風邪を引いた日
※ただのバカップルです
トシツネが風邪を引いた、というそれだけで、その日エルフリーデは大騒ぎをしていた。
身体構造の何がどう違うのかはわからないが、魔族は風邪など引かないのだ。
病気というものは存在するが、いわゆる風邪は引かない。
エルフリーデから見て、トシツネは正体不明の奇病にかかったようなものなのである。
医師の判断でも、消化の良いものを体調を見つつ与えて、しばらく安静にしておけば治る、ということであったが。
そんなことで治るという根拠を示せだとか、人間の医者を連れてくるだとか、本当は不治の病で告知を渋っているのではないかとか、暴君はヒステリックに荒れ狂った。
風邪薬なるものを調合して後ほど届ける、ということで、いったんは納得して帰っていったのだが。
困った女王である。
さて、この暴君。
昼下がりの穏やかな陽光が差し込むトシツネの寝室で、つきっきりの看病――もとい監視をしている。
今日の仕事を宰相に押し付けられるだけ押し付け、残りは午前中に無理矢理片付け、特に役にも立たないのに、寝台脇に椅子を置いてそこに腰掛け、じっとトシツネを見張っているのである。
「気分はどうだ、トシツネ」
もう何度目であろうか。
数分前に聞いたばかりのことをエルフリーデは尋ねる。
「少し熱っぽいだけで、大丈夫です」
そう言うトシツネの熱のせいでほんのりと赤らんだ頬が、エルフリーデにはどうにも愛らしく見えて、庇護欲を掻き立てられる。
そっとトシツネの手を片方取って、彼女はその甲を優しく撫でた。
エルフリーデの柔らかい指先が触れる感触に、トシツネはふわふわと夢見心地になっていく。
「心細くないか?私が傍にいてやるからな」
心細いも何も、ただの風邪なのにエルフリーデがこんなに大袈裟にして張り付いているのである。
普通なら迷惑なところであるが、彼らは恋人になって数日目。
トシツネは嬉しそうに、ふにゃりと頬を緩めて笑む。
「ありがとうございます、陛下」
単なる風邪のおかげで、今日は愛しい女性を自分の傍に繋ぎ止めておけるのだと。
彼は幸せ真っ盛りである。
「風邪というのは、本当に死ぬような病ではないのだな?」
心底心配げに、エルフリーデは仰向けに寝ているトシツネを、横から控え目に覗き込む。
さらりと長い黒髪が揺れて、彼の肩に当たる。
風邪がどうこうより、それで心臓が跳ね上がり、トシツネはおかしくなりそうだった。
「風邪が直接の原因で死ぬようなことは、無いと思います」
どきどきと胸を高鳴らせながら、トシツネは答える。
「間接的になら、死因になりうるということか!?」
青い瞳を潤ませながら、エルフリーデは悲壮な表情を滲ませる。
「咳がもとで肺炎になったりすれば…。でも、陛下、そんなこと滅多にありませんから!」
慌てて彼女を宥めようとはしつつも、トシツネはこうして心配されると、愛されていると感じて嬉しくもあり、エルフリーデのこんな姿をもっと独り占めしたいとも感じていた。
「お前をそんなことには、絶対にさせない。私の魔法では、病原菌を追い出すことはできないが、炎症の類は治してやれる。お前は私が守ってやる」
真剣な眼差しを向けてトシツネを見つめて、エルフリーデは触れていた片方の手を引き寄せ、彼の腕をぎゅっと胸に抱きしめた。
大真面目な表情のエルフリーデであるが、柔らかく豊かな感触がトシツネの腕に押し付けられている。
彼はすっかりのぼせ上がった。
「お前、顔がさっきより赤くなったぞ!辛いのか?大丈夫なのか?水を飲むか?医者を呼ぶか?」
「へ、陛下…。む、胸が…」
「胸が苦しいのか?」
「そうではなくて…。いえ、ある意味そうなのですが…」
ぎゅうと、エルフリーデは余計に抱きしめる腕に力を込める。
トシツネとしては、嬉しいが八割に困るが二割で、嬉しいの完全勝利である。
思わずにやけて、間抜けな表情でこの幸運な景色を眺め、夢のような感触を享受していた。
「おいトシツネ、大丈夫か!?」
「大丈夫ですぅ」
それはもう嬉しそうににやにやとするトシツネを見て、おかしくなってしまったのではとエルフリーデは心配する。
その時。
トントンッ――と、ノックのお手本のような心地良い音がする。
この音はアルベルトだと、二人ともすぐに察した。
「失礼致します。軽食をお持ちしました」
ドアを開けて完璧な所作で入ってきた従者だが、そこに広がる光景に、驚きと嫉妬と呆れの混ざった複雑な表情を浮かべた。
「アルベルト!トシツネの様子がおかしいのだ。これはどういうことだ!?」
必死な様子でまくしたてながら、エルフリーデはぎゅうぎゅうとトシツネの腕を抱きしめる。
するとますます、トシツネはだらしなくにやけていく。
優秀な従者は、悟られぬよう小さく溜息を吐いて、ゆっくり口を開いた。
「陛下。病人の腕をみだりに持ち上げるものではありませんよ。安静にさせてやってください」
はっとして、エルフリーデはトシツネの腕を優しく下ろす。
