16―反乱と鎮圧と逃走
皇都全土での蜂起を予想していた女王は、目ぼしい場所にアルテンブルク王国陸軍を配置して鎮圧に当たらせていた。
この許可は、エルフリーデがどさくさでクニシゲから捥ぎ取った書面で取り付けてある。
イヅノメ皇国正規軍の大半が反乱に加担すると考えられた今回の状況において、皇国側にこれを鎮圧する武力などあろうはずもない。
僅かながら皇帝側についた者達もいたが、彼らの心中としては謀反という行為を是としないのみの者が多く、完全なクニシゲ派など見つける方が難しい。
最早、クニシゲの失脚を望んでいないのは、魔族たちのみなのかもしれない。
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殺すな、死なせるな。
アルテンブルク王国陸軍は、そう厳命されている。
イヅノメ皇国軍は敵の手に落ちれば自害しようとする悪癖があるから、それを阻止するところまでが仕事であると、彼らは女王直々に聞かされた。
今回イヅノメ皇国に派遣されたアルテンブルク王国陸軍は、主に敵の攻撃に対処し追い詰める部隊と、制圧した敵を捕獲・保護するための部隊に分けられる。
前者は剣や槍の腕が立つ者達や、珍しいところでは重力魔法で武器の狙いを逸らす者など。
後者は、精神作用系の魔法――幻覚や眠くなるなどの足止めに便利な魔法が使える者達と、手足を縛り上げるための人員とで構成されている。
精神作用系の魔法を捕獲段階で初めて用いるのは、反乱軍が混乱して自分たちで殺し合うのを防ぐためである。
また、各部隊には一人ずつ、治癒魔法が使える者を配置している。
火や雷などの攻撃魔法は人間には効きすぎるために、今回直接の使用は禁止とされた。
ちなみに陸軍を各場所へ運んだのは、皇都付近に布陣する空軍である。
そこは皇帝クニシゲの像が建つ国立公園。
曇り空の下、鍔迫り合いの甲高い音が、いくつも重なり響き合う。
その部隊は、他の部隊のようにものの数分で制圧されるということはなかった。
魔族相手に善戦と言えるであろう。
掲げるのは、正真正銘の皇国の御旗。
まるで自分たちこそが、この国の正義であると言わんばかりに。
「ほう。手こずっていると報告を受けて来てみれば、兄上殿の部隊か」
そこに突如姿を現したのは、戦場にはあまりに不似合いな、優雅なドレスを纏った美貌の女王である。
「我々の敵に、兄上殿などと呼ばれる筋合いはない!」
焦げ茶色の髪に同色の瞳。
その反乱部隊を率いている男の名は、ハルツネであるとこの女王は知っている。
「たった一人の弟を年増女の婿にやるのが、それほどお気に召さないか」
「悪魔に与する愚か者など、最早弟でも何でもない!」
刀を構え、ハルツネは真っ直ぐに魔族の女王を睨めつける。
その足が地を蹴ると、白銀の曲線が無駄もなく閃き、一直線にエルフリーデに躍りかかった。
キィン――と、一際重く震える金属音が響く。
腰の短剣を引き抜いたエルフリーデが、その短い刃でハルツネの刀を受け止めていた。
「兄上殿のほうがトシツネより剣の腕は上だな。しかし、私を傷つけることはできない」
黙ったまま、ハルツネは一度その刀を斜めに振り切って飛び退く。
そしてもう一度別の角度から素早く一閃を放つ。
キィン――と、また金属音が鳴るが、先程より軽い。
「トシツネは私を二度も刃で傷つけたことがある。兄上殿と何が違うと思う?」
斜め下からの一閃を上から受け止められているハルツネは、それを振り切るタイミングと角度を見計らって、先程のようにすぐには動けないでいる。
それを見下ろすようにする女王の美貌の、美しい唇の端が僅かに引き上げられる。
彼女が浮かべているのは、穏やかな微笑み。
魔法抜きにしても、剣の腕だけでハルツネは圧倒的に負けている。
こんな相手に、トシツネはいったいどうやって傷をつけたというのか。
ハルツネには検討もつかない。
「トシツネのほうが上なのだ。度胸と、男としての魅力がな」
シャラン――と、銀の簪でも落ちたかのような流麗な音がすると、ハルツネの刀は払い除けられ、女王の白い細腕に鍛え上げられたその腕を抑え込まれていた。
「愛は周囲に反対されるほど燃え上がるとも聞くが、私としてはできればご家族の理解を得たい。トシツネにとっても、たった一人の兄上だ。彼との交際を快く認めてはもらえまいか?」
それは悪魔の戯言としか、ハルツネの耳には聞こえなかった。
焦げ茶色の瞳は、不利な形勢にあっても尚衰えぬ鋭さで、青い瞳を射るように見据えた。
「愚か者の弟のことなどどうでもいい。だが、お前のような悪魔の存在など、この命に替えても、認める訳にはいかない。正義の御旗の、誇りにかけて!」
押さえつけられた腕を振り解こうと、ハルツネの腕は筋肉の筋を浮き上がらせてふるふると震えている。
