17―彼岸花の招待
西の離宮。
美しい庭園を鑑賞することもなく、エルフリーデは入り口に向かって真っ直ぐ飛行していた。
これを見ている者がいたなら、異様な光景だと思ったことであろう。
縁側から屋内へと続く窓が開け放たれているのを見て取り、女王は方向転換する。
くいと曲がって飛んだままでそこから、ノックや呼びかけも無しに中へと進む。
「国の一大事に構わず、呑気に生け花とはな」
凛と気高い声が響くと、剣山に花を刺していた男が、フードを目深に被った姿で振り返る。
男の手元にある花は全て、とっくに開花時期を過ぎたはずの赤い花――彼岸花の、凍った姿である。
寒いこの季節に、冷えた風が入り込んで部屋中を凍えさせていることに、両者とも触れもしない。
「これはこれは女王陛下。正面玄関からお訪ねにならないのが、貴女様のお国の流儀ですかな?」
「戯言はいい。戦力を他へ向けさせ、その間にがら空きの土地で何をするつもりだ?」
「おやおや。お察しでしたら、わたくしなどに構っている場合ではないことはおわかりでは?」
「知れたことを。お前を片付ければ全て終わるだろう」
「これはまた過激なお方ですね。しかし、その読みは些か杜撰というものです」
フードの下の口元が、初めて表情らしい表情を浮かべた。
その男は、笑っている。
「ならばお前を締め上げて吐かせるまでだ」
「これはまた。貴女様の方から罠にかかりに来た身で、流石女王陛下は気丈でいらっしゃる」
秀麗な眉を顰めて、エルフリーデはミカゲの次の動きにすぐ反応できるよう備える。
しかし男が動かしたのは、唇だけだった。
「その瞳の呪いの秘密、知りたくはありませんか?」
「下らぬ。私は自分の出自になど興味はない」
「何故です?己の起源を知りたがらないなど、人として不自然ではありませんか?」
「どこからどう生まれてきたかなど、支配も制御もできぬこと。実につまらぬ話だ。己で選び、得てきた以外の過去など、自分のものですらない」
「思った通りの高慢さ。貴女様は期待通りだ」
クツクツと、ミカゲは肩を震わせて笑う。
心底喜ばしいというように。
「そうでなければ意味が無い。あの人形のようではあの女の代わりは果たせない」
意味深な言葉より、エルフリーデはそのフードの下の気配に気を向けていた。
空間魔法でミカゲの身体を引き裂いてやるのは容易い。
しかしそうしないのは、彼女の読みが正しければ、ミカゲの身体を破壊したところでこの事態は終わらないからだ。
「お前は人間ではないな」
「人間でなければならぬ道理もありますまい」
隠すつもりもないのか、男は唇の端を引き上げたまま答える。
「魔族が人間の国に隠れ住んでいたか」
「魔族という言葉が人間と精霊との混血を指すなら、わたくしは違います」
フードの下に隠された瞳を見据えるように、青い瞳は鋭い視線を差し向ける。
「紛い物ですよ。貴女様の半分がそうであるように」
クツクツと、ミカゲは愉快げに笑う。
「ご興味が湧きませんか?ご自分の起源に」
青い視線を逸らさぬまま、エルフリーデはミカゲの気配に神経を集中する。
この男がする与太話の真の目的は何なのか。
「毛ほども興味が無いというのが本音だが、お前が興味を持たせたがっているということは理解した」
開け放たれた窓から吹き込む風は冷たく、生けかけの凍った花を揺らす。
ミカゲは笑ったまま、その気配は変わらない。
「強情なお方ですね。ますます身代わりになって頂くのが楽しみです」
瞳が青いことに理由があるなら、それは精霊エファの新たな肉体となるためであったろうと、この女王は解釈していた。
エルフリーデの青い瞳は、母から受け継いだものだ。
つまり、半分は紛い物というのは、よく似た容貌の青い瞳の母のことだ。
そこまではわかる。
しかし、ミカゲの言う“身代わり”というのが、エファの器という意味には聞こえない。
そこにエルフリーデの知らない何かがある。
