5―魔王上陸
港に着くと、皇帝が寄越した迎えの馬車が待機していた。
エルフリーデが事前にクニシゲに伝えておいた到着時刻から、五分と誤差がなかったことに、迎えに来た者達は非常に驚いている様子だった。
港付近には結構な数の野次馬の影が見えたが、誰もが遠巻きに見ているだけで、近づいて来ようとはしない。
その空気の冷たさから、どうやら歓迎されていないことが見て取れる。
女王一行は、馬車に早く乗り込むようにと、随分急かされた。
悪魔たちの姿を人目に触れないように早く隠してしまいたい、という意図が透けて見える。
人間たちを脅かさぬようにと、魔法でかなりの速度を保っていた船も、港に近づく前に速度を落としたりと、魔族なりに気を遣ったのだが。
そんなことは、ひたすら悪魔に怯える彼らのほうでは気づく由もない。
「ご、ご案内致します…」
迎えに来た者達に関しても、ほとんど目を合わせようともせず、怯えている始末である。
震えながら彼らを先導しようとして、その女性は躓いた。
「きゃっ!」
「おっと」
転びかけた彼女を咄嗟に支えたのは、ギュンターである。
「大丈夫ですか?」
穏やかな声で問いかけつつ、中性的な美貌で柔和に微笑み、すっとしゃがんで彼女の汚れた裾を払ってやる。
「そんなに怯えないでください。あなたのようなお嬢さんには笑顔が似合いますよ」
涼し気な目元から上目遣いに視線を遣りながら、片方の手を優しく取ってその甲に口づける。
途端に女性は、耳まで真っ赤にして、夢見るような表情に蕩けていく。
そう、これが普通の反応である。
その様子を恐る恐る眺めていた迎えの者達のうち、女性陣は既にギュンターの虜であった。
ぼーっと頬を赤らめて、転びかけた女性に羨まし気な視線を送っている。
中には、後ろに控えているアルベルトに見惚れている、ちゃっかりした者までもいた。
「行くぞ」
人間たちの視線が集まっているのをちらと見てから、エルフリーデが案内役を通り越し、先頭に立って優美に歩を進める。
絶世の美貌を持つ彼女が、何者にも侵し難い気品を漂わせて歩く姿は、それだけで浮世離れして麗しい。
今度は男性陣からほうっと溜息が漏れ、その視線が釘付けになったまま首ごとエルフリーデを追いかける。
美貌の使いどころを良く知っている王族二人は、とりあえず魅了してしまうという少々乱暴な手段で、その場にいた人間たちの怯えと敵意を粉砕した。
女王一行は馬車から街並みを見たいと申し出たのだが、貴人が姿を晒しながら移動するのは危険であるからと、案内役に止められた。
本当は、女王たちの姿を見た民が恐怖に陥るのを避けたいのだということは察せられたが、彼らはその点は指摘せず、隠されて運ばれることに同意した。
エルフリーデだけは、どうしてもカーテンの隙間から少し覗くだけでもと食い下がり、その勢いに恐れをなした案内役は、頷くことしかできなかった。
「トシツネ、あれは何だ?」
カーテンの隙間は、一センチもない。
そこから、青い瞳と焦げ茶色の瞳が片方ずつ、縦に並んで外を見ている。
「あれは五重塔といって、短く言うと…宗教的な建造物です」
エルフリーデが質問し、トシツネが答えるということを繰り返している。
「あれは?」
「銭湯です。公衆浴場ですね」
「あの男は何をしているんだ?」
「豆腐という食べ物を売り歩いているんですよ」
泣く子も黙る辣腕女王、人間たちが震えて恐れる魔王は、ここでは完全にただの観光客である。
「あの家は何故、廊下が外にあるのだ?」
「あれは縁側というもので、ええと…バルコニーに近いものだと思います」
「あの大きな建物は水に浮いているのか?」
「あれは堀といって、城を水で囲うことで敵襲から守っているんです」
城に対して敵襲なんて一度も無かった平和なアルテンブルク王国には、堀なんて概念は無い。
「これがお前の生まれた国なのだな」
嬉しそうに、もう何度目か、エルフリーデがはしゃいで言う。
久しぶりに母国の風景を目にしたトシツネより、余程楽しんでいる様子だ。
そうしているうちに、イヅノメ皇帝が歓迎会を兼ねた食事会の席を用意しているという、料亭に到着した。
馬車を降り、時間は既に夕刻。
これから晩餐を楽しむにはちょうどいい。
着いてすぐ、簡単に挨拶を交わし合う。
イヅノメ皇国第五十二代皇帝イヅノメ・クニシゲは、人のよさそうな好青年であった。
彼の黒い髪、濃い茶色の瞳というのは、この国で最も多い髪と目の色合いらしい。
