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23―水底の頭部

ミリヤムは湖の淵に立ち、水面に目を凝らしていた。

正確には彼女の視線は、見えないはずのその水底に向けられている。

ここは、水属性の魔力が不自然に貯まっている地点である。


琥珀色の瞳が捉えているのは、視覚的なものではなかった。

彼女の勘は、瞳の先で研ぎ澄まされる。

その勘が、何かあるのは水底だと彼女に告げていた。


「潜ってみるか」


軽く準備運動を済ませ、鍛え上げられた長身を湖に滑り込ませるように、ミリヤムは無駄のない動作で飛び込んだ。


水中を進んでいく彼女は、人魚と見紛うほどに泳ぎ慣れている。

水草を避け、小さな魚の群れを追い越し、彼女は水底を目指す。

白銀の長髪が気泡を纏って煌めいた。


魔族の肺は人間よりも燃費が良く、息を止めたままでそれなりに動き回れる。

温度調節魔法の施された軍服は、水の中でも彼女が凍えない温度を保ってくれる。

しかし宵闇の迫りくるこの時間、澄んでいるとも言い難い水中で、視界は快適とは言い難い。

闇雲に動いても時間と体力を浪費するだけだろう。


ひたすらに勘を研ぎ澄ます。

この勘がそこだと思った場所に、答えがなかった試はない。


(そこか)


目標地点まで何事もなければ息はもつだろう。

だが彼女の第六感は、既に不穏なものを感じ取っている。


魔力は使用者がいない限り、その力を発現しない。

貯まっているだけの魔力ならば無害なはずであった。

ならば、彼女の感じるこの嫌な気配は何であろうか。

そこに誰かがいるとでも言うのか。


(最初からただで帰れるとは、思ってないけどな)


水底に近づくにつれて、暗くなっていく。

その上、水面近いところを大きな魚が通り過ぎたのか、彼女の上に影が落ちた。

ほとんど何も見えない。

けれどミリヤムは、見えないということに恐怖することはない。

彼女には、最も重要なものを視る力がある。

その正体は彼女本人も知らないのだが、昔からこの力を頼って彼女は生きてきた。


視えたものを目指して、ミリヤムは更に潜り続ける。

不穏な気配が濃くなっていく。

警戒はすれど、不安に苛まれることはない。

この臆することない冷静さこそが、彼女をアルテンブルク王国軍総帥たらしめた最大の強みである。


深追いはするなという指示を常に念頭に置き、ミリヤムは周囲の状況に細部に至るまで気を配る。

いざという時、逃げる手段はいくつか準備してきている。

いかに効率良く情報を集め、いかに適切に引き際を見極めるかが重要である。


(何だ、あれは)


ミリヤムがここだと視た点から、ぶくりと大きな泡が昇って来た。

そこに何かが頭を出した。


(魔道具で照らすか、一度上がるか)


暗いはずの水底を照らせば、そこにいる生物を無為に刺激するだろう。

だが、ミリヤムの勘が視て捉えられるのは、あくまで感覚的な範囲であり、最終的には目視してみなければこの“何か”の正体はわからない。

他に選択肢があるとすれば、一度水面に上がって、追ってくるか試してみることである。


当たり前だが、もし“何か”と戦闘になった場合に、酸素を吸える場所を選んだほうがミリヤムには有利である。

そう思うが早いか、彼女は浮き上がることに決める。


「ぷはっ」


水面の上に顔を出したミリヤムは、止めていた呼吸を急激に再開する。

あっという間に暮れた日は見る影もなく、空は既に水底に負けず劣らず暗い。

追って来る気配は無い。


「まあそうだろうな。後先考えず追って来るほど、挑発したわけでもなし」


呼吸をしながら、ミリヤムは考える。

初めに感じた“嫌な気配”と、水底で泡と共に現れた“何か”は、彼女の感覚として一致している。

あれを引き摺り出して退けてしまえば、貯まった魔力そのものは脅威ではない。

しかし、あれと魔力の繋がりがわからない以上、うかつには手を出せない。

逃げる準備を万端整えて、姿を確認する程度のことを目標に、無理せず引くのが良いだろう。


だいたい、水中では彼女の得意の雷魔法を満足に振るえない。

彼女本人は軍服にかけられた防御魔法によりある程度守られるが、他の生物は巻き込みかねない。

生物以外に影響を受ける物はどれだけあるかも、彼女にはわからない。

魔法を使うのは最後の手段と、ミリヤムは考えていた。


「利き手側内ポケット三箇所、反対側一箇所、確認と。腹が減ったな」


退避に有用な持ってきた魔道具の位置を確認する。

脳裏に浮かんできてしまった海鮮丼の映像を掻き消し、彼女はもう一度ざぶりと水に潜った。

いくら空腹でも、今はそんな場合ではない。


先程の“何か”は、寸分違わず同じ位置にいた。

ミリヤムが魔道具でそれを照らすと、海底に潜んでいた他の生物たちが、光を嫌がって散っていく。


(あいつ、身体が無いのか?)


照らし出されたものは、頭だけだった。

生気のない人間の頭のようなそれの、空洞のような目と視線が合ったと思った瞬間、それは目にも留まらぬ速さでミリヤムに迫って来た。


(――っ!!!)