「すまない…私のせいだ…私のせいでトシツネが…!」
それでもまだ、先程の余韻でこの病人はにやにやと幸せそうに緩んだ表情をしていた。
「落ち着いてください、陛下。大丈夫ですから」
アルベルトが、やれやれと肩を竦めながら粥を運んで来る。
「何だ?病人に米か?病気の時といえば、スープではないのか?」
普段なら他人の食事にとやかく言うことのないエルフリーデだが、病気の恋人のこととなると、全てが気になるようである。
「トシツネ殿の母国では、病人の食事と言えば粥なのですよ。弱っている時ほど食べ慣れたものが良いと思い、いくつかの文献を読み込んで再現してみました」
さすが、女王の自慢の完璧従者である。
「トシツネ殿、上半身を起こせますか?」
半身を起こそうとするトシツネを手伝おうとアルベルトは腕を伸ばしたが、ぐいっと強引に腕を伸ばしたエルフリーデに遮られた。
その役は譲らないということのようである。
苦笑しつつも、アルベルトはこの横暴な主君に譲った。
「ありがとうございます」
手伝うエルフリーデに礼を述べるトシツネは、熱のせい以上に頬を染めて、デレデレと嬉しそうである。
アルベルトとしては、こんなものを見せつけられて複雑なのであるが、主君が幸せそうなので文句を言う気にもなれないのであった。
彼はお盆をトシツネの膝に乗せ、
「熱いので冷ましながら召し上がってください」
と、優しく声をかけ、すっと後ろへ下がる。
できた男である。
「先生、ありがとうございます。いただきます」
トシツネは行儀よく手を合わせると、スプーンに手を伸ばし、一口分掬い取る。
「待て」
暴君が待ったをかけ、焦げ茶色の瞳がきょとんと見上げる。
するとスプーンを持つ彼の手に、エルフリーデのしなやかな手が添えられた。
その柔らかく包み込む感覚だけで、トシツネの心臓が早鐘を打つ。
「これは冷ましてから食べるのだろう。だったら――」
そのままエルフリーデは、粥を乗せたスプーンを自分の口元に近づけていく。
そして、ふっくらとした薄紅色の唇をすぼめて、フーッと息をかけた。
途端にトシツネの頬が赤らんでいく。
彼は内心では悶えて後ろ向きに倒れ込みたかったのだが、この後への期待がそれを必死に押し留めていた。
「さあ、口を開けろ」
手に手を添えたままゆっくりと、エルフリーデの口元からトシツネの口元へとスプーンが運ばれる。
幸福にふわふわと浮き上がりそうになりながら、トシツネは口を開けた。
優しくゆっくり、スプーンの先が口の中に運ばれる。
粥の味が口の中に広がっていくと、トシツネの幸せもそこから身体中に広がっていくようだった。
アルベルトの作った粥は、トシツネの故郷の味がした。
鰹だしの上品な味付けに、ふわふわの卵や青ネギなどといった控えめな具が、見事に調和していた。
突然にも、トシツネは生まれた土地が懐かしくなった。
「先生、この味…」
気配を消して壁際に控えていたアルベルトのほうへ視線を向け、トシツネは唐突に、ほろりと一筋涙を流した。
「どうしましたか?味付けがおかしかったでしょうか?」
アルベルトは心配げに問いかける。
エルフリーデは何が起こったのかわからず、じっと黙って見守っている。
「美味しいです。懐かしくて…」
ほろりほろりと、もう二筋、涙が流れた。
先程までの恋人たちの幸せはどこへやら。
若くして郷愁の念に駆られ涙を流す少年を、ひたすらに二人は見守っている。
「…帰りたいか?」
純粋に慈しむような声色で、エルフリーデが静かにそっと問いかける。
「いいえ、いいえ…。わたしは、陛下のお傍にいたいです」
濡れた睫毛に縁取られ、潤んだ焦げ茶色の瞳が真っすぐにエルフリーデの青い瞳を見る。
そんな彼が愛おしくて、エルフリーデはたまらない。
膝の上に粥が乗っていなかったら、迷わず抱きしめていただろう。
「…いつか。堂々とお前の故郷を歩けるようにしてやろう」
その意味が分からず、トシツネは瞬きながらエルフリーデを見つめている。
トシツネの身柄を引き取ることは、母国に拒否されたはずだった。
彼はもうアルテンブルク国籍を得て、母国からすれば外国人である。
魔族の国と人間の国との間では、正常な国交などない。
旅行だって、できるような状況ではないはずである。
「私はこれから外交に力を入れるぞ。お前が生きている間に何とかして見せる」
めらめらと音を発てそうに、青い瞳の奥で炎が揺れている。
「待っていろ。お前のためなら世界を手に入れてやる」
それは、外交ではなく侵略ではないのだろうか。
などと、言うのも怖いほどに、エルフリーデの表情は暴君そのものだった。
それから半年と経たないうちに、彼らはその土地を訪れる機会を手にするのだが。
それを知る由もない今の彼らは、ただの病人と、恋人を溺愛する暴君であった。
お粥って地方によっても家庭によっても色々違いそうですね。
私は梅干しと塩だけのお粥で育ちました。