こんがりと健康的な肌の色をし、中背中肉でなかなかに引き締まった体格をしている。
目元はすっきりと細長く雅な印象を与え、鼻や口は小さく上品に整っている。
どのような者を何名連れて来るつもりかということは、エルフリーデが夜更けに押し掛けた際に話してあるので、皇国側も把握していた。
更に、エルフリーデが臣下を非常に大切にしており、なるべくあらゆる場に同席させたいと我儘をいったのを、皇帝クニシゲが甘い顔で了承したので、護衛や従者といった立場で連れてきた者たちの分まで、きちんと同じ食事会場に席が用意されていた。
ただし、トシツネ・ローゼンシュトラウスという、どう見てもイヅノメ皇国出身者である少年が女王の側仕えだと紹介された時は、クニシゲを含む何人かはおかしな顔をした。
さすがにこの場で、恋人だと紹介してのろけるようなことはない。
その程度の公私分けはするにも関わらず、何だかんだと我儘を通しているあたり、他国に来てまで暴君する気は満々のようである。
「たったの六名で船旅を?」
「ああ。船は自動操縦、他のことは私の従者が全てこなすので、本当に連れてきたい者だけを連れてきた。そちらとしても、こちらの数はなるべく少ないほうがやりやすいだろう」
苦笑しつつ、クニシゲは肯定する。
エルフリーデは、皆が恐れる魔族と友好を図ろうと決断したこの皇帝に、敬意も感謝も持ち合わせており、ある程度腹を割って話すつもりでいる。
皇帝以外に歓迎されていないという事実を、今更建前で塗り固めて話す必要性は感じていない。
食事の席に着くと、その料理や器の珍しさに、魔族側は興味深げに見入った。
これは何か、どうやって食べるのかと質問の尽きない彼らに、だいたいはトシツネが、時には皇帝クニシゲ自らが答えていった。
そうして、彼らは箸というものを初めて手に取る。
エルフリーデやギュンター、アルベルトは見様見真似で即座に美しく使いこなし、ヨハネスはおっかなびっくり少々間違っていながらもなんとか様になっていたのだが、ミリヤムの様子は悲惨であった。
「なんだよこれ、こんなもんでどうやって!」
両手に一本ずつ握り、豪快に食べ物を突き刺そうとする。
イヅノメ皇国側の空気が凍り付いたその時、ギュンターがひょいとそれを取り上げ、スプーンやフォークなどは無いのかと女中に尋ねる。
ついでに、怯えながら給仕をしていた彼女らを、貴公子の微笑みで落ち着かせてやるのも忘れない。
そそくさと奥へ探しに行った彼女は、スプーンによく似た匙というものと、先の割れた楊枝のようなものを持ってきてくれた。
それによって、なんとかマナー違反による大惨事を起こすことは未然に防がれ、ミリヤムもご機嫌で食事を進めている。
これでも公爵夫人なのだというから、驚いたのは皇帝だけではなかった。
「ところで」
と、場が落ち着いてきたところで、クニシゲが切り出す。
「そちらのローゼンシュトラウス子爵は、失礼ながらお名前やお顔立ちから、我が国の出身ではないかとお見受けしますが」
トシツネがどきりとして顔を上げた。
「ああ、その通りだ。戦場で生き残り、取り残されていたのを見つけたので、我が国で保護していた。その旨をそちらの前皇帝に書状で知らせたのだが、身柄の引き取りを拒否されたので、我が国の民として受け入れたのだ」
一目惚れをして攫ってきたとは、この場では言わない。
「それは、我が父が大変な失礼を致しました」
「いや。彼は我が国を救ったと言って過言でないほどの功績を上げてくれた。私としてはむしろ、この巡り合わせに感謝している」
クニシゲは内心で首を傾げた。
そこに座っている少年は、平凡の代名詞のような見た目をしているのだ。
いったいどんな特殊な力があって、魔族の国で功績など上げられるというのだろうか。
「それに、今更貴殿が父君のしたことを詫びる筋でもない。貴殿の治世になって、この国も大きく変わることだろう。何せ、貴殿は人間界の常識を覆えし、国中を敵に回すほどの覚悟で、我々魔族と友好を図ろうと決断してくれたのだから」
クニシゲの頬がうっすらと染まった。
皇帝である彼を褒めそやす者などいくらでもいたが、この美しい女王にそのような評価をされると、彼は最高に気分が良かった。
「実は、魔族と親交を図るという今回の件を取り決めたのは、占術の結果にそれが良いと出たことがきっかけなのです」
「ほう。貴国では、占術の結果がそれほど重要なのか?」
