2―夜更けに訪ねてくる美女
アルテンブルク王国が使者の来航で湧き、その使者たちが帰途について間もない頃。
夜更けのイヅノメ皇国にて。
即位したばかりの若き皇帝クニシゲの側近、ユキマサのもとへ突然、美しい異国の女が訪ねてきた。
何故その女が異国から来たとわかるかというと、服装が異国のものであるのは勿論のこと、単一民族国家のイヅノメ皇国において、同国人ではありえない青い瞳をしていたからである。
その女、皇帝にできればすぐに目通りを願いたいというのである。
それも意味深な様子で、彼女が来たことは他の者には一切内密にと念押しをする。
さほど若くはないが途轍もなく美しい女なので、夜更けに一人で訪ねてくるということはそういう関係なのであろうと邪推しつつ、ユキマサは皇帝の元へ知らせに走った。
ところが主君であるクニシゲは、そんな女は知らないと言う。
まあとにかく得も言われぬ美しい女で、誰かが即位祝いのつもりで用意した女かもしれないということになり、帰すにしても一度会ってやらねば失礼に当たると考えた彼らは、とりあえずこっそりと連れてくるということで落ち着いた。
クニシゲは好色でも暴食でもなく、並みの分別と貞操観念を持ち合わせた男であったが、それほどまでに美しいと言われれば、見るだけでも見てみたいと思ったのも本音である。
ユキマサは、主君がこの後どう判断するかもわからぬと思い、いきなり要件も聞かず寝所へ通すということはせず、客間を整えてそこへ通した。
この判断は正解であった。
何せこの女、皇帝が現れると人払いをと願った後、優雅に異国の礼をして、アルテンブルク王国第十三代国王と名乗ったのである。
明かりの下でその姿を改めて見てみると、やはり信じられないほどに美しい女だとユキマサは思った。
クニシゲにしても、あまりに浮世離れした美貌に驚いて、名乗られてから三十秒は動けず呆けていたほどである。
これが彼らが恐れ憎んできた悪魔の姿であるとは、なかなかに信じがたかった。
「このような夜更けの突然の訪問を詫びると共に、目通りが叶ったことに感謝する」
凛と気高い、透き通った声が響く。
「イヅノメ皇国第五十二代皇帝イヅノメ・クニシゲです」
皇帝クニシゲは、遅ればせながら名乗りつつ、握手のための手を差し出した。
握手という風習はこの国では主流ではない。
しかしながら、他国ではよく用いられる。
外交の際はこれは必須――というのは建前、クニシゲはもう、この美しい女に触れてみたくてたまらなくなっていた。
たおやかな白い手がクニシゲの手を握ると、その柔らかい感触に腰が砕けそうになった。
向かい合っているだけで甘い香りが漂ってきて、なんだかおかしくなりそうだ。
しかし彼も若いとはいえ一国の皇帝。
このあたりで、しっかりせねばと自分を叱咤する。
「失礼を承知でお伺いしますが、貴女がアルテンブルク王国の国王であるという証拠を、何かお持ちですか?何分、お顔を拝見するのも初めてですし、我が国には貴国の情報がほとんどございませんので」
クニシゲは内心、怯えてもいた。
相手が悪魔であるというなら、その怒りを買った途端、魔法というものでどうにかされてもおかしくないのである。
「貴殿の言はもっともだ。しかし、我が国も建国以来二千年、外交そのものを必要としなかったので、何をもって証拠とできるか判断し難い。ここに、貴殿から受け取った招待状があるのだが、これを持っていることが、私がエルフリーデ・ジルヴィア・アルテンブルクであることの証明になるだろうか?」
優美な手指で一通の招待状を取り出し、女はクニシゲにそれを見せる。
間違いなく、それは彼が魔王宛てに送った招待状であった。
「確かにこれは、此方がアルテンブルク王国国王宛てに送った招待状です。しかし、これを預けた使者もまだ戻らないというのに、何故これが今ここにいる貴女の手にあるのでしょう?」
それは純粋な疑問であり、大切な確認でもあった。
使者が国から出ないうちにこれが誰かに奪われた、ということもあり得なくはないのである。
「私は移動に便利な魔法が使える。証明が必要なら今ここでお見せしよう」
その答えに、皇帝はぎょっとした。