「意味深なだけの言葉の応酬に付き合ってやるのは趣味ではない。こんなところまで私をおびき出したなりの用があるのではないのか?」
「ええ。そう恐い顔をなさるような用件ではございませんよ。折角の造り物のように美しいお顔が、台無しです」
造り物、という言葉を強調して、この男はエルフリーデに揺さぶりをかけている。
尚も本題を切り出さないミカゲに、女王は余計に苛立った。
「女王陛下とローゼンシュトラウス子爵を、わたくしの催しにご招待致したいのです。他の臣下の皆様も、お連れ下さって構いませんよ」
恋人の名を出され、エルフリーデは初めて本気の不快を瞳に浮かべた。
「断ると言ったら?」
「お断りにならないと思いますよ。呪いは既に始まっています。お見捨てになっても貴女様の責にはならないでしょうが、ローゼンシュトラウス子爵は悲しまれるでしょうね」
クツクツというミカゲの笑い声が、不快さを一層増してエルフリーデの耳を打つ。
「私を脅すとは良い度胸だな」
「これから何を見ても、最期までその強気を失わないでいてくださいね。でないと、面白くありませんから」
呪いが何であるかはエルフリーデにはまだわからないが、ミカゲは人質がいることを暗に告げている。
エルフリーデの弱点は、溺愛する恋人だ。
そこを突かれては不用意に攻撃もできない。
「三日以内にわたくしのもとへいらしてください。でないと、呪いは完遂されます。わたくしはタマサキ山の頂上におります。次に呪われるのは…どなたになるか、楽しみですね」
凍った彼岸花を数本、ミカゲは拾い上げて束ねる。
そして音もなくエルフリーデのほうへ歩を進め、それを差し出した。
「差し上げますよ。呪われた青い瞳には、血のように赤い花がよくお似合いですから」
憤りを顕にして、エルフリーデはそれを受け取りざまに握り潰した。
恋人との大切な想い出を侮辱されたことが、それだけ彼女の冷静さを失わせた。
「ああ、これは面白い!素晴らしい身代わりだ!」
究極に不愉快な笑い声を残し、ミカゲの身体は砂のように崩れ去った。
これは、かつてヴィンフリートが砂浜で見せた呪術に酷似している。
人間でも魔族でもない、紛い物だというミカゲという男は、呪術師なのであろうか。
エルフリーデは、苦々しい思いを奥歯で噛み殺す。
この状況を予測できなかったわけではない。
策も無く魔王に挑む愚か者など、そうそういようはずもない。
敵に動きがあるということは、すなわち罠が整った段階である。
しかし、早々にミカゲに接触を図ったところで逃げられ、消息を掴み難くなれば情報面でより不利になると考え、わざと敵の出方を見ていた。
正体の知れぬ敵を相手にそれしかなかったのも、事実である。
エルフリーデの何よりの弱点は、人間である恋人だ。
敵がそこを突いてくることも、わかっていた。
それでもやはり、この女王には苦々しい。
世界で一番愛しい存在を、みすみす危険に晒さねばならないことも。
そして、そのたった一人のために、彼女がかつて抱いた“良き王でありたい”という願いが、崩れ去りそうになる自分の弱さも。
反乱軍は間もなく鎮圧され、皇帝無事の報が各地を駆け巡った。
これに喜ぶ民より、落胆や絶望する民のほうか多かった。
反乱軍対鎮圧軍が、そのまま人間対魔族の様相を呈しており、人間の敗北という形で事態は終息したのだから、無理もない。
退魔連合軍にしても、暗くなる頃には引き上げていった。
戦いにすらならないと実感した彼らは、今後どうするか、お上は国民に何と説明するかと頭を悩ませた。
その間に、イヅノメ皇国全土で世にもおぞましい現象が始まった。
墓土が盛り上がり、その下から粘土のような手が地表を突き破り、屍が這い出して人里を徘徊するのだ。
皇国軍の統率が取れない現在、各地の警備隊のみではこれに対処できず、人々は戦々恐々としながら屋内に閉じこもった。
彼岸花の花言葉。
情熱、再会、悲しい思い出、諦め、
など色々あるようですね。