「常であれば、それまでの国家の方針を大きく覆してまでということはないのですが。我には優秀な陰陽師がおりまして。この者はこれまでも、いくつも国家にとって重要なことを的中させて参りました。彼の言うことならば、何を置いても聞き入れるが吉と思いまして」
エルフリーデは、僅かに眉を顰めた。
魔力を持たぬ人間が、占術や祈祷により結果を出せるとは、彼女は信じていないのである。
「陰陽師というと確か…貴国において主に占術や祈祷を行う者のことであったな。古くは厳密に素となる思想があったはずだが、最近ではその流れを汲む占術と祈祷を行う者達全般を指すという」
「お詳しいのですね。その通りです。たかが占術と思われるかもしれませんが、結果、このような素敵な出会いがありました。我はこの選択は正しかったと思っております」
素敵な出会い、という言葉を、クニシゲは少々熱を込めて発した。
それを受け取るエルフリーデのほうは、外交に熱心な皇帝なのだという解釈しかしなかった。
「こちらとしても、イヅノメ皇国との国交の正常化は予てからの願い。この縁を心から嬉しく思う」
クニシゲの心臓が早鐘を打った。
こういう言い方をされると、深読みをして期待したくなるのである。
「しかし…これは私の独り言として聞いて頂きたいのだが。一国の主たらば、己が意思であらゆることを選び取ったという姿勢を見せてやらねば、臣下や民は忠誠の捧げようがない。臣下の言を聞く器は重要であるが、主君はそれを容れるのであって、それに従うのではない。占術結果を参考にする程度ならばよいが、何を置いてもというのは少々過ぎているように感じるな」
凛と気高い声が、決して貶すでも嘲笑うでもなく、真摯に響く。
それが感じ取れて、クニシゲはこの言に素直に納得した。
「なるほど。これはまだ国を背負い立って日の浅い我には、耳が痛く学び取ることの多いお話ですね」
とはいっても、陰陽師ミカゲの不思議な力を信じているクニシゲとしては、あくまで姿勢の示し方への助言として捉えていた。
この後もあれやこれやと会話は続き、魔族たちは異国の味に舌鼓を打った。
正式な会談を翌日に控えたその日は、このまま平和に終わるかのように見えていた。
帰り際、一人の男が現れるまでは。
「おお、ミカゲか」
料亭の玄関を出てすぐのところに、フードを目深に被った一人の男が立っていた。
ミカゲと呼ばれたその男は、皇帝クニシゲの前に跪く。
「お伝えしたいことがございます」
「申してみよ」
ミカゲを信頼しきっているクニシゲは、何の躊躇いもなく彼に発言を許す。
その様子とクニシゲの人の好さを鑑みて、エルフリーデはこの皇帝に君主としての危うさを感じた。
「重要な占術結果です。これは我が国に関してというより、今いらしているアルテンブルク王国の女王陛下に関することです」
エルフリーデは目に見えて眉を顰めた。
しかしクニシゲは、余計に興味を持ったという顔でミカゲに迫る。
「丁度いい、ご挨拶代わりにお前の占術を披露して差し上げるといい」
フードから覗くミカゲという男の口元からは、一切の感情が読み取れない。
「青い瞳には、呪いがかかっていると」
魔族全員、そしてトシツネも、これには不快気に表情を歪める。
「人間を愛する呪いです」
クニシゲだけが、それを聞いて嬉しそうに破顔した。
「下らない」
そう呟いたのはミリヤムである。
「ふっ。それだけか。毒にも薬にもならぬな」
エルフリーデは、興味が失せたといった表情で言い放つ。
「その青い瞳は、呪いで受け継がれたものです。お心当たりがあるのでは?」
表情のないままの男の口元が動き、そう告げる。
「そうだとしても同じことだ。いずれにせよ、些事であろう」
エルフリーデの表情は変わらない。
それを見て、ミカゲは一礼して夜の闇の中へ下がっていった。
「まあ、皆様。占術などお遊びのようなもの、そうお気を悪くなさらないでください。お泊り頂くお宿まで、ご案内致しましょう」
ひとり上機嫌なクニシゲは、自ら彼らを馬車へと案内し、自分もそこへ乗り込んだ。
エルフリーデにすっかり魅了されているとはいえ、悪魔と恐れてきた種族に対しこうも短期間に見方を変えて、進んで馬車に同乗するまでになるあたりは、大物と言えるのかもしれなかった。
宵闇に紛れて誰も気づかなかったのだが、“人間を愛する呪い”という言葉を聞いて以降、トシツネは始終青ざめて俯いていた。
スライムすら見たことのない村人Lv.1の前に魔王が現れたら、それは怖いですよね。




