脱ニートしたい恋人と、愛したいだけの女王(2)
※ちょっと変態?な方向に後半走ってます
女王の優秀な従者であるアルベルトは、主君の恋人の家庭教師までこなしている。
彼の仕事は、エルフリーデのために全てを完璧に整えることである。
彼女の恋人の状態が女王に相応しくないと思えば、それをも調整するのがこの従者なのだ。
鬼教師として厳しく躾てやろうと思っていた彼だが、生徒であるトシツネがなかなかの根性を見せたことで気に入ってしまい、最近では随分と甘くなった。
浮かない表情をしていたら、自分から相談に乗ってやるほどである。
全ては、エルフリーデのため。
その朝も、歴史の勉強を中断して、まだまだ繊細な年頃の生徒の表情が優れない理由を、アルベルトは優しく聞いてやった。
そして、情けなさそうに昨夜のやり取りを語ったトシツネを前に、最善策を一緒に考えてやっている。
「――それで、何も言えずに下がってしまったわけですか」
「はい。申し訳ありません」
「わたくしに謝罪しても仕方がありません。今後のことを考えましょう」
こんな相談に乗ってやっているアルベルトは、エルフリーデに惚れている。
どれくらいかというと、彼女の幸せのためなら恋敵を全力でサポートするくらいにである。
その健気な片恋が報われる日は来そうになくとも、これが彼の愛の形だと本人は納得さえしている。
理知的な美青年である彼が望めば、恋の相手を他に見つけることもできるだろうが、彼はエルフリーデに全てを捧げることを選んでいる。
それだけ彼にとってエルフリーデは、女性としても主君としても唯一無二で特別なのである。
もしトシツネがエルフリーデを裏切るようなことがあれば、アルベルトはこの生徒をどれほど許せないか計り知れたものではない。
「あなたには、ゆくゆくは陛下の伴侶となる気はあるのですか?」
赤い瞳は、トシツネに射るような視線を向けている。
「願望としては、なりたいです。けれど、今のわたしが“女王陛下の伴侶”に相応しいとは、思えません」
「ほう。以前から思っていましたが、あなたの自信は珍しいバランスで備わっていますね」
「そうでしょうか…?」
「大抵の男は、王婿としての責務のほうよりも、女性としてのあの方に釣り合わない自分のほうに自信が持てないものです」
「わたしも、あんな素晴らしい女性に自分なんかが釣り合うと思っているわけでは、ありません。でも…」
焦げ茶色の瞳が、これだけは確信していると言わんばかりに真っ直ぐ、アルベルトを見返した。
「陛下が、愛していると言ってくださったんです。自分の劣等感なんかより、陛下のその言葉と心を大切にしなければ、あまりに愚かというものではありませんか」
優しく目を細めて、アルベルトは微笑んだ。
「ええ。その通りです。あなたが陛下のお心を踏みにじるような愚か者だったら、わたくしが燃やして差し上げているところです」
冗談めかした口調とは裏腹に、その赤い瞳に本気の色が混じっている。
「では、陛下のその愛にお応えするために、“女王陛下の伴侶”として相応しくなる努力をする気はあるのですか?」
「はい」
迷いなく、トシツネは頷く。
「相応しくなれる自信は?」
「それは…」
そこで、トシツネは詰まってしまう。
「わたくしができるところまでは、みっちり教育して差し上げますよ?」
「よろしくお願い致します!」
やる気だけは申し分のない生徒に、アルベルトはひとまずは満足して頷く。
「花婿修行はきっちり積んでもらうとして。仕事らしい仕事が欲しいという話は、どうします?」
「それなのですが、今、わたしは働いていないのに、給金だけは受け取っているかたちになっているのですよね?」
「ええ。あなたが我が国の民として受け入れられた時に作った口座に、きちんと振り込まれていますよ」
「受け取らないわけにはいかないのですか?」
「建前上、あなたは側仕えとして働いている事になっていますから。給金を失くすわけにはいきませんね」
トシツネは、その口座から金銭を引き出したことがない。
もういくらほど貯まっているのか、確認すらしていない。
彼の衣食住は女王の一存で手配され、家賃や光熱費は他の住み込みの王宮労働者と同様に給与から引かれており、自分では何もせずとも今まで何不自由ない環境を与えられてきた。
これらのことを、暴君エルフリーデの我儘として周りは処理し、誰も文句をつける者もいないのであるが、トシツネ本人としては、いたたまれない思いから目を逸らし切れなくなってきている。
「無職になると、問題ですよね」
「ええ。陛下の側仕えでなくなるということは、基本的には、今与えられている部屋からも立ち退くということになります。自主退職の場合、失業手当は三か月程度しか支給されませんから、どのみちその後仕事を見つけなければなりません。今ある貯金だけで住居から生活費まで何もかもやりくりしつつ、自力で陛下のお傍にいられるような職を見つけることは、特殊な知識も技術も持たない人間のあなたには難しいでしょうね」
いったん無職になって自力で再スタートを、と一瞬思いかけたトシツネであったが、これは却下になりそうだ。
エルフリーデの傍にいられる環境を維持する、というのは大切な点である。
何よりあの女王が、トシツネを遠ざけることを許さない。
