28―母の最期
※R15…最後の方がちょっとグロい表現なので、苦手な方はお気をつけくださいませ。
凍り付いた赤い彼岸花を差し出す手を、その男は引っ込めようとしない。
「ねえ…エルフリーデ様。貴女様をこうして名前で呼んだ男は今までどれだけいたのです?」
蛇の様な鋭い眼窩から覗く白い瞳が、エルフリーデの深く青い瞳を覗き込んでいた。
「不愉快だ」
それだけを温度の無い声で口にし、エルフリーデはミカゲを毅然と見返す。
「もしかして、わたくしが初めてでしたか?」
嬉しそうに綻ぶ口元が、余計にエルフリーデの不快を誘った。
「あの少年は名前を呼んでくれなかったのですか?ずっと“陛下”という呼称のままで?変ですね、それではまるで、貴女様ではなく女王陛下というお立場に魅力があっただけだと言わんばかりではないですか」
エルフリーデは、ミカゲのたまらなく不快なにやけ顔を、首ごとへし折ってやりたい衝動に駆られた。
けれど実際は、秀麗な眉を顰めて鼻を鳴らすのみで堪えている。
彼女の力をもってすれば、ミカゲを魔法で粉砕することは容易い。
しかしそうしてしまえば、当初から人質であるとにおわされているこの国の人間たちと、今まさに得体の知れないガラスの箱の中で眼球と闘っているトシツネが、どうなるかわからない。
「そう何度も私を挑発して、何を企んでいる?」
ミカゲの白い瞳が、言葉を紡ぐエルフリーデのふっくらと甘そうな唇に恍惚とした眼差しを注いでいた。
その意味を考えるだに不愉快に思う女王の背筋に、嫌な汗が流れる。
トシツネを捕らわれた拍子に掴みかかったその手を、エルフリーデはミカゲの肩から離して引っ込めた。
「享楽ですよ、全てが。企みでも挑発でもありません」
既に近い距離をミカゲが更に一歩詰めようと片足を出すと、エルフリーデは珍しく後ずさる。
ミカゲの手にはまだ、凍り付いた彼岸花が握られている。
「ヴィンフリートはあの女を憎み破壊することをこそ望みましたが、わたくしは違います。貴女様をお母君のような勿体ない壊し方で終わらせたりは致しませんよ」
言いながら白い瞳を動かし、エルフリーデの柔らかな曲線美を損なわず引き締まった美しい肢体に、ミカゲは舐めるような視線を這わせた。
ドレスを着こんだ上からであっても、彼女はその動作に鳥肌が立つのを禁じ得ない。
「気になりませんか?貴女様のお母君が、本当はどのような最期を遂げたのか」
エルフリーデの母親は、彼女を産んですぐに逝去した。
彼女は肖像画でしか見たことのないこの母の生き写しであると、皆に聞かされている。
「私が気にならないと言ったところで、どうせお前はぺらぺらとしゃべらずにはいられないのであろう」
「わたくしのことを、よくご理解くださっているのですね」
幼心に、恐ろし気な父よりも母が生きていてくれたらと思ったこともあった。
しかしその母が果たしてどんな女性であったか、結局のところエルフリーデは知らない。
だから彼女にとっては、その女性が彼女を産んでくれたという事実以外は、何らの特別もない存在であると最近では思っていた。
そこにミカゲが母のことで揺さぶりをかけてきたとなると、エルフリーデの性質上、意地でも気にしたくなくなるというものである。
「私にとってはどうでもいいことだが、勝手にするがいい」
突き放すような言い方が気に食わなかったのか、ミカゲは肩を竦めた。
「そうさせて頂くとしましょう」
そしてぞっとするような視線で、エルフリーデの美貌を覗き込み直した。
「我々は、ある女に似せて、一人の新しい魔族の女を造りました。もともと見目の良いその女に、治癒という有用な属性の魔力を持たせれば、食事でも装飾品でも女でも一級品にしか納得しない当時の王太子殿下は、喜んで娶ってくださいましたよ」
母親が道具のように造り出された女性であろうとは、エルフリーデは以前のミカゲの言から既に察していた。
だから、今更驚いたり傷ついたりはしない。
ただ、得意げに語る目の前の男の表情が鼻につくと思うだけである。
「王太子殿下は極上という言葉に弱いお方でした。極上の胎盤が手に入る呪術があると申し上げたところ、それはもう目の色を変えてその話に飛びついていらっしゃいましたよ。そしてまんまと我々の思惑に乗り、進言した通りに妻となったあの女を黄金の液体へ投げ入れなさいました」
エルフリーデの秀麗な眉がひくりと動いた。
彼女には、その黄金の液体というものに、思い当たりがある。
