漆黒を纏う少女と、呪われし炎の少年(2)
その少年の生まれ育った小さな村には、掟があった。
“呪われた炎を持つ子供が生まれたら殺せ”
たったその一つだけ、それだけの掟だった。
この呪われた炎とは、存在そのものを滅する魔法の炎のことである。
一度燃え始めれば、そのものを燃やし尽くすまで消えることはない。
生き物ならば、その肉体を形成する血や骨までを、既に身体から離れていようと遺さず焼き尽くす。
みだりに使えば、世界を滅ぼすことにもなりかねない。
その力への恐怖が、その村で掟というかたちになったのは、いつからなのか。
少年は知らない。
魔法属性は遺伝で決まる。
その炎も、それを受け継ぐ血族がいるはずなのだ。
彼らは、見つかったら当然のごとく根絶やしにされると惧れ。
その魔法を受け継いだ者は、ひた隠しに隠した。
とはいっても、村人とて殺戮を好むわけではない。
子にこの炎の力が発現したとして、その力を両親どちらから受け継いだか、本人たちが口を割らねば知りようがない。
故に掟によって殺すのは、この炎を人前で使用し、その力を持つことを示してしまった者のみである。
そうであれば、この炎の力を持って生まれた者は、それを使わないようにするしかない。
二属性以上の魔法が使える者は、比較的容易にこの力を隠し通した。
そうして生涯隠し通すことで、彼らの子孫がまたこの力を受け継ぐことに、罪悪感を抱きながら。
魔族にはたまに、自分が受け継いだ魔力の使い道がわからず、何の魔法も使えないまま生涯を終える者がいる。
この炎の力しか持ち得なかった者は、往々にしてそういった者のふりをした。
少年の母は、これに当てはまった。
彼女は、何の魔法も使えないふりをして生涯を終えた。
こういう者は例の炎を使えるのではと怪しまれやすいのだが、しかし真相を確かめようもない以上、村人たちも何も起こらない限り事を荒立てはしない。
彼は母からきつく言い聞かされてきた。
赤い光を発してはいけないと。
それは自分の命を奪うものだから、と。
その母は、少年がまだ幼いうちに若くして亡くなった。
父もその後を追うように、すぐに逝ってしまった。
取り残された少年は、隣人たちに交替で面倒を見られながら育った。
彼もまた、何の魔法も使えないふりをしながら。
それは穏やかな毎日だった。
彼が魔法を使わないことで、悪口を言う子供は後を絶たなかったが。
利発な彼は大人たちからも好かれ、そんなことは些事として流すだけの度量もあった。
その日々が終わりを告げるのは、彼が七十歳――魔族でいう思春期真っ盛り――の頃である。
同世代の少年と喧嘩をした。
その発端は実に下らないことだったのだが、それが言い合ううちに段々とひどい罵り合いになっていった。
しまいに相手は、少年の母を引き合いに出して誹謗中傷を始めた。
お前の母は魔法が使えない、お前も魔法を使えない。父親はきちんと魔法が使えるのだから、お前は父親ではなくどこぞの人間が母を孕ませて産ませた子だ――と。
これには少年は我慢ならなくなった。
穏やかで優しかった母への侮辱に、全身の血が沸騰するように怒りが湧きあがる。
彼は仲の良かった両親を心から好いて、尊敬していた。
母の不貞などあり得ないことだ。
気づいたら、使ってはならないと母にきつく言い聞かされていたあの赤い光を、手に宿していた。
流石にそれを相手にぶつけるほど、彼は分別のない男ではなかった。
その怒りを、喧嘩を始める時に相手が脱ぎ捨てた上着に向けた。
彼は魔法が使える。母は不貞など働いていないと。
そう証明する炎が、燃え上がった。
途端に、相手の顔が青ざめ、恐怖に歪んでいった。
「呪いの子」と、呟きが漏れた。
そして走り去る後ろ姿を見た。
聡明な少年は、それが平穏な日々の終わりであることを悟った。
そしてその日は奇しくも、女王がこの村に視察に訪れる日だった。
村長が女王を丁重にもてなし、村人たちが美しい女王一行に見惚れている。
その裏で、大人たちは少年を捕まえ、殺そうとしていた。
少年は手に炎を宿して、大人たちが近づけないようその魔法を盾にし、必死に抵抗した。
仕方なく大人たちは、彼がその炎を使えなくなるまで痛めつけることにし、遠距離から魔法攻撃を仕掛けたり、その力の無い者は石を投げたりした。
少年は、その日女王一行が来ていることは知らなかった。