彼女の傍にいることが、この特別扱いがなければどれだけ難しいことか。
「ではやはり、頂いている給金に見合うだけの労働を、何か出来るのが理想なのですが…」
「そんなに、陛下に囲われているだけなのが不満ですか?」
「働かずにお給金を頂くことが、です。それさえなければ、陛下になら犬小屋で飼われても幸せです」
ここで惚気けたトシツネに、本来ならばアルベルトは怒っていいところだろう。
しかし、不覚にも最後の部分に共感してしまったアルベルトは、少しも腹が立つことなく、二度ほどしっかりと頷いた。
「王婿となれば、嫌でも山のような公務が待っています。今は研修期間だと思って勉強と鍛錬に集中するのも、悪くない選択肢だとは思うのですが。どうしても、働かず給金を受け取っていることが気にかかりますか?」
「はい…」
トシツネにも、アルベルトの言うことがわからないわけではない。
王婿となった時のことを考えれば、今はそのために学ぶことに全力を注いだほうが、後々役に立てる人材になれるのだろう。
むしろ、それが最も望ましい選択なのかもしれないと、理屈の上では思う。
しかし、これ程までに特別な扱いを受け、手厚く守られているトシツネは、現時点でエルフリーデの婚約者ではなく恋人。
さっさとプロポーズをする勇気もなく、そのための自信を培うために教育を受けているだけの身分とは、なんとも甘やかされすぎではなかろうかと思うと、どうにも落ち着いて暮らすことができないのだ。
「わかりました。では、わたくしが任されている仕事の一部をあなたに譲りましょう。それによって、わたくしがあなたの教育に割ける時間も増えます。それなら、結果としてそれほど悪くないはずです」
「ありがとうございます、先生!」
「ただし、完璧にこなしてもらいますよ。わたくしの代わりなのですから、陛下に不自由をさせるようなことは許しません」
「はい!ご指導よろしくお願い致します!」
アルベルトからすれば、トシツネなど勢いだけは一人前の若輩者にすぎない。
しかし同時に、既に手塩にかけて育ててきた弟子でもある。
期待しているというよりは、彼は願望としてこの弟子のできるところを見てみたいと思っていた。
その夕方、トシツネは初めての仕事として、エルフリーデの靴磨きを任された。
アルベルトは、給仕や掃除から手紙の代筆まで何でもこなすのだが、その中でも失敗したときに被害が少ないであろう仕事として、これをトシツネに与えたのである。
エルフリーデの靴というのは、材質の高級感やデザインの美しさは勿論のこと、女王としていつどこに出てもいいよう、あらゆる場面に馴染むことができる品の良さを備えたものばかりであった。
トシツネはそのことに感心しつつも、それよりも、いつもエルフリーデがこれを履いているのだということに、妙な興味を惹かれていた。
「陛下の御御足がここに…」
じっと靴の底を覗き込んでいると、その匂いを吸い込みたい衝動に駆られて、それを顔に近づけてしまった。
一瞬、靴独特の苦いような匂いと、酸いような甘いような香が混じって感じられ、それがトシツネの頭の中でエルフリーデの足に変換されて、彼はにまりと頬を緩めた。
「こら」
バシッと頭を叩かれて見上げると、アルベルトの赤い瞳が鋭く見下ろしていた。
「も、申し訳ありません!つい、出来心で…」
「気持ちはわかります。ですが、我慢なさい」
気持ちがわかってしまうところが、アルベルトがこれ以上きつくトシツネを怒らない理由であろう。
「この後あなたが何と思うかも、わたくしには想像がつきます。消臭剤をかけようと手にして、この香を消してしまうなんて勿体無いと思うことでしょう」
それは、トシツネにも容易に想像のできる近未来であった。
「ですが、仕事です」
頷いたトシツネは、アルベルトは自分にとって最良の師なのだろうと、確信めいた感慨を抱いた。
「いいですか?陛下のために働くのだということを、胸に刻み込むのです。目先の誘惑に負けてはなりません」
「はい、先生!」
「よろしい」
この日トシツネは、女王の靴の磨き方と手入れの仕方を、完璧に習得した。
そして、誘惑に打ち勝つ心もまた、鍛えられた。
アルベルトはこの日以降、少しずつトシツネに仕事を覚えさせ、任せる量を増やしていった。
一ヶ月もする頃には、トシツネは名実共に側仕えと言って差し支えない程度に、仕事ができるようになっていた。
初めはアルベルトに全てさせたほうが効率がいいと思っていたエルフリーデだが、トシツネが自分の身の回りの世話を少しずつしているという事実に照れくさいながら喜びを感じ、少し慣れた頃には惚気け始めた。
仕事を譲り、エルフリーデの最も傍にいる立場を譲りつつある中、彼らの惚気を見せつけられるアルベルトは、客観的に見れば憐れなのであるが。
エルフリーデの幸福のために最善の選択をすることができたと、完璧な従者は今は満足していた。
何のこだわりなのか、アルベルトは給仕だけはトシツネに譲らない。
それだけで満足できる、彼は健気な従者だった。
足の匂いと靴の匂いは、結構違うだろうなと思いつつ…。
何故こんなシーンを書いてしまったのか、あまり意味はないのですが、恋人が絶世の美女だったらこういう出来心も芽生えそうだという想像をそのままに。