彼女の言うことが本当であれば、目通りなどいちいち許可を得て来ずとも、いきなり彼の前に現れることもできたということではないか。
「いえ、結構です。疑って申し訳ありませんでした。どうぞ、お掛けください」
ようやく椅子を勧め、皇帝自身も向かい合って腰掛けた。
「それにしても、何故こんなかたちでいらしたのですか?火急のことでしょうか」
「いや。お互いこんな身の上、正式な訪問となると手続きなど時間がかかり過ぎる」
「会談の際では間に合わない御用ということでしょうか?」
「その会談について、伺いたいことがあるのだ。こちらが外交に不慣れなばかりに、迷惑をかけて申し訳ない」
「いえいえ、とんでもありません」
魔王というものは、決して人間が思い描いていたようなものではないのだと、クニシゲはこの日確信した。
そしてこの魔王が、同行者は何人まで連れて行けるか、この国に持ち込んで良いもの悪いものはあるのかなど、どうやら旅行気分で嬉しそうに質問してくるので、驚くと共に愛らしいとさえ思ってしまった。
白い肌に、艶やかな黒髪に、気品ある鼻梁に、ふっくらとした唇に、青い瞳に、すっかり見惚れるクニシゲもまた、つられて浮かれ気分になっていくのであった。
イヅノメ皇国第五十二代皇帝イヅノメ・クニシゲは、二十五歳という若さで即位して間もなく、人類史上初の魔族への使者を送った。
これは、お抱えの陰陽師による占術の結果で、魔族と親交を図るべしと出たことに端を発する。
陰陽師が宮中で重要な役割を果たしていたのは、イヅノメ皇国では五百年以上前までの話である。
しかし、占術や祈祷に頼るといった風習が一般に衰退してからも、自然災害の多いこの国では、どうしようもない時の最後の頼みの綱、心の拠り所として、それらが完全に姿を消すということはなかった。
皇族お抱えの陰陽師にしてもそうである。
風習として、重要な祝典や皇族の成人の際などには、必ず占術や祈祷が行われた。
いかに占術の結果といえど、魔族と親交を図るなどという突拍子もないことを、人間界の常識的に考えれば簡単に真に受けられるわけがない。
イヅノメ皇国は長い間、悪魔たちを敵とし、それを打ち滅ぼす正義というものを掲げてきた。
それを覆しては、下手をすると国家の権威が失墜しかねない。
しかしクニシゲは今回、国中からの批判よりも占術結果を優先した。
その理由は、彼専属の陰陽師であるミカゲが、国家にとって重要な出来事を何度も占術によって予知し、的中させてきた実績があるからである。
ミカゲを傍に置くようになったのは、クニシゲがミカゲの占術に命を救われてからである。
皇太子であったクニシゲが数名の側近と共に、吊り橋を渡ろうとしていた時。
フードを目深に被った男が、突然行く手に立ち塞がって言った。
「その橋を今渡るのはどうぞおよしください。雷が落ちます」
その日は曇り空ではあったが、雷が落ちそうかというとそういう天気には見えない。
しかし、行く手を遮られた彼は、男を押し退けなければ進むこともできず、どうしたものかと思案しながらその場に立ち止まっていた。
すると、本当に雷が落ちてきて、吊り橋が壊れてしまった。
男が行く手を塞がなければ、ちょうどクニシゲたちが渡る最中にその雷が落ち、彼らは橋ごと急流に呑まれていただろう。
「何故、雷が落ちるとわかったのだ」
クニシゲが男に問いかける。
「わたくしは陰陽師です。占術でそれを知りました」
男は答えた。
これをきっかけに、クニシゲはミカゲという名のその陰陽師を、自分の専属にした。
ミカゲは、宮中で火事が起こる日から、皇帝暗殺未遂事件の犯人の潜伏場所、皇帝が病で命を落とす日までを、占術で言い当てた。
そのミカゲの占術で、魔族と親交を図れと出たのである。
クニシゲは、これを無視することができなかった。
結果、お忍びでやってきたアルテンブルク女王というのは、絶世の美女であった。
これはもしかすると、運命の出会いというものかもしれないなどと、クニシゲは期待し始めていた。
魔族と親交をというのなら、皇帝である自分とあの女王が仲良くなってしまえばいいのだから。
遠足のしおりが無いから、自分だけ現地に下見に行った…という感じの女王様。
これはちょっと、ツッコミ始めるときりがなさそうですね。