身動きのままならない水中では避け切れず、ミリヤムの腹に痛みが走る。

ごぼりと泡を口から溢したものの、彼女は衝突の瞬間動きを止めた頭部をしっかりと観察した。


髪は生えていない。

落ち窪んだ眼窩を見据えても、今は閉ざされた瞼には睫毛すら無かった。

冷たく通った鼻梁と、酷薄そうな薄い唇――それらが、誰かに似ていた。

それが誰だったか、咄嗟には思い出せない。


ぶくり、ぶくりと連続して大きな泡が二つ上がってきた。

嫌な予感に、ミリヤムは腹に頭蓋を押し込むようにぶつかったままの頭部を引き剝がし、泡の出どころに向かって投げた。


水中で投げたそれは水の抵抗を受け、勢いよくその地点に命中はしなかった。

しかしそこから新たに現れた丸いものの一つに衝突して、その動きを止める。

そしてもう一つは、先程の頭部と同じようにミリヤムに向かって勢いよく水中を進んでくる。


(何なんだこれっ!)


向かって来たそれに、彼女は拳を叩き込んだ。

それの頭蓋が陥没した感触で、またもや頭部であったのだとミリヤムは認識した。

振り払うようにして、彼女はそれを水底に打ち捨てる。

次の頭部が向かって来る。


ぶくりと噴き出る泡を横目に確認しながら、ミリヤムは迫りくる頭部を次々に叩き落した。

どうやら頭蓋を破壊したものは動かなくなるようだ。

それらが出てくるのは水底の一点からのみであり、同時に二つ以上は出て来られない。

突進してくるのみであるその頭部に、今のところ大した攻撃力は見受けられないのであるが、群がって動きを封じられでもすれば厄介である。


(…魔法を使わないことにしてると、面倒だな)


右手の肘を叩き込みざまに、左足の踵でもう一体を蹴り、その反動で右の拳と左の肘を同時に突き出す。

骨が砕ける嫌な感触が身体の各所に響いて来るたび、気が滅入りそうになった。


(同じ顔だ。目も鼻も口も、同じ造りだ)


それは同じ人間を複製したかのように、皆同じ顔の造りをしていた。

どれも生きてはいないことが感じ取れ、そして本来首である部分の肉は初めからそうあるかのように閉じており、切断面などは無い。


新たに出てきた頭に右足で回し蹴りを食らわせた直後、反対側に接近してきた頭部を左の拳で沈めた。


(誰に、似てるんだ)


ミリヤムの頭にはそれが引っかかって、どうにも落ち着かなかった。

この顔、誰かに似ている気がするのである。

よく見知っている誰かに――。


(畜生、キリがない!)


あまり水に晒して傷めたくはなかったのだが、彼女は愛用の槍を背中から抜いた。

そして水中にしては随分と器用にその槍を振り回し、迫りくる頭部の頭蓋を凄まじい速度で粉砕していった。

新たな頭部が浮き上がろうとしている例の地点に、ミリヤムはそれを刺す。

音の無い悲鳴のようなものを感じ取った彼女は、突き立てた槍をそのままに、水面に向かって上昇した。


「…ぶはっ!さすがにきついわ」


息を止めていた上に、相当に体力を消耗した。

肺を大きく上下させて、ミリヤムは必死に酸素を取り込む。


何かを仕留めた感触はあった。

しかし同時に、終わってはいないという気もする。


(けど、情報収集としては充分だろう。これ以上深追いすることはない)


呼吸が落ち着いて、槍を回収しに向かおうとしたその時。

背後にひとつ、頭部が浮き上がってきた。


「まだいやがったか…!」


真正面から、ミリヤムは拳を叩き込む。

眼窩に直撃し、めり込むようにその周辺の骨を破壊した気持ちの悪い感触があった。

念のために頭蓋も叩き割っておこうと、反対の拳を振り上げた時、ついその鼻と口に目を遣った。


冷たく通った鼻梁、酷薄そうな薄い唇。

もしもこの顔に、もう少し暖かみと優しさがあったなら。

それはおそらく、ミリヤムがよく知っている――。


「そんな訳…」


無い、と思いたかった。

だからミリヤムは、これは一人きりで得体の知れないものと戦って、疲れたための錯覚だと思った。

そんな自分を窘めるように、自嘲気味に笑う。


「あいつがいないと、調子が出ないな」


涼し気な目元に輝くライトグレーの瞳から向けられた、熱い眼差しを思い出した。

彼のすっきりと整った鼻梁も、上品な薄い唇も、いくつも頭蓋を砕いたこんな頭部とは、その柔らかな印象には似ても似つかないというのに。


「――はっ!!」


突如水底からせり上がって来た何かから、ミリヤムは逃げ損ねた。

あんなにも退避の準備を整えたつもりでいたのに。


意識が遠のいて行く。

その瞬間にただ一言、間抜けだと思った。

だって、彼女が気を抜いた原因は、あの誰にでも社交辞令のように甘い言葉を吐く貴公子に囁かれた、普段なら気にも留めない都合の良い言葉を、思い出してしまったことだったのだから。

呪縛編は、封印編に出てきたものを色々引き摺って進んでおります。

途中から読んでくださっている方々には、ご面倒をおかけして申し訳ありません。

よろしければ斜め読みでも(おそらく32話以降あたり)ちょいちょいと目を通して頂けると、意味不明に感じられる部分が解消されるかもしれませんので、気が向かれましたら是非。

長くて無理という方は勿論、ご無理なさらず好きなところだけ楽しんでくださいませ。

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