故に、助けを求める相手はこの村の中にはいないと思っていた。
誰も傷つけずに、村の外へ。
それだけを考えて、満身創痍になりながら走っていた。
腫れ上がった瞼に加え、眼球も傷ついたようで、彼の視界はもう朧げだった。
四方から風魔法を使う大人たちに囲まれた。
その風圧に檻のように閉じ込められ、退路を断たれた。
もう駄目かと少年は諦めかけたが、その大人たちのうち最も臆病そうな者を瞬時に見定め、彼は手に炎を宿してそちらへ近づこうとした。
案の定、怯えたその大人は彼から逃げるようにして、魔法の手を止めて遠ざかった。
逃走経路を確保した彼は、脇目も振らずにそちらへ駆けた。
「呪いの子が逃げたぞ!捕まえろ!」
声がする。
その方向から逃げるように、角を曲がる。
後ろから大人たちが追ってくる。
しかし何故か、ある方向には彼らは近づこうとしない。
そこに三人の人影があるのが見えた。
三人くらいなら突破できる。
そう思った彼は、迷わずその方向へ突っ込んでいった。
おかしい、背後の大人たちが足を止めている。
その気配を感じながら、彼はその三人の中央にいる人物の足元で、力尽きて倒れた。
再び意識を取り戻した時、少年は屈強な男に抱えられていた。
その腕から逃れようと必死に藻掻く。
「あ、危ない!」
誰かの声がした。
「大人しくしろ」
すぐ近くから声がする。
そしてその声の主は、近づいてきて彼を見下ろした。
「暴れるな。傷を治してやろう」
傷を、治す。
その言葉に驚き、びくりとして彼は動きを止めた。
ぼんやりとした視界の中で、青白い光が見える。
その手にその光を当てられると、身体中の傷が癒されていく。
温かい。優しい。心地良い。
味方を失くしたはずのこの村で、その手は彼を救おうとしている。
「いけません!その子は危険です!」
そんな声が聞こえてきても、少年はここで守られていた。
「この少年の罪状を言え」
その声に誰も答えない。
だから少年は口を開いた。
「…嫌いな奴の持ち物を、燃やした」
罪状、と言われれば、それだけのはずだ。
「持ち物とは何だ?」
「上着だ」
「それは重要なものか?」
「どこにでもあるようなものだよ」
「罪状はそれだけか」
「それだけだ!」
生まれ持った力のために、命が危険に晒される。
少年には誰にも危害を加える気はないのに。
理不尽だ。
その想いの全てを、そこにいる誰かにぶつけていた。
腫れあがった瞼に、傷ついた眼球に、その優しい手が翳される。
青白い光が満ちると、全てが元通りに癒されていく。
そしてその手が、そっと離れていく。
「――っ!!!」
少年より少し年上の、この世のものとは思えないほどに美しい少女がそこにいた。
白い滑らかなきめの細かい肌。秀麗すぎる眉目、すっきりと通った上品な鼻梁。ふっくらとした薄紅色の甘そうな唇。艶やかな長い黒髪。
そして何より、宝石のような深い青の瞳が、どこまでも澄んで彼を見据えている。
それは紛れもなく、噂に聞く女王の姿。
この時彼は、信仰のような感情を抱いた。
それが彼の忠誠の始まりだった。
その先のやり取りも、少年は生涯忘れることはない。
公正な裁定者のように、事実を問い質す毅然とした姿。
許すかどうかと少年に問いかけ、その願いを受け入れて許す度量。
誰よりも皆を畏怖させ、同時に誰よりも深い慈悲を示す。
言い知れぬ高揚に、少年の胸が高鳴った。
これが王の器というものなのか、と。
そして彼女は少年に問う。
仕える気はないか、と。
彼の答えは決まっていた。
そしてその時の感動を、彼は胸に抱き続けている。
初めて見る王都の賑やかさに、少年は圧倒された。
その景色を、女王の魔法で飛行しながら見下ろした。
護衛の二人は馬車で帰すのだと、彼女は言った。
少年は空の上、信じられないほどに美しい少女と二人きりである。
身体が熱くなり、どきどきと胸が高鳴った。
そして王宮という場所の華やかさにも驚いた。
そんな場所でどう振る舞っていいかも、何もわからない少年は、ただひたすらに先を歩く女王の後を追う。
通されたのは、広い窓から明るい光が差し込み、ゆったりと柔らかそうなソファが低いテーブルを囲む、寛いだ雰囲気の部屋だった。
「好きな場所に腰を下ろせ」
おそらく下座と思われるほうに、少年は腰を下ろした。
すると女王は、その向かいに腰掛けた。
「名乗れ」
「アルベルトです」
「姓は?」
少年は刹那沈黙した。