「あの女がもがき苦しんだであろうと、ヴィンフリートは嬉し気にしておりましたがね。わたくしは、それだけのことではさして喜べはしませんでした。ああ、的外れな恨み言は勘弁してくださいね?あの王太子殿下が、貴女様にまで『悪魔の蜜浴』をさせたことは、計算違いだったのですから」
首を傾げて困ったように眉尻を下げてみせるミカゲに対し、エルフリーデには同情心など欠片も湧かなかった。
「おかげで貴女様も、もしお子を授かれば優秀な子を産めますよ。試してみたいとおっしゃるなら、急いで孕ませて差し上げねばなりませんね。契約の期限が迫っているのですから」
ミカゲはエルフリーデの美しく括れた腰あたりに視線を向けて、下卑た笑いを浮かべた。
あまりにも気持ちの悪いその様子に、吐き気が込み上げる。
意味深でありながら測りがたい言葉の意図を考えることにも、もう彼女はうんざりしていた。
「貴女様が優秀に生まれついたのは、あの黄金の液体からお母君が生還したが故なのですよ。その胎盤には豊穣が約束され、代わりに悪魔に魂を売り渡す…。元来それは、悪魔の花嫁になるための儀式なのですがね?貴女様のお母君は既に純潔を失っていましたから、今頃その魂は黄泉の牢獄でしょう」
その母の運命を嘲笑うかのような下品な哄笑が、ミカゲの口から耐え切れず溢れ出る。
「――話を戻しましょうか。お母君のこの世での最期に」
笑い声を押さえ込み、神妙さを捻り潰して歪めたような気味の悪い表情を浮かべたミカゲが、また一歩エルフリーデに寄ろうと足を出す。
後ずさる女王の美貌からは表情が消えていた。
「貴女様を産み落としたお母君は既に、我々にとって用済みでした。わたくしはもっと別のことがしたかったのですが、近くにいたヴィンフリートか勝手に好きに処分してしまいましてね。王宮から攫ってきたお母君は、それはそれは彼にいたぶられたそうです。意識のあるまま台の上で腹を切り開かれ、臓物をひとつひとつ引きちぎられ、悲鳴を上げれば喉を焼かれ、涙を流せばその目を抉り出され…」
エルフリーデは今更傷付きも痛みもしない。
そのくらいのことは想定していたからである。
自分も半分は紛い物であるというなら、この少し壊れた感受性こそがその証であろうかと、他人事のように思うだけである。
「王国では、貴女様を産んだことで命を落としたと語られているようですがね。あの女はただ、道具として用無しになり、玩具として壊されただけなのですよ」
エルフリーデは動じない。
微動だにしない美貌に不満があるのか、ミカゲは上機嫌だったその表情を歪めていく。
その手にはまだ、溶けもせず凍らされた彼岸花が握られ、エルフリーデに向けて差し出されたままであった。
「エルフリーデ様」
その名を呼びながら、ミカゲは彼岸花を掲げた腕をぐいと前に突き出す。
「そんなもの、受け取る義理は無い」
冷たくあしらうエルフリーデが気に入らないとばかりに、ミカゲは蛇のような細い目を更に不快げに細める。
「貴女様のことは、随分長い間、好きにさせて差し上げました。貴女様の誕生を仕組んだのは、我々の目的のため以外の何者でもなく、貴女様もまた道具に過ぎないというのに。その上、貴女様はまだ役に立ってくださっていません。最期くらい、わたくしの享楽の玩具になってくださっても良いではありませんか」
その享楽が何を意味するのか、エルフリーデは考えたくもなかった。
母と同じようにはしないと言ったこの男の考えていそうなことなど、碌なものではあるまい。
「私が何であるかは私が決める。何のために生み出されたかなど、知ったことではない」
青い瞳は暴君らしい横暴さを宿して、目の前の不愉快な男を毅然と睨みつけた。
屈する様子など微塵も見せないその女王に、けれども男のほうも怖じる様子を見せない。
「ふっ…。貴女様らしくていい。それも含め、楽しませて頂くのはわたくしです」
白く寒気のするような冷たい瞳は、奇跡的なまでに美しいエルフリーデの身体のあちこちに視線を送っていた。
その目が柔らかな薄紅の唇から豊かな胸元へ向け直された時、ミカゲの薄い唇が僅かに開いて舌なめずりした。
気持ちの悪さに、距離を詰められてもいないのに、エルフリーデは後ずさる。
「そろそろ余興も片がつくでしょう。この後が楽しみですね?」
ガラスの箱に眼球と一緒に閉じ込められたトシツネを、女王の美貌は振り返る。
まだ動いている眼球は残すところ数個で、彼の足元には潰れた金の瞳の残骸がへばりついていた。
封印編の設定引きずりまくりで、もう忘れたよという方にはお手数・ご迷惑をお掛けしまして恐縮です。
ここまでお付き合いくださっている方々に、心より感謝申し上げます。




