。


「調査の結果、反乱軍の指導者はミカゲに洗脳されていたことがわかった」


これは初耳であったハルツネは、開けていた口は閉じて目を見開く。

いずれにせよ、驚いていることに変わりはないのであるが。


「我もまた、ミカゲの策略に乗せられて動いた愚かな皇帝であった。我々は同じ男に騙されて、踊らされていたのだ」


自分のことを愚かと称する君主が、世界にどれだけいるであろうか。

この皇帝の場合それは危うさを増長しかねない言であるが、意図するところは理解できる。


「我を罰しないならば、彼らも重くは罰しない。それよりは、正しい認識の共有に尽力しよう。今度の件はそれで収めようと思う」


呆れというものは、通り越して何周もしているうちに、尊敬に変わるようである。

ハルツネの中で、クニシゲへの評価ががらりと変わっていく。

無言のままに、ハルツネは平伏していた。

そんなハルツネを、クニシゲは人の好い笑顔で見ている。


「それから、これは私的な話になるのだが――」


先程とは全く違う声色で、けれども真剣に、クニシゲは話題を切り替える。


「お前の弟は、如何な手練手管であの女王の心を掴んだのか、わかるか?」


顔を上げたハルツネは、呆けた。

この緊急時に、任命したばかりの護衛とまさか恋愛話をしようとする皇帝がいるとは。


「いや、知らぬなら良いのだ。下がってよいぞ」


ハルツネは、恭しく礼をして下がっていく。

内心では面食らっているが、それをいちいち態度に示していては、この皇帝の臣下は務まらないのだろう。


扉の警護に戻って間もなく、魔族の女王が姿を現した。

驚いている間もなく、彼女は後ろに黒い空間を開き、そこから二人の人物が出て来た。

それは以前にも見たことのあった女王の従者と、見紛えようのないハルツネの弟であった。


「トシツネ」


思わず名を呼べば、弟はハルツネを振り返る。


「兄さん」


答えるトシツネに次の言葉をかける間もなく、女王の美貌がハルツネを振り向いた。


「ほう、クニシゲ殿はあなたを護衛に選んだか。良い選択をなさったものだ」


ハルツネは、魔族の女王に無言で礼をする。

彼の胸に違和感が広がるが、それが何であるかは瞬時にはわからず、黙ったままにハルツネは考えを巡らせた。


(……呼び方、か)


先日まで当然のように“兄上殿”と勝手に呼んでいたこの女王が、先程は単に“あなた”と言ったのだ。


「トシツネ、お前――」

「すまないが火急の用だ。皇帝陛下にお取次ぎ願いたい」


何かを言い掛けたハルツネの言葉を遮るほどに、今のエルフリーデには余裕が無い。

それが伝わったのか、ハルツネは即座に了承した。


主君に女王の来訪を知らせるため、ハルツネはノックをして大扉を開く。

しかしそこに広がっていた光景は、先程彼がこの部屋を辞した時とはあまりに違い過ぎた。


「……ハルツネ殿、陛下が……!」


大怪我を負ったユキマサが、床に這いつくばったままで何かを伝えようと、必死に声を絞り出している。

皇帝クニシゲの姿は、そこには無かった。

一人称が“わたくし”のキャラが他に比べ多くなってしまいがちなのが、最近の悩みです。

読みやすいよう何か工夫を考えていきたいと思いますので、これからもご愛読いただけますととっても嬉しいです。

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