そして口を開く。
「姓は、捨てたいのです」
彼の炎の噂が立てば、姓からその出自を辿ろうとする者が現れるかもしれない。
あの村の人々のように迫害しようとするのでなくとも。
この炎を悪用しようとする者が現れるかもしれない。
それだけ強く、忌まわしい力だということは、彼にもわかっていた。
そして彼は、もうこの力を引き継ぐ子孫を残したくないとも、その若い胸の内で思っていた。
青い瞳が深く、少年の赤い瞳を見る。
その眼差しに、まっすぐ視線を返す。
「わかった」
その全てを、深く問わずとも受け入れるというように。
美貌の少女は頷いた。
「お前がそれを望めば、私がいつでも与えよう。だが、望まない限り、お前は姓も身分もない。ただのアルベルトだ」
その言葉に、少年は満ち足りて笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
少女の表情は一切動かない。
笑いもしない、憤りもしない。
しかし少年は、恐ろしくはなかった。
「アルベルト」
「はい、陛下」
主君となった少女に初めてその名を呼ばれ、緊張と喜びにアルベルトの鼓動が早まる。
「お前は、私の最も近くで仕えよ」
どきりと、心臓が跳ねた。
「他の者では張り合いがないのだ。私は嬉しい――」
少しも嬉しそうには見えない無表情のまま、そして温度の無い声で。
しかし煌めく青い瞳は、真っ直ぐに偽りなくアルベルトの赤い瞳を見据えている。
「私の他にも、世界を滅ぼせそうな者に出会えて」
白いたおやかな手が差し出された。
握手を求められていると、数舜後に気づいた。
主従であるのにこの手を握るのは、アルベルトには躊躇われた。
だからその手を、壊れ物を扱うようにそっと取る。
そして、その滑らかな甲に、厳かに口づけた。
「この力は、陛下のためだけに使うと、誓います」
ゆっくりと視線を上げると、青い瞳と目が合う。
「それは忠誠か?」
「はい」
「では、私はそれに応えねばなるまいな」
翌日から、アルベルトは女王の世話係として働き始めた。
しかし、この女王は放っておくと、全て自分でやってしまう。
これまで側仕えを置かなかったのかと問えば、自分には必要ないから他の仕事を斡旋した、などと言うのだ。
ならば彼のことも必要としないのかと不安になれば、それを見透かしたように、お前は傍にいろと言う。
その言葉に、アルベルトは浮き上がりそうな高揚と甘い疼きを覚え、妙に熱い感覚を持て余した。
「お前は他人の罪を許して見せた。私はそんなお前を傍に置きたい」
エルフリーデのこの言葉に、未熟な少年も彼女の過去に何かがあると悟った。
けれどそれを問い質すような無粋な真似はしない。
何も言わずにただ、何があっても自分だけは彼女の味方でいると、彼はそう心に誓った。
「苦い」
初めて紅茶を淹れたのだが、一口飲んでそう言われた。
「申し訳ありません。淹れ直して参ります」
そう言って彼が紅茶を下げようとすると、
「不味いとは言っていない」
と、下げさせようとしない。
それが優しさだわかり、アルベルトは次こそは完璧な紅茶をと意気込む。
「硬い」
張り切って焼いた菓子はそう評された。
しかしこちらも、エルフリーデは残さず平らげてくれた。
「寒い」
そう言われた時は、どうしていいかわからず、とりあえず抱きしめようとした。
パチンッ――と、頬を張られた。
「無礼者」
間違えたようである。
最初は何もできない従者であった。
むしろいないほうが、邪魔にならずにいいのではないかと思うくらいに。
それでも主君は、彼に傍にいることを求めた。
だから彼は、誰より完璧な従者になると決めたのである。
「アルベルト」
呼ばれればわかる。
その声色で。
「どうぞ、陛下」
すっと膝掛を差し出す。
黙って主君がそれを受け取る。
それは、彼が主君の意を汲めたということである。
今では彼は、その所作から知識や教養、剣の腕に至るまで、女王の自慢の完璧な従者である。
無表情を通していた主君が、最近ではよく泣いたり笑ったりするようになった。
そしてアルベルトにも、惜しみなく笑顔を向けて言うのである。
お前がいてくれてよかった、と。
少年アルベルトは絶対美少年だと思いますが、そのあたり描写しませんでした。
なんか、バランス的にその描写が邪魔になるというか。
アルベルトの扱いが…ごめんなさい。