しかし、彼はその女の細腕から逃れることができない。
「綺麗な目だ。トシツネの次くらいにな」
すっと目を細めて、女王は艶やかに笑んだ。
「だがそれだけだ。認めて頂けないなら、力づくで奪うしかない。交渉決裂なら――」
青い光が腕から先へ這って伸びる。
ぶわりと、ハルツネの刀が粉微塵に砕け膨れて跡形もなく崩れ落ちた。
「守ってやれるのはその命だけだ。誇りなど知ったことではない」
それが魔法だと気づいた時、僅かな恐怖にハルツネは己の弱さを知った。
ハルツネの身体中を青い光が覆い、女王の手が離れる。
身体は動かない。
自決も叶わない。
「縛っておけ。この人間は重要だ。絶対に死なせるな」
勝敗は決していた。
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「陛下、こちらへ!」
僅か十名ほどの臣下たちに護られながら、イヅノメ皇帝クニシゲは反乱軍から逃走していた。
皇城の戦力という戦力は反乱勢力側についており、残ったのは側近ユキマサと、ミカゲが選んだ護衛たちのみである。
アルテンブルク女王にはこうなることを忠告されていたのだが、まさか本当にこれだけしか自分に従う人間がいないとは、その時は信じていなかった。
反乱軍の狙いは皇帝のみ、他の皇族たちは大人しくしていれば危害を加えられることはないであろう。
更に、ミカゲがつけた護衛たちはいつ怪しい動きを見せてもおかしくないため、注意を払わなければならない。
信じて良いのは古くからの臣下のみである。
そう、エルフリーデはクニシゲに伝えていた。
若き皇帝は、わからなくなっていた。
数々の大事を予知したミカゲが、この反乱と宣戦布告については何も知らせてこなかった。
それに対し、あの女王はここまでのことをほぼ正確に言い当てている。
彼女の言う通り、ミカゲはクニシゲの敵なのか。
彼の周りに今いるのは、ユキマサを除いては、ミカゲが占術で導き出した護衛に相応しい者達である。
彼らもクニシゲの敵だというなら、この状況は眩暈で済まないほどに絶望的だ。
誰もクニシゲの治世を望んでいない。
クニシゲは皇帝であった。
しかしそれが何を意味するのか、彼にはもうわからなくなっていた。
何を間違えたのか。
信じる相手か、それとももっと根本的なことなのか。
「陛下!」
刀が鍔迫り合う甲高い金属音が響いた。
彼らを追ってきていた反乱軍の先頭が、護衛に追いついたのだ。
このままでは数で押し負ける。
「助けを呼びましょう!」
そう叫んだのはユキマサである。
その助けというのが誰を指すのか、この場でわかるのはクニシゲとユキマサだけである。
クニシゲは頷いた。
そして、肌身離さず大切に持っていた懐の青い宝石を握りしめて、念じた。
あの橋の上で信頼を乞うたあの女王に、届くように。
その信頼に応えなかった許しを、今は自分が乞うように。
彼らは目の前に見た。
人型の青い光を散らしながら突如その場に現れた、壮絶な美貌の女王を。
「クニシゲ殿。私を信頼してくださるなら、身の回りに敢えて敵を配置するのは、そろそろやめてはいかがか」
青い光はまず、クニシゲの護衛たちと、彼らと鍔ぜり合う反乱軍の先頭に向けられた。
空間が割れて、その中へユキマサ以外がぱくりと呑み込まれていくのを、他の者たちは唖然として見ていることしかできなかった。
「護衛は私一人で充分。残りもすぐに片づけて差し上げよう」
眼前に迫りくる反乱軍は、何が起こったかもわからぬまま、口を開けた黒い空間に食まれてその中へ消えた。
「だが、例え優秀な護衛がいても、世話役や参謀は必要だ。それらの役は、最も主君を良く知る忠節な臣下が良い」
振り返って、エルフリーデは微笑んだ。
この場にはもう、クニシゲとユキマサとこの女王の三人しかいない。
圧倒的な力というものを目にして、二人の人間は声も出ず身じろぎもしない。
「ミカゲはどこにいるかご存知か?あれを片付けねば、事は終わらない」
片付ける、という冷ややかな言葉にぞくりと背筋を凍らせながらも、クニシゲは懸命に口を開く。
「西の離宮に、部屋を与えています。常ならばそこにいます。今は、わかりませんが…」
「ならば私はそこへ行く。護衛をお貸ししよう」
女王はドレスの中からたおやかな手指で青い水晶を取り出した。
するとそこへ、淡い金髪と赤い瞳の女王自慢の従者が現れた。
「アルベルト。ユキマサ殿と協力して、クニシゲ殿をお護りしろ」
「御意」
「お前も無理をせず、困ったら私を呼べ」
青く美しい瞳に、限りなく深い親愛の情を浮かべて、その女王は赤い瞳に慈しむような視線を投げかけた。
そしてすぐに、美貌の女王はその場から消え失せた。
女王様が強いっていう設定にし過ぎて、チート感が…